57

 さて、後日談という事になるのだろうか。


 僕は、ある喫茶店を訪れていた。


 テナントビルの一階に入っている店で、そのビルは両側のビルの背が高いので、へこんでいる様に見える。店内の内装はアンティークで、雰囲気と趣味は良さそうだ。カウンター席とボックス席が設けてあって、店内は広くもないし狭くもない、落ち着いた空間になっている。

 駅の近くにある店だが、一見客は少ないんじゃないかと思う。ここは気に入った客が何度も足を運ぶ様な、リピーターが多そうな店だ。


 時間帯の問題なのか、客の数は少ない。ボックス席でコーヒーを飲みながら本を読んでいる男と、オホホホホ、と談笑している品が良さそうな小母様方。カウンターには、老眼鏡を掛けスリーピースのベストを着こなしているロマンスグレーな、恐らくマスターが居る。


 マスターが僕を見て、いらっしゃいませ、と嵌り過ぎな渋い声で言う。お好きな席にどうぞ、と促されたが、僕は店内を見回して、奥の方のボックス席に目的の相手を見つけたので、マスターに軽く会釈してそこに向かった。


 その席には、白い少女――暁夜鳥が座っている。


 ……しかし、アイスティーにアップルパイというのは、中々に可愛らしいチョイスなのだけれども――ワンホールを一人で食べてるのか?


 大皿に乗せられたアップルパイは、既に四分の三程食べられた後で、彼女は丁寧に小皿移して一切れずつ食べていたらしい。デザートは別腹とか、そういう常套句のレベルではない気がする。


「相席してもいいかな?」


 僕が訊くと、暁夜鳥はこちらを見た。


「他に席は空いてるだろ」


 断られた。


「済みません、相席させて下さい」

「頭下げられたりなんかしたら断れないな。別にいいよ」


 気を取り直して席について、コーヒーを注文してから僕は訊いた。


「ところで僕達は同級生だけど一応、初めまして、の方がいいかな?」


 暁夜鳥は口の中のアップルパイを飲み込んでから、僕を見て――また一口食べた。


「リアクションを取れ! 無視をするな!」


 つい突っ込みを入れてしまい、折れた肋骨に響いて僕は思わず咽せた。

 彼女は今度こそ口の中のものを飲み込んでから、鬱陶しそうに答える。


「……初めまして、だな。俺はお前の名前も知らないし。初めまして、暁夜鳥だ」

「こちらこそっ、槻木涼だ」

「それで? 槻木、お前は何をしに来たんだ」

「事件について話を聞きに、だよ」

「お前等はお前等で勝手に事件を調べていたんだろう? それで今更何が聞きたいって言うんだ。それに、俺は今ゆっくりと寛ぎたい」


 見事なまでに乗り気じゃない。


 このままじゃ相席しただけで終わってしまうじゃないか……。彼女に話を聞きに来たのに聞けないなんて、そんな話は無い。何か、懐柔策は……よし。


「そのアップルパイを奢ろう」

「何が聞きたい?」


 速い。掌返すの速い。


「……そうだね。先ず、長谷兄弟については、いつ気付いた?」


 高校での事件の後だ――暁夜鳥は口を開いた。


「誡の事を調べていて、十二年前の事故の被害者だった事が判った時に、双子の弟が死んでいる事も判った。初めは、まさかとは思った。兄が媒介者ベクターで、弟が霊になっているなんて。だが、考えてみれば怪訝しい点はあった。高校で悠に遇った時、あいつは誡の振りをしていたが、新聞部員の誡はペンライトを持っていないと怪訝しかったし、あの時点で速水の名前を知っている訳が無かった。それに、動悸がしたと言った時に左胸を押さえていた」


 成る程ね。確かに、あの時に速水健司の名前を新聞部員が知っている訳は無い。長谷悠は、きっと僕達の仲間を殺した時に、死んだ二人か僕と簓木の会話、もしくはインカムからで初めて速水健司の名前を聞いた筈だ。


 それに全内臓逆位症だ。長谷兄弟は、多分ミラーツインなのだろう。互いに逆の特徴を持って生まれてくる事もある双子。その中でも更に稀な、内臓も逆になっている双子、か。彼等は同じ素体でありながら、逆の性質を持つ。そう言えば、長谷悠の方は包丁を左手で使っていたけど、長谷誡の方は右利きなのかも知れないな……。


 ベクターに関しても同様だろう。同一の能力でないと不可能と思われていた事件だから、実行犯のベクターは一つだけだと思っていたけど、二人共鏡写しの様なベクターを持っていたのだろう。そう考えれば、長谷悠の緊張緩和アネシスに対して、長谷誡は盲目的に注視させる様なものの筈だ。


 厳戒はともすれば韜晦を促す、という訳か。


「次だ。長谷誡の動機は?」

「あいつは……死を取り違えていた。死観念が怪訝しかったんだ」

「死観念の異常?」


 そうだ――暁夜鳥は軽く頷いて言った。


「人が死の概念を理解する過程を知ってるか?」

「抽象的なテーマだね。具体的に言ってもらえると嬉しいな」

「具体的……大体、三段階に分かれる。三歳から五歳の子供にとって、死は永久的なものではなくて、一時的なものだと思ってる。五歳以後は死を擬人化して、人を連れ去るお化けだと考える。九歳から十歳頃になると、現実的な概念が顕れる。つまり、死を永久的なものだと考える様になる」

「何だ、それってエリザベス・キューブラー=ロスじゃないか」

「知ってるのか?」

「まぁね、『死ぬ瞬間の子供たち』だろう?」

「……いや、受け売りだから俺は元ネタまでは知らない」


 そうですか。


 確か、エリザベス・キューブラー=ロスによると、人が死を理解する契機となりうるのは他者の死だ。生活の中で、車に轢かれた犬や猫を見る事で、死をグロテスクで恐ろしいものとして認識する様になる。


 これが大体、三、四歳頃で、それは同時に自我と自己という概念が芽生え始める年齢だから、断節ミユテイレーシヨンを恐れる様になる。

 他にも、それが切っ掛けで分離セパレーシヨンを恐れる。自己の理解は他者の理解でもあるから、喪失感と不在感も自覚する様になって、すぐに理解する様になるとは言え、時間の概念が余り無いから長短の期間の不在を区別出来ない。


 赤ん坊が、母親が視界から消えるだけで泣き出したり、『居ない居ないバァ』とあやすのを楽しむのも、そういう事だろう。


 この断節と分離を卒業すると、死を一時的なものだと思う段階になる。母親に叱られて、無力な子供に出来る事が『母親の死を願望する事』だ。だけどこの死は、今は嫌な母親を死なせて、その後お腹が空いたら、自分の好物を作ってもらおう、という程度のものらしい。


 事実、エリザベス・キューブラー=ロスの娘も、飼い犬が死んだ時にその死体を埋めてから、「これ、本当はそんなに悲しい事じゃないわね、お母さん。来年の春、チューリップが芽を出す時にはポチも起きてあたしと遊んでくれるわね」と、言ったらしい。


 そこまで顕著に、子供は生物学的な死を停止として理解出来ても、概念の死を理解出来ない。


「で、それが長谷誡の犯行の理由にどう繋がるのかな?」

「あいつの事故当時の事は知ってるだろう? 誡は生き埋めになって、悠は腕が千切れて失血死した。その悠の腕は、直前まで一緒に居た誡のところにあった」


 腕――四肢。死を一時的に感じる事に、死んだ筈なのに戻ってきた悠。


「……まさか、それで誡は悠の腕を持っていて、虚有――霊になった悠に会えた事で、相手の腕を、四肢を持っていれば死なないと思う様になったって言うのか?」

「そうだよ。誡は、、俺に言ったんだ。『ほら、これでまた悠と逢えるから、安心だ』って」

「いやいや、ちょっと待って。仮令、十二年前の事故が原因で、虚有になった長谷悠に会えたから、そういう観念を得たとしてもだ、矛盾があるだろう」


 暁夜鳥はアップルパイを一口食べて「何だ?」と訊いてきた。


「先ず、長谷誡がそういう状態に陥った条件は、事故に巻き込まれた事と媒介者ベクターになって虚有を視る事が出来る様になっていた事、それに事故当時、三、四歳で、死を一時的に感じていた事――つまり、僕達は彼と同じ条件を満たしている筈だ。だけど、そんな死観念の異常は持ち合わせていない。普通に死を認識出来ている。成長に合わせて、歪まずに死観念を得られてるのはどういう事だ?」


 暁夜鳥はアップルパイをアイスティーで流し込んでから言った。


「槻木、お前、キューブラー=ロスモデルは知ってるか?」

「は? 『死の受容』の五段階だろう? それがどうしたのさ」

「その第一段階の『否認と孤立』では、と言われてる。それと同じ様に誡は、自己矛盾が生じてしまう事から来る、自己防衛の否認をしていたんだよ」

「確かに、そういう事はあるかも知れない。だけど十二年だ。そんな長い間、何からも、影響も干渉も受けずにいられるとは思えないね。歪んでいるんだから尚更だ」


 暁夜鳥は淡々とした様子で言った。


「一切、影響も干渉も受けずにいられる方法があればいいんだろう? だったら簡単だ、悠も誡も


 ――そうか、ベクターか。


 長谷誡の能力は、盲目的に信じ込ませる類のものの筈だ。それこそ、〝四肢狩人〟として相手に苦痛も与えず、抵抗もさせずに殺せる様な、盲信させる事が出来る能力ちから


「じゃあ、長谷誡は」

「そう。悠も誡も十二年間、自分のベクターでお互いを誤魔化し続けていた。ゲームセンターでの不自然な出来事も、ベクターを使ったからだったんだろうな……普通、足元の椅子に気付かない訳が無い」

「ゲームセンター?」


 僕が訊くと暁夜鳥は、何でも無い、と言った。


 ……まぁ、しかし、それで合点が行った。長谷誡の四肢狩りの理由も、長谷悠の犯行も。

 長谷悠は長谷誡と違って、死観念の異常は無かった筈だ。だけど、彼は虚有になっていた。何かの未練に執心していた筈。


 それは恐らく――兄の事だ。


 長谷兄弟は、事故の直前まで一緒に居た様な仲の良い兄弟だったらしい。それが、突然の崩落事故で、離れ離れになって自分が死にそうになり、恐らく相手も同じ状況になっていたまま、長谷悠は死んだ。


 だから、彼は長谷誡を助ける為には何でもした筈だ、委細構わず気に留めず。もしもそうでなかったとしても、長谷誡のベクターで似た様な状態になっていた事も考えられる。兄の長谷誡が警察に捕まる可能性が出てきたから、捜査攪乱する為に四件目の不可解な犯行を起こした、と。


 そして、兄を追う邪魔者である僕を殺そうとした。


 兄の振りをしたのも、自分が追われる事で目を逸らさそうという企みだったんだろう。彼が死に際に言った、声の無い言葉も兄に関しての事だった筈。道理で、満足そうだった訳だ。自分の死で兄を助けられたと思っていたなら、それ以上の目的の達成は無いだろう。


「それじゃあ次の質問。長谷誡は何故四肢狩りを行ったと思う?」

「助ける為だ」

「助ける?」

「誡は、孤独と死を直結させてもいた。多分、概念的な死に、自分が体験した孤独が一番近かったからだろうな。だから、孤独に見えた人――死んでいる人を助ける為に、四肢を狩って、また戻ってきた時に孤独でなくそうとしたんだろう。……流石に、これは推測だけどな」


 暁夜鳥は、最後に言葉を濁した。


 確かに、言われてみればそうだ。僕が被害者のプロフィールを読んだ時に感じた、共通するものを表現する言葉は『孤独』だ。


 第一の被害者のフリーターは、その生活から何処か空虚だった。目的を持っている訳でもなく、ただ生きているだけ、という事が『孤独』だった。

 第二の被害者のOLは、仕事ばかりしていて一生懸命過ぎた。周りの人が自然と線を引いてしまう様な、『孤独』だった。きっと、夫の方とも一緒に居る時間は少なかったんだろう。葬式の時の夫の態度から、それは感じるし、子供が居ないのならば余計だ。

 第三の被害者の中学生は、自身の境遇に疑問を持たずに、子供らしい自分の時間を持たなかった。それを普通だと思っていたとしても、周囲の人間の受け取り方は違う。そして、一人で居る事が多かったのだから、『孤独』だった。


 長谷誡は、何処かからそれを知り、そして四肢を狩った。犯行の時間が開いていたのも、孤独な相手を見つけるまでの期間だとしたら納得出来る。


「優しかったから、殺した。皮肉だな」


 暁夜鳥は、悔しそうに少し俯いた。


「……最後の質問だけど――君のベクターは何だ?」


 彼女は僕の方を見ると、少し不敵に笑った。


「何だ、俺の事も捕まえるつもりなのか?」

「挑発しないでくれ。どうせ僕じゃ、どう足掻いても最終的に君には勝てない」

「敵意が無いならそれはそれでいいけどな。しかし、俺の能力か……人に具体的に説明するのは始めてだな……」


 そう言って、彼女は少し考え込んでから、アイスティーを飲んで言った。


「……最強?」

「抽象的過ぎる。しかも疑問系か」


 僕の突っ込みに彼女はまた考え始め、頭を抱えて悩み始めてしまった。うーうー唸ってる。何か可愛らしい。


「うー。理解の説明って難しいな……えっとだな、名前は〝生命の躍動エラン・ヴイタール〟で、何と言うか、こう……生命力と言うか活力と言うか、人間が進む為の力が、ヒトに与えられる最大量まであって扱える、のか?」


 訊くな。


「……いいよ、今ので大体解った。それ以上考えさせたら、勢い余って卓袱台返しされそうだ」


 多分彼女のベクターは、ヒトの終末態エンテレケイアの極限だろう。ヒトがそこに至るのに必要な生命力や活力の類エンテレキーを、自在に使える、そのまんま超人みたいなものだ。でも、事実上ヒトに終末態エンテレケイアは存在しないのだから、最強というのも、あながち間違ってはいない。


 彼女が大食漢なのも、そこに起因するのだろう。たったあれだけの食事で、終末態エンテレケイアの極限分のエネルギーを賄えるというのは凄いけど、どうにも燃費が悪い様にしか見えない。


「ありがとう、これで聞きたい事は全部だ」


 僕は席を立って彼女に訊いた。


「――それじゃ、アップルパイは幾らかな?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る