47
五月二十五日
一昨日の事件の後、捺夜を背負ったまま事務所に行った俺は当然、黒木に見つかった訳で、速水を追っていた事はあっさりとバレた。その為、捺夜が気絶している事も含めて話を聞かせる破目になった。
日が変わる頃には捺夜も気が付いており、その日の朝刊には芹沢の事が載っていた。『高校生謎の自殺。先日の自殺と関係が?』と、実に的を射ている見出しだった。
速水はあの後行方知れずになっているが、中学生一人では逃げ隠れするのにも限界があるし、あの三白眼に追われている事を考えると、捕まっている可能性が高い筈だ。
高校の方は大騒ぎだった。先日の三人に引き続き、今度は校内での自殺と来たのだから、事実上無関係とは言え、風評被害を抑えるのに躍起になっているだろう。教育委員会も前回の時から動いている様だし、いずれ芹沢達の素行について明るみに出て、一層騒がしくなる事請け合いだ。
まぁだが、そんな事はどうでもいい訳で、
「新聞にも載っていない二人の被害者は何なんだ?」
早々と、記事が出た日中には、警察から事件の捜査資料を入手していた黒木は、俺と捺夜に芹沢の他に死んでいる奴等が居る事を教えた。何故かそれは警察の公式発表には含まれておらず、新聞を読んだ後にその事を教えられた俺達は、あの場で他の殺人事件が起きている事に驚いた。
その際に黒木は、俺が遭遇した三白眼についての話をすると、やはりあいつが速水を追っている奴等で、正体不明の二人もその一員だと言った。
そして、奴等は
「速水君に殺された訳じゃないんだよね。死因が全く違うし、それにもっと気になるのは――」
捺夜の言う通り、黒木が何かの組織の構成員と断定した奴等の死因は自殺ではなかった。背後から襲われたと見られていて、抵抗した様子が皆無という事を除けば、普通の死体。
そして、新聞に載っていない、未発表の情報はもう一つあった。
「――芹沢君の左腕が持ち去られていた事だよね」
あそこに、〝四肢狩人〟が居たと思しき情報が。
黒木が言った。
「それは〝四肢狩人〟が居た証だ。身元不明の二人も〝四肢狩人〟に殺されたんだろう」
「じゃあ速水は芹沢を殺していないって言うのか?」
あの校内での殺人は全て、〝四肢狩人〟によるものとでもいうのか。
「そうじゃない。現に芹沢は自殺だ、腕は死後に切り取られている。だったら簡単だ、芹沢の腕は、速水の殺害の後に〝四肢狩人〟に持ち去られた」
「あの時、校内に居た奴の中に〝四肢狩人〟が居たっていう事か」
だけど、それは考え難い。
「俺と捺夜、速水は先ず外せる。そして、俺が遇った三白眼に長谷。残っているのは死人と新聞部だから問題外だな。死人は言うまでも無いし、新聞部は長谷以外に犯行現場を知らなかったから、警察が来るまでの短い時間に腕を持ち去る事は出来ない。だから三白眼と長谷――どちらかが〝四肢狩人〟って事になるんだな?」
黒木は首肯した。
「間違いでもあるか?」
「間違い? ある。大有りだ! 先ず、三白眼がお前の言っていた速水を追っていた奴で、お前の言った通りなら〝四肢狩人〟にはならない。そして長谷だ、あいつは俺達と一緒に行動していて、あの後新聞部の方に戻って警察を呼んでいる。長谷には戻って腕を持ち去る時間は無かったし、腕を切る為の道具も持っていなかった」
剰え〝四肢狩人〟が使っている凶器は、斧や鉈の様に重さで骨ごと断てる代物ではない。ただの包丁や鋸の類だ。それは今までの事件の検死で断定されている事で、今回も同様だ。長谷には手段が無い。
「だったらお前は第三者が居たとでも言うのか? 整合性に欠けるな、有り得ない。速水の件に関与している人間は限られているのだから、あの場に居た者の内に〝四肢狩人〟が居たと考えるべきだ」
「じゃあ、お前は誰が〝四肢狩人〟だと思うんだ」
確かに黒木の言っている事に反論の余地は無い。だがあの時あの場所に居た、俺が把握している人間に犯行は不可能なのだから、他の人間の存在を疑うしかない。それを否定するっていうなら、他にどんな可能性があるのか、俺にはもう皆目見当も付かない。
黒木は言った。
「長谷だ」
「だからっ、先刻も言っただろう。長谷には腕を持ち去る手段は無かった。新聞部の人達に事情を伝えに行って、それで道具を持って戻る時間は無い!」
余りにも要領を得ない話に苛付いて怒鳴ると、黒木は変わらぬ調子で答えた。
「それはそうだな、長谷には手段が無かった。校内に居た人間にしか犯行が不可能で、その中で唯一犯行可能だった長谷が犯行不可能。だが、犯行は実際に為されている。だったら解答は用意されている」
黒木は片目を細めた。
「共犯者が居る」
「……共犯者、ですか? 複数犯だと犯行が可能になるんですか?」
なる――黒木は断言する。
「仮に長谷が単独の犯人とすると、新聞部の人間に事情を伝えに行っていた事から不可能だ。新聞部の誰かが犯人だとした時は、芹沢の死体の在り処を知らず、長谷が通報してしまうから、警察が来るまでの数分に腕を切る時間は無い。だが、長谷と新聞部の誰かが協力していたならば、腕を持ち去った後に通報する事が出来る」
「長谷君が腕を持ち去ってから警察に通報した、という可能性は無いんですか?」
「無いな。その為の道具を持っていなかったと夜鳥も言っているだろう。もう一人が道具を持っていたと考えるべきだ」
ふむ、と納得した様に捺夜は言う。
「それなら確かに、長谷君が事情を伝えに行っている間、代わりに腕を持ち去る事が出来ると思いますけど……一体誰なんです?」
「勿論、その共犯者は新聞部員の誰かという事になるが、まだ判らない」
それはそうだろう。あの状況と今の情報で、一体誰が共犯者かなんて判らない。だから共犯者が居る可能性が高いといっても、それを証明出来ないなら何の意味も無い仮説だ。
「判らないんじゃなくて、間違ってるんだろ。新聞部の人達の誰かが〝四肢狩人〟な訳が無い。そもそも長谷が〝四肢狩人〟の片割れって時点で馬鹿らしいっ。もっと、別の何かがある筈なんだ」
そう言うと、黒木が厳しい目で俺を見た。
「そういう現実逃避から来る希望的観測は愚かだぞ、夜鳥。もう一度、あの時の出来事を事細やかに教えろ。絶対にお前が見落としている事実に辿り着く要素がある」
何を以て、こいつは確信しているんだ。こんなにもはっきりと言い切れる理由が俺には判らない。
「……それで、お前が納得するなら、逐一教えてやるよ」
俺は怪訝ながらも、あの時の状況を反芻しながら、黒木に話し始めた。
先ず校内に這入り、俺は新聞部の部室で乙野さんと鮎河に不審者の事を聞き、それを男子部員の三人が見回りに行っていた事を知った。
その後、別館から叫び声が聞こえ、声の許へ急いで向かうと芹沢を殺した後の速水に遭遇した。血の付いた包丁を持っていたから、あの時に殺した事は間違い無い筈だ。そして捺夜が速水のベクターで気絶してしまい俺が動揺していると――三白眼が現われて、捺夜は無事だと教えてくれた。
あいつどんな顔だったっけ……もう思い出せないな。何か三白眼以外印象に残ってない。
三白眼が速水を追いに行った後、捺夜を背負って芹沢の居る教室に向かうと、俺は暗い廊下で長谷に遇って、芹沢の死体を確認した。それで面倒を避ける為に、長谷は俺に先に帰る様に促して、俺はそれに従った――。
出来るだけ事細やかに、客観的に説明したつもりだったが、黒木は無言で話を聞いていた。思い出しながら話している俺でさえ、疑問が見つからないんだから、何も見落としは無いとしか考えられない。
だが全て話し終えると黒木は、
「――矛盾だな」
と、片目を細めた。
「……何だと? どういう事だ」
「言ったままだ。矛盾、齟齬、不一致。確証は無いが、そうとしか考えられないからな、間違いは無いだろう」
黒木はいきなり立ち上がり、コートを羽織った。懐中時計で時間を確認すると、そのまま何も言わずにドアノブに手を掛ける。
「おい? おい、何処に行くつもりだっ。ちゃんと説明しろ!」
「確証を取りに行くつもりだ。説明はその後でする。一目瞭然な証拠がある筈だ――それこそ、お前も納得させられる様な、だ」
引き止める前に、黒木は事務所を出て行ってしまった。
「……行っちゃった」
呆然と、捺夜が呟く。
「どういう事だろ、あの時の状況に不審な点があったって事だよね?」
「知るか、もうあんな奴っ! 何考えてるのかさっぱりだ」
「まぁ、それはいつもの事でしょ。晨夜さんが教えてくれないなら、自分で考えるしか無いよ」
と、捺夜は捜査資料を俺に手渡した。
資料には、あの日現場に居た新聞部への事情聴取の内容と、部員一人ひとりの簡単な経歴に病歴等の備考が載っている。
簡単に流し読みした感じでは、俺が知っていた事と大して変わらない情報しか無かった気がする。ここから汲み取れるものなんて、何一つ無いと思う。
表情から俺が何を考えているのか判ったのか、捺夜は俺の額を小突いた。
「ダーメだよヌエ、晨夜さんはヌエの知っている事と、その資料から何かを掴んだんだから、無意味だって決め付けちゃ駄目っ」
「……じゃあ、一応読む」
資料の最初には事件時、校内で誰が何処で何をしていたかが書いてある。
始め、新聞部は校内で調べ物をしていた。全校生徒の出席簿を漁っていたらしいから、やはり自殺事件の第三者――速水を捜していた。実績のある部だから、遅くまで残れていて、且つ出席簿を貸し出してもらう事が出来たらしい。
その調べ物の途中、部員全員が廊下を誰かが通る音を聞いた。誰も居ない筈だから不審に思って、男子部員の三人がペンライトを持って見回りに出て、残った二人は作業を続けてた――ここで俺は部室を訪れたが、しっかり黙っていてくれたらしく、何も書いてない。
見回り組の三人は、全員別れて校内を探索していたらしい。森枝さんは本館の全体。長谷は別館の全体。楢沢は外、グラウンドや校舎裏。調べる時間としては、三人とも同じくらいだっただろう。
女子の二人は、作業を続けていただけで、特に何も無かったらしい。三人が見回りに出てから一時間程すると、見回りに行っていた長谷が、いきなり死体を見つけたと戻ってきた。
二人はブラックジョークの類かと思ったらしいが、長谷の言っている事が冗談ではないと解ると、そこで乙野さんが急いで森枝さんと楢沢ををケータイで呼び戻した。全員集まった後、長谷に話を聞いて(多分、この時に俺の事も伝えたんだろう)警察に通報――これが、新聞部の動き。
調書を捲ると、次は新聞部員の簡単な経歴が出てきた。
何だかんだで、警察は部員を一応は容疑者として見ているらしい。〝四肢狩人〟が絡んでいて、ある意味密室の現場に居合わせたのだから仕方無いが。
最初は部長の乙野さんに、副部長の森枝さん。二人は中学時代に同級生だった。
これと言って目立った事も無く、強いて言うならば二年生の時に調査していた空き巣が、乙野さんの記事が発端になって捕まったという事だ。実際に捕まえたのは森枝さんらしいが、二人とも警察にも表彰されている。
怪しいどころか、寧ろ地元の警察とは顔見知りの二人は、また事件に首を突っ込んで来て持て余されている面倒臭そうなニュアンスが感じ取れる。……乙野さんが事情を訊かれるのを利用して、逆に警察の人から話を聞き出そうとしている絵面が苦も無く想像出来る。
次に鮎河。鮎河は中学の二年生辺りまで酷い気管支喘息だったらしい。今はもう影響は殆ど無いらしいが、小学校にはしっかりと行けずに、中学時代も出席率は悪かった。少し気弱そうな印象は、昔のその事情が原因なのだろうか……何にしろ殺人をする体力は無いだろう。
中学は長谷と同じで、高校進学の時に当時の鮎河の学力としては高めの山瀬高校を選んでいる。邪推だが、中学の時に長谷の事を好きになって、追う為に同じ高校を受験したとか――甘酸っぱい。
……いやいや、そういう事を考えるのは止めよう。その手の話は苦手だし、次だ次。
楢沢は成績優秀で、人望もあって典型的な人気者らしい。中学時代には生徒会にも所属していた。高校で新聞部に入った理由は、実績(多分乙野さんの事)に惹かれたのが理由らしい。
生徒会に所属していたっていうのと、新聞部に入部した事で動機に根差すものは同じ様だ。秩序正しくある、所謂正義感が強いのだろう。ゲームセンターで話していた『やれるべき事の後押しをしてやる』という事が、楢沢にとっては相当固い軸らしい。
だけど、もし、あいつが生徒会に入ろうとしたら止めなくては。鏡花の下で働かせるのは可哀想過ぎる。真っ先に鏡花に弄って遊ぶ対象にされそうだ。
そして最後に――長谷。
長谷は意外にも行動派らしく、高校入学当初に俺が起こした問題について記事にした時、あの風紀担当について調べ上げて叩いたらしい。行き過ぎた指導に押し付けの道徳として、生徒側からの普段は面と向かって出来ない教師に対する糾弾を堂々と行った。それがちょっとした騒動になって、風紀担当が変更するとこまで行ったとか。
基本的に、困っている人や問題を見過ごせず、問題を解決しないと気が済まない性分なのだろう。ゲームセンターの時もそうだった、自分で出来る出来ないに拘らず、行動する。しかし、他人の機微に敏感そうな割には、鮎河の事には全く気付いてなかったみたいだが……鈍い奴だ。
備考としてあるのは、母子家庭という事と、内臓が左右反対になっている『全内臓逆位症』を持っているという事……あの心臓の話、嘘じゃなくて本当だったのか。
「……で、何も判らないんだが」
やはり、汲み取れる事は見つからない。黒木は矛盾と言ったが、何処がどう怪訝しいっていうのか。資料に書いてある事は、精々新聞部員の行動原理が皆似通っている様に思えるだけで、何も変なところは無い。
「捺夜は何か掴めたか?」
「あぅ……」
捺夜はさっと資料で顔を隠した。
「…………」
無言で見つめる。
「う、うぅ……ごめん。あたしも判らない」
「…………」
無言で見つめる。
「ほっ、ほら、晨夜さんは帰ってきたら説明してくれるって言ってたし! ねっ?!」
「……はぁ」
結局、黒木を待つ破目になった。
その後、黒木が事務所に帰ってきたのは夜になってからだった。
「遅いっ」
「文句を言われる筋合いは無い。お前が勝手に待っていただけだ」
「お前がっ、説明をすると言ったんだろうがっ! 何だそのにべもない言い方は、本当にムカつくなお前は」
「だからと言って、待っていろとは言っていない。それとも何か、俺はお前の逸る気持ちにまで配慮して、行動しなければならなかったとでも言うのか? 阿呆らしい」
殴りたい。力の限り殴り倒したい。
握り拳を作っていると、捺夜が俺の手を押さえた。
「二人とも、いい加減にして下さい。晨夜さんは早く説明して下さいよ、あたしも気になってるんですから。ヌエも、話を聞きたいなら大人しくして」
「……判った」
引き下がってソファに座ると、捺夜も隣に腰を下ろした。
「それで、確証は取れたんですか?」
「言っただろう、一目瞭然な証拠がある筈だと。予想通りだった」
黒木は、コートを脱いで俺達の前に座り、机に封筒を置いた。
「……これが、その一目瞭然な証拠か?」
そうだ、と黒木は頷く。
こんな薄い封筒が、長谷ともう一人を〝四肢狩人〟として指し示すというのだろうか。
封筒を開くと中には紙が入っていた。それを取り出して、目を通し――瞠目する。
「……おい、どういう事だ」
そこには長谷に関する事が詳細に書いてあり、恐らく、公的な情報は、ほぼ全て載っている。確かに、一目瞭然だ。説明が付くし、言われてみれば心当たりもある。
だが、信じられない。
疑いの余地は無いのに、その事実が余りにも唐突で動揺している。そんな馬鹿な、と事実を受け止め兼ねる常套句が頭に浮かぶ。
「そこに書いてある通りだ。やはり〝四肢狩人〟は長谷だったという事だ、夜鳥。校内で、彼方は長谷に遇わなかっただろう?」
俺と同じで、長谷は十二年前の事故の被害者で一度死んでいた。
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