36
家に着いてから、俺は怒りの余り自室のベッドに身を投げ出した。
何が無駄だ。出来る事があるのに、死ぬ危険を孕んでいる奴を放っておく事なんて俺には出来ない。
死ぬ事は怖い。
記憶に残る恐怖は、今何も恐れられない俺に、死の恐怖を訴えている。
十二年前に、事故で俺は死を体験した。
暗闇に独り残されて、瓦礫に埋もれて身動きが取れない。身体は圧迫されて苦しくて、周囲からは鉄の臭いが、血という誰かの死を告げる物が滴り落ちてくる。
痛みを訴えたくても声が出せず、泣いても助けは来ない。楽になる事すら許されず、無間地獄に居る様な時間がただ過ぎて行く。
身動き一つ取れない自分を俯瞰して、それが孤独だと知り、恐怖した。
子供だった俺は死を理解出来ず、自分が死ぬ事よりも、ただその一時的な孤独の方を恐れた。
だから、俺にとって死は恐怖だ。
筆舌に尽くせないその恐怖から救いたいと思う事は、無駄じゃない。死は不条理に与えられるべきものじゃない。
だから、出来る事があるならすべきだ。
「……いや。でも、何をすればいいんだ……」
ベッドに寝転がって天井を見上げても、何も思い付かない。
よくよく考えてみると、現状一人で出来る事は少ないどころか殆ど無い。
半ば啖呵を切る様に事務所を出たのは失敗だったかもしれない。でも、黒木は頼み込んでも動かないと思うし……いや、頼み込みたくなんかはないんだが。
考え込んでいると急に机から、ブブブ、と異音がした。
「ひゃっ!?」
思索に耽っていた意識が引き戻され跳ね起きた。阿呆みたいな声を出した自分に一人で赤面しつつ、机を見るとケータイが振動している。
着信の表示は『長谷』だった。
「……もしもし?」
〝あ、暁さん。長谷だけど〟
「あー……どうかしたのか?」
〝ん? どうかしたの? 何か声に覇気が無いけど〟
「いや、何でも無い」
ケータイのバイブ音に驚いた自分が情けないから、なんて言える訳も無い。
〝そう? 元気が無いみたいだけど〟
「いや、平気だ。で、何の用なんだ?」
長谷は、ふぅん、と不思議そうにした後、言った。
〝あぁ、芹沢を見つけたんだ〟
「見つけた、って……今何処に居るんだお前っ?」
〝芹沢の家の近くを歩いてる〟
「家の近く、っていうのは……まさか尾行でもしてるのか?」
〝違うよ。今ぼくは高校に向かってるんだけど、芹沢も同じ方向に向かってるんだ。気付かれないかな、って右胸がバクバクいってる〟
「……人間の心臓は普通、左胸にあると表現する事を知ってるか?」
〝あぁいや、ぼくって心臓が右胸にあるんだ〟
「何だその唐突な胡散臭い吃驚人間情報は」
〝胡散臭くなんか無いよ。BJ先生だって、鏡を使って内臓逆位症の少年を手術した事があるんだから。……判った、じゃあ今証明するよ〟
と長谷は電話口でごそごそやっていると、とく、とく、と心臓の音が聞こえてきた。
〝ほら、今ぼくは右胸に心臓を当ててるでしょ?〟
「へぇ、凄い。本当だ――って待て、俺にそんな事判る訳無いだろう! おちょくってるのか!?」
一瞬、信じ込みそうになった。
〝そんなに怒らないでよ〟
あはは、と可笑しそうに長谷は笑う。
「電話切っていいか?」
〝あぁごめん。話が逸れたね。何処まで話したっけ?〟
「確か、芹沢が高校に向かっていて、お前がそれを尾行してたんじゃない、って事まで話したのは覚えてる」
まぁ、尾行するにしても、芹沢は家に引きこもっていたんだから、張り込みでもしていないと出来ない。だから、長谷は本当に、たまたま高校に向かっている芹沢と遭遇したんだろう。
「しかし、何で高校なんだ……?」
〝ぼくは――というか、新聞部員全員なんだけど、部長に呼び出されたから高校に向かってて……、芹沢が高校に向かう理由は思い付かないね〟
「そうだな……って、新聞部は何をやってるんだ?」
〝自殺事件について、ちょっと調べ物を。出来れば芹沢にも話を聞きたいけど、難しいかな?〟
調べ物っていうと、ゲームセンターで得た速水についての情報だろうか。山瀬高校の一年生で授業を欠席していた、って事。多分そこから調べられる事と言えば、事件当日の出欠席の記録が妥当だろう。
それでは、絶対に速水には辿り着けないのだが。
「……難しいっていうか、無理だろ。芹沢は今まで頑なに自室に引き込もっていたんだから……だが、それが今高校に向かっているというのは――」
何か理由がある。
芹沢は家から一歩も出ない程に怯えているのに、わざわざ安全である筈の家を飛び出して、高校に向かっている。警察にすら、会わなかったのに。
安全な場所を飛び出さないといけない事態に陥っているのは確かだ。それは、速水を恐れていた故に引き籠っていたのだから、それと同等か、上回る何かが起きているって事だろう。だが、芹沢は今まで何ものとも接触していなかったのだから――
〝自殺事件絡みなのは間違いないよ〟
その通りだ。
「判った。有り難う、俺も高校に向かってみるよ」
〝役に立てたならよかったよ。それじゃあ〟
そう言って、長谷は電話を切った。
今すぐにでも高校に向かいたいが……落ち着け。俺は黒木の様には振舞えない。一度、知っている情報を整理しよう。
芹沢は家を出て高校に向かっている。目的は判らないが、原因は判っている。
速水健司。自殺事件の犯人。
奴が直接的に関係しているのかどうかは、恐らく否。わざわざ高校に向かわせる理由が無い。だったら、芹沢が高校に向かった理由は……?
自宅っていう安全である筈の場所を飛び出したのだから、状況は、既に家は危険なのか、高校でやらなければならない事があるから。それに加えて、今まで芹沢は独りで死に怯えていた。
自殺させられる。
死の恐怖故に、強迫観念的に外部との接触を絶っていた。そこまで怯えていた人間が、安全な場所を飛び出さなければならない事態だ。
――何処か、違和感を感じる。
速水が芹沢を高校に向かわせる必要も無ければ、今まで引き籠っていた芹沢が急に高校に向かう事も同じだ。
……自殺事件の当事者が必要としない事態が起こっている?
つまり、第三者が関わらなければ起きない出来事なのだから、誰かが事態を動かしている。その誰かは判らない。だが、兎に角状況は急激に進み始めている。
黒木にも伝えておこう。あいつはこの事を知らない筈だ。
「…………」
そうだ。
ケータイで事務所の電話に掛けてから気付いた。
あいつに連絡しても意味無いんだった。黒木はこの事件にこれ以上関わる気は無い。それなのに何をやっているんだ俺は……。
慌てて切ろうとしたら、数回のコール音の間も無く、電話は繋がって捺夜が出てきてしまった。
〝はい、黒木私立探偵事務所です〟
「あ、と――ごめん、捺夜。間違えた」
〝え、何? ヌエ――〟
言う事を言って、一方的に通話を終わらせた。
そうだ、黒木は動かない。あいつに伝える必要も意見を仰ぐ必要も無い。芹沢が何をするのかは判らないが、一人で動いていて目的地も判っているなら、俺だけでも充分だ。
構わずに一人で高校に行けばいい。
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