25
涼が速水健司の正体を知った頃、彼の監査官である鏡花は喫茶店に居た。
駅から徒歩で行けるその店は、両隣の高いビルに挟まれ、へこんでいる様に見えるテナントに入っている。客の多くはリピーターで、初見でここを気に入った人間が殆どだ。内装はアンティーク調で、どちらかと言えば明治のモダンに近い。だが見方を変えれば、欧州の日常に這入り込んだ様にも思える――洒落ていると評するには、妙な古臭さが漂っている場所だった。
鏡花は店内の適当なボックス席に座り、エスプレッソ・コーヒーを飲んでいる。その対面には、男が一人座っていた。
彼女は彼に、毒にも薬にもなりそうにない微笑みを向ける。
「――美味しいわ。こんなお店があって、しかもヌエのお気に入りだなんて。友達に教えてくれたっていいと思わないかしら?」
「それは本人に言え。あいつの気質など、俺の知った事ではない」
「随分とつれない態度なのね、自分と暁夜鳥は飽くまでギブ・アンド・テイク、って事なのかしら?」
茶化す様な口調の鏡花に、しかし男は淡々と答える。
「お前は、随分と知りたがりの様だな」
「えぇ、そうよ。ヌエを調べていたら貴方に辿り着いたの、探偵の黒木晨夜に」
鏡花は鎌を掛ける様に晨夜に言うが、彼は動じる様子も見せない。代わりに沈黙を続け、単純に問う、『何の用だ?』と。それを受け取り、鏡花は話を始めた。
「私は、大体一年前からヌエの事を調べ始めたわ。会社によると『
鏡花がそこで一旦言葉を切り、わざと晨夜を窺うが彼は何も言わない。
「それで、もう少し虚有なり何なり出るかと思ったけど、見つけられたのはその一人だけ。まぁ、簡単に言うと諦めたのね、それ以上の見込みが無かったから」
けれど――と鏡花は話を転調した。
「四年前に事情が変わったわ」
「夜鳥が現れた」
そう、と晨夜の言葉に満足気に鏡花は微笑う。
「アルビノという奇病を物ともしない少女が、偶然にオルガノンの網に引っ掛かった。会社が仕掛けていた、鉄鋼業を営む一族皆殺しの目論みに巻き込まれてね。ヌエは何故か、その頃から自分がアルビノである事を隠すのを止めて、髪を染めるのを止めていたわ。それで目立ったのね――これが、オルガノンが暁夜鳥という存在に気付いた経緯。だけど、同時にもう一人、興味深い人間が居たわ」
鏡花はエスプレッソを一口飲み、ふぅ、と軽く息を吐く。
「それが黒木晨夜」
彼女は反応を見る様に晨夜をまっすぐに見つめるが、彼は目を逸らさず何も言わない。
「初めは四年前の事件後、ヌエが頻繁に貴方の所を訪れる様になっていたのが気になっただけだったわ。けど、調べてみたら吃驚仰天、貴方が関わる事件は、殆ど全てと言っていい程、ベクターが絡んでた」
流石、怪奇事件専門の探偵さんね、と鏡花は揶いの賞賛を口にする。しかし晨夜は特にそれに反応する訳でもなく、態度で話を続ける様に促した。鏡花も彼のそんな態度に気分を害する様子も見せずに、話を続ける。
「私は、私立探偵という立場でこちら側に関わり続ける男を調べる事にしたわ。けど、存外に正体はすぐに判っちゃったのよねぇ……。何と、黒木晨夜は、世界的複合企業・オルガノンをスポンサーに持つ、私立探偵だった!」
目の前に張本人が居ながら、鏡花はわざとらしく声を張り上げる。だが話が始まってからの相も変わらず、晨夜は眉一つ動かさない。
それに対して「もう少し驚いてくれてもいいんじゃないかしら?」と鏡花が皮肉を言うと、「全てを知っている人間に付き合うのは徒労だ」と晨夜は返した。
それもそうね、と鏡花は我が身を顧みる様に呟く。
「まぁ、それから私はオルガノン内で、余りにも例外的な待遇を受けている男が、一体何なのかを調査しようとしたわ。そしたら『黒木晨夜』についての情報は機密扱いになっていたの」
それを聞いた晨夜は不満そうに、ふん、と鼻を鳴らした。
「俺がそっち側ではそんな扱いにされているとはな。大分、あの時の事を恐れている様だ」
よく言うわ、と鏡花は笑ってみせる。
「ちゃんと蓋を抉じ開けて貴方の事は調べたわ、それでも全貌は不明瞭だけど。貴方は、高校生の時にある事件に関わって、それからオルガノンのサポートを受ける様になっていたわ。ただ、その事件については一切の情報開示が禁止されていた」
鏡花はデミタスカップを弄りながら続けた。
「当時の事件の担当者の女性についても、社内でも腫れ物扱いされているベクター専任の人物、って事だけしか判らなかったわ。けど、それで十分。黒木晨夜が過去の『何か』によって彼女の力添えを受け、探偵としてオルガノンに繋がっている、って確信を得るにはね。情報の解凍のせいで、一年以上も掛かっちゃったけど」
さて、本題よ――彼女は居住まいを正して晨夜に向き直る。
「探偵さん、貴方については敵対者じゃない事が判明したから何も言わないわ。だけど、
「断る」
「ふふっ、即答なのね」
「あいつは俺の手元に置いておきたい」
でしょうね、と微笑みながら鏡花は頬杖を付いた。
「まぁ、私としては別に構わないんだけど。会社には特にヌエを確保しろとは言われてないし、今のこの街の状況を考えたら、それがいいでしょうね」
すっと晨夜は片目を細める。
「成る程、それが本題か」
「あら、バレちゃってるのかしら?」
困った様に首を傾げる鏡花に、韜晦は止めろ、と晨夜は窘めた。
「お前は単純に〝四肢狩人〟事件に対して、俺を利用したいだけだろう。そして俺が気付く事を知っていて、話している――いいだろう、俺としては特に問題は無い。それが解決に際して最も効率的な様だ」
流石ね、と鏡花は嬉しそうに掌を合わせる。
幾ら晨夜がオルガノン側に属する人間とは言え、オルガノンは
だからこそ、薄ら暗い裡で取引を持ち掛けた。
鏡花と晨夜は、立場こそ違えど目的は同じだ。だったら、それを利用しない手は無い。彼女は涼に大雑把な指示を出しつつ、晨夜の動向を監視する事に力を注げば、それが解決の一番の近道だ。勿論、黒木晨夜という探偵は優秀で、簡単に術策に嵌めるには手強い。けれども、代わりにベクターが絡んできた事件には盲目的になるところがある。そして探偵自身もそれを認識しているのだから、利用される事に特に反発する事は無い筈。故に、従いはしないが、動きを予測出来る優れた駒として扱えばいいのだ。
掌中に収まった状況に、鏡花は満面の笑みを浮かべる。
「さぁ、探偵さん。お互いに持ちつ持たれつ嫌らしく行きましょう?」
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