15
「――で、何であたしも同行しなくちゃいけないの?」
事務所の下にある喫茶店で、彼方は呟いた。
彼女達が座っている窓際のボックス席は、目立つようで目立たない、店内でも奥まった静かな位置にある。常連客である二人の特等席で、マスターとも暗黙の了解がある程だ。
ヌエはこの店のマスターが作る洋菓子が目当てで通っているが、彼方はマスターが目当てだ。いい年の取り方をした老眼鏡を掛けるマスターの、紳士然とした雰囲気が堪らないのだと言う。ヌエからすればただの中年オタクだ。
マスターから貰った、試作品のバニラ・マドレーヌを口に放り込みながらヌエは答えた。
「お前も黒木に頼まれたんなら仕方が無いだろ。頑張れ、捺夜」
ほんのりと香る甘い匂いを味わってからアイスココアを飲み、ヌエはにやにやと面白そうに笑う。普段のローテンション振りとは変わって、美味しい菓子もあり随分と上機嫌だ。
彼方はウィンナーコーヒーをスプーンで軽く掻き混ぜながら溜息を吐く。
「何かなぁ……あたしが行く意味って何?」
「現場の様子でも記憶しておいてほしいんじゃないか? あ、それだと、自分で行けばいい事になるな。何で自分で行かないんだ、あいつ」
ヌエはぼんやりと窓から外を眺め、つい先刻晨夜に頼まれた事を思い出す。
晨夜は〝四肢狩人〟の事件を調べるに当たって、先ずヌエに『今までの現場を全て見てこい』と言ったのだ。それがどういう意味を持つのか、さっぱり判らない。
既に晨夜は、今までの事件の事を粗方調べ終わっている筈なのに、何故それを今更自分が調べる様な事をしないといけないのか。ヌエ自身は己の事を、霊が視えるだけの少し変わった女子高生だと思っている。探偵という役をするには余りにもそぐわない。
その探偵当人は、現場を見てくる事が重要で、犯行跡を見て事件の感覚を掴んで来いと言う。全く意味が解らない。
「デスクワークでもするんじゃない? 今日持ってきたあの資料、住宅街の分はまだファイルに纏めてなかったみたいだし」
彼方が言うとヌエは眉間に皺を寄せた。
「ファイリング、か。俺が何か視たとしたら、それも情報に加えるつもりかあいつ」
「何か悪い事でもあるの?」
「別に、視えないものの情報を纏めてどうするのかと思って」
彼方の問いに、ヌエは素っ気無く答える。
「んー、でも確かに視えないと居ないのと同じだよねぇ。あ、でもヌエが視てるって事は、居るのは確かか……。それだと、あたしの世界は影響を受けるのかな?」
「へ? どういう意味?」
珍しく、ヌエは間の抜けた顔で言った。
「ほら、あたしは視た事も無いし、霊が居る場所に行った事が無いから判んないんだけど、霊があたしの視界に映る時、何か影響あるのかな、って」
「例えば霊の影でも視えるかな、って事? それは無いな、確かに俺の視界に霊が映ってる時は、光を背負えば影も出来るし、風が吹けば髪も靡く。だけど、俺と捺夜が視ている
「はぁ、成る程ねぇ」
ヌエに視えるモノに『霊』という呼称を用いるのは適切だ。不可視光線の類の様に、目に映らなくとも影響を与えるものとして、非常に解りやすい。
「じゃあ、霊があたしとは無関係なものに影響を与えた場合と、その逆は?」
彼方の視界に映らなくても、居るのならば世界に影響を与えられなければ怪訝しい。その結果は、彼方の目にどう映るのか。
「最初の方はあるよ、多分。例えば、置いてあるペンを霊が持っていった場合は、捺夜の目の前からは急にペンが消えると思う。捺夜は霊の事を視れないから、ペンが消えた事を不思議に思う結果になるかな」
「じゃあ何? 向こうはやりたい放題出来ちゃうんじゃないの」
確かに、視えなくても意思はあるのだから、やりたい事があるだろう。それが他人に露呈しないというのなら、歯止めも効かずに横暴な事をする輩も居る筈だ。
「だから、そういう事が起きた時には、奇怪な事件が発生するんだろ」
「あぁ……そっか。それに、霊には未練があるもんね」
彼方は晨夜が言っていた、存在の定義に於ける
それは存在という
死後、存在が霊――晨夜が虚有と呼ぶモノ――になった時には、未練と呼ばれる
つまり、ヒトは何か複数の不明瞭な目的を絶対に持っているという存在証明。そして、個の行動理念とも言えるそれがあるからヒトは存在している。
『存在』と『理由』は、どちらが後でも先でも成り立つ矛盾した関係であって、どちらが欠けても成立する事は出来ない単純不可分なもの。その二つがあって初めて
ヌエが視ている、便宜的に霊と呼んでいるものは、死んだ際に未練――
「じゃああたしに影響を与えた場合は?」
「それは、触られたとしても気付かないだけだろ。何か違和感があるだけで、日常の中の不思議な出来事として片付く――いや、片付けるしかないか、絶対に判らないんだから。どっちにしろ霊が干渉してくる時は妙な事が起きて、心霊現象って事になるんだろ。だけど、自分の未練に無関係な事をする霊は居ないよ、少なくとも俺は今までそんな霊を視た事無い」
「ああ――」
何だかんだで世間一般の霊に対する認識と変わらない。
霊の未練が
「つまり、あたしは遭遇しても、何の事だか判らなくて無視しちゃうのね」
「だろうな。それが神秘体験になるか、心霊現象になるかは遭遇した本人次第、って事」
けど……、とヌエは言葉を続けた。
「大抵の霊は人を殺す。だから、どんな奴にしろ俺は――『解体』しなくちゃいけないと、そう思ってる」
ヌエは、霊の存在を否定する事を、命についてを無感情に語る。彼方は、それに思わず口籠もった。
人を殺した事があると、ヌエは言う。
それは四年前の出来事だ。彼方がまだ、晨夜ともヌエとも知り合ってない頃。ヌエは一人称が『あたし』の感情を閉ざし気味の中学生で、晨夜は既に怪奇事件専門の探偵だった。
彼方の故郷の村で事件は起きた。平たく言えば一族で営む鉄鋼業の利権争い。それに巻き込み巻き込まれ、気が付けば家族は彼方以外死んでいた。嘘の様な骨肉相食む事件に、家出をしていたヌエは迷い込み、彼方と友達になり、首を突っ込みに来た探偵は、全てを片付けた。
その中で、家出少女は一人の男と知り合って捨て掛けていた感情を取り戻したが、代わりに彼が死んだ。『あたしが殺した』と呵責を含意した沈黙をヌエは続け――口を開いた時には、男の様に振舞っていた。
それから、彼方は晨夜に引き取られ、ヌエは事務所を訪れる様になる。霊の関わる事件で、殊の外、命が絡む事に拘る様になっていた。
恐らく、ヌエは自分を赦せていないのだと、彼方は思う。彼女には責任の無い事だが、それ以上に目の前で一人の人間に死なれた事が、余りにも大きかったのだろう。
ヌエ自身の問題なので、彼方はそれに口を出すつもりは無い。きっと、ヌエが自分を以前の様に『あたし』と言えた時が、全てに納得がいった時だ。
(それまであたしは、親友を見守るだけ、だよねぇ……)
じっとヌエの顔を見つめていると目が合って、思わず彼方は笑った。
「ふへへ」
「何だよいきなり笑って」
「んーん、何でもない」
「気持ち悪いなぁ」
「気にしない気にしない。さ、そろそろ行こ」
と、彼方が席を立った時。
がしゃーん、と派手な音がした。
五月十三日
「――あの時の子だと思うんだけど」
ヌエは一週間前の出来事を聞くと、合点がいった様に頷いた。
「あぁ、あの時盛大にこけた奴か。ポリバケツに突っ込んでゴミを撒き散らしてた奴だな」
「多分ね。ヌエが憶えてるくらい印象的な出来事はそれしか無いよ」
するとヌエは暫らく思案してから、意地の悪い、面白い悪戯でも思い付いた様な笑顔になった。
「ははぁ。成る程ね、それでか」
「え? 何、その笑顔」
「いや、あいつが俺の所に来た訳が漸く解って」
「……何?」
「あいつ、捺夜の事をやたらと熱心に見てたんだよ。あの時、俺は制服だったからな。捺夜も同じ高校だと思ったんだろ」
「あれ、じゃあ何でヌエに会いに行くの? 普通、直接あたしを捜さない?」
「さぁ? 俺の容姿を聞いて回った方が、捺夜に繋がる手掛かりを見つけやすいと思ったんじゃないか?」
確かに、彼方とヌエでは、アルビノのヌエの方が捜しやすいだろう。それには納得出来る。……だから、何であたしを捜してたんだろ。彼方には一向に理由が解らない。
「えーと。で、結局何?」
彼方は何だか喉が渇いて、お茶を飲みながら訊くと、ヌエは笑いを噛み締め、言った。
「お前に一目惚れしたんだろ」
彼方はお茶を吹き出した。
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