54

五月二十八日


 その場所を見つけるのは、簡単だった。


 俺は、夜空に真円を描き掛けている月が昇る時に、崩落したマンションを訪れた。


 明かりが無く暗かったが、警察の黄色い立入禁止線が張ってあるのを見つければいいだけだったので、廃屋の中に入ってから歩いてすぐに判った。


 立入禁止を促すテープをただの目印にして、広いそこに入る。


 二階が崩れていて、元々仕切りとして部屋を分けていた壁も無くなって、瓦礫と化している。もうそこは住居ではなく、瓦礫が積んであるだけの空間だ。


 先ず目立つのは血痕と白い線。


 奥の方に一つ、白い線で速水健司の形を模ってある。俺が助けられなかった証は、はっきりと描かれていて、何処か呪いの様に月明かりの下に不気味に浮き上がっていた。血痕はもう一つあると思ったが、やはり残らない物らしい。だが速水の死が公にされた時点で、ここで三白眼達は少なくとも〝四肢狩人〟の片割れを――長谷悠を殺した筈だ。


 そうでないと、この場所を教える事になった意味が無いし、何より〝四肢狩人〟事件を終わらせる契機に出来ない。黒木の言葉が本当なら、あの探偵と三白眼達は何処かで繋がっているが味方でも敵でも無い関係だ。何かの取引か事情があったにせよ〝四肢狩人〟を一人ずつ互いに任せたんだろう。今更三白眼達に媒介者ベクターが居る事はどうでもいい。もう特別驚く事でも無いし、事件が終わり掛けている現状からすれば、取るに足らない事だ。


 ただ俺は。

 俺の遣り方で終わらせる。


 だから――


「……暁さん?」

「やっと、来たか」


 ・長谷誡をここに呼んだ。




 誡は戸惑いながら夜鳥に訊いた。


「――何でぼくをこんなところに呼び出したの?」


 語り掛けられても、夜鳥はそれを無視して哀痛の顔で呟く。


「本当に、お前が〝四肢狩人〟だったとはな……」


 信じたくはなかったが事実は目前にある。ならば信じるしかないのだろう。夜鳥は誡に向き合った。


「速水を殺したのは、お前だな」

「……違う、と言いたいけど、暁さんの様子を見ると全部解っているみたいだね。そうだよ、ぼくが殺したんだ」


 誡はあっさりと認めた。速水を殺した事を認めたという事は、この街の事件に深く関わっている人間からすれば、自身が〝四肢狩人〟であると吐露したも同然。


「でも解ってほしい、あいつは芹沢を孤独に追い込んだんだ、死に値する」


 だが、この事件を終わらせる為には犯人を突き止めるだけではなく、〝四肢狩人〟の動機――矛盾理由パラドックスを知り、それを『解体』する必要がある。


「何故、芹沢の腕を持ち去ったんだ? いや、何故お前は人の四肢を持ち去った」

「何で暁さんがそれを……? いや、もうそんな事は気にしても仕方無い状況かな、知っているなら知っているんだね。ぼくは単純に、彼等を孤独から救いたかっただけなんだ。時間が掛かってるけど、もう少し待てばまた会える。その時にはもう孤独にはならない」


 死んだ人間に、四肢を持ち去ればまた会える。誡は本気でそう言っていた。何の矛盾も感じずに――いや、それこそが矛盾理由パラドツクスなのだろう。彼には意識に虚有の様に根深い自家撞着を引き起こすその正体とそれを持つに到った理由が、確かにある。


「四人を殺した事が救いに繋がるのか? 俺にはそうは思えない」

「殺す? ぼくは四人の誰の命も奪っていないよ? 


 やはり、四人を殺しているという自覚が誡には無い。矛盾の輪郭は見えてきたが、その裡は一向に判らないままだ。何故、そう考えてしまっているのか、それを疑問に思わないのか。十二年前の事故にその起源がある事だけが判っている。


「四肢を持ち去ったのはお前なんだろう?」

「そうだよ。だけど、のは速水だけじゃないか」

「違う。四人もの人が死んで、芹沢とその友達の三人も死んで、速水も死んだんだ」


 そう、この一連の事件では、犯人は違えど九人もの人間が死んでいる。


「……何を言っているの、暁さん?」


 しかし、誡はそう認識していない。


「確かに、芹沢の友達は残念な事だったね、でも他には速水しか死んでいないじゃないか」


 本気で心から怪訝そうに言う誡の世界では、死んだのは四肢を持ち去れていない者のみ。ならば、長谷悠はどうなのだろうか。一度死に、虚有となって、再び死んだ悠の腕は持っていない筈。だが、四肢狩りの源泉となり得るのは悠のみだ。


「もう一人居るだろう。お前の弟の悠も死んだ――だから俺がここに呼び出しても、不思議に思いながら来たんだろう。ここでお前の弟が速水を匿っていたから」


 驚く、と言うよりは何処か感動した様に誡は言う。


「暁さんにも悠が視えてたの……? あぁ――それならやっぱり、悠はぼくの幻覚なんかじゃなかったんだね。


 けど、と誡は首を傾げる。


「悠が死んだ? 本当に……? あ、でも大丈夫だよ暁さん。心配しなくても平気だから」


 そう言って、誡は鞄の中身を取り出して、夜鳥に見せた。


「ほら、これでまた悠と逢えるから、安心だ」

「お前、それは……」


 誡が満足そうに見せるを見て、夜鳥は絶句していた。


 まさか、と思いたくなる。十二年前の事故。虚有となって再び誡の前に現れただろう悠。孤独が死だという言葉。悠と同じくベクターを持つだろう誡。そして、目前の誡が持っている物。それらの要素で、四肢を持ち去る事で死んだ者に再び会えるという、矛盾の輪郭の内が埋まる。


 誡が持っていたのは乾涸びて木乃伊化した子供の腕だった。


「――だからか。だから殺したのか! そんな、下らないっ、どう仕様も無い勘違いで!!」


 夜鳥が辿り着いた答えが正しいのならば――〝四肢狩人〟の矛盾理由パラドツクスは余りにも空虚だ。


「巫山戯るなよ……教えてやる、否定してやる、解体してやる――お前の矛盾を!」


 誡を見る夜鳥の燃える様な紅い双眸は、それでいて酷く冷酷だった。


「ぼくの、矛盾? 暁さんは何をそんなに怒っているの?」


 いっそ白々しくも思える誡の素振りに、夜鳥は怒りを押し殺す。


 本当に、誡は何も解っていない。余りにも巫山戯たその矛盾。そのせいで起きたこの事件の馬鹿らしさ。絶対に解体してやる、そう思い夜鳥は言った。


「……お前のしてきた事が、余りにもれているからだ」

「ぼくのしてきた事?」

「お前は何で、人の四肢を持ち去っていたんだ」

「何でって、そうすれば彼等が死なずに済むからに決まってるじゃないか」


 そう、彼にとって、命の在り処は一つ所に留まっていない。四肢を持つ事で死の訪れを回避出来ると思ってしまっている。


「お前にとって〝死〟は何だ」

「前にも言ったじゃないか、だよ。先刻からそんな当たり前の事を訊いてきてどうしたの、暁さん?」


 確かに彼は以前、夜鳥に死は孤独と言った。それを夜鳥は自分と同様に、恐怖との結び付けだと思っていたが、違っていた。誡は本当に孤独を死と直結させている。だがそれは、〝死〟という概念の本質に相違する。


 そんなのは、虚し過ぎる――夜鳥は歯噛みした。


「確認、したかっただけだよ、お前のしてきた事の無意味さを証明する為に。そうしないと、お前は間違ったまま犠牲者を増やす」


 死んでもまた会えるという矛盾。肉体的な死の訪れを理解していながら、概念的な死を理解していない。まるで子供だ――夜鳥は思わず誡から目を逸らして俯き、二の腕を握り締めて顔を上げた。


「お前は言ったな、孤独になって命を失う事が〝死〟だと。だから人の四肢を持つ事で、孤独の後に死を乗り越えてまた戻ってくると」

「それが、どうしたの?」

。それに、人は死んだらそこまでだ。四肢を持っていても意味なんか無い。もう、誰も戻って来ないんだ、長谷」


 それは誡にとって埒外な言葉。有り得ない、馬鹿げた言葉だ。だから彼はつまらない冗談を聞かされた様に苦笑する。


「何を馬鹿な事を……、暁さん疲れているんだよ。芹沢の死体を見たりしたから、精神的に参ってるんだね。でも芹沢達は帰ってくるよ、絶対に。、だからまた」

「もう自分を誤魔化すのは止めろ!!」


 誡を否定する様に、夜鳥が怒声を被せた。


「前にも言っただろう、俺も十二年前の事故に巻き込まれた……そこでお前の言う孤独を味わって命を失った! だけど生きている、腕を誰かに預けなくてもだ、これがどういう事か解るか? 答えられるか?!」

「……そんなのは嘘だよ暁さん。病院に行った方がいい、錯乱してる」

「嘘じゃない、答えられないなら俺が教えてやる! お前は人を孤独から、死から救う為に、腕を狩っていたが、それに意味なんか無いんだ!」


 いい加減に辟易した様子で誡は困惑してしまう。どうすれば彼女を落ち着かせられるんだろう? 狂った事を言っているのは自分だと誡は微塵も思わない。


 そうだ――誡は思い出した様に呟いた。


「暁さん、今からぼくの言葉をよく聴いて。ぼくには十二年前に事故に巻き込まれてから、不思議な力があってね」


 とん、と彼は自分の喉を指す。


「ぼくの声はヒトの意識の注意を一点に引く事が出来る――〝厳戒と韜晦ノウト・ベイニ〟という能力ちからだ」


 夜鳥は誡の言葉に警戒する様に彼を注視する。


「それが、四肢を狩る時に使っていたベクターか」

「ベクター? この能力の事かな? 何だ、知ってたんだ。だったら話は早い。ぼくは暁さんが落ち着く様に能力ちからを使うから、怖がらないで。いいかな?」


 すうっと、誡が一言を吐き出そうと息を吸った。夜鳥はただ彼を睨み付け、待ち構える。四肢狩りの時に使われていたベクターならば、誡の声が少しでも届けばそれに囚われるだろう。だが夜鳥にも〝生命の躍動エラン・ヴイタール〟がある。これが何処まで誡の〝厳戒と韜晦ノウト・ベイニ〟に通じるのかは判らないが、耐え得る自信はあった。


 誡が口を開き、喉を震わせる、


「――止めておけ」


 直前に、一人の男の声が先に響いた。


「〝人間以上人外未満〟のそいつにお前の能力は効かない。無意味だ、長谷誡」


 突然現れた男に、夜鳥も誡も目を見張る。驚きは夜鳥の方が上だったろう。一見すればカソックを着た厳格な聖職者の様な、或いは死んでいる様な無感動な眼で周りを見据えるさまは終わる世界を歩んでいる様で。


 真っ黒なコートに身を包んだ無機的な雰囲気の探偵――黒木晨夜がそこに居た。


「く、黒木」


 夜鳥に名を呼ばれた晨夜は、現状に特に興味を持たずに懐中時計の鎖の音を鳴らしながら二人に近付く。その左肩には一つの鞄が背負われており、余りにも堂々とした、何故かいっそ不躾にすら見える介入者の歩を止める事が出来る人間は、その場に居なかった。探偵は誡の横を素通りし、そこが自身の定位置であるかの様に夜鳥と誡の間で立ち止まった。そして、懐から一本の煙草を取り出して火を点ける。


 煙を燻らせながら彼は言った。


「夜鳥。何故勝手に動いた」

「……俺は。俺は、ただ……」


 夜鳥はそれ以上何も言わずに俯いた。彼女も解っているのだろう、自分が『解体』に失敗し掛けたと。晨夜の言う事を無視して、無謀な言葉だけで危うく〝四肢狩人〟の矛盾理由パラドツクスを更に深く根付かせる事になり掛けたと。夜鳥は口で訴え掛けただけで、一向に誡の中に在る殺人鬼を揺らがせる事は出来なかったのだから。


 閉口する夜鳥を一瞥して、晨夜は煙を吐き出す。


「まぁいい。まだ取り返しの付く位置だ」


 さて――探偵は振り返り誡に対面する。


「初めまして、長谷誡」


 びくり、と少し誡は身体を強張らせた。


「……貴方は……暁さんの言っていた探偵さんですか」

「そうだ。お前の全てを否定しに来た」

「否定……?」

「お前の死観念を――手早く終わらそう」


 晨夜は持っていた鞄を誡の前に放り投げた。


「開けてみろ」


 怪訝そうにしながらも、誡は何故かその場の空気に逆らえずに言われた通りに鞄の中身を確認する。そして眉を顰めた。鞄に入れられていたものが非常識なものだったからだ。


 中に入っていたのは腕だった。


「……これは、何のつもりですか」


 問われ、晨夜は煙草を一吸い燃やして紫煙を吐き出すと、吸い切っていないそれを指で弾いて捨てた。誡が不快そうにするが、気に留めずに新しい煙草を取り出して火を点けると晨夜は答えた。


「なっ」


 誡は即座に死体の腕を汚らしいものの様に振り払って声を張り上げた。


「何て事をしてくれたんだ!! 速水は、彼は殺すべき人間だったのに、それを腕を持っていたら……!」

「そんな事は無い。?」


 不意を衝かれた様に誡は口籠った。


「な、何なんだ黒木、お前は何を考えてるんだっ? 一体何処から速水の腕なんか……何をするつもりなんだっ?」


 晨夜の意味不明な行動に夜鳥が思わず訊いた。晨夜は夜鳥の方を見ずに答える。


「考えれば判る事だろう、腕は速水の死体から取ってきた。こんなものを使ってする事など一つだけだ――お前に出来なかった『解体』だ」


 まるで納得し切れていない夜鳥を余所に、晨夜は誡に視線を戻す。


「安心しろ、確かに速水健司は死んでいる。お前が殺したからな。腕を丸々一本根刮ぎ捥ぎ取られて生きている人間など居る訳が無い」


 淡々と晨夜は当然の事を述べているだけだが、誡はその言葉にまるで刃物を突き刺されているかの様な苦痛を感じる。


「い、いやっ。けど腕を持っていたら彼は死なないじゃ」

。当たり前の事だ。何を言っているんだお前は? まさか腕を根元から切られて出血で死なない人間が居るとでも?」

「――居る! 居るとも! ぼくの弟は、悠は死ななかった。ぼくのところにまた姿を見せてくれたんだ!!」


 晨夜は声を震わせる誡に冷ややかな眼を向けながら、吸殻を捨てて新しい煙草に火を点ける。


「なら何をそんなに慌てている。戻ってくるんだろう、? 到底有り得ないがな。お前は死体の一部を持っているだけだ」

「ち、違う、違う違う違う!! 孤独で死んでいる彼等の四肢をぼくが持っていれば彼等は孤独でなくなる! だから一度死んだとしてもまた戻ってくるんだっ!!」


 なら訊こうか――晨夜は静かに言う。


?」

「――――っ?!」

「この数ヶ月でお前が得たものは、街の人間の四肢を狩る恐怖の対象の名前〝四肢狩人〟だけだ」

「ぼ、ぼくが〝四肢狩人〟だって……?」


 今まで何も知らなかった誡は、初めて自分のしていた事の正体を面と向かって突き付けられ、壊れてしまった様に空虚な笑い声を上げる。


「は、はは、あはははははは――そんな馬鹿な事がある訳無い! だってそれは殺人鬼の事じゃないか!?」

「そ、そんな……そんな馬鹿な事があってたまるかぁ!!」


 誡の声は震えていた。彼の認識の内では有り得ない筈の『ただの死体の腕』という存在、それが目の前に在る。自ら四肢を狩る事はあったが、誰かが、しかも自分が殺した人間の腕を持ってくる事など考えた事も無かった。しかもそれが死体の一部だと言う。矛盾に端を発する彼の齟齬の内では、それは偽でなければならない。故に、どう仕様も無い程のパラダイムシフトが起こり掛け、彼の根底は崩されていく。


「そろそろ理解してもいいだろう」

「――煩いよ」


 認めない。いや、認められないのだろう。一度でも許容すれば、それで終わってしまう。だが、彼は晨夜から目を逸らし冷汗三斗の様で肩を震わせている。それが、事実を認め掛けている事を物語っている。それを晨夜は容赦無く追い詰める。


「それなら慌てるな。焦るな反駁しろ反証してみせろ。俺の言った事が是か非か、俺の言った事が詭弁かどうか証明してみせろ」

「だから、煩いってば……何で、何で黙ってくれないんだ」

「解ってはいたんだろう? 四肢を狩れば人間は死ぬと。そして腕を持って『孤独でない』という条件を守れば、死んだ後に復活すると本気で思っていたのか? 違うだろう、お前はただ自分を落ち着かせる儀式としてしか、四肢狩りを行っていない」

「黙れと言っているんだ、ぼくは……!」

「お前の弟が、そんな人殺しの片棒を簡単に担いだのも変だと思わなかったのか? そもそもお前は〝四肢狩人〟という存在と、自分達のしている事を『似ている』とだけしか本気で思わなかったのか? よく考えろ、思い出せ、反芻してみろ。?」

「もう喋らないでくれ……何でっ、どうしてっ、口を動かし続けられるんだっ?」


 誡はずっとその言の葉に能力を込め続けているのだろうか。しかし自分の前に立つ探偵を名乗る男には、それが一切効かない。理解出来ない。いや、理解し掛けているのかも知れない。気が付くと、その場は晨夜が燻らせる煙草と吸殻で大量の煙が立ち込めていた。誡は視界に靄が掛かった様に錯覚し、自分の世界が白く埋め尽くされて段々と消えていく様な不安に襲われる。何もかもがぼんやりとし、目の前に居た探偵の影が薄れていく。


「止めろ……喋るな……そうだ、そのまま消えてくれ……っ」


 耳を塞ぎ、探偵の言葉を否定し、自分の言葉を肯定する。言えば言う程、煙は濃くなり相手の姿は消えていく。そうだ、それでいいんだ……。そう言い聞かせると煙の中に人影が見えた。びくり、と彼はそれに反応したが、すぐに安堵の表情を浮かべる。


「よー、誡。何怯えてるんだよ、やっぱり弟のオレが居ないと駄目なのか? だらしない兄貴だよな」

「あぁ、悠。生きてたんだ……いや、友達が変な事言うからさ、ちょっと不安になっただけだよ」

「はぁ? オレが死ぬ訳ねーじゃん。オレと誡は鏡だぜ? 利き腕も性格も能力も何もかも正反対だけど、お互いに居なくちゃ成立しねーだろ。そんな誡の片割れのオレが、お前より先に死ぬ訳がねーよ」


 悠は誡に可笑しそうに笑いながら言う。


「そうだったね、悠はいつもぼくを助けてくれた。その悠が勝手に居なくなる訳が無い」

「これからだって、オレは一生お前を助けるぜ、誡。それがオレの存在理由だ。どんな事だろうと手伝ってやるよ、

「え?」


 ぽかん、と誡は一瞬、悠が何を言ったのか理解出来なかった。それってどういう――真意を問い質そうとすると、弟の腕を何者かが掴んだ。そしてその腕を人形の様に取り外す。腕は自分がいつも持ち歩いていた弟のものだった。すると弟の姿が周りの煙に呑み込まれる様に掻き消える。


「か、返せ」


 誡は腕を伸ばしたが、その手がどうしても届かない。弟の腕を取り返そうと必死になるが、何故か前に進まない――いや、自分の足が動いていない。前に進む事を拒否している。


「な、何でっ? 動け、動いてくれよっ! あの腕が無いと悠が、弟が死んじゃうないか!!」


 いいや――と、否定の意を込めて、煙の奥から腕を奪った何者かが現れる。


 探偵だった。


 彼は小さな木乃伊の腕を地面に落とし、


「お前の弟も、もう死んでいる」


 それを足で踏み砕いた。


「――――ッ!」


 誡は声にならない叫びを上げる。


「何て、何て事をしてくれたんだ! それが無ければ、悠が死んでしまうというのに、貴方は今自分が何をしたか判っているんですかッ!? この――」


 いつの間にかに晨夜の吸っていた煙草の煙が薄くなり、視界が晴れていた。


!!」


 その一言に、その滑稽な一言に、晨夜は嘲るでも困惑するでも無く、ただ冷淡に言った。



 何故かその一言に誡は心を抉られる。焦燥が何処からともなく溢れてくる。いけない。本能的にそう悟る。何処かで誰かが言っている。形にしてはいけない。言葉にしてはいけない。誰だ。誰がぼくに警告しているんだ? 辺りを見回すが、探偵と夜鳥の姿しかない。じゃあ、一体誰がぼくに呼び掛けて――


 そこには、窓に浮かぶ満ち掛けの月があった。


 ――認めるな、否定しろ。


「もう解っている筈だ」


 ――自分の事が自分で解らない訳が無いだろう?


「お前が今まで何をしてきたか」


 ――あんな得体の知れない奴の言葉が正しい訳が無い。


「……煩い」


 ぽつりと呟く誡の言葉は、最早祈りに縋る様だった。


「……黙ってくれよ……煩いから……」


 その祈りを探偵は否定する。


「認めろ――お前は、

「煩いって言ってるんだああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 もう何も聞きたくないとでも言う様に、誡は取り乱した様子で大声を出した。そして、髪を掻き乱しながら晨夜を睨む。


「う、煩い、煩いよ……! わ、悪いけどさ、速水の事も知られちゃってるみたいだし、恨みも何も無いけど――し、しし、死んでもらえるかな? 大丈夫。大丈夫、苦しませる様な事はしないからさ、ぼくにはそれが出来るからさ、安心していいよ」


 誡は包丁を取り出し、鞄を放り投げた。


「苦しまないで死んでくれ」

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