35

「速水の事件から手を引く?」


 事務所に響いた苛立ちの籠もった夜鳥の言葉に、晨夜は頷いた。


「そうだ。もう俺達が動く必要は無い」


 四人目の被害者になるかも知れない人間が居ると判明してから、晨夜達が取った行動は勿論、四人目――芹沢正大について調べる事だった。今彼が何処に居るかは、住所を調べるだけですぐに判った。


 彼は自殺事件のあった翌日に登校し、緊急集会を早退して帰宅してからずっと家に引き籠っており、それから自分の家から――自室から、かも知れない――一歩も外に出ていないらしいのだ。

 警察は目撃証言や、自殺した高校生達との交友関係からすぐに正大に至ったが、当の彼は任意同行に応じるどころか警察相手に顔すら見せず、親にもまともに顔を合わさないという状態だった。


 どうやら、何かに相当怯えている様で、それは自殺をさせた媒介者ベクター――速水健司である事は明白だった。一方、その健司の動向は未だに掴めず逃亡中である事から、正大を殺そうとしている可能性も高かった。

 その、第四の被害者が出ると判っている事件から晨夜は手を引くと言ったのだ、それは芹沢正大を見殺しにすると言うのも同然。


 夜鳥は晨夜を睨み声を荒げる。


「速水はまだ芹沢を狙っているんだぞっ?」

「解っている。だが、俺達はもう何もしなくていい。俺達の他に動いている奴等が居る」

「……何?」


 怪訝そうにする夜鳥の隣で、ちょっと待って下さい、と彼方が言った。


「どうやってそんな事が判ったんですか? そもそも、その私達以外に動いている人達の目的を晨夜さんは何で知っているんですか?」

「盗聴器だ」


 晨夜は即答した。


「盗聴器って……この前のですか?」

「そうだ。一昨日の未明ぐらいだったか、自殺現場に仕掛けておいた盗聴器が二人の男の声を拾った。その会話から奴等の速水に対する目的と動向を推測するに十分な情報が得られた」


 〝四肢狩人〟にも関わっているがな――晨夜は心中で呟いた。


「待てよ、それで何で俺達が動かなくていい事になる」


 夜鳥が言った。


「速水を追っている奴等が他に居る事は判った。だが、それで俺達がやるべき事は無くなる訳じゃないだろ」

「無駄は省く」

「無駄だとっ?」


 夜鳥に言葉に苛立ちが籠ったのを判っていながら、晨夜は淡々と、そうだ、と答える。


「他に解決してくれる奴等が居るのに速水の事件にかまけるのは無駄だ。〝四肢狩人〟に専念する為の時間を増やした方がいい」


 まだ、完全に解っていない事もあるしな、と晨夜は言う。


 彼の盗聴の本当の目的は、媒介者ベクター事件の調査に来るオルガノンの人間の会話から、自分に接触してきた鏡花の動きの把握――当然ながら晨夜は鏡花の駒に諾々となるつもりは無い故に――を狙ってだったが、その時の男達が言っていた『Aさん』という言葉が引っ掛かっていた。

 『Aさん』という存在は〝四肢狩人〟事件に於いてどの様な位置に居るのか――鏡花が切っていないカードがある事は勿論、そもそも水面下の協力が本心から行われているかも怪しい。何れにしろ、あの男達は何らかの形でこの街で起きた二つの事件に関わっている。

 夜鳥の身柄を欲しがっているオルガノン側に対して、晨夜はどうぞと渡すつもりも毛頭無い。そういう意味で自分のバックに付いているオルガノンの人間はカードの一枚となり得るがしかし、簓木鏡花という女に対しては状況によって、寧ろ切り札ジヨーカーどころか悪手ともなる。


 足りないのだ。


 だから彼は逆に積極的にその札を捨て、もう一枚の札を――『新聞部』という札を切った。『Aさん』に関しては微妙な時間差の偶然ではあったが、これにより一度お互いに場を整え直す必要が出てくるからだ。


 とどのつまり、リセット。


 晨夜にはこの街を知るアドバンテージがあり、鏡花には社会へのコントロールがある。

 あとはそれを使って如何に制圧を行うかだ。


 恐らく鏡花は『芹沢正大』を使って健司を誘き出すだろう。。ならば、向こうに健司を追わせて時間を稼いでいる間に、〝四肢狩人〟を調べて少しでも追い詰めるのが最良。加えて、そうすれば夜鳥を下手に動かす必要も、オルガノンに持っていかれる危険も無くなる。


 黒木晨夜という男は、徹底的に無駄を省いて解決手段を導き出すのだ。


「――巫山戯るな」


 ぽつりと夜鳥が言った。


「何が無駄なんだ、芹沢はまだ生きている、死の恐怖に曝されている。それを助けようとする事の何処をどうすれば、無駄だなんてれた結論に至るっ!」

「感情的には無駄ではない。だが現実的に、そして効率的には無駄だ」

「本気で言っているのか」

「それが事実で現実だ」

「お前は、人の命を、無駄だと言っているんだぞ……」

「勘違いするな。速水に関して動いている奴等が居ると言っただろう。そいつ等が芹沢を確保する筈だ。俺達が助ける行為が無駄なんだ」


 淡々と、だが頑なに自分の意思を晨夜は曲げない。


「どうあっても動く気は無いのか」

「不要だからな」


 夜鳥は晨夜を睨んでいたが、やがて小さく舌打ちをして乱暴に立ち上がった。


「勝手にしろっ。俺は帰る」


 夜鳥が事務所を出ようとすると、晨夜は言った。


「夜鳥、一つ訊きたい事がある」

「……何だ」

「お前の高校で最近、素行が荒れている、もしくは一人で行動する事が多い奴で、イニシャルに『A』が付く奴を知っているか?」


 未だに『Aさん』という要素は不明瞭だ。オルガノン側の要素なのか、それとも〝四肢狩人〟側の要素として扱われているのか。少なくとも、犯人に繋がる要素ならば学生に連結している。


 夜鳥は晨夜の質問に、虚を衝かれた様な表情で困った様に答えた。


「知るか、そんなの。俺ぐらいじゃないか、当て嵌まるのは」

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