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「――来たわね」


 山瀬高校の廊下の窓から、校門の方を見て鏡花は呟いた。

 校門には、鍵の開いていない門を必死でよじ登っている人影が確認出来る。


「だけど……相当混乱してるわね。想像以上に酷い焦り方」

「彼がここに来てくれるなら問題は無いよ」


 彼女の後で、淡々とした口調で三白眼気味の少年――槻木涼は言う。


「心配なのは、彼が余計な事をしないかどうかだよ。職員室のセンサーに引っ掛かったりさ――そう言えば、新聞部が先に速水健司を見つけたり、逆に速水健司が新聞部に接触する可能性については大丈夫なの?」

「大丈夫よ。新聞部の活動は部室限定だから。部室は本館の二階にあるけど、先ずお互いに正面からは接触しないわ」


 だから安心しなさい、と言う鏡花に、涼は訝しげに視線を投げ掛ける。


「ところで、本当に速水健司は来るの? 折角、作戦立てて人員の配備までしたのに、対象が来なかったら笑い話だぞ」


 涼の不安は尤もだった。彼は鏡花に『速水健司を誘き出す作戦を立てた』という事は伝えられたが、その詳しい内容までは特に伝えられなかったのだ。彼女は正大の友人の携帯電話一つで『芹沢正大を山瀬高校に誘き出す事』をきちんとこなしたのだが、未だに作戦の不明瞭な点が多過ぎる。


 大雑把に掴んでいる流れとしては、正大を校内の指定した場所に誘き寄せ、そこで待機する様に命じてから、健司が現れるのを待つ。そして健司が現れ、能力ベクターを使って正大を殺したのを確認してから確保する。


 これは涼の推測に過ぎないが、作戦としてはほぼそれで合っている。一つ違うのは、


「来るわ、敢えて絶対と言うのは止めておくけれど――ほぼ間違い無く、彼は来るわ」


 鏡花が、ベクターを確認するまでもない、と確信している事。それでも『芹沢正大を速水健司に殺させる』という過程は余計な目撃者を無くす為に作戦内に盛り込まれているのだが。


 正大が死に、健司を捕らえた後は、先ず警察署に待機させている山縣警視に連絡し、高校生自殺事件として捜査の陣頭指揮と初動捜査を任せる。そして同時に警察到着までの間に、騒ぎを聞き付けてやってくるであろう新聞部と健司を引き合わせ、〝四肢狩人〟を炙り出す。あとは現在校内に配置してある増援として街に来た構成員と協力して、犯行に関与した部員を捕らえ――必要とあらば媒介者ベクター以外は殺し――健司の身柄と共に引き渡す事で作戦は終了する。


 相手の能力が未知、という事だけが拭い切れない不安材料となっているが、健司にも〝四肢狩人〟にも完全な奇襲が可能。それを考慮すれば、特に失敗する要素はこの作戦には見当たらない。


「だけど、僕としては君がここまで見事に芹沢正大を動かせるのには驚いたよ。流石、人心掌握に長けている生徒会副会長様だ」

「何だか人聞きの悪い事を言ってるけど、彼の状態を鑑みれば掌握なんて簡単なものよ」


 さらりとそう言ってのける鏡花に、涼は少し顔を顰めた。


「君は遺留品のケータイを使って連絡しただけだろう? それで芹沢正大を引っ張り出したんだから、そういう能力が高いとしか思えないね」

「何言ってるのよ。彼には縋るものが無いんだから、状況打破の可能性をチラつかせれば動くわ。当然の事でしょう?」

(……それを当然と言えてしまう時点で、その手の事に慣れているとしか思えないんだけどね)


 内心呆れながら涼は呟いた。


 普通ならば即座にそんな事を当然として答えは出せないのだから、涼が呆れるのも無理は無い。だが、彼女は解って言っているんだろうな、と涼は鏡花の何処か含みのある微笑を見て思った。


(精々、僕も彼女に嵌められない様に気を付けよう……)


 これはもしかしたら遠回しな訓戒なのかも知れない、と涼は再度鏡花の危険性の言質として、彼女の言葉を取っておく事にした。


「芹沢正大が来た事だし、僕達も準備をしようか。カメラの映像も、一応証拠として報告の時に提示しなくちゃいけないしね」


 監視と待機に兼用している教室に戻ろうとしたところで、涼は念を押す様に鏡花に訊いた。


「本当に平気なんだね?」

「本当に平気よ」

「……そこまで断言するなら、いいけど――」


 涼は先を続けずに言葉を切った。


「けど? 何かしら」

「いや、何でも無いよ」


 彼は首を横に振りながら言って、こう考えていた――


(まさか、そこまでは、ね)


 この街にはまだ『暁夜鳥』という媒介者ベクターが居る事が不安だ、と。


 だがこの時点で、校内での出来事に彼女が関わる事は、確かな事になっていた。







 結局、芹沢の姿を見る事は出来なかったか……。


 山瀬高校の門の前に、俺は肩で息をしながら立っていた。長谷から連絡を受け、急いで高校に向かい始めたが、やはり先に動いていた芹沢に追い付ける訳も無く、俺は追うべきの相手の影も見ないまま、高校に着いてしまった。

 目の前に高校が陣取っている為か、明かりが少なく感じる。代わりに、空に浮かぶ月弓げつきゆうが射抜く様な光を放ちながら、俺を俯瞰していた。

 あんな高い所から見下ろされるから、過去の自分の俯瞰と重なってしまう。どうしても孤独を訴えている様に見えてしまう。結局、それは俺が昔置いてきた恐怖と弱さの証。


 今は無い筈なのに矛盾している。


 無機質な校舎は、月明かりの下で夜の闇に半端に染められ、灰色の箱に見える。それが何処と無く、柩の様に見えた。……いや、柩の様に見えるのではなく、柩になってしまうかも知れない。


 芹沢正大の柩に。


 断固として、阻止する。死なせるものか。兎にも角にも速水が動く前に、芹沢を見つけ出すしかない。あいつは校内に這入った筈だが……。


 正門が開くか試してみたが、やはり施錠だけはしっかりとされている様で、がちゃがちゃと鳴っても、動く事は無かった。


 飛び越えるか。二メートル無いし、楽に行けるだろう。


 少し門から距離を取り、飛び越えようとして、


「ヌエ!」


 誰かに呼び掛けられ踏み出そうとした足で、つんのめりそうになった。


 後を向くと、そこには息を切らして苦しそうに荒く呼吸をする捺夜が居た。


「ヌエ……何、しようと……してるの?」


 乱れた呼吸のまま、息も絶え絶えに捺夜は訊いてくる。


「いや、何って、その……というか、何で捺夜がここに居るんだ?」


 俺が訊き返すと、捺夜は大分呼吸が整ってきたのか、落ち着いた様子で言った。


「事務所であんな風に出てった後にあんな電話されたら、誰でも一人で動こうとしてるって思うって。急いでヌエの家に向かったら、高校に向かってるのを見つけたんだけど……ヌエ、足速過ぎ」

「あー……」


 あの間違い電話、か。


「じゃあ、何しに来たんだ? 俺を止めにか」


 捺夜は、そんな訳無いよ、と盛大に溜息を吐いた。


「だったら晨夜さんも連れてくるよ。ヌエが一人で無理しそうだから手伝いに来たの」

「手伝いにって、お前――」

「速水君にこれ以上関与しない、って言ったのは晨夜さん。あたしは何にも言ってないよ」


 捺夜は悪戯っぽく笑いながら、俺の言葉を遮った。

 確かに、捺夜は速水に関しての事は終わらせるとは一言も言っていないが……


「でも、俺の事を手伝うと言ってもな――危険なんだぞ?」

「だから手伝うの。危険なのはヌエも一緒ですー」


 ……そう言われてしまうと、言い返せない。


 まぁ、捺夜だったら危険を判断出来ない訳じゃないから、全て承知の事か。剣術の達人である捺夜が、しっかり布で包んだ日本刀を持ってきているところを見ると、初めからそのつもりだったんだろう。


「……判った。どうせ、止めろと言っても俺が止めない限り付いてくるつもりだろ?」


 訊くと、捺夜は人懐こい笑顔で答えた。


「勿論、親友ですから」

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