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「不審者?」

「そ、校内にアタシ達の他に誰か居たの」


 新聞部の部室で、乙野さんは言った。


 俺と捺夜は校内に入り、芹沢が何処に向かったのか判らない為に、適当な所から捜し始めようとしていた。だが、校舎という大き過ぎる捜索範囲を、いちいち確認していたのでは埒が開かない。だから、芹沢が向かいそうな所として二年生の教室に向かおうとした。


 二年生の教室は別館にある。別館に入る方法は、直接玄関から入るか、本館の二階と三階にある渡り廊下を通るしか無い。

 別館の玄関は施錠されていて、ドアを蹴破ろうとしたら捺夜に怒られた。代わりに「速水君と芹沢君が見当たらないから、何処か別の所から入れるんじゃない?」と言われ、本館の玄関を確認してみると、確かに鍵は開いていた――今思うと、新聞部が活動していたから、本館だけ鍵が開いていたんだろう。


 そこから二階の渡り廊下を目指している最中に、暗い廊下でいやに目立つ、電気の点いている部屋――新聞部の部室を見つけると、中には乙野さんと鮎河が居た。


「うちの男達が別れて見に行ってるんだけどさ、誰とも遇わなかったみたいね」


 何で二人しか居ないのか気になったが、どうやら不審者らしき人物の見回りに行っていたらしい。


「えぇ、遇いませんでしたけど……その不審者って言うのは、芹沢じゃないですか? 長谷は何も言ってませんでしたか?」

「あぁ、そう言えば言ってたかも、途中で見失っちゃったとか。けど、アタシ達が不審者に気付いたのは、全員揃ってる時に廊下を通る音を聞いたからでさ、時間的に長谷君より先の芹沢が、後から通るのは考え難いでしょ?」


 確かにそうだ。だが、だとしたら、その不審者は部室を無視している。それは、明らかに数人の人間が居る場所に用が無いか、目的地が定まっているからだ。


「ヌエ、不審者ってもしかして」


 捺夜が後ろで小さく言う。それに小さく返す。


「多分、俺もそう思う」


 ――速水が来ている。ここに、芹沢を追って。


「……何、ヌエちゃん達は、その不審者を追ってきたの?」


 乙野さんの言葉にどきりとする。まさか今のやりとりだけでバレた? 殆ど核心だ。


「いやそのっ、芹沢を捜しに来たんです。長谷から聞いたんです、高校に向かってるって。何か言ってませんでした?」

「……長谷君、何も言ってなかった」


 鮎河が暗い顔で答えた。止めてくれ、ややこしい事態を招こうとしないでくれ。


 俺が平静を取り繕おうとしていると乙野さんは、ふぅん、と何処か含みのある顔をした。


「まぁ、だったら、あたし達も芹沢に話を聞こうと考えてたし。あの三人が戻ってきてから一緒に捜さない? 今は三人が持っていってるから無いけど、ペンライトも三つあるし」

「えっ、と……」


 正直、答え辛い。


 芹沢を捜す事は構わないが、今はここに速水が来ている。新聞部の人達が、速水と遭遇する様な事態は避けたい。

 仮に芹沢を先に見つけられても、その状態で速水と遭うかも知れないのも不味い。巻き添えを喰う可能性が大いにある。でも俺は不審者――速水を捜していないと言ってしまった手前、捜しに行くとは言えない。


 乙野さん達に速水を捜させる訳にはいかないから、そう言うしか無かった。だけど、結局のところ、速水が校内に居る時点でそんな小細工は意味が無い。どうすればいいんだろうか……。


 考えあぐねていると、乙野さんが言った。


「ん? どうしたの、ヌエちゃん、急に黙り込んじゃって。……あれ、アタシ、もしかして何か変な事言った?」

「あぁ、いや。そうじゃないんですけど――」


 その時、叫び声が聞こえた。


 別館の方から、微かな男の絶叫。


 だが俺以外に誰も反応しない。空耳? 違う。俺の耳にしか聴こえなかっただけだ。遠過ぎて誰も気付けなかったんだ。


 別館で誰かが叫んだ……!


「――――っ」


 理解するのと同時に走り出していた、一刻も早く別館に向かおうと。







 夜鳥と彼方は、暗い校舎の別館を駆け足で進んでいた。


「ヌエ、本当に声が聞こえたの?」

「間違い無い。叫び声が聞こえた。多分芹沢の声だ」


 彼方は、急に部室を飛び出した夜鳥にどうにか追い付き理由を訊いて、最初は空耳かと疑った。だが、言った相手が夜鳥だった為に否定はし切れなかった。


 夜鳥の身体能力が異常に優れているからだ。


 彼女は先天性色素欠乏症アルビノでありながら、肉体的に一切のハンデを背負っていない特異な体質の持ち主だ。それがベクターによるものとは言え、剰え色素欠乏を物ともしないのに、身体能力も優れている。見た目の華奢な女の体からは想像出来ない程の運動能力を誇り、力も成人男性よりも遥かに強いのではないかと、彼方は時々疑う程だ。


 そして勿論聴力も、優秀である。


 故に、彼方は夜鳥が聴き取った叫び声を、確認する意味はあると判じたのだが、


「でも、目指している教室は、奥の方なんでしょ?」


 幾ら何でも、そこまで聴こえるものなのだろうか――流石に疑念を抱いていた。


「あぁそうだな。別館の奥の方だ」


 ここからの距離なら五十メートルかな――夜鳥は呟いた。


「一応、構造的には繋がった空間だから、余程大きな叫び声だったんだろうな」


 夜鳥は苦虫を噛み潰した様な顔で、先を見た。


 暗い校舎の廊下を照らすのは、窓から射す三日月の明かりのみで、直線的に長い廊下の奥はまだ見えない。仄暗い闇があるだけで、闇に慣れた目で近付いて見て、初めて明瞭はつきりと確認出来る。


 その廊下を半分程進んだ時。


 ばんっ、と乱暴にドアを開けた音が聴こえてきた。


 二人は顔を見合わせる。

 今度は彼方にもしっかりと聞こえた、確実に誰かが居る証だった。ややあって誰かがこちら側に走ってくる音も聞こえ、彼女達は少し身を強張らせ緊張した。


 駆け足から歩く速さを抑え、慎重に向こうから来る人影を窺う。

 人影は月明かりと闇の狭間から浮き上がってくる様に見える。そこに居る筈なのだが影法師の様で、芒洋としている。アレの方が霊みたいだ、と夜鳥は益体の無い感想を抱いた。

 こちらに走ってきているが、影法師は二人に気付かない。後を向いたまま走っており、追われているかの様な仕草だった。


 夜鳥達はゆっくりと歩いていき、影法師は駆けて来る。距離が詰められ、体格も確認出来る様になってきた。手に何かを持っている男だ、女の体型ではない。

 そして、とうとう顔が見えた影法師は――否、それは最早影法師ではない、はっきりと誰だか確認出来る。


 片目に眼帯をし、血の付いた包丁を持った、速水健司が立っていた。




「え、ヌエさん……?」


 呆然と、健司は彼女達を見ていた。


 暁夜鳥と黒木彼方。


 十日前に出会った人物と捜していた人物が、そこに居た。だがそれに驚いて、彼は呆然としていた訳ではない。


(う、嘘だ……)


 彼が一目惚れして必死に捜していた彼方の事も、頭から離れてしまっている。今、信じられなくて呆然としている原因は暁夜鳥。


(こんな、こんなの……有り得ない……)


 彼の能力に付随してきた、〝強さ〟を感じる感覚が警鐘を鳴らしていた。


(桁外れだ――人間の、〝強さ〟じゃない……!!)


 暁夜鳥の〝強さ〟が桁違いだという、ただ一点の事実が彼に恐怖を与えていた。


 人の形をしていながら、人の枠に当て嵌まらないもの――こんな人間居る訳無い……! そう自分に言い聞かせても、事実目前に居るのがそれだ。


 彼が、彼女に初めて会った時に感じた気持ちは、何と無く感じたものなどではなく――紛れも無い畏怖だった。それが今、〝意識乖乱アメンチア〟というベクターで更にはっきりと解る。

 彼は凡そ人外としか言い表せない〝強さ〟に遇った事により、次元の違いを身を以て感じてしまい――夜鳥が化物にしか見えない。


「ぅ、ぁ……」


 歯の根が合わずにかちかちと音を立てる。


 怖い。


 余りにも違いのある〝強さ〟を目前にしてしまい、混乱から、目の前の人間がほんの少しの気紛れで自分を殺してしまう様な錯覚に陥ってしまっている。目の前に居るのが人だと解っているのにも拘らず、〝最強〟が、最も純粋に表現される力――人を模った暴力にしか見えない。


「速水、健司だな?」


 一言、夜鳥が睨んだ。


「くっ、来るな!」


 沈黙が破られたのと同時に、恐怖の堰が決壊した。


 ただ〝最強〟の体現から逃げたくて、能力を使った。自身の能力がどういうものなのかも忘れて。


「……何だ、急に。俺はお前に訊きたい事が――」


 当然、〝最強〟に通じる力ではないのだ。視線を合わせられ健司に凝視された夜鳥には、


「来るな来るな来るなァッ!」


 そもそも、彼は最低限能力が絶対に有効だと思っていたからこそ、今まで行動を起こしてきていた。自分の能力ちからが及ばない存在が居るかも知れない――そんな事を微塵も考えずに『今がよければいい。今があれば先に進めるのだから』と自信の理念に忠実に行動していたつもりだった。


 ここにきて、それがいとも容易く崩された。ベクターを持つ前ならば、彼は〝強さ〟などで物事を判断せずにいただろう。今まで行ってきた復讐もそうだ。芹沢達が〝弱い〟と思ったからこそ行動を起こしていたが、ベクターを持つ前でも彼は、一概に愚かとは言い切れぬ蛮勇で、自身の道理を通す為に『最良の今』を得る為に動いた筈だ。

 それが、打算で妥協しようとしている現状はどうだ。最良を模索するのではなく、物差しが一つ与えられただけで自分の限界を推し量っている。


 ――一体、いつから狂気アメンチアで自分の理念を見失っていたのだろう。


 皮肉な事に、能力ちからを持った事により健司は、自分の脆弱さを思い知る事になったのだ。


 逃げたい。


 それだけだった。能力が通じず、どうにもならない恐怖と、どうにもならない〝弱さ〟が、全て恐怖に繋がっていた。


 その時、ふと、夜鳥の隣に居る彼方に気付く。


 彼女はまだ能力が通じる程度の〝強さ〟を持っている。彼女を失神させれば、或いはこの場を逃げる為の糸口になるかも知れない。だが、健司は彼女に恋愛感情を抱いている――そんな事までして逃げるべきなのか。


 答えは簡単だった。


 恐怖が勝った。


 健司は即座に能力を使う。


「え?」


 急に睨んできた健司と目が合って、きょとんとしていた彼方は、ふっ、とすぐに気を失う。そのまま倒れ込み、急に彼方が倒れ夜鳥は動揺した。


「なっ、おい、捺夜?!」


 その隙を見逃さず、健司は階段に目掛けて走り出す。


「速水――くそっ、待て!」


 夜鳥は健司を呼び止めたが当然立ち止まる事は無く、廊下の闇に消えてしまった。追おうにも、健司のベクターにやられた彼方が心配で、夜鳥はそこから身動きを取る事が出来ず、小さく舌打ちした。

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