37

 芹沢正大は、友人が死んだ時からずっと怯えていた。


 未だに脳裡と視界から離れぬ風景。三人の友人と、何処かで見知った影。


 そこは路地裏で、彼が友人達とで先日、いつも通り他人に難癖を付け私刑にして財布を奪った場所。彼等からすれば、何の事は無い日常。自分達の行いに罪悪感は無く、寧ろその行為自体が楽しくて、甚振る事での優越感で悦に浸っていた程だ。


 普通ならば後々、良心の呵責に苛まされる事もあるだろう。だが、彼等はその前に自分達の行いを忘れた。金を手に入れた結果以外はどうでもよかったからだ。

 度々、顔も憶えていない相手が責めてきた事もあったが、その時は身に覚えが無くても徹底的に陥れ、嬲った。彼等からすれば、そういう手合いはただの馬鹿だ。過去に自分達が何かをした相手だろうと、一人で来るのならば恰好の餌食だ。


 それで事は足りて誰も口出しはしてこなかったので、あとは自分達よりも強い者達に関わらず、どれだけ足掻いても、自分達よりも立場が弱いだけの者を見定めていた。


 だが、ある日を境にそれは狂った。


 その日は普段通りに、昼頃につまらなかった学校を抜け出し、馴染みのゲームセンターに友人達と訪れていた。少し遊んでから、金が足りなくなってきたのでカモを探す事にした。彼等の中では、カモを見つける事も、一種の〝ゲーム〟だ。


 すぐにカモは見つかった。連勝して筐体の前で喜んでいるガキだった。自分達と同じ制服を着ていて、高校生にしては少々幼い印象だが、好都合だった。ああいうのを甚振った時の反応はとても楽しい。考えるだけで嗜虐心がくすぐられる。


 もう暫く観察して見た感じで、あいつは平気だ、と判じて獲物に確定した。これは長い間で培ってきた経験則だ、絶対の自信を持っている。


 ゲームで負けて少し絡むと、思った通りガキは怯え始めた。ここまで来れば後は簡単だ。

 路地裏に連れて行って私刑を行い、存分にサンドバッグにした後、生意気だったのと少しの遊び心から煙草の火で片目を潰し、財布を盗って放置した。その後、彼等はそのガキがどうなったかは知らない。顔も憶えていなかった。


 その四日後だった。


 正大は夜の繁華街に遊びに出て、特に目的を持たずに、いつもの友人達と適当にぶらついていた。その時に、何処かで見た気がする、眼帯を付けたガキが突っ掛かってきたのだ。


「お前等、ちょっと来い」


 そいつは彼等に向かって急に言った。


 当然彼等は、怪訝しな馬鹿ガキ、としか思わず、罵ってから無視しようとすると、そいつは続けた。


「馬鹿が四人も集まって何も出来ねェのかよ。愚図だなァ、おい」


 ハッ、と呆れる様な溜息を吐いた、明らかに見下した物言いだった。


 彼等は中々に気が短かったので、そんな粗末な挑発でもすぐに頭に血が昇った。どうせ向こうから吹っ掛けてきたんだ、ボコボコにしてやろう、と。


 見た感じではそのガキは一人しか居らず、仲間を引き連れている訳でも無い。仮に何処かで待たせているとしても、こっちは四人。自由にこのガキを連れて行って殴り通せる。


 彼等はすぐにそいつを取り囲み、人目に付かない奥まった路地裏に連れ込む事にした。


 ガキは何も言わず、素直にされるがまま路地裏にまで連れて来られた。仲間に助けを求めようとも、連絡を取ろうともしない。本当に一人で突っ掛かってきたらしい。

 どう考えても、ただの阿呆だ。ガタイもいい訳では無いし、何を考えているのかさっぱりだ。彼等からすれば自殺志願者。まぁ死にたいなら適度に殺してやればいい――無論、本当に殺す気など無いが――それが結論だった。


 路地裏は狭く、男四人が並べる広さは無かったので、正大は三人を前にガキの姿がよく見えない位置に立っていた。さて、どうしてやろうか、とニヤニヤと笑いながら考えていると、ガキは変な事を言い出した。


「――やっぱりな。お前等、


 その途端。絶叫が聞こえた。


 突然の事に正大は一瞬、訳が解らなかったが、すぐに尻餅をついている目の前の友人達が叫んだのだと解った。三者三様に怯えながら訳の解らない事を口走り、歯の根が合わずにがちがちと歯を鳴らしている。


 それを見て、ガキは満足そうに言った。


「はははっ! やっぱり弱ェ! 雑魚じゃん、弱過ぎ面白過ぎだよ、お前等!」


 友人達は、そのガキの発言にも怯え、一挙手一投足に反応して、びくりと体を引き攣らせている。


「訳解ンねェだろ? 超恐いだろ? 死にたいだろ、つーか死ね」


 そう言うと、ガキは鞘付きの文化包丁を取り出して、三人の前に放った。


「ほら、それで死ねるぜ。ズバッとザックリさ、一気にやっちまえよ。楽になっからさ?」


 すると、一人がぶるぶると震える腕で包丁を握り締め、低く苦しそうに呻き――自分の首を横一文字に引き裂いた。今まで何故溢れてこなかったのが不思議なくらいの赤い液体が、肉と肉の隙間から堰を切った様に流れ出し、ぶじゅう、と気持ちの悪い音と共に、一気に鉄の臭いが広がる。彼はそれでも包丁を手放さず、まだ足りないと言わんばかりに切っ先を己に向ける。口から血を溢し、苦しそうに舌を飛び出させ嗚咽とも呼吸とも取れない音を出しながら、もう一度自分の柔らかく薄い肉の膜に過ぎない喉を突き破った。白目を向き、ただ必死に何かから逃げる様に彼は自分の首を抉り、血と肉の破片を周囲に撒き散らす。


「おぉぉ! スッゲェ!! 噴水みたいだ!」


 ガキが哄笑している。


 友人が首から何かを物凄い勢いで噴き出しているのを見て笑っている。


 ガキは噴水の様だと言ったが、噴水にしては一定のリズムで噴き出しているので、壊れている様に思える。あのリズムは知っている。何だったかな、と正大は考えてすぐに思い当たった。


(あぁ何だ、心臓の鼓動リズムか――)


 びしゃり、と茫然としていた正大の顔にも血が付いて、そのぬるぬるとした妙に熱い液体が何なのか理解するのに少し掛かってから、彼は喉が千切れんばかりに叫んだ。


 腰が抜けてしまい立ち上がれずにしていると、もう一人が狂った様に、先に首を掻っ切った友人を蹴り倒して包丁を奪い取った。倒れた友人が脳髄に残る反射だけで身体を動かす傍ら、血と脂でぐちゃぐちゃになった包丁を見つめていた彼は息を荒くさせ、一度息を深く吸い込むと思い切りそれを腹に刺し入れた。それを一度では止めず、何度も何度も何度も突き刺す。苦痛で顔を歪め、目から涙を流し、口から涎を垂らしてそれでも彼は手を休めない。余りにも同じ場所を刺した為に腹圧で内臓が飛び出した。気が付けばそれが自分の手に絡まると、膝を付き無我夢中でそれを引っ張り出し始めて、彼は俯せに倒れた。


 首から盛大に血を出している友人と、気管から漏れる空気で文字通り喉笛を鳴らす友人。二人とも、致命傷ではあるが即死する程の傷ではなかったので、死に掛けた体をびくびくと痙攣させている。


 それは壊れた人形の様で、手足はゴム製の人形の様に滑稽な動きを見せている。首から出る血がびちゃびちゃと鳴り、それに併せて内臓が地面に叩き付けられ音程を取る。ガキは二つの肉で出来た楽器の音に聴き入りながら、彼等が先刻浮かべていた様なニヤニヤとした笑顔を浮かべ、残った二人を見た。


「ほらほらほら! あとはテメェらだ、さっさと血ィぶち撒けて死ねよ!!」


 正大は発狂しそうになりながら這いずる事しか出来ずにいると、ガキは一人だけ様子の違う彼を見咎めて顔を顰めた。


「あれ? 何だお前――あー……そこなったのか」


 納得した様なガキの言葉を聞いた瞬間に、正大は我に帰って立ち上がり走り出していた。


 狂っている。


 何もかも。


 ここは違う。ここは自分の居るべき場所じゃない。あんな赤い光景は知らない。あんな肉の塊になってしまったモノは友人なんかじゃない、なる訳が無い。そうだ。どれもこれもあれも、の悪い冗談か夢――


 路地裏から出る前に、げっ、という三人目が首を切った呻き声が聞こえた。


 ――駄目だ。やっぱりここは現実だ……!


 恐怖は正大の足を更に速めた。

 そこから街を駆け抜けて自宅に戻るまでの事は、よく憶えていなかった。


 ただ、怖くて怖くて怖くて、形振り構わず声にならない叫び声を上げながら、走った事しか憶えていなかった。


 自宅に着いてからの彼は、必死に服を脱ぎ捨てて血を洗い落とし、自室に入ってから、夢だ夢だ、と囈言の様に繰り返して、疲弊しきった身体と意識を眠らせた。


 翌日、恐怖に怯えたままでテレビも新聞も、昨日脱ぎ捨てた服も確認せずに、何処かで昨日の出来事は夢に違いない、と期待して登校した。


 そして、絶望した。


 緊急の校内集会が開かれ、校長の口から彼の友人三人の死を告げられた。彼はその場で吐いてしまい、友人の死が堪えたのだろう、と家に帰された。


 それから今に至るまで、彼は恐怖で一睡も出来ずに、自室に引き籠っていた。


 食事をしようにも、真っ赤な死の光景が網膜に焼き付いてほんの少ししか喉を通らず、殆ど水しか飲めなかった。自分も三人の友人の様に、訳も解らないままに己で首を掻き切ったり、腹の中をぐちゃぐちゃにして死んでしまうのか、あのガキが俺の許にやってきて殺されるのではないか――そう考えると、寝るなどいう事はとても出来なかった。


 彼の親は、友人が死んだ事のショックで寝込んでしまっているのだろうと思い込み、彼をそっとしておき、警察が来ても引き合わす事はしなかった。そしてそれが、彼の孤独感を際立たせ、更に怯えた。


 精神的に完全に参っていた上に、睡眠と栄養の不足で正大が何も考えられずに呆としていると、電子音が響いた。


 携帯電話の着信。


 びくりと体を震わせ、数十分、恐怖と疲れでまともに働かなくなった思考で考えてから、やっと彼は携帯電話を開いた。

 メールが着信していた様で、その差出人を見て、彼は瞠目する。


 死んだ筈の友人からメールが送られてきていた。


『芹沢、高校に来てくれ』


 それだけの、短い文章がディスプレイに表示されている。


 それを見た彼は、迷わずに――その時彼を突き動かしたのが、歓喜なのか恐怖なのかは知る由も無いが――山瀬高校に向かう事にした。


 そして彼は、死ぬ事になる。


 後を付けてきている速水健司に殺される事になる。

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