13
五月十四日
健司が死んでから約一時間後に、通報から交番巡査の二人は、ディスカウントショップを訪れていた。万引き犯を窃盗罪で連行する事は珍しくなかったが、今回の通報は事情が違っていた。
〝あの、万引きをした少年が……、その、血がそこら中にあって……。とっ、兎に角来て下さい!〟
通報を受けた指令センターでは、半ば混乱した店員の説明では何があったのか判らなかった。しかし、『血』という言葉も出てきており、店員の様子も普通ではなかったので、ただ事ではないと思い、近くの交番巡査を現場に急行させた。
現場に到着した二人が見た店内には大量の血痕があり、明らかに万引きだけの事件現場ではなかった。混乱していた店員は、警官が到着したのに安心して一方的に状況を話し始めたが、その話は一応整理されていたものだったので二人はすぐに事態を把握した。
今日未明に包丁を万引きした高校生を引き止めたら、高校生は万引きした包丁で店員に反抗した。彼はそれに対し取っ組み合って抵抗したが、争っている内にバランスを崩し転倒。その際、頭を強く打って気絶し、物音が気になった他の店員が大量の血痕と倒れていた彼を発見した。それに混乱した店員に起こされた彼が、慌てて通報をした――という事らしい。
二人は話を聞いた後、立入禁止線を張り現場保存をしてから、店内の人の出入りを禁止した。鑑識と機動捜査隊が来るまでの間、二人は怪我をしたであろう高校生を、そう遠くには行けないと判断し、更に失血で死亡してしまう可能性もあるとして、血痕を追って捜す事にした。
そして、その予想通りに二人は路地裏で倒れている学生を発見した。店員から聞いた通り、眼帯を着けているという特徴も一致する。だが、学生は血塗れで明らかな大量出血だった。
「お、おい、君!」
慌てて駆け寄り、呼び掛けても反応が無いので、軽く頬を叩くと学生――速水健司はうっすらと右目を開いた。死んでいると思ったが、よく見ると血色もよく無事らしい。
巡査の一人は健司の身体に傷が無いか確かめたが、顔が腫れている程度で刺し傷等は何処にも無い。一体、周囲の血は誰の物かと不思議に思った。それは目の前に居る健司の血だったのだが、一度死んだ人間の血だという事は知る由も無い。
「大丈夫か?」
「え……と、大丈夫」
ぼんやりとだが、体を起こしながら質問に答える健司の意識は、はっきりとしており、異常は無い様だった。
「そうか、よかった。血だらけだから心配したよ。ま、傷は何処にも無かったがね」
その時、からん、と健司の手元でした音に巡査は気が付き、その手に握られている血の付いた包丁を見て驚愕した。
「と、ところで、君に聞きたい事があるんだ。昨日――というよりも、今日の深夜なんだけどね、近くのディスカウントショップで万引きがあったんだ」
巡査は出来るだけ平静を装い健司に語り掛け、彼には見えない様に、後ろでは相棒に包丁の事を手振りで示していた。
健司はまだ茫然としていて、自分が包丁を握っている事に気が付いていない。しかし、血の付いた包丁は健司が店員に包丁で襲い掛かった万引き犯の可能性が高く、この場にある血痕の主に傷害を与えたかも知れない事を示していた。
「そこで店員と万引き犯が取っ組み合いになったんだけど、その時店員は頭を打って気絶してしまったんだ。それで、気が付くと犯人の姿は無くて、血の跡だけが残っていて、それは店の外に出る所で途切れているんだけど、何か知らないかい?」
この時点で、二人は完全に健司を怪しんでいた。状況証拠から考えればそれは当然の事で、残る疑問と言えば、周りの血が誰の物なのか、健司が何故この路地裏で倒れていたのか、という事だけだった。
「あーと……」
一方、警官の話しで自分が何をしたのか段々と思い出してきている健司は、二人の視線から思い切り自分が怪しまれている事は理解していた。だが、そんな事よりもディスカウントショップを出た後の記憶がはっきりしない事の方が気になって仕様が無い。
(オレ、腹に包丁刺さった、よなぁ……?)
自分の腹に傷が無い事を不思議に思いながら、手に包丁が握られている事に気付く。いよいよ訳が判らなくなってきた。そして健司が包丁に気付いたのを見て、巡査は慌てて行動を起こした。
「とにかく、君が血だらけだった理由を聞きたいから、交番に来てもらうよ」
巡査は素早く健司の背に回り込み、包丁を持っていた手を捻り上げる。
「はァッ?! 何でだよ、痛ェ! 引っ張ンな!」
「いいから、大人しくしなさい」
健司は必死に抵抗し、振り向き様に、
「離せよ!」
巡査を睨んだ。
「――え、あぇ?」
途端に白目を剥いて巡査は倒れこみ、健司は拘束から解放される。
(――あれ?)
だがその時、健司は警官が急に昏倒した事よりも、自分が一体何をしたのか理解している奇妙な感覚に疑問を持った。
「な、お前、何をした!」
もう一人の巡査は急に相棒が倒れこんでしまい、スタンガンでも所持しているのかと警戒して警棒を構える。だが、健司がした事は電気ショックを与える事よりも、もっと簡単な事だった。
「……え、いや。何って、何だろう。解るけど、判んねェ……。おっさんが〝弱い〟から気絶しちまったんだと思うんだけど……」
自分に出来る事を解っていながらも、急激な理解に健司は今一つそれを掴み損ねていた。もう一度やれば判るかも知れない、と試しに健司は警官の方を向く。
「ひっ!? 何を、何をしたんだ、お前! 何を――う、うわ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
途端に、警官は後退りしながら意味不明な事を叫び、表通りの方にばたばたと這いずりながら去っていった。
それを眺めながら、健司は自分に何が出来るかを判じて呟く。
「……あぁ。これ、何て呼べばいいのかは解んな」
健司は誰かに語るという訳でもなく、言う。
「何て言うか、そう。アレだ、頭ン中を乱れさせる――」
気が付いたら、漠然とそれの使い方と名前を知っていて、自分がどうなったかが一向に解らないのにも拘らず、
「〝
その狂気の名を冠するベクターを受け容れていた。
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