51

 僕が崩落したマンションの中に入ってすぐに、彼は見つかった。


 一階の中でも比較的、損傷の少ない場所。そこに入ると、壁と二階が崩れている為に天井をぶち破る形で、広々とした空間を得ている場所に出る。お誂え向きの場所だ。ここでなら万全を期せるという場所に、〝四肢狩人〟は居た。


 そう――〝四肢狩人〟だけが。


 表現によっては二人居るとも言えるが、僕は死体を数に含める気は無い。


 〝四肢狩人〟の足元に転がっているのは、こちら側に顔を向けて死んでいる速水健司だった。今回は何か気に入らなかったのか、彼は腕を狩ってはいなかった。代わりに速水健司の左胸には深々と包丁が突き刺さっている。


「……保護しているんじゃなかったの」


 何気なく言うと、〝四肢狩人〟はこちらを向いて口を開いた。


『保護は止めたんだ』

「そうか。じゃあ、後は君だけだね」


 ナイフを抜くと、〝四肢狩人〟は堪えきれなくなった様に笑った。


『ボクを捕まえるの? この状況で? 前と何も変わっていないよ、これじゃ君はボクが逃げ始めたとしても、それを意識する事も出来ないよ?』


 実に滑稽だ、とでも言いたげに〝四肢狩人〟は笑う。とんだ食わせ者。既に能力を使っているだろうに、僕に対して、今の内はまだ捕らえれる可能性が残っている、と思わせ振りな口調。僕の事を確認した時から、能力の有効範囲内に入った時から既に逃げる気、或いは殺す気で僕と対峙している。


 だけど、勘違いしている様だ。前と状況は全く違う。壊れているとはいえ、に僕等は居る。彼の能力が僕の推測通りなら、この閉鎖空間だからこそ、僕は彼を確保出来る。


 実際、既に僕が術中に嵌っていると〝四肢狩人〟は思い込んでいる様だが、その逆。彼の方が僕の術中に嵌っている。それはだ。


『でも悪いけどボクが逃げる事はないよ、君は邪魔者だから殺させてもらう。苦しむ事は無いから安心していい』


 そう言って、〝四肢狩人〟は速水健司の胸から包丁を左手で引き抜いた。


『でも、ちゃんとここに来た事は褒めておくよ。普通なら、死ぬ可能性が高い場所には来ない。それとも速水君が居たから来るしか無かっただけかな?』

「もういいよ」

『は? ……何だって?』


 〝四肢狩人〟は僕の見当違いな返答に顔を顰める。


「もういい、って言ったんだ。。もう知ってるから、隠す事も無く君を曝け出して僕を殺しに来ていい」


 一瞬、彼は閉口した様な唖然とした様な顔をしたが、突然顔を押さえて笑い出した。


『あ――ぶはははははははは!! 何だよ気付いてたのかよ、だったら最初から言ってくれりゃあ良かったのによぉ!? ったく、恥ずかしい事させんじゃねーよ、糞が』


 ひらひらと手を振りながら、今までと打って変わった尊大な態度で〝四肢狩人〟は悪態を吐く。成る程、あれが〝四肢狩人〟の片割れの本性という訳らしい。


「思ったよりもテンションが高い奴だったんだな君は。演技が余りにも自然だったから、もう少し落ち着きのある人間だと思っていたんだけど」

『ハッハァ……オレってば演技上手かっただろ? まー何せ十二年間やってきてたからな、どんな大根だろーが板に付くのは当たり前だけどな。一応、能力ベクター無しでやってたんだぜ?』


 くつくつと笑いながら、今までの『長谷誡』という演技のパーソナリティからは考えられない粗暴な口調と振る舞いで、彼は自慢気に語る。そして左手に持った包丁を僕に向けた。


『んで? 話戻すぜ? この馬鹿ガキの為にお前は来るしかなかったのか? ご苦労な事だよなー、おい?』


 言いながら、彼は速水健司の死体の顔をゴミの様に蹴り飛ばす。幾ら何でもここまで性格に高低差があるとは思わなかった……正直ちょっと引くなぁ。


「まぁ、ね。本当は二人を相手にするつもりだったから、手間を省いてもらって助かったよ。ま、これから殺す相手にお礼を言うつもりは無いから」


 僕の淡々とした挑発に彼は不愉快そうに眉を寄せた。


『あ? テメェ自信過剰なのか、それとも自棄にでもなってんのか? オレには勝てねー事は散々お前の身を以って教えてやったろうが』

「本当に、そう思うかい? 僕にはもう、君のアネシスの原理が解っているとしたら――どうする?」


 幽かに、だが初めて彼に、はっきりとした動揺を見て取れた。


『ハッタリ抜かせ。半端無くオレが譲ってやったとしても、お前は今更逃げる事は出来ねーし、オレがお前の心臓に包丁をぶっ刺す事に抵抗も出来ねーし、今から殺される事すら意識させねーよ』

「だったら説明してみせようか?」


 ざっと、僕が一歩踏み出すと彼はびくりとする。


『なっ』

「君のベクターがどんなものか?」


 更にもう一歩。今度は彼は反射的に後ろに下がった。


『……おい。待てコラ。どういう事だテメェ?!』

「先ず、君が殺した構成員二人は背後から襲われていた。速水健司の能力でない事はここから判る。彼の能力は視線を合わせなければいけないからね」


 僕が歩み寄って行くと、彼は更に動揺を深める。能力の効果があるならば、先ず有り得ない行動だからだろう。その場から動かない様にでも仕向けていたんだろうか。


「だったら、話は簡単だ。認知に干渉する君の能力は、まず間違い無く何処かしらから対象に影響を与える侵入経路が必要だ。それは必ず君が発するものであり、そして相手が確実に捉えれるもの。視線じゃないね、あの時君は僕と眼を合わせずに能力を使って見せたから。気配でもないね、確実性を以て影響を与えるには足らない。君の身体の一部の類でもないね、どんな些細でもそんな事をされれば気付く。だったら、何か?」


 彼は何か狂乱的に喚いているが読み取れない。流石に僕も、喋りながらは出来ない。


「――君の声だろう? 聴覚器から侵入して影響するのか、単純に君の声帯から発せられる固有振動数に効果があるのか、それとも君の声自体がそういう概念を得ているのか――そんな事はどうでもいい。要は、君の声が僕に影響しなければいいだけの事だ」


 どうやらやっと彼は異常に気が付いた様だ。だが遅い。既に彼は僕のベクターに捉えられている。


「だから、僕の能力で事足りるんだよ。〝全能の個ペルソナ〟によりただ一つ持つ、『固定』という能力。今僕が着けている『自分』という仮面ペルソナの人格が、能力ベクターで外れない様にする為に用いている『固定』という能力。その『固定』という概念に於いて、僕は全てを扱える。無論、君の声を伝える空気の振動という動きもね」


 この部屋に入った時点で僕は彼から発せられる声が僕に伝わらない様にした。声が限定的にしか拡散せず、その範囲が把握出来る室内だからこそ出来て且つ悟られない。わざとゆっくりと話す事で、互いに一度ずつの発言をする。彼の声は僕に届かない様に、僕の声は彼に届く様に。『固定』のタイミングを切り替えるだけという、発想自体は至極簡単なもので――まぁ、この会話の遣り口は簓木に教えてもらったんだけれども――最初から彼と僕の会話は、ずっと僕の読唇で成立していた。


「判ったかい? じゃあ、今度はこっちが完全に優位に立ったから訊かせてもらおう」


 僕は彼の前に立ったが、彼は口をぱくぱくと動かすだけで動けない。声帯から発せられる振動は僕に届く前に留められ、また彼自身も留められている。『固定』に嵌ったからには、逃げられない。僕は腰からナイフを引き抜き、問う。


「君の目的は何だ?」


 彼は僕に敵意を剥き出しにして殺意に漲る目で睨み付けてくる。今の彼の裡は憎しみに満ちた呪いの言葉で満たされている事だろう。だがそんな事には最早意味は無い、勝敗は明ら様な程に明白なのだから。


 少しの沈黙の後、彼は言う。


『――勝ったつもりか? 馬鹿が』


 左手の刃が襲い掛かってきた。


 反射。殆ど反射で躱していた。僕はそのまま後ろに飛び退き、彼と距離を取る。首に触れると血が出ていた。深くはないが浅くもなく、ぱっくりと肉が裂けている。馬鹿な。確かに『固定』していた筈なのに首を切られた――?


 すぐに彼の状況を確認すると、自由になった手足を遊ばせながら、にやにや笑っていた。


『残念だったなー、オレから話を訊けると思って、わざわざ口だけ自由にしておいたのはミスだぜ』


 どういう事だ。


 彼の口振りから察するに、確かに僕の〝全能の個ペルソナ〟は効いていた筈。今も彼の声が聞こえて来ないという事は空気振動の『固定』も継続している。つまり、先刻のは演技で誤魔化して仕掛けた奇襲ではなく、僕の能力が無効化された訳でもないという事だ。という事は、あの状況から僕の能力から逃げる術があった。そうなるだろう。


『いやー、しかしビビったぜ。まさか動きを留めるなんて、そんな事が出来る奴が居るなんてよ。まぁ、それでも心臓留めたりしねーとこを見ると、目に見えてるもんにしか使えねー能力みてーだな』


 彼の軽口を聞き流しながら僕は推測を続ける。僕の『固定』は、僕の意思で解かない限り持続する筈だ。もしもそれ以外に解除する方法があるとしたら、それは一つしかない――単純に『固定』の干渉に打ち勝つ。だが、運動している対象なら兎も角、一度留められた状態から逃げ出すなんて不可能だ。そう、それこそ超人的な身体能力でも発揮しないと――そうか。


 僕の顔色が変わったのを見て、彼は言う。


『お? 気付いたか? そうだよ、ネタバレしてやるよ。オレの〝厳戒の韜晦アネシス〟は何も他人にしか使えねー訳じゃねー。使

「成る程ね……」


 思わず表情が苦々しくなる。


 脳のリミッター解除による自己強化エンハンス。所謂、『火事場の馬鹿力』。糞っ、まさかアネシスがそこまで器用な能力だったとは。中々どうして分が悪い。単純な殴り合い程、僕の能力が役に立たない場面は無い。対して彼は、存分に能力を使える。

 だが、リミッターを解除する事は彼の身体にも多大な負荷を掛ける筈。肉体が強化されているだけであって、強度が上がっている訳ではないのだから。彼にとっても自己強化エンハンスは諸刃の剣の奥の手だった筈だ。それを使ってきたという事は追い詰めている事には変わりは無い。


 ならば僕は、彼が自身の力に耐え切れなくなる瞬間を狙えばいい。


 今一度、彼と対峙し直してナイフを構えると、


『は、はっ。準備出来たか。じゃ、殺すぜ?』


 すうっと、彼は息を吸い込んだ。


 ――不味い。


 思った瞬間には既に彼は息を全て吐き出していた。


 絶叫。

 ただそれだけの事。


 だがそれが今の僕には致命的だった。


 即座に僕は『固定』で作った空気の『壁』を増やす。彼の声に負けて『壁』が破られて、声が到達したら僕は術中に嵌る。それが意味するのは死だ。ただひたすら彼の息が切れるまで『壁』を増やし続けるしかない。


 奇妙な光景だ。ある境界線を隔てて無音の空間で男が喚き散らしている。目の前で繰り広げられる無声映画に弁士が必要無くなった時に僕は死ぬ。確かに僕の作る『壁』は彼の声への障害となって軽減は出来ているだろう。だが僕が作る空気の『壁』の強度は飽くまで僕が基準だ。雑踏の音を遮断するのが精々で、物理的な拘束力は持たない。銃弾が何枚の紙で止まるかなんて狂った実験をしている様なものだ。


 見ると、彼の背後にある窓ガラスが割れていた。――冗談じゃない! 声が届いたら術中に嵌るだって? それ以前にあんな音を聞いたら失神するに決まってる……! その声を出している張本人は耳から血を流していた。鼓膜が破れているのにも構わず声を出し続ける。能力で痛覚を遮断しているのか、叫ぶのを止めそうにない。僕は何度も何度も必死に空気の壁を作る事だけに集中して、彼の息が切れるのを待つ。すると足元から振動が伝わってきた。


 おいおいおい。

 建物を揺らす声ってどんな大きさだよ……っ?!


 僕が気を取られたその一瞬――彼は叫ぶのを止めていた。


「――――」


 しまったと、。思う前に、彼はもう強化した脚力で僕の元に文字通りきていた。射出されたのかと見紛う様な勢い。拳を振りかぶっていた。咄嗟に僕は腕を交差させて防ぐ。みきゃっ、と腕から変な音が聞こえて僕はそのまま吹き飛ばされた。壁に叩き付けられて強かに頭を打ち付ける。意識が飛びそうになる中、気絶するな、と必死に自分に言い聞かせる。左腕に激痛が走った。それが気付けになり、見ると、割れた木の枝の様に骨が飛び出し、脂肪と血が断面から顔を覗かせていた。序でに頭も割れたのか、額から血が流れ落ちてきた。


 僕は痛みに耐えて自分の肉の裂け目を『固定』して止血する。これで一先ずは失血と脂肪塞栓で死ぬ心配は無い。立ち上がろうとすると、ふら付いてしまったので、壁に寄り掛かってずるずると立って身体を支える。そしてどうにか相手を見据えた。


『おうおう、まさかまだ殺り合うつもりか? お前馬鹿だろ。素直に死ねば苦しまないって……ん』


 彼は数度咳込むと、血を吐き捨てた。どうやら先刻の絶叫で喉がやられたらしいが、


『ん、んー。まぁ、こんなもんか。悪ぃ、えっと何だっけ? あー、そうそう。早く死ねって話だ』


 僕とダメージは雲泥の差。


 追撃を仕掛けてこないところを見ると、彼も身体にインターバルを置いているらしいが、それだって大した事は無いだろう。見た感じ、僕を殴った右腕を少し痛めただけの様だ。一撃で重傷になった僕に、自分の攻撃で少しだけ骨身を削っただけの彼。状況はどう見たって劣勢だ。


 だが僕は。

 それでも諦めない。


 残った右手でナイフを構えた僕を見て、彼は不愉快そうに顔を歪める。それはそうだ。僕の姿は埃と血でどろどろに汚れて、しかも痛みで滝の様な脂汗を掻いているのだから。


『あぁ? 何だよお前、まだやるつもりかよ。止めてくれよ、オレだって辛いんだからさー。明日全身筋肉痛だぜコレ。なるべく穏便に死のうぜ? な?』


 けれどもこの程度の死地、


 劣勢? それがどうした。


 毎度毎度、殺人的な能力を持つ媒介者ベクターや虚有に相対して、何人も犠牲者を出しながら仕留めている様な世界で僕は生きている。絶望的な状況に放り込まれて、ただ敵の能力を知る為だけに死に掛ける事も珍しくない。敵性組織と殺し合いをしてお互いの勢力が全滅寸前まで行った様な事も一度や二度じゃない。殺せる時に殺しておかないと、あとからどんな形で足元を掬われるか判らない状況で迷った事も無い。解っているからだ。分析されて暴露されて対策されて拘束されて屠殺される。まるでヒトではない様に扱われて殺されるし、ヒトとして扱わないで殺す。そうしないと死んでしまう世界だから。能力者からすると、ほぼ無能力者に近い僕は、そうやって隙を探しながら卑劣に生きてきた。そうやって無様に怯えながらも僕は生き残ってきた。


 その僕がたった一人の殺人鬼に殺される?

 小さな街に現れた高が殺人鬼に殺される?


 ――それは。


 自然と腹の底から笑いが込み上げてきていた。


 それは――


『……何笑ってんだよテメェ。気色悪ぃ、打ち所が悪くて気でも触れたか?』

「いや、ただね。もうそろそろ面倒臭いのは僕も同じって事さ。だからもうさっさと君を殺そうと思ってね」


 突然『固定』を解いて僕が話し掛けて来たのに驚き、彼は片眉を上げた。


『まーだ、テメェはオレに勝てるとでも思ってんのか。本格的にオメデタイ奴だな。……しっかりオレの声は聞かないってか』

「まぁね。一発でゲームオーバーの糞ゲーだからね。会話をしているのは、僕なりの君への歩み寄りだと思ってくれて構わないよ」


 血だらけで死に掛けの僕が、先刻までとは打って変わって軽口を叩き出したのが癇に障ったのか、左手に持っていた包丁を握り直して彼は唾を吐き捨てた。


『何企んでるが知らねーが……ゴチャゴチャ煩ぇんだよッ!』


 彼は止めを刺す為に再び身体を強化して突撃してくる。心臓を狙う包丁での刺突。精一杯の動体視力でナイフで弾き上げる。軌道の変わった刃先が僅かに僕の顎を切った。すると彼は上がった腕で包丁を逆手に握り直し、そのまま振り下ろしてきた。


 は、反応が超人的過ぎるだろ……!?


 どうにかそれを左に避けたが、僅かに間に合わず右肩が切り裂かれた。血が飛び散る。だが痛みより腕を振り下ろした隙だ。隙がある。そこに透かさず右足で蹴りを繰り出す――が、あっさりと片手で止められた。


「は?」

『いや、遅ぇーわ』


 左腕へのハイキック。止められずに諸に喰らった。


 みしっ、と左腕が胴体にめり込むんじゃないかと錯覚する程の衝撃。折れた部分が千切れるんじゃなかいという痛み。僕はまた壁に叩き付けられ、肺から空気を全て吐き出していた。僕はそのまま壁に寄り掛かるが、足に力が入らず半ば倒れる様に座り込んだ。痛みと本能で肺から追い出された酸素を必死に求めて息を吸う。肋骨にまで影響が出たのか、呼吸をする度に疼痛を感じた。


 あぁ……今度は流石に、先刻みたいにすぐには立ち上がれないか。出来る事なら今すぐ意識を手放して痛みを忘れてしまいたい。左腕の骨はもう全部折れただろう。大きな声でだらしなく泣き出したいけど、それもこれも全部――目の前に居る敵を殺してからだ。


 ぶるぶると震える右手で、辛うじて僕はナイフの切っ先を彼に向ける。


 これで、


『……何だそりゃ。抵抗のつもりかよ。はっきり言って、うぜぇわ』


 言いながら彼は僕に近付いてくる。


 あと、もう少し。


『なぁおい、何か言えよ。そりゃどういうつもりだ? 最期まで屈しなかったっていう細やかな反抗のつもりなのか?』


 もう一歩、こっちに来い。


『それともただ、混乱してオレにナイフ向けてるだけなのか?』


 ざっ、と――彼は最後の一歩を踏み入れた。


「――違うよ」

「あ?」


 彼は本当に、素直にぽかんとしている様だった。


「君を殺す為に決まってるだろう?」


 僕はナイフから手を放した。


 次の瞬間、轟音と衝撃波が僕に襲い掛かる。予め何重にも『壁』を作っておいたとは言え、僕に到達した余波は傷付いた身体にきつく響く。耐え切れなかった右耳の鼓膜が破れて血が流れてくるのを感じた。空気の奔流は僕の身体中を伝う血を広げて乾かし、顔に奇妙なボディペイントを施す。服のボタンが吹き飛ぶ音がした。


 やがて、爆発が収まると、目の前には人間だったものの破片が飛び散っていた。


 内臓と脂肪が散乱して、ただの赤い染みになっている。肉の塊や管に、僅かに骨と肌色が混ざっている。中にはよく見れば人間の身体の一部だったという事が判るものもあるが、殆どが意味が無い。上半身と下半身はまだ判別出来るだけマシだが、腹の部分はもうごっそりと無くなっている。


「……な……やが……」


 その肉塊だと思っていたものの一部が喋った。


「――驚いたな。まだ生きてただなんて。痛覚が無くなってたせいでショック死しなかったのかな?」


 僕は壁に寄り掛かったまま上半身だけになった殺人鬼に話し掛ける。


「いいよ、何が起きたか不思議だろうから教えてあげるよ」


 ふぅ、と僕は一息吐いて続ける。


「僕がやった事は勿論『固定』だ。ナイフを『固定』したんだよ。ただ、今までの『固定』とは視点を変えて、地球視点から宇宙視点で留めたのさ。まぁ、判り易く言うと、今までの『固定』が地球上での座標に従っていた『相対固定』で、先刻やったのが宇宙空間に座標を取った『絶対固定』さ」


 どうにか立ち上がれる程度に落ち着いた身体を引き摺って、僕は彼の上半身の方へゆっくりと歩いていく。


「その為にわざわざ左腕を犠牲にして、君と僕の位置関係を東西になる様にしたんだよ。そうして『絶対固定』をすると、当然ながら物体は地球の自転速度で運動する。先刻のナイフは、君に向かって大体秒速三九〇メートル毎秒――つまり超音速マツハで刺さったんだよ。まぁ、本当は自転だけじゃなくて公転とかもあるから色々違うだろうけどね。少なくとも、数トンの威力は……ん?」


 彼の顔を見ると、とっくに死んでいた。


 彼の死に顔は、その酷い死に様とは裏腹に、特に恐怖する訳でもなく苦しむ訳でもなく『まぁ、いいか』とでも言いたげな諦念の表情で、まるでそれが本望であるかの様だった。


「……気に食わないな」


 苛々する。こんな顔で死なれたら、僕の生き方がどう仕様も無いモノみたいじゃないか……くそっ、嫌な気分だ。しこりを残すのは止めよう。いつもの様に忘れてしまえ。


「…………」


 目を瞑って深呼吸。頭を空っぽにして、普段通りのペシミズムを取り戻す。


「よしっ。まぁ、こんなものだろう」


 今回は、実質的に僕にただ一つだけある能力が役に立った。せめてこれで、〝全能の個ペルソナ〟を扱う僕は無限のベクターに対する一個人に過ぎない、なんて揶揄も撤回されたっていいものだろう。ただのPerson AAさんという陰口も、払拭してほしいものだ、全く。


 釈然としない思い摩り替えて処理すると、僕は手筈通りケータイで簓木に連絡を取る。数回のコール音の後に彼女は電話に出た。


〝もしもし、槻木君? 死んだ?〟

「生きてるよ……。終わったから、一体分の死体搬送準備を頼んでおいて。あとさ……病院、手配しておいて」

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