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五月十三日


「そう言えば今日、待ち惚け喰らった」


 唐突に、学校の帰りに事務所に寄ったヌエが彼方に言った。

 ヌエは一週間前に調べた〝四肢狩人〟事件の資料を読み終わり、それを返しに来たところだったのだが、今は彼方と一緒にお茶を飲んでいる。


 ヌエは口調こそ男の子の様だけど大層綺麗な子だ、と彼方は思う。切れ長の眼は静謐を宿した様に凛々しく、髪も腰の辺りまである綺麗なストレートだ。何よりもその容姿が懸け離れている。

 髪も肌も真っ白で、眼は呉藍色を湛えている。この日本人離れした容姿がヌエに神秘的な属性を加えて、一種の魔力的な雰囲気がある。


(性格さえどうにかなれば、ヌエに憧れを抱く刹那的な心情の人達はどれだけ救われるんだろう……。何も知らずに一目惚れなんかした日には、一週間寝込むんじゃないかなぁ)


 勿体無いなぁ、と改めて彼方は思う。


 ヌエは、何故か女の子らしい恰好をする事を嫌がる。私服も、制服以外でスカートを穿いているところを、彼方は見た事が無い。『俺には似合わないし恥ずかしいから嫌だ!』と言うのだが、彼方はそうは思わない。寧ろ、機会があれば是非着せたい。

 もっと女の子らしくすればいいのに、と彼方は小さく嘆息した。


「何、待ち惚けって、呼び出されて放っとかれたの? ヌエにそんな事するなんて、度胸のある人も居るんだね」

「違うよ。向こうから会いに来たんだけど、時間が無かったから放課後に、って言ったらその後来なかった」


 放っとかれているのと同じだ。


「じゃあ、相手の顔は見てるんだ」

「見てるよ」

「似顔絵描いてあげよっか?」

「要らない。もう憶えてる」

「あれ、珍しい。ヌエが一度会っただけの人の顔を憶えるなんて」


 彼方が軽く驚いて言うと、ヌエは少し眉を顰めた。


「捺夜、お前な、俺に記憶力が無いみたいな言い方するなよ。それはまぁ、お前に比べたら記憶力は雲泥の差だけど……。っていうか、お前に記憶力で勝てる人間って、そう居ないか」

「まぁそれが取り柄でもありますから。でさ、何で憶えてたの?」

「何か、一週間前に遇った事があるらしくて。俺が見覚えがあったくらいだから、余程印象的な事があったんだろうな」

「一週間前だと、晨夜さんに頼まれて〝四肢狩人〟をヌエと調べてた時だね」


 ヌエは少し身を乗り出した。


「やっぱり、憶えてるか?」

「多分、思い出せるよ――」




五月六日


 その名が南川市に伝播し始めたのは最近だ。


 初めは有り触れた――と言うのは、変だが――変死体が見つかったという事件だった。

 大体今から三ヶ月前の被害者が、一番初めに『狩られた』とされる人で、フリーターの男性だった。


 河川敷に男性の死体は転がっていた。発見者は朝早く散歩していた老人で、死体を見つけて腰を抜かしそうになりながらも、すぐに警察に連絡したらしい。

 この時、救急車は呼ばなれかったが、それは当然だった。男性の死体は、誰の目にも明らかな死体だったからだ。検死も必要が無い程に解りやすかった男性の死体は、


 検死の結果は、腕を切られた時の出血によるショック死。初めは事故によるものかと思われていたが、河川敷には男性の腕を左肩から落とす原因になる様なものは無く、傷の断面からもと断定された。更に、死体の生活反応から腕は死後切り取られたのではなく、切られたものと判明し、血痕により殺害と切断の現場は同じだと判断された。

 それから、警察は男性の身辺や友人関係、素行に到るまで全て調べたが、男性を殺す動機を持っていた者は居なかった。通り魔の猟奇殺人かと思われたが、警察はそうとも断定出来なかった。


 犯人は腕を切り落としていたが、骨を直接切るのではなく、関節を外してから切り落とすという方法から、犯人はある程度の医学的な知識を持っている者と見当が付けられたのだ。を重ねて犯行が上達していくタイプと違い、かなり周到に計画されている犯行という事にもなる。

 そうして危惧した通りに腕は見つからず、場当たり的な犯行に加えて、証拠が無さ過ぎた事で、警察の捜査には何の進展も無かった。


 そして、そんなニュースが報道された事を世間が忘れた時だった。


 男性の死体が見つかってから一ヵ月後に、次は片足の無い女性の死体が見つかった。この女性は都市側のビル群の中にある会社で働いていたが、そことは全く関係の無いビルの死角に死体は放置されていた。


 死因はやはり足を切り落とされた際の出血によるショック死。凶器は第一の被害者の男性に使われた物と同様の刃物で、被害者の女性の周りには犯行の動機を持つ者は居らず、切り取られた足も見つからなかった。

 だが、警察はこの時点では住民に不安と混乱を齎さない様にと、この二つの事件の関連性を公表しなかった。その為、この女性の事は、変死体が発見された、とだけニュースで報道された。


 十中八九、男性と女性を殺した犯人は同じであるという確信が警察にはあったが、男性と女性に何の接点も無く、全く関連性の無い場所で犯行が為され、更に切り取られた四肢も持ち去られたらしいという事から、無差別猟奇殺人事件だと警察は考えた為だった。


 だが、それ以外は全く何も判らず、またも捜査は行き詰る。


 それから二週間後に少年が殺された。腿から先が無く、死体は駅近くの目立たない路地に放置されていた。

 今までと同じ様相を呈している事件に、流石にマスコミや地元の住人も以前から抱いていた、連続殺人犯が居るのではないか、という懸念を警察に訊ねようと連絡が殺到した。それに対しての対応が追い付かなくなってきた警察は、とうとう一連の事件が同一犯によるものと断定している事を公表する。


 それにより以前から少々騒がれていたとはいえ、地元では大騒ぎになり、小学校では保護者付き添いでの登下校を実施し、中学と高校では下校する時には出来るだけ二人以上で下校する様に決められ、都市側の方ではそれぞれのビルに警備員を増やし、警察官が定期的な見回りを行う様になった。


 そして、その連続殺人犯に対し、体の一部を持ち去るという、その猟奇的な犯行からゴシップ誌やネットでは、殺人犯は段々とある名前で呼ばれる様になり、その名前は街中に広がっていった。


 それが――〝四肢狩人〟




「次はその一ヵ月後。これが一番最近のものだ。夜鳥が住んでいる住宅街で、専業主夫の右腕が無い死体が自宅で発見された。これも今までの事件と同じ特徴を有していて、いつの間にか名前が付けられていた〝四肢狩人〟とやらの仕業だ、と既に言われている」


 晨夜は、ばさりと資料を乱暴に机に置いた。


「……そんな事を伝えたい為に、わざわざ俺を呼んだのか?」


 高校の帰りに呼び出され、事務所のソファに座っているエは、明ら様に不機嫌そうな顔をして言った。


 晨夜は今朝から何処かに出掛けていると思ったら、書類の入った封筒を持ち帰っていきなり、夜鳥を呼んでくれ、と彼方に言ったのだ。しかも、来たら来たで年頃の女子高生にし始める話が殺人事件について。それでは確かに呼び出される側は堪ったものではないだろう。


「まさか。お前に手伝ってもらいたいからだ。伝えるだけなんて事はしても意味が無いだろう? 第一、用があるから呼んだんだ、用も無いのに事件の事を伝えてどうする。俺はそんな風に時間を浪費する趣味も、暇も無い」

「ヌエが必要って事は、霊ですか?」


 晨夜は頷いた。


「正確にはベクターの関与という事だが、その可能性もある」

「……可能性って、それなら理由を説明しろよ。霊絡みの事件なら俺は手伝うけど、ただの殺人事件だったら警察に任せればいい。いつもみたいに何も言わないなら、俺は帰るぞ」


 ヌエが不機嫌さを隠さずに言うと、晨夜は呆れ気味に言った。


「そんな事、この事件に関してしっかりと調べれば、すぐに怪訝しいと思うところに気付ける。お前、一般に〝四肢狩人〟の仕業だと言われている事件の特徴は知っているだろう」

「被害者は四肢の何れかを持ち去られてる」

「そうだ。では、その犯行方法は?」

「刃物で地道に、ですね。それも生きてる時に」


 その猟奇的な犯行方法が受けているから、〝四肢狩人〟という名前は不謹慎にも街に蔓延している。テレビでは犯罪心理分析学者といった人間が、真面目な顔で尤もらしい事を語ったりする番組もある程だ。


 街に犯罪者が居るというのは恐怖である反面、実感が無いのであっと言う間に程好いスリルにすり替わってしまう。それに危機感を感じるのは身近に感じた時だけだ。つまり、本当の意味で犯罪者が街に居るなんて事は、脚色された真実としてではなく、ただの事実として知った時にだけその異常さを目の当たりにする。


 情報だけの非日常は事実の日常と中々繋げられない。


「そこが怪訝しい。生きている人間の腕を切り取るのに、薬品が使われたという事が一言も報道されなかった」


 だからこそ、情報を聞くだけでは見落とす事が沢山ある。

 ヌエは鸚鵡返しに、薬品、と不思議そうに呟いた。


「気絶させたのかも知れないだろ」

「それこそ有り得ない。気絶している間に刃物だけで四肢を切り落とせると思うのか? それに幾ら骨ではなく関節を切っているとはいえ、かなり苦労する筈だ。それだけ時間が掛かるのに、被害者が気絶している間だけでの犯行は不可能だ」

「そうですね……。気絶してたとしても、腕を切り落とされてれば流石に気を失ったまま、とはいきませんよね。仮になっても、その間に絶対気が付きますね」

「そうだ。大体、生きている間に四肢を切り落とすというのは、少なくとも無抵抗な状態にさせてからでないと出来ない。死んだ人間をばらばらにするのでも、余程早くて二時間、普通ならば半日は掛かるだろう。腕だけを持ち去るのだとしたら、関節を外し、肉を切り終わるまで数十分は必要だ」


 それに反論する様にヌエが言った。


「警察が薬品に関して言わなかっただけってのは?」

「それも無い。必要性が無いからな。わざわざ被害者に薬品を使われていたという事を隠してどうする? 住民の安全に配慮すべき警察が、猟奇殺人犯が薬品で気を失わせて殺人を犯しているという重大な事を隠す意味が無い、面子を後生大事にするのが公僕の常だ。寧ろ、そんな事をすればそれが露呈した時に警察は散々叩かれるぞ。それに、これは警察の知り合いから受け取った資料だ。薬品については何処にも書いていない」


 それを聞いたヌエは複雑そうな表情をした。


「……それで、お前は気絶させずに腕を切り落とすって矛盾に、可能性を見出したんだな。で、何で今更これを調べる気になったんだ?」

「別に今更ではない。一番最初の被害者の時から違和感があって調べていた。ただ、今回の被害者から事件が変わった気がしてな、虚有の視えるお前が必要だと思った」

「事件が、変わった?」


 ヌエは不審そうに呟く。


「今回のって、被害者が専業主夫の奴ですよね? 何が変わったんです?」


 彼方の質問に晨夜は片目を細めた。


「専業主夫と二ヶ月前の被害者の女性は結婚していた」

「ん? だったら、犯人はその夫婦を殺す事が目的だったのか?」

「違う。短絡が過ぎるぞ夜鳥。ニュースやワイドショーでは、より一層騒ぎ出したがな。やれ、今までの事件はこの夫婦を殺す為のカモフラージュだの、夫婦を殺害する事で他の事件から目を逸らさせる為だの。巫山戯た話だ。そもそも死体を隠す気の無い殺人犯が、謀殺をしている訳が無いだろうに」

「じゃあ何だ、お前は誰にも視られない霊の犯行だから、って言うのか?」

「そうじゃないでしょ。霊の犯行だとしても、生前に無抵抗に四肢を切り落とせる事にはならないもん」


 彼方の言う通り、もしも霊の犯行だとしても説明が付かない。霊は視えないだけで、基本的には人間と同じなのだから。仮にそうだとしても矛盾理由パラドツクスが何なのかが判らなくなる。腕を切り落とす事に固執する理由など、どんなものがあるというのだろうか。

 判っている事は――徐に晨夜が口を開いた。


「揃っている要素から考えて、不可能に近い犯行という事。薬品等、犯行に必要な外的要因も発見されていない。そこから演繹すれば、普通は文字通り犯罪だ。証拠が見つかっていないから、という理由ではなく、事実上不可能という結論にしか達し得ない。では何故、こんな犯行が為されているのかという事を考えると、不可能を可能にする為の何かがあると考えるべきだ。それに加えて、四肢に固執する様な猟奇的な犯行は、まるで虚有の矛盾理由パラドツクス。そう考えると、虚有が犯人というのが一番確率が高い。ならば、不可能を可能にしたのは、ベクターだ」


 晨夜が自分の推理を説明すると、いつの間にか資料を読んでいたヌエが、そこから覗く様に彼を見た。


「だったら、殆ど解決している様なものだろ。死亡者を洗い出して、四肢に固執する矛盾理由パラドックスとしての未練を持っていそうな奴を探し出す――それだけだろ? 他に何かあるのか?」

「それは、この四件目のわざとらしさだ。模倣犯の様だが使。だが、三件目までとは明らかに違うものだとしか思えない。何れにしろ異能を持つ者が犯人だろうが、それは虚有なのか媒介者ベクターなのか――それだけで、随分と変わってくる」


 晨夜は、ヌエの問いに答えている様で答えていない。


「…………」


 やがて、晨夜を無言で睨んでいたヌエは、呆れ気味に溜息を吐いて資料を机に置いた。


「駄目だ、捺夜。こいつ、これ以上話す気が無い。ここまで聞ければ上出来だよな、もう素直に頼まれよう」

「ま、仕方無いね……。頑張れ、ヌエ」


 ヌエの肩を、ぽんと叩きながら彼方は言った。

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