34

五月二十三日


媒介者ベクターがもう一人居るみたいね」


 生徒会室で、簓木は開口一番に顔を顰めた。


「――――。何で、その事を知ってるんだ?」


 自殺事件で臨時休校になっている高校に僕が居るのは、速水健司について話をしようと簓木に連絡したところ「生徒会室に居るから来て」との事だったからだ。


 どうやら休校になってはいるが、生徒会の雑務を滞らせる訳にはいかない、という様な理由で簓木はここを特別に開けてもらったらしい。

 一人で作業をしていたところを見ると、本来は会長のみでやるべき事なのだろうが、しかし二年生の彼女はまだ副会長だ。この優秀なる比肩されざる副会長・簓木鏡花のお陰で、完全に御飾りになっている会長には同情を禁じえない。しかも事実上の会長と副会長の立場が入れ替わるだけなら兎も角、彼女はその両方の職務を果たす超人なのだから始末に終えない。


 そしてその超人は報告前の事実を既に把握していた。

 この南川市で現在起きている〝四肢狩人〟事件を一任してきたから、その調査上で新たに現れた『速水健司フアクター』については、僕が可能な限り調べてから報告しようとしていたところでコレだ。

 日々に対する細やかな意趣返しでもしてやろうと企んでいたのに、出端をへし折られた。


「貴方の下らない憂さ晴らしを本当は監査官として言葉責めたいところだけど、今は止めておくわ」


 バレてるし。


「今回、『もう一人』について知れたのは本当に偶然だったし、何より状況が思ったよりも七面倒になってきたわよ」

「偶然? 君が? 珍しいな」


 運も実力の内とは言うけれどね――彼女は伊達眼鏡(掛けた方が副会長として気が乗りやすいらしい)を外して、しかつめ顔で言う。


「セレンディピティーは嫌いなのよ、必要なものは自分で手に入れたいから。運命に寄り掛かる人間なんか腐ってるわ」

「十全な生き方だね、羨ましい限りだ」

「皮肉に足りないわ、つまらない事よ」


 ま、どーでもいーけど、と簓木は伸びをした。


「ほら、これを見なさい」


 彼女が渡してきたのは新聞。ただ、普通の新聞の様に大量生産の薄い紙ではなく、A四サイズのコピー用紙だ。それ以外は通常の記事の様に色々な事が載せられている。


 そしてその見出しは、


「『本当に自殺か?』だって……?」

「そう。


 高校生三人の自殺について書かれているその新聞は、『山瀬高校新聞部』という名で発刊されていた。これはつまり、例の新聞部が作った記事で、しかも媒介者ベクター絡みだという事を知っているという可能性を示している。

 新聞の日付を見ると五月二十日に刷られている。警察――つまり僕――が関連性に感付いて速水健司について調べ始めたのは五月十四日で、マスコミへはオルガノン側から圧力を掛けて情報規制を敷いている。ただでさえそんな状況で、たった一週間足らずでこんな新聞を出したっていうのか?


「……有り得ない。一般人が易々と這入り込める領域じゃないんだ」

「その通りよ。勿論、彼女達新聞部は独力でここまで辿り着いた訳じゃないわ」


 裏も見てみなさい、と言われ、僕はやっとそこで裏にも記事がある事に気が付いた。


「あぁ、成る程ね……そういう事か」


 裏面には、一面記事の自殺事件とは打って変わった内容の、暁夜鳥についてのインタビュー記事が載っていた。


「そう、ヌエが関与していたの。これなら納得出来るわ。恐らく、ヌエが新聞部と接触して自殺事件について調べていたのね」


 全く、やってくれるわ、と簓木は意味の判らない事を呟く。


「で、私はヌエについて調べている途中、この記事に辿り着いて初めて二人目の存在に至ったわ。本当に腹が立つわ、あの探偵さん。こんな事を仕掛けてくるなんて」


 苛立たしそうな口振りの割には、彼女は楽しそうに言った。


「その探偵さんって一体誰さ?」

「槻木君には関係無いわ。ちょっと洒落た宣戦布告をされて、引っ張り出されただけだから」


 彼女にしては珍しく、うきうきとした調子を隠さずに言う。……何かムカつくな。


「それで……何が七面倒臭い状況なのさ? このぐらいなら会社側オルガノンですぐに隠蔽出来る程度のものじゃないか」

「その話をする前に、このもう一人の媒介者ベクターについて知りたいわ。もう調べはついてるんでしょう?」

「うん? あぁ、まあね」

 監視カメラの映像をプリントアウトした写真を簓木に渡すと、彼女は写真と僕を交互に見た。

「あら……この子。あの時の?」

「御名答。何の因果か、彼――速水健司が能力者だ」


 写真に写っているのは、ディスカウントショップで万引きをしている速水健司。顔が腫れていて、少し判り難いが彼である事は間違いが無い。


「いつの?」

「彼が本当に媒介者ベクターなら、今から約二百時間前」


 大体九日前ね――簓木は呟いた。


「私達に遇った後にって訳ね、面白い事があるものだわ。それで、本社に報告はしたの?」


 勿論、と僕は頷いた。


「何と驚くべき事に〝四肢狩人〟と並行して調査しろと。追加人員を送ってやるから必ず解決しろってね」


 媒介者ベクターが一つの街に二人も出現するというのは稀な事態だ。しかも二人共事件を起こしている、社会的には犯罪者。

 殆どの一般人には気付かれてはいないとは言え、あの会社にとっては表舞台で堂々と喜劇を演じている裏方みたいなものだ。観客に役者が裏方だと覚られる前に、舞台袖に引き摺ってかなくちゃいけない。放置しておくと他の組織に持ってかれるかも知れないし。

 それ以前に、他組織に気付かれてないかも知れない、という事もあるから杞憂で終わればいいけど。敵対組織から構成員を街に投入されたら、簓木じゃないが、より面倒になる。


「それより、何が面倒だって? 僕はもう話せる事は話したぞ」

「あぁ、これを読めば判るわ」


 と、簓木は何枚か新聞を出してきた。


「また新聞? しかも全部〝四肢狩人〟についてか……」

「新聞部が速水健司にまで辿り着いていない事は、記事の内容から明白だったんだけど、少し気になってバックナンバーも探してみたのよ。あの現場写真の調査だけで、彼女達が一体何処まで〝四肢狩人〟に近付いているのかをね」

「で?」

「読めば判るって言った筈よ」

「もうざっと目を通したよ。僕等がもう知っている事ばかりじゃないか」


 貴方の脳味噌には皺が無いの? と、いきなり簓木は僕に侮蔑な眼を向けてきた。


「読書好きを謳っている癖にミステリの基本中の基本の読み方すら出来ないなんて、自己啓発本で自分が変えられると思っている愚鈍な人間なのかしら貴方は? 男子高校生だからって、エロい事ばかりにシナプスを割いているからそういう事になるのよ」

「何でそこまで言われないといけないんだ!? この記事に書いてある事は、被害者の様子と経歴と四肢の何処が持ち去られたか、って事ぐらいじゃないか!」

「だから、よ」

「……は?」

「何で高が数人の高校生が、殺人事件の被害者の様子を、、って言ってるのよ」

「――――」


 確かに。


 失念していた。


 警察側として情報を持っている僕からすると、被害者の持ち去られた四肢の部位なんて事は当然の様に知っている事だ。だからこそ一般人の視点から見ると、被害者に共通している特徴の『四肢狩り』という面は、それ以上でも以下でもない事しか判らない。


 なのに。


「どうして新聞部の連中はそんな情報を持っているんだ……?」


 新聞部というマスメディアを取り扱う素人の性質なら、別にある程度の噂の域を出ない事を記事にする事は不思議じゃない。現に〝四肢狩人〟についての風説は、犯行現場や被害者について、ある程度は情報が知られているが、持ち去られた四肢は多様な話が出ている。


 正確を期す事なんか出来ない。


「だから、面倒なのよ」


 簓木は溜息を吐いた。


「そう、なるのか……」

「えぇなるわ。灯台下暗しと言うべきか、盲点と言うべきか。何にしろ、新聞部員五人は容疑者で、その内の一人は媒介者ベクターであり、しかも五人中何人が犯行に関与しているかも判らない状況なのよ。そしてその上で、速水健司という媒介者ベクターを彼女達は追っている状況……七面倒臭い事この上無いわ」


 怠そうに簓木は言う。


「けど、状況としては『学生』から数人に容疑者を絞れたからいい方向に進んでるじゃないか」


 そういう事じゃないのよ、と彼女は頬杖を付いた。


解決をする上で問題があるのよ」

「どういう事さ?」

「気にしなくていいわ、これからは私に指揮権を戻すから。槻木君はいつも通り私の下に付けばいいのよ」

「……了解」


 何か、簓木には事情があるのか。


 完全な掌握を宗旨としていた性悪しようあくな彼女が、今までの様に明確さの中に曖昧を混ぜる権謀術数ではなく、。それも、やっと対等な差し手に逢えたかの様な、愉悦を持って。


 この事件には、彼女の対局相手が居る。


 何にしろ僕にはその相手の姿も見えないし、恐らくは『探偵さん』とやらがその相手なんだろうが――随分と、面白くないな。


「さて、焦点を速水健司に当てたいんだけど、自殺した子達については調べてあるかしら?」

「当然だよ」

「あら、珍しく手際がいいわね」

「あのね。君にしっかり伝える暇こそ今まで無かったけど、それは二百時間前から働いてたからなんだよ」


 へー、と簓木は実に興味無さそうに言った。


「兎に角っ。僕は被害者について報告すればいいのかな?」

「そうね、お願い。私が知ってるのは三人が立て続けに自殺した事。凶器が見つかってない事。つまり、凶器を持ち去った何者かが速水健司、ってトコかしら?」

「正解。山縣警視の話では、地取り捜査で事件のあった時間帯に現場の路地裏から二人の人間が出てきたっていう目撃証言がある。一人目はかなり慌てた様子で走り去って行って、二人目は平然と歩いていった」

「二人? 一人は速水健司として、もう一人は?」

「芹沢正大。四人のグループで行動していた被害者達のリーダー格で、唯一の生存者だよ」

「あらら、本当にしっかりしてるわね。しくじればいいのに」

「何をさり気無く言っているんだ」

「破滅すればいいのに」

「明らかに酷くなってるだろう!」

「大方本心だから気にしないでいいわよ?」


 逆に気にする。


「そんな事より、グループ内に生存者が居るのね……いい流れだわ」

「いい流れ? 何をするつもりなんだ?」


 訊くと、彼女はくすりと艶やかに微笑い、言う。


「――一網打尽の下準備」


 僕は思わず首を傾げた。


「下準備? どういう事?」

「対象の速水健司には、高校生を殺すのに適当な動機があるんでしょう? だから、それを利用するわ」

「それは判るけど、でも一網打尽とまではいかないだろう? 速水健司を捕まえられても、新聞部員の〝四肢狩人〟まで落とす事は出来ないじゃないか」

「いいえ、大丈夫よ。今、芹沢正大の身柄はどうなってるのかしら?」

「え、いや、警察は地取りから彼に任意同行を求めたけど拒まれたらしい。状況証拠しかないからね、関係者として引っ張りたくても引っ張れないんだよ。まぁ、警察は自殺事件として見てるから、芹沢正大から速水健司が持ち去った凶器について訊けなくても、何の不都合も無いんだろうけど」


 尤も、警察は速水と自殺事件を関連付けてはいない。精々、自殺教唆か幇助をした人間が居るかも、という疑いを抱いているかも知れないが、それも媒介者ベクターによるものなのだから絶対に証明出来ない。だから、自殺事件としてしか扱われないし、芹沢正大を執拗に追う様な事も無いだろう。


「まぁ、ここで問題があるとすれば、任意同行にすら頑として応じない芹沢正大を、どうやって誘き出すか、という事だね」

「あぁ、それは大した問題じゃないわ。寧ろ、彼が彼の気持ち一つで動く様な状況なら都合がいいぐらいよ」

「……何か。えげつない事、考えてない?」

「そんな。とんでもないわ」


 そうは言うが、彼女は笑顔だ。何も知らずに彼女の盤上の駒に仕立て上げられた芹沢正大が可哀想になってきた……。


「ところで、速水はそれでいいとして、新聞部はどうするつもりなんだ?」

に居るわ」

「は?」

「彼女達、ずっと校内に居るわよ?」

「はあぁ?!」


 ちょっと煩いわね、と簓木は眉を寄せる。


「いやいや、だって最重要参考人が平然と同じ空間に居るなんていきなり言われたら誰だって驚くだろう!? しかも相手は殺人犯の能力者だぞ!」

「大丈夫よ。新聞部はずっとここで調べものをしてるだけだから。気合入れてるみたいで、わざわざ許可を取って夜中までずっとやるつもりらしいわ」

「いや、そういう事じゃなくてさ……」

「高校に芹沢正大を誘き出して速水健司を釣り、新聞部の〝四肢狩人〟をぶつけて炙り出す。これ程お誂え向きな状況は無いんじゃないかしら?」


 さらりと、簓木はとんでもない事を言った。


「まさか、君……わざと媒介者ベクター同士を搗ち合わさせるつもりなのか」


 能力者が一人居るだけで、その力を揮うだけで、被害は大小様々とは言え何らかの怪奇染みた出来事が起きる。剰え未知数な能力が相手で、それが二人も居る場面なんてもう、どんな現象が発生するか解ったものじゃない。それを承知した上で、彼女は校舎という目立つ舞台を選ぶと言っている。


「本気で言っているのか……?」

「学校一つが消し飛ぶ可能性よりも、殺人事件を二つも解決出来る方が有意義じゃないかしら、。飽くまで貴方と私はオルガノンの構成員なのよ? 『あらゆる状況下に於いて悪性と判じた媒介者ベクターの抹消は、これが最優先される』。基本理念よ」

「――だけど」


 不意に名前を呼ばれ、僕は思わず言葉を詰まらせた。


 簓木は、『簓木鏡花』ではなく『監査官』としての無感情な眼で僕を見る。


「日常は捨てなさい。貴方の存在はキングでもなく女王クイーンでもなく僧正ビシヨツプでもなく騎士ナイトでもなくルークでもなく歩兵ポーンですらない、ただのボードに過ぎないのだから」

「……判ってる。解ってるさ」


 自分が場を動かすピースに値するモノとして扱われていない事ぐらい。その場に在るだけの、日常の上に乗る事の無い存在である事なんて、重々承知をしている。


「そう、ならいいわ」


 と、彼女はすぐにいつも通りの貌に切り替えて言う。


「じゃあ、芹沢正大を誘き寄せるのに死んだ彼の友人のケータイが必要だから、今から山縣警視のところに行って遺留品のケータイを受け取ってきてもらえるかしら?」

「あぁ……判ったよ」


 所詮は虫螻の扱いだ。踏み潰されようとも会社の連中は気にも留めないだろう。


 だからこそ。


 それ故に僕は自分の想いを止めない。僕が僕としてこの世界で生きる唯一つの理由の『問答』を繰り返させてもらう為に。仮令、それが酷い腫れを招く一刺しだろうとだ。


 滲む様な重さを抱いて僕は席を立つ。


 そして生徒会室を去る間際に振り返ると、


「さぁ、探偵さん。引かれたスタートラインには立ってあげたわよ……」


 貴方はどう動くのかしら――簓木がぽつり呟いていた。

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