58

 病室にノックの音が響いた。


「……どうぞ」


 少し悩んでから、誡は訪問者の入室を許した。


「失礼しまーす……調子はどう、長谷君?」


 そろそろと部屋に入ってきたのは鈴風と新聞部の面々だった。誡が何故入院する事になったのか、健司を殺した事なども何も知らずに、ただ彼を心配して訪れたのだろう。誡にとっては、ある程度予想はしていた事だったが、いざと向かうと彼女等に何を言えばいいのか解らなくなる。


 ――ぼくは殺人鬼なんです。


 そう言えばいいのだろうか? 正直に言えばいいのだろうか? 新聞部として今まで追っていた〝四肢狩人〟の正体は自分だと――――どう言葉を交わせばいいのか全く解らない。


 ただ無性に申し訳無さと恥ずかしさと居た堪れなさが湧き出てきて、それをどんな風に纏めればいいのか、今すぐにでも死んでしまいたくなる。


 あの人は何も言わなかった。あの探偵は自分を否定するだけで、断罪もしてくれなかったし、赦しもくれなかった。いきなり、ただ独りで新しい世界に放り出されたのだ。右も左も判らずに、どころか進み方すら失って二進も三進もいかない。


 あぁ――いっそ殺してくれればよかったのに……


「おーい、長谷くーん?」


 目の前で手をひらひらと振られて、誡は我に返る。


「――あ、はい。何ですか部長?」

「何ですか、じゃないよ長谷君。調子はどうって訊いたのに……まだ悪いの?」

「いえ、怪我はもう大丈夫ですよ」


 誡は笑顔で答える。本当はそれすらも苦痛であるのに、嘘を吐いてしまう。もう自分の言葉の何が正しいのかも彼は解らず、嘘に嘘を重ねてしまう。


「もう全然元気ですから、ぼくは平気ですよ」


 なら良かったわ、と鈴風は安堵の笑みを浮かべた。


「しっかし驚いたわ。いきなり長谷君が、廃屋で大怪我して入院したっていうから」

「そうですねー。特に部長と鮎河先輩の混乱っぷりは、副部長と俺が逆に冷静になるぐらいでしたよー?」

「な、楢沢君! そ、そんな事は言わなくてもいいじゃない!」

「いや、まぁ……確かに鮎河にコーヒーをドリップしないで粉だけ出された時は、真面目に精神科に連れて行こうかと俺は思った」

「副部長まで! もう、言わなくていいですからそういう事は!」

「あの時のアユちゃんにはアタシは過去最高にときめいたわ……」

「他人事の様に言うな。お前も相当だったろうが。いきなりコンビニで菓子を大量に買って、お見舞いに行こうと言い出した時は何事かと思った」

「あ、アタシは冷静に長谷君の好物を持っていこうとしただけよ?!」

「まぁ、俺達はこんな感じだ」

「無視しないでよ!?」


 誡はいつも通りの新聞部の様子に、どうにか笑顔を作る。


「何だか、心配掛けちゃってるみたいですね、済みません。もうすぐで退院出来ますから」

「うん。ならいいんだけど……」


 鈴風は少し考える様に目線を宙に泳がして間を取ると、言った。


「ヌエちゃんのバイト先の探偵さんから聞いたわ」


 その言葉に誡は心臓が止まりそうになる。


「長谷君が速水健司って子を殺したって」


 


 正体を。何をしていたのかを。これでもう終わりだ。ぼくはもう――もう? だから何だと言うのだろうか? 既に自分はここに居る資格は失くしていた筈じゃないだろうか。だから彼女達と話す事を恐れ戸惑い、嘘を吐くしか出来なかったんじゃないだろうか。


 今更何故怯えている――未練があるとでも言うのか?


「部長、ぼくは」

「本当なの?」


 繕いの言葉を遮られる。いや、そもそも何を言おうとしていたのかも解ってはいない。ただ鈴風がまっすぐにこちらを見つめてくる。その眼が何を考えているのか解らない。冷や汗が噴き出してきて震えが止まらない。


 話すべきなのか? 正直に? 真実を? 事実を?

 騙すべきなのか? 虚言で? 虚構を? 虚実を?


「ぁ……そう、です。ぼくは、人殺しです……」


 逃げられないと、そう思った。


 誡の言葉を聞いて全員に少しの動揺が走る。自分を見る視線はまるで怪物を見る様だ――しかし、存外に深く息を吸って鈴風が続けた。


「そっか。人殺しか」


 何も言えない。ここで拒絶されようと罵られようと、何も言う事は出来ない。


「実のところ、実感無いのよね」

「え?」

「だって、いきなり長谷君が人殺しだって聞かされて、証拠も何も無いのにさ。それであの探偵さんこう言ったのよ? 『司法制度じゃ裁けないから好きにしろ』って。意味解んないわよ。正直なところ直面してみると重過ぎてさっぱりだしさ、人を殺したって事の罪の重さって――ジャーナリスト志望の癖にね」


 最後の一言だけ自嘲気味に言いながら彼女は続ける。


「どんだけ薄っぺらいか思い知らされたわよ。だからアタシは何も言えない。アタシからすれば、長谷君は長谷君である事に変わりないわ。全て決めるのは、長谷君次第」


 予想外の言葉に、誡は他の部員の顔を見る。全員が鈴風の言に納得した様な表情だった。


「ぼくは……」


 ――何て。

 何て優しい人達なのだろう。


 自分を人殺しだと判っていながら、受け入れる道を用意してくれている。真正面から向き合う事を覚悟してくれている。だが、だからこそ余計に、この優しさに甘えていいのだろうか? それだけではない。誡は怖いのだ。ふとした拍子に殺人者である自分が、また独りだけ捨てられる事が。


 そうなれば、もう立ち直れないだろう。


 徒でさえ自分だけでを背負って立ち上がる事が危ういというのに、手を放されてしまったらそのまま倒れて起き上がれない。殺人者としての狂気を自覚させられた誡は、他人を信じる前に自分を信じる事が出来ないのだ。


 故に誡は答えを出した。


「ぼくは……ぼくだけで生きます」

「そっか。じゃあ、アタシ達は邪魔だね」

「……はい」


 じゃあ行くよ、とあっさりと鈴風は他の三人に向けて言う。彼女は何処か哀しそうな顔をしていたが、出来るだけ表に出さない様にしていた。そして誡がそれに気付く事も無かった――彼女達の顔を直視出来なかったから。


 そのまま鈴風に従って汀と紀一が出て行こうとすると、病室に派手に乾いた音が響く。何事かと思い鈴風達が振り返ると――雪華が誡の頬をはたいていた。


「ちょ、アユちゃ」

「……長谷君の馬鹿」


 鈴風を無視して雪華は言った。


「何でそんな事言うのっ? わたし達を信じてくれないのっ? 確かに長谷君が人を殺したって聞いて驚いたけど、探偵さんは言ってたよ! もしも長谷君が普通に生きる事を望んでいるなら、それは出来るって! もう人を殺す事も無いって! 部長はあんな風に言ったけど、わたしは長谷君の意思なんて知らない、長谷君が好きだから支えてあげたいのっ!! !!」


 一気に言い切った雪華の眼には涙が浮かんでいた。


 出せる限りの勇気を振り絞って言ったのだろう、柄にも無く大声を出した雪華は顔を真っ赤にしながら息も荒い。言いたい事を全て吐き出した途端、彼女はそれ以上は何も言えず、ただ溜まった涙を零さない様に精一杯の毅然で誡を見つめていた。


 暫く茫然とした様に口を開いていた誡だったが、


「……ごめん、鮎河さん」


 そのまま顔をくしゃくしゃにして笑った。


「ぼく、やっぱり皆と一緒に居たいや」


 その、と彼は一度部員達の事を見ようとするが顔を逸らす。自分をどんな風に見られているのか知るのが怖い。けれども、言わなくてはならない。


「その……もしも。もしも皆が許してくれるなら……」


 誡は泣きそうになる目頭に力を込め、身内の顔を見て、言うべき一言を言うまで涙が流れない様に堪える。だが、言葉を出す前に彼は泣き出してしまって、結局何も言えなかった。


 それでも、その場の全員が誡の言いたい事の意味は解っていた。

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