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 〝四肢狩人〟は二人居る。


 彼等には特にこれと言って互いに同一の目的がある訳ではなく、片割れが意図して行動した結果と、片割れが行動して意図した結果が合わさったモノが〝四肢狩人〟であったというだけだった。


 ただその方法が余りにも常軌を逸している猟奇行為だったので、誰もが考える間も無くそれを『一人の殺人鬼』の形にしたのだ。まさかにも思わないだろう、この平和な国で二人で腕や足を狩っている者が居るなど。


 だが居たのだ。

 それが彼等だ。


 しかしこの二人は二人で、相互に自分達のしている事は知っているが、それを理解してはいない。各々、自分の目的の為にしか四肢狩りを行ってはおらず、結論的には互いが互いを思って人殺しに励んでいる矛盾理由パラドツクスなのだ。己の尾を噛む蛇の様な行いだが、その実それは無限の環状ではなく、一本の棒に巻き付く螺旋の蛇であり、無意識に絞め殺していると言った方が近い。お互いの姿を見て取って、追い合いながら上に進み絞めつけて行く、それが自らの世界だとも気付かない――愚かな蛇だ。


 そう、〝四肢狩人〟には自覚が無い。


 だからこの南川市で起きた〝四肢狩人〟という出来事は、より正鵠を射る言葉を用いるならば『事件』というよりは『現象』に近い。


 そもそも事件と呼ばれている癖に、起こしている張本人達は自らの行いが世間を騒がせているとは露にも思っていないのだ。仮令、彼等が〝四肢狩人〟のニュースを見たとしても、他人事の様に『許せない』とか『怖い』とかの感想を抱くだけである。そして自分達のしている事に関しては、ただ日常的に表立ってやるには少しだけ躊躇われるから秘密にしている――その程度の認識しか持っていないのだ。


 と考えているかも怪しい。


 故に大衆的に人格化された〝四肢狩人〟の性質は、という現象フエノメノンを帯びているのだ。仮に警察が司法の場で裁こうと彼等を捕まえられたとしても、それは〝四肢狩人〟が終わった事を意味せず、曖昧にして誤魔化した事にしかならない。確かに社会的には事件の様相を呈していると思われている〝四肢狩人〟は止まるだろう。だがこの前提は『犯人』が居る事件である事が必要である。〝四肢狩人〟は現象なのだ。その手段では終わらないのだ。で〝四肢狩人〟を終わらせるには、その行為者に行為者である事を認識させなければならない。


 そうする事で始めて〝四肢狩人〟という現象は行為に落ち着き、漸く事象の主を定める事が出来るのだ。事件として見ている側からすると、これは表面上には何の変化も与えないが、現象を終わらせようとしている人間達からすると大きな変化であり、ただ一つの契機だ。


 そして現象がその根源を定めた時には、原因が浮き出てくる。


 〝四肢狩人〟は二人の人物の現象だが、『四肢狩人』と呼ばれるべき人物となると話は別だ。それこそが原因で発端で目的で――ただ一つの理由。


 今から三ヶ月前の冬の如月に一人の少女が死んだ。その肌寒い雪空の下、冷たくなっていく彼女を見て、血流の温もりを留めようとするかの様に腕を狩ろうとした。それは間に合わず時は過ぎて、一人の腕を狩り二人の腕を狩り――気が付けば春が訪れる手前に〝四肢狩人〟という現象は、媒介者ベクターという種子から萌芽した。


 始まりを定めるとしたらそこだろう、身を切る様な冷たい風の吹くそこに――


 『四肢狩人』は一人居た。

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