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(こ、ここで合ってるよな……?)


 びくびくとしながら、正大は二年C組の教室の前に立っていた。


 彼は我武者羅にメールの指示に従って高校に来たのだが、校門の前には誰も居らず不安に思っていると、新たにメールが届いたのだ。


『二年C組の教室だ。そこに来てくれ』


 それは正大の携帯電話に、鏡花が友人を装って送っただけのものなのだが、精神的に追い詰められていた彼には、そんな事に気付く事も考える余裕も無かった。

 指定された教室に一体何があるのか、もしや死んだ友人が待ってでも居るのか。恐怖を感じながらも、あのガキに訳の判らぬままに殺されるのをじっと待つよりも、何かをしたかった。


 そして意を決して、教室に入った。


「…………?」


 そこには誰も居なかった。机と椅子があり、教卓があるだけで閑寂としている暗い教室。指示通りに動いたのにも拘らず、何も無い教室に正大は当惑した。


 その時、携帯電話が振動した。

 びくり、と電話を手から取り零しそうになりながら、慌てて画面を確認する。


『そこで待っていてくれ』


 それを見て、正大は戸惑う。


 最初のメールと比べると、段々とこちらの様子が判っている様な内容のメールを送ってきている。それは単純に鏡花が正大を監視して、タイミングを合わせてメールを送っているだけの事だったが、彼にとっては死者からのメールであるそれは、充分な拘束性を持っていた。


「うぅ……」


 知らず、声を出して呻いていた。


 六日前の光景がフラッシュバックする。


 狂った様に怯える友人。せせら笑って包丁を投げ渡すガキ。それを受け取り躊躇い無く首を掻っ切る友人。吹き出す血。裂けた喉からひゅーひゅーと鳴る笛。


 あれから何かが怪訝しくなった。


 その次には死者からのメール。こちらの事を見透かしているのか、あの世から自分を誘っているのか。こちらを見ているかの様に連絡を送ってくる、

 あのガキが自分を追ってきているのか、殺しに来ているのか――いや、あのガキは手を下さない。自分も同じ様に


 何が怪訝しくなったのか。自分か、世界か、友人か。何れにしろ狂っている。


(何だよ、何なんだよ……!?)


 思わず力の限り机を蹴り飛ばした。大きな音を立てて他の机や椅子を巻き込んで転がっていく。自分は確かに正しくに居る。


 だがそれでもすぐに破れた静寂は埋められ、正大は殆ど錯乱に近い声を上げる。


「うあうぅぅ……?!」


 正大は生きているのが厭になる様な、この世が崩壊してしまう様な、堪らない気持ちになった――その時。


 教室の扉が開け放たれた。




 勢いよく開け放たれた扉の後に立っていたのは、


「見つけたぜェ。何やってんの、アンタ?」


 眼帯を付けて片目で笑う速水健司だった。


「あ、あぁぁ……!」


 腰が抜けて後退りする正大を見て、健司は笑う。


「おーおー。大分〝弱く〟なってんなァ。怖い? 怖いだろ? ちょうどいいから死ねば?」


 健司は、ぽい、と以前と同じ様に包丁を投げた。


「どうする? 自殺しない気まだある? 無くても自殺してもらうけどよ。超汚れてた包丁そこまで綺麗にしてやったんだからよ。さ、ほら。

「う、ぅうう……」


 正大は言われるがままに包丁を掴み、震える腕で切っ先を己の喉仏に向けた。ぶるぶると震える腕から伝う振動で、少しだけ刃が刺さった。


「ひっ!」


 痛みで一瞬、切っ先を喉仏から逸らした。


 正大は怯え切っているが、この時点で健司は未だ自身の能力を使っていない。


 〝意識乖乱アメンチア〟。

 それが健司のベクターの名だ。


 気付いた時には、そう呼ぶものだ、と理解していた。その理解の先走りから、彼は能力がどういうものなのか解っても、判るまでには時間が掛かった。だが、今では完全に使いこなせている。そして、自分の体に起こった異変も、どういう事なのかを理解していた。


 今の彼は相手を見た時に感じる事がある。それは、その相手の精神力とでも呼べばいいのか、便宜的には〝強さ〟としか言い表せないもの。その強弱から、彼は自分の能力の通じ易さを判断する。

 〝強い〟者には眩暈や失神程度の影響しか現れないが、〝弱い〟者にはそれこそ自ら死にたくなる衝動すら与える。


 狂気に奔らせ惑乱に陥れるのだ。


 正大が引き籠っている時には感じられる〝強さ〟の度合いだけで嗜虐新を充たしていたが、怯える彼を前にして、もっと遊んでやれ、と思ったのだ。


 そう、自分が私刑を執行された時の様に――嬲って楽しんでやろうと。


 現況ではどう考えても自分が搾取側。抵抗される事など微塵も考えていない。当然だ、目前の獲物は余りにも無様で滑稽で、思わず失笑したくなる様な罵ってやりたくなる様な、畜生にも劣る様な存在にしか思えないのだから。


「ひっ、あ……あぅ、あぁぁ――」


 恐怖から上手く呼吸が出来ず、喉から嗚咽の様なものしか漏らせない正大。そんな彼を追い詰めている健司は、


(アレだな。グラウンドに居る蟻を、一匹抓み上げてちまちまとす感じだよな、これって――)


 絶対に殺されるのに無意味に足掻く様が酷く愉快だ――と感じていた。


 知らず、健司の口は大きく歪み、笑っていた。それこそ、正大を戦慄させるには片目の狂気は充分な凄味のあるもので、


「う、うぁ。あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 本能的に反撃に向かわせるのにも、充分だった。


 予想外。健司にとってはそれだけだった。それ以上でも以下でもなく、ただ予想外の事態だった。半ば自棄糞に包丁を構えて突進してくる正大。自殺するどころか反撃してきたのに驚愕しながらも、あれだけ〝弱く〟なっているのならば自分から死ぬだろう、と見事な自殺を期待していただけに、落胆もしていた。


 だから、


(……白けちまった)


 死んでもらう事にした。


 〝意識乖乱アメンチア〟を遣い、健司は正大を見つめる。


 正大の向けた刃は、興醒めした様につまらなそうな顔をした健司の手前で止まっており、震えていた。瞳孔が開き掛け、足腰が立たなくなり、失禁した正大は――。


 絶叫して、己の首を穿った。

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