17
五月十八日
それから帰宅して泥の様に寝てしまい、起きると、昨日の深夜から日付が一日変わっていた。幾ら何でも寝過ぎだ。その後、自分と放任主義の両親に呆れて高校に向かうと、休校だった。
どういう事か話を聞くと、生徒が三人も自殺したという事で緊急の集会を開き、校長が生徒に命を大切にとかいう話をして、臨時休校になったらしい。
――自殺。
それを聞いて、腹の底から寒気と怒りが込み上げてきた。
馬鹿だ。
自分から命を捨てるなんて阿呆だ。何があったのかは知らないが、それでも、自ら死のうなんて、馬鹿だ……!
何でそんな事をしようとする? 苦しいからか、辛いからか、どうでもいいからか?
自分で命を放棄するなんて、考えられない。巫山戯るにも程がある。それは超えてはいけない一線なのに、自らそちら側に行く事は逃避じゃない、責任転嫁だ。
死ねば終わる事なんてものは何も無い。残るものがあるから霊というものが居る。本人は向こう側に行けたつもりでも、何の事はない、ここに居続けるだけだ。自分を押し付ける結果になるだけという事にも気が付けないのか……っ!!
「くっそ……腹が立つ」
三人、というと、昨日の〝四肢狩人〟の被害者と同じ数だが……あれは殺人だし、生徒は自殺だ。奇妙な一致だが、それ以上でも以下でもない。
イライラしながらも急に手持ち無沙汰になってしまったので、昨日のバイト代を受け取ろうと、そのまま事務所を訪れた。だが黒木は居らず、代わりに捺夜が、黒木は出掛けている事を教えてくれた。
「何やってるんだか、あいつ」
呟くと、捺夜が新聞を持ってきた。
「そう言えばヌエ。昨日の事件のニュース見た?」
首を横に振って、一日寝てたから、と答えると捺夜は少々呆れながら新聞の一面を広げて見せた。
「これ、昨日の事件の」
捺夜が指差した場所には大きく『高校生三人心中か?』と見出しがある。
「……心中? 殺人じゃなくて? っていうか、高校生三人?」
「いいから、読んでみなよ」
俺は捺夜に促されるまま、記事を読んだ。
十七日未明、この街で三人の少年の死体が発見され、その死体の身許は地元の高校生三人と判明した――つまり、山瀬高校の生徒。死因は全員失血死。首を鋭利な刃物で自ら切り裂いた自殺と見られている。そして、自殺に用いられた刃物は全員同一の物だと首の傷から判断された。更に、自殺に用いられた刃物は現場には無く、何者かが持ち去ったものと思われている。尚、その何者かが自殺の前後いつから居たのかは不明。
「……何だこれ」
奇妙な一致どころか、同じ事件だったのか。
「変な事件でしょ。しかも〝四肢狩人〟と関係無いし」
「自殺に付添い人が居たっていうのか。切腹の介錯人じゃあるまいし。大体三人も一度に自殺するのか、刃物一振りで」
「だよね。心中だとしても、一人が死んだ時点で我に返る人が居ると思うんだけど。それが奇怪な事に皆続けてざくりと自分の首を切り裂いた」
捺夜は手で首を切る仕草をした。
「麻薬でもやってたんじゃないか? 悪い方にイって、そのまま三人とも首をざくり」
俺も同じ様に首を切る仕草をすると、捺夜は眉を顰めた。
「一人なら解るけど、三人も麻薬で自殺する? ちょっと考えられない」
「だったら、三人とも共通して自殺したくなる様な要素が与えられた、とか」
「刃物を持ち去った何者かに? だとしたら、それって何? 服用者を必ずバッドトリップさせる新手のドラッグ?」
「そんな都合よく自殺に追い込める物があったら、先ずこんな街の高校生のガキには売らないだろ。っていうか、本当にそんな物を売っている奴が居たら容赦しないぞ。探し出してぶん殴ってやる」
「実験とか」
「警察に露呈するかも知れないのに? 死体も処分しないで誰がやるんだ?」
「だよねぇ……。訳解んない」
二人で頭を捻って行き詰ったところで、捺夜が盛大に溜息を吐いた。
「晨夜さん待ちかなぁ……」
「そう言えば、あいつはこの事件に何か言ってたのか?」
一応、この事件に〝四肢狩人〟が関わっているかも知れないと興味を持っていた筈だし。
捺夜は肩を竦ませた。
「別に。昨日ニュースを見て、片目を細めてたから。私達に教える気は無いみたい」
「……何だそれ。本当に何しに行ったんだあいつ」
「情報収集だ」
やっと事務所に戻ってきた黒木に訊くと、それだけ言ってソファに座った。
「それだけで解るかっ。何のだよ」
「見れば解る」
黒木は分厚い茶封筒を渡してきた。
「何だこれ?」
封を開けると捺夜も興味津々に覗き込んできた。中には何やら書類が入っているらしく、数冊に分けられて綴じられている。
中身を取り出して読んでみた。
そこに書かれていたのは、今までの〝四肢狩人〟の事件の詳細、昨日『解体』したばかりの堂崎美和子の交通事故、ディスカウントショップでの謎の血痕と警官の錯乱、最後は自殺した高校生三人の事だった。全て、一般には伝えられる筈のない情報まで、かなり詳細に記されている。
「これって……、警察の捜査資料じゃないですか?」
捺夜の問いに黒木は、そうだ、と一言だけ答えた。
「あー……、これ、違法じゃないか?」
「捜査情報漏洩だ」
しれっと黒木は言う。
「……何処からこんな物持ってきたんだよ」
「警察には知り合いが居てな。いつも奇怪な事件が起きて捜査に行き詰ると頼られている。お陰で警察の情報は手に入りやすい」
黒木は表情一つ変えずに答えた。
それで秘密裏に貰ったって訳か。全く、こいつの人脈は無茶苦茶だな。流石、奇怪な事件専門の探偵、とでも言うべきか。
「だけど、何で〝四肢狩人〟以外の事件の資料もあるんだ? 堂崎や高校生の自殺は関係無いだろ。それに警官の錯乱って何だよ?」
「堂崎美和子のは前に頼んでおいた物が今日やっと届いたんだが、もう終わったから無意味になった。高校生の心中は、確かに〝四肢狩人〟とは関係無いが、ベクター絡みかも知れないからだ。警官の錯乱もそれに繋がる可能性がある」
黒木は淡々と、あっさり〝四肢狩人〟の関与を否定したが、代わりに『ベクター』と言った。
「は? ベクターって、まさか、この自殺が?」
「その仕業、だろうな」
確かに、ベクターならば自殺させる様な事も出来るかも知れないが、根拠に乏し過ぎる。話が飛躍し過ぎだ。
「それを調べるんですか? そんなの危険じゃないですかっ、自殺に追い込む相手なんて、遭遇したら殺される事と同じですよ!?」
捺夜が黒木を心配そうに見たが、黒木は相変わらずの無表情で言う。
「別に、それはこちらが気を付ければいい。それに犯人の目星はもう付いている」
「……誰だよ?」
「誰なんです?」
俺と捺夜がほぼ同時に言うと、黒木は封筒の中から写真を取り出して、俺達に見せた。
「速水健司だ」
写真は映像をプリントアウトしたものなのか、写っている画は粗い。何処かの店内を写している様で、多分、監視カメラの映像なんだろう。顔は
二週間程前に街で、一週間程前に高校の屋上で。俺の記憶の残滓と、その
「速水健司って……こいつが?」
「知っているのか?」
軽く驚いた様に黒木が訊いてくる。俺は捺夜と互いに顔を見合わせた。
「知ってるも何も、なぁ?」
「この前ヌエが遇いましたよ。十日ぐらい前に私も街で遇ってますし」
「何だと? 夜鳥、いつだ?」
「一週間くらい前の昼、高校の屋上で」
「高校? 速水健司は中学生だぞ」
「俺に訊くなよ。でも、あいつは高校の制服を着てたよ」
「制服、わざわざ買ったのかなぁ」
捺夜が唇に手を当てながら思案顔で言う。それを見て、少し揶ってやろうと思い付いた。
「だとしたら、涙ぐましい努力だな。捺夜」
「う。私に言われても困るよ」
「……何の話だ?」
「あぁ、この前な――」
「こっちの話ですから、気にしないで下さいっ! ヌエも、余計な事は言わなくていいでしょっ? このっ、意外と口が軽いんだからっ」
捺夜は慌てて話を逸らすと、俺の頬を抓ってきた。
「
「ゆーるーさーなーいー。伸びちゃえ、こんな口」
「
ところで晨夜さん、と捺夜は俺を無視して話を続け始めた。不味い。調子に乗り過ぎた、微妙に捺夜が怒ってる。あ、痛くてちょっと涙出てきた。
「何で速水君が犯人だと思うんです?」
「それは、速水健司が万引きをしていたからだ」
「
「鞘付き文化包丁をな。その時店員と争って、速水は包丁で抵抗したらしいんだが、店員は頭を打って気絶した為に、速水がその後どうなったかは不明だ。だが、大量の血痕が残っていたらしく、確認は取れていないが、速水の物と見て間違い無いと思われている。無事で居られる出血量じゃない」
「じゃあ、
「なっていない。生きている。その後、路地裏に血塗れで倒れている速水を、店員に呼ばれた警官二人が見つけた。そして事情を訊こうとしたら一人は意識を失い、一人は錯乱した。それ以降速水健司は目撃されていない」
それが、ベクターなんですね――と捺夜が言った。
「それと、目撃されてないっていうのは……、名前まで判ってるなら住所も判ってるんじゃないんですか?」
「判っている、両親が捜索願を出していたからな」
「え、じゃあ家には居ないって事ですか?」
「そうだ。代わりに、速水家に置いてあった現金は大体無くなっていたそうだ。それと、洋服や下着もな」
「うわ、逃亡する気満々ですね」
捺夜は顔を顰める。だが、中学生が逃亡しても、高が知れてるんじゃないだろうか。
「
「万引きをして、逃亡した少年としてだがな。警察は現状では、高校生の自殺と万引き少年を結び付けてはいない。まぁ、そもそもが自殺としか判断出来ない事件だ。普通はベクターなんてもの、考慮しないだろう。……彼方、そろそろ離してやれ、話し難い」
えー、と言いながらも捺夜は渋々と離してくれた。頬がひりひりする。
俺は頬をさすりながら言った。
「じゃあ、少し上手く立ち回れば捕まらないか……。そう言えば、速水を見つけた警官の証言については警察はどう判断しているんだ? そこを取っ掛かりに調べる事も無いのか?」
「それは速水を取り逃がした事に対する言い逃れだと思われているらしいな。まるで無視だ。だが、所轄の巡査が鑑識も到着していないのに現場を離れたのなら、功名心に逸ったとしか思われないだろう。速水は無傷だったという証言をその二人がしているが、監視カメラの映像で判断した、速水の物と思われる店内の血痕と、路地裏の血痕を照合すると一致したから、それも相手にされていない」
「ふぅん……いや、待てよ。それで何で速水が犯人になる。今までの話で、お前は速水が自殺させた犯人になる確固たる証拠を一つも提示してないぞ? っていうか、高校生は自殺だろ。ベクターによるものなんて根拠も全く無い」
高校生三人の自殺と万引きの事件。この二つを結び付けるにしては、無理がある。
高校生の自殺は事実で、それも自分達で首を切ったものとまで断定されてる。三人連続の自殺っていうのは妙だが、それがベクターと決めるのは牽強付会にしかならない。凶器の刃物が無いというだけで、速水の盗んだ鞘付きの文化包丁だと特定する根拠も無い。
万引きは万引きで、監視カメラの映像から速水が怪我をしたっていうのは事実だろうし、路地裏の血痕と一致したっていうのなら、そうなんだろうが――だからどうだって言うんだ。
それが示すのは、速水の負傷だけだ。警官が失神し錯乱した事も、速水の仕業だって証拠は何処にも無い。
黒木は速水が
そう反論すると黒木は、だったらお前の持った疑問を潰そうか、と言った。
「先ず、高校生の自殺に速水が関わっているのは確実だと考えていい。自殺に用いられた刃物の刃渡りと形状は、速水の万引きした文化包丁と一致している」
「それだけで関連性が出てくるのか?」
「大量生産品が凶器じゃ疑わしいか? 考えてみろ、深夜に包丁を持ち歩いている奴が居ると思うか? 百歩譲って、高校生三人が自殺をする気で包丁を深夜に持ち歩いていて路地裏を決行の場に決めたとしよう。だとしたら何故、全て傷口が一致する? まさか、自殺を決意した者達が、代表者にのみ包丁を持ってこさせようとする訳が無い。普通は各自で包丁を持ってくる。それとも、街で発作的に三人が三人とも自殺したくなって、包丁を何処かで購入したと考えるか? その程度のものだったら、一人二人が死んだ時点で我に返るものだ。いいか、それだけで関連性が出てくるんだ、夜鳥。それだけの事が、偶然にしては状況の蓋然に過ぎる」
一気に捲し立てる様に、だが淡白な口調で、黒木は言い切った。
「……解った。自殺と速水が関わっている事は解った。だがベクターは? 全く共通項が無いぞ、同じ事だとは思えないな」
「それなら簡単だ。二人の警官と高校生達に当て嵌まる事が、考えられる共通の要素が、一つある。
「あめんちあ?」
聞いた事の無い言葉に、思わず鸚鵡返しに訊き返してしまった。
「一時的に意識混濁や錯乱、幻覚や妄想を伴う精神状態の事だ。元々はラテン語で『狂気』を意味する言葉で、簡単に言えば
でも――と、急な話の展開に、困った様な表情で捺夜が呟いた。
「それこそ、こじ付けじゃないですか? たまたま該当する現象があったとしても、そうだとは限りませんよ?」
「だったら逆に訊くが、警官の錯乱と失神、高校生三人の自殺に速水が関わっているのは確実だ。速水と遭遇した警官も、こう証言している。『あの学生を相手にしていたら、急に恐怖が込み上げてきた』と。それも二人とも同じ様な目に遭っている。検査で異常も見付からないし、そもそも身体が資本でもある警官が、二人同時に前後不覚と人事不省に陥っている。速水が何らかの薬品でも所持していたというのならば、また話は変わってくるが、検査で異常は見つからなかった、それは有り得ないだろう。これで他に状況を説明する事が出来るか?」
「あぅ……それは、出来ません……けど……。うぅ、ヌエも何か言ってよ、幾らなんでも恣意的過ぎるよ」
確かに黒木の話は荒唐無稽過ぎる。反論は出来ないが、仮定で成り立っている事にはどうしても納得出来ない。
だが、黒木は本当に、そんなあやふやなところに根拠を求めているんだろうか。こいつはまだ何かを言わずにいる。それでいて、速水が
もしかして黒木は、知っているんだろうか――俺の様な
「黒木、ちょっと万引きについての資料を見せてくれ」
だとしたら、俺と速水には
資料には、速水の中学での身体測定の結果が付いていた。身長一六八センチ、体重五八キロ。やっぱり、これを調べたって事は、そうなんだろう。そして、万引き現場での出血量は、二リットル程。
「――あぁ、クソッ……何だよ――
思わず歯噛みした。妙な苦々しさが込み上げる。疑いの余地も無い。これで他に理由があるんだろうか。
黒木からすれば、まだ完全ではないのかも知れないが、これでもう確定的だ。それ以外に考えられない。
皮肉だ。俺が今、俺である事が出来るのは、本当に終わっていたからって事か。
「何か、判ったの?」
俺の表情を視た捺夜が、困惑した様子で訊いてくる。俺は、一度目を閉じて、自分を落ち着かせてから答えた。
「解ったよ、色々と。――速水は、
「えぇ!? ヌエも認めちゃうの? そこで駄目押しなの?!」
「いや、疑う余地が無くなったから。間違い無いと思う」
「じゃあ……、速水君がアメンチアを引き起こせる
「アメンチアかどうかは知らないけど、速水が関わっている事で起きた奇怪な出来事がそれだけなら、そうだと思う」
捺夜は、でもさぁ……、と何かを言おうとしたが、不承不承といった様子で溜息を吐いてから、黒木の方を向いた。
「それで、アメンチアを引き起こす事で警官から逃げて、高校生三人を自殺に追い込む様な精神状態にしたって言うんですか?」
「そうだ。――さて、夜鳥。お前の持った疑問は潰したと思うが、他に何かあるか?」
もう何も無いよ――俺は言った。
「速水が自殺に関わっている事は確実で、それに
これでもう判った。速水健司は、死がどういうものか知っている筈なのに、誰かに死を与えた。
どんな理由があったにせよ、命を奪うのは利己的な事だ。出来る事があるならば、黙認していい事じゃない。
「――殺人を犯した奴を、俺は赦さないから」
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