12

 高校で一人、屋上に残された健司は、暫らく茫然としていた。


(放課後……って、それまで待つ場所が無ェよ)


 ヌエは放課後に会おうと言ったが、それまで待つのに授業を受けるという事も出来ないし、校内をうろつき回る訳にもいかない。かと言って屋上で待ち続ける程、彼は忍耐強くもなかった。


(校内じゃ待てねェしな……)


 仕方無く、健司は適当に時間を潰せる所に行く事にした。




「よっしゃ! また勝った、こんな連勝久し振りだぜ!」


 健司は筐体の前に座って、嬉しそうに声を上げていた。

 時間を潰す為に彼が選んだ場所は、いつも放課後に友人と行ったり、休日に一人でぶらりと訪れる、下町の繁華街にある馴染みのゲームセンターだった。


(へっへ。色々と順調だからな。俺って今最高にツイてるんじゃね?)


 とんとん拍子に進む自分の目的に、少し酔った様な調子で健司はゲームを遊び、それに応じる様にゲームでも連勝していった。挑戦者が来てそれに勝利する度に、笑い転げたい衝動が抑え切れなくなり、彼の顔はにやけていく。

 そして、十人目の挑戦者に勝利し、とうとうその気持ちを声に出した。


「はっは! 弱ェな、楽勝! 何回挑まれても勝てるぜ!?」


 優越感に浸りながら、顔も知らない相手を大声で見下す。筐体の向こう側の相手に向けて、意味はよく知らなかったが、侮辱の意味で中指を立てて見せた。正に井の中の蛙という態度だったが、昂揚から彼は普段よりも気が大きくなっていた。


 がたり、と筐体の向こう側で椅子が動いた音がしたが、健司は挑戦者が入れ替わったんだろう、程度に考えて気に止めなかった。寧ろ次の挑戦者をどうやって叩きのめしてやろうか、と楽しんでいる。


 健司は常に過去や未来よりも、自分が干渉出来て先に繋がる『今』こそが重要だという自己哲学に則り行動している。『今』を如何に最善に過ごすか、というのがアイデンティティとも言える彼は、細かい事を余り気にしない。尤も、彼からすれば『今がよければどうでもいいや』という、単純な要約の姿勢に収められてしまうのだが。


 しかし、健司は忘れていた。普段、彼がゲームセンターに行く時間帯は中学の放課後や休日の昼間だったが、今はその時間帯とは違う平日の昼間であり、ゲームセンターとは時間により客の数も種類もがらりと変わる場所だった。そして、その客の中には暴力的な輩も居る。

 彼はその事を考慮して、今まで出来るだけ諍いに関わらない様にしていたが、馴れに加えて浮かれている今の状態で、そんな注意は忘れてしまっている。


「おい」

「あ? 何だよ? 邪魔だからどっか行ってくんねェ?」


 健司は男達に話し掛けられたが、ゲームに集中していた為、適当な返事で流そうとして、相手の顔も見ずに乱暴に答えた。すると、急に胸倉を掴まれ、椅子から立たされた。驚いている健司を余所に、男達は彼の事をじっくりと見る。


「その制服、俺達と同じ高校か。一年だな、ちょっと来い」


 そう言った四人の男達は、健司と同じ制服を着ており、明らかに彼に敵意を示していた。


「……あ、その」


 狼狽えた健司は男達に囲まれ、店の外に半ば引き摺られる様にして連れ出された。外に出た後も怯えて動けず、されるがままに店から離れた、人気の無い路地裏に連れられた。

 路地裏は袋小路になっており、奥の方に行ってしまえば道路側から様子は見えない様になっている。音も表に聞こえそうにはない。そして、そこに連れて来られた事が意味する事を、健司は十分に理解していた。


(……やばい、マジでヤバイ!)


 健司の胸倉を掴んだ男が言った。


「なァ、おい。お前、名前何ての?」

「え? あ、えぇと……」

「早く答えろよッ!」

「はい! は、ははは速水健司です!」

「そうか。なァ、ケンちゃんよォ。俺達さ、授業が怠くてゲーセンに息抜きに来たんだよ。息抜きだぜ、楽しみに来たんだぜ?」

「あ、はぁ」

「なのによォ、誰かさんのせいで全ッ然楽しめなかったんだよ? 誰のせいだと思うよケンちゃん?」

「さ、さぁ?」


 健司が惚けた様に言うと、男は健司の頬を殴った。


「テメェのせいだ馬鹿ッ! お陰で金無駄にしちまったじゃねェか!」

「っぁ……」


 殴られた衝撃で目の前に火花が散り、口の中に血の味が広がる。


「ったくよ、金を無駄にしたのはテメェの責任だから、テメェに責任背負ってもらうからな」

(ど、どんな理由だよ!?)


 健司は殴られた頬を押さえながら心の中で反論するが、構わず男は続ける。


「それから、俺達を不快にさせた責任も取ってもらうぜ、なぁ!?」


 健司は腹を蹴られ、思わず跪く。


「げっ……あ、は」


 胃の中身が逆流しそうなのを必死で堪えて倒れこんだが、すぐに体を起こされて、顔を正面から殴られた。

 その後、男達の気が済むまで健司は一人ひとりのサンドバッグにされてる中、ぼんやりとした意識で、男達の顔を憶えていた。


(なんだよ、こいつら……寄って集って私刑リンチなんかしやがって……)


 男達は健司が腹に膝蹴りを喰らい、呻くのを笑って見ている。


(一人じゃ何にも出来ない癖に、群れてきやがって……)

「あ? ンだよその眼は。お前は大人しく殴られてろ!」


 健司が反抗的な目で睨むと、男達は更に暴力を強めた。


(こいつら、――)


 心の底からの殺意。時間が経てば、仕方が無かった事だと諦めてしまうかも知れない事だが、今この場で健司が不良達に抱いた憎悪は本物だった。

 当然、その剥き出しの敵意は相手にも伝わっている。そして絶対的な優位と嗜虐心を満たす事を欲していた彼等にとって、それはものだった。


「テッメェなぁ……自分の立場解ってんのか? お前は今、俺達のオモチャなんだよ。それが何で、持ち主を不快にさせる眼をすんだよ? あぁ?」

「……知るかよ、ばーか」


 ぼそりと、健司はささやかな反撃と自慰の為に小声で言う。だが運悪く相手の耳に届いてしまい、男は青筋を立てて彼の鼻面を思い切り殴った。


「あっ、つぁ……」


 痛みで上手く言葉を口に出せない。鼻の骨は折れてなかった様だが、血で鼻腔が詰まる。


「お前さァ……ちょっとアホ過ぎるわ。状況見て何も判んねェの? あー、そうだな。先刻からムカつく眼で見てくるし、周りも見れねェみたいだし――その眼、要らねェよな?」


 言って、男は制服から煙草の箱を取り出して、一本に火を点けた。ゆっくりと吸い込み、紫煙を健司の顔に向けて吐き出す。


「煙草の先ってよ、もの凄ぇ熱いらしいな? それこそ、肉も焼けるぐらいよ」


 指の間で煙草を遊ばせつつ男は凄惨に笑いながら健司に言う。そして自分が言っている事の意味を理解しているか、反応を窺う様に、健司が何かを言うのを楽しそうに待っていた。


 無論、健司は何をされるか解り、血の気を引かせる。


「おい嘘だろ! 巫山戯んなッ、冗談じゃねェぞ!? 死ね、死ねお前等!! どうせ出来ないんだろ、ただの脅しだろうが!?」


 ゆっくりと眼に近付けられる拷問染みた熱に対し、健司は死に物狂いで暴れる。しかし、男の仲間に体を押さえ付けられていて逃げる事が出来ない。段々と煙草が眼に近付くと、仲間は男を囃し立てる。


「煩ェよッお前等!! 黙れよっ、一人じゃ出来ねェからって、仲間と一緒に調子に乗ってんじゃねぇよッ!!」


 その半狂乱の健司を見て、男は満足そうに笑った。


「――有言実行って、いい言葉だよな?」


 左目に、ぐじゅ、という音を聞いて、健司の意識は落ちた。




 目を醒ますと、辺りは暗くなっていた。


「痛ェ……」


 仰向けに倒れたまま、ビルの間の狭い夜空を眺めて健司は呟く。


「オレの……眼……」


 左目に触れても何も感じない。ただ指先が届かない頭の奥に痛みが巡っている。狭くなった視界で、冷たい風が頬に当たるのを感じると、潰された左目の疼痛が一層増した。

 全身に鈍痛を感じながら起き上がり、顔に付いた泥と血を拭う。痛む左目を掌で覆う様に押さえ、時間を確認しようとポケットの携帯電話を弄ると、財布が盗まれている事に気が付いた。


「……あの糞が。糞がッ、糞がッ、糞がッ!!」


 現状至上主義とも言える彼からすれば、先刻の私刑リンチは許せるものではない。剰え眼を潰され、しかも自分に不備は無いのに、理不尽な理由での状況の悪化。現状は、最善からは遥か遠いもので、そんな状況にした奴等には憎しみしか抱けない。


(畜生……あいつらっ、あいつら殺してやる……)


 ふらふらと、自分が何を考えているのかもよく解らないまま、健司は路地裏を出て近くのディスカウントショップに入った。


(顔は憶えてんだ……。あとは、武器だ。何でもいい、何か殺せる武器を……)


 酔った様な千鳥足で店内を歩き回って、健司は武器になりそうな物を物色し始めた。

 夜中に泥だらけで顔を腫らし、片目を押さえながら店にやってきた健司を、店員は奇異の目で見ていたが、健司は一時的な憎悪で周りが見えなくなっていた。その上、正常な感覚も麻痺していた為、そんな事は気にする訳も無く、店内を歩き回る。


「……これで、殺してやる」


 台所用品のコーナーで、健司は鞘の付いた文化包丁を見つけた。だが、財布を盗まれて金も持っていない為、包丁を購入出来る訳も無く、それを懐に忍ばせる。

 ついでに眼帯を見つけ、その袋をその場で破り捨てて左目に着けた。少しばかりか、外気に触れていた分の痛みが減る。そして、そのまま何事も無かった様に店を出ると、男の店員に引き止められた。


「あのぉ、すみません……。ちょっと、待ってもらえますか? お客さん、お会計の方をまだ済ませてませんよね?」

「……何の事ですか」


 飽くまで白を切ろうとする健司に、店員は少し口調を強めて、彼の手を引っ張った。


「いいから、ちょっと来なさいっ」

「離せ!」


 健司は腕を振り払うと包丁を取り出し、店員に向けた。


「なっ、止めろ! 警察を呼ぶぞ?!」

「知るか! オレはあいつらを殺すんだよ!」


 健司は半ば錯乱した様子で包丁を振り回す。店員はそれに退かずに、勇敢にも応戦して健司と取っ組み合いになった。

 幾ら包丁を持っていても健司は中学生で、相手は彼よりも年上の男だ。腕力で敵う訳が無く、健司は包丁を持っていた腕を押さえられた。

 だが健司も押さえられていない片腕で応戦し、我武者羅に相手の顔を殴る。殴られた店員は少し呻いてよろめいたが、健司の腕を必死に掴み、そのまま引っ張った。


「うわっ!?」


 その予想外な動きに健司はバランスを崩し、店員と雪崩れ込む様に倒れた。腕を持ったままだった店員は、受身も取れずに頭を強く打って昏倒し、


「――――」


 健司の腹にはぶすりと、体の中に異物が這入り込む奇妙な感覚があった。


「――あっ?」


 健司は腹の包丁を抜いた。

 じわりと、腹が赤く染まっていく。服と肌の間に、妙に暖かい何かが広がっていく。


「い、てぇ」


 茫然と、腹から出る血が、地面に赤い溜まりを作っていくのを見ながら、健司は立ち上がった。


「なんだよ、これ。オレの、血?」


 健司は真っ赤に染まった手と腹を見て、その鉄の臭いにぼんやりと呟く。ふらふらと歩く度に赤い斑が床に出来ていき、彼は血が零れない様に手で腹を押さえながら店を出た。


「何だよ、何だよ。何だよ、これ。なんだよ、なんだよ、なんだよ……」


 通りに出てもふらふらとして前に進めず、自分の体が重力に従って引っ張られる方に、倒れない程度に健司は進んでいく。

 夜中で人通りが少なかった為に、健司が血塗れの包丁を持っていて、腹に傷がある事に気付ける人は誰も居なかった。精々変な奴が居ると、近寄らないだけである。


(どっからだよ、どこから、なにが――)


 覚束無い足取りで、健司は先刻の路地裏に辿り着き、


「あぁ――そうだよ……」


 血塗れの包丁を眺めた。


「――あいつら、殺してやるんだ」


 健司は呟いて、その場に倒れ込み――死んだ。

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