#3/Persona‐槻木涼(四月某日~五月十四日)
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人は死ぬ瞬間までも、もしかしたら助かるかも知れないと空想し得る力を与えられている。
――武者小路実篤
イメージは闇。
そして鼻の奥に饐える死臭と鉄錆の臭い。それが気道を伝って喉に痰と一緒にこびり付く。微妙な粘着感と生温さに、熱い空気と冷たい身体。籠った熱気は何から出された物かは判らないけど、ただ吐き気と寒気の割には汗ばむ。あとは眠いだけで、孤独でとても怖い。段々と消失する事は判っていて、それが何かは解っていない。
まだ物心と言えるものも無ければ、自我という自己認識すら知らない。それでも、消える時には居なくなる事がどういう事かを理解している。不思議と、誰もがその経験を引き継ぐ事も受け継ぐ事も出来ないというのに、消失の名前を知っている。
単純で最大で絶対で恐怖。
でも、何故それを恐怖するのかは説明出来ない。それはまだ、世界がそれを表す語彙を必要としていないからで、それは〝ただ恐怖しておけ〟という脅しとしか思えない。
だけど実際は、脅しに打ち勝つ必要もなければ、怯える必要も無い。どうせ受け容れなくてはならないのだから。世界が受け容れろと定めた癖に、恐怖しろという文句。
孤独という、消失の極限。
大した矛盾。どっちにしたって、僕達に救いを与えるつもりが無い。いつか災厄と希望が一緒くたになった、そのパンドラの匣を破壊してやると意気込む事すら億劫になる。あれは元々、中身には拘っていない、プロメテウスを苦しめる見せしめの贄なのだから。ヒトを識っているゼウスが、彼女がどうするか解らない訳も無い。況してや彼女は特注品だ。
つまり、そもそも最終的な終わりを内包している僕達に、希望というものは〝死〟を際立たせる光に過ぎないという事。意思に自由はあるだろうけど、時にそれとは無関係に蒼白い馬に乗った彼はやってくる。自分の刈入れ時を知る事は決して出来ない。
運命は流れず波になっていて、たまに僕等の足元を攫っていく。
それなら僕には、厭世しか出来ない。
生も死も閑却な境界でしか線引きをされていない、シニシズムの様な生涯。
それが、十二年前に死んだ僕――
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