11
健司は言われた通り屋上に行くと、その姿があった。
その白い姿は、フェンスに寄り掛かって座っていた。昼食でも摂っていたのか、弁当箱を茶色い封筒の上に置いて、封筒の中身と思しき紙を、難しい顔をして読んでいる。
「あの、暁ヌエさん?」
「ん? 誰?」
健司が話し掛けると振り向いた彼女の姿は、初めて見た時と同じで、現実から懸け離れていた。
白く長いストレートヘアは、本当に絹糸か何かで出来ているのではないかと錯覚する。整った白い顔にある、紅い眼も凛々しくて、何故だか健司は震えた。
動作にも無駄なところが無く、自然体で洗練されている。白い肌は、華奢で弱い感じがするのに、佇まいだけで決して揺るぎそうにない強さを感じた。
――圧倒されてる。
何と無く、そう思った。
ヌエは健司を見て、その整った眉を少し吊り上げた。
「……何処かで遇ったか? 何か、見覚えあるな」
「あ、はい! 遇いました、一週間ぐらい前に街で遇いました!」
健司は覚えてもらっていた事に喜び、この調子なら上手くいくんじゃないか、という期待も相俟って威勢よく答えた。
「ごめん、俺はそこまで覚えてない……。一週間前だと、ちょうど黒木に用事を頼まれてた時だな……」
健司は、ヌエが自分の事を『俺』と言ったのに少し戸惑いながらも、『黒木』という名前の方に反応していた。用事を頼まれる程に親しい間柄の人らしい。
「それで、何の用?」
「……あの」
「お、ヌエじゃん! 何やってんだよ、こんな所で? あ、一年生誘惑しちゃってたりするのかぁ!?」
不意に、デジャヴの様に健司の言葉は第三者に遮られた。その能天気で馬鹿そうな声を聞くと、ヌエは明らかに不機嫌になり、
「……ちょっと、待っててくれ」
と言って、健司はヌエの奇妙な迫力に押されて頷いてた。何か、殺気の様だ。
ヌエは、急に現れた馬鹿そうな男に言った。
「おい、馬鹿」
やはり馬鹿らしい。
「お、何だ? リアルファイトに発展しそうな殺気が出てるぜ?」
変わらず、お道化た感じでヌエに対応する男。
「よく解ってるな。気絶か失神、選べ」
「どっちも同じだよな? 殺る気満々だよな?」
「生憎、お前を殺して人生棒に振るなんて真似はしたくない。八割死ね」
(八割死ねって、殆ど死んでるじゃん……)
健司は突っ込みを入れたいが、関わりたくないので三歩離れて心中に留めておく。
「ヘイヘイ、御託はいいから掛かってきな」
対する男は、やはり馬鹿だ。言っている事の意味が解らない。ファイティングポーズを取って、虚空に軽いジャブを放っている。
「それじゃ遠慮無く」
一瞬。気付いたら、ヌエはもう男をブッ飛ばしていた。
「ふぶぁ!?」
『掛かってきな』の『な』が言い終わるのと同時に動いてて、それに反応出来ずにファイティングポーズを取ったまま、こめかみに思い切りハイキックを極められてブッ飛ばされる男。しかもヌエは、わざわざ爪先で蹴っていた。
不意打ちと言えばいいのか、達人業と言えばいいのか……ヌエの動きが尋常ではない程良く、速過ぎたので、健司には形容すべき言葉が見つからなかった。
男は、五回程転がった後はぴくりともせずに、死んだかと思う様に気を失っていた。その死に様を確認したヌエは、乱れた長い髪を鬱陶しげに整えている。
「…………」
何と無く、声の掛け辛い状況だ。健司が沈黙していると、ヌエに馬鹿呼ばわりされていた男が呻いた。
「そ、そこな少年よ……」
「うわっ、喋った!?」
「お、お前に託したい事がある……」
「えっ、何、意味判んねぇし怖ぇよ!」
死に体の恰好で意味不明な事を言ってくる男に健司は怯えるが、相手は構わずに続ける。
「今日のヌエは――『黒』だ……」
「くっ、黒? 何の事――」
健司はそこではっと気付く。先刻の男の状況、ヌエがスカートを翻しながら蹴りを決めていた事。
「まっ、まさか!!」
「そうだ、少年よ……ヌエは、黒を穿いていた……」
「すっ、凄ぇ! あんた凄ぇよ……! あんな風に蹴り飛ばされながら、しっかり見てたなんて!!」
健司は思わず男の手を取り、感動にも似たモノを抱いていた。状況では物凄く頭が悪いが。その傍らで、勝手に盛り上がっている男二人を、ヌエは意味が判らず傍観していた。
「…………?」
ヌエは首を捻って考えていると、途中でやっと状況を把握し、口を出した。
「……あのさ。俺、今日はスパッツなんだけど」
「――なっ、う、嘘だ……!」
阿呆らしいくらいに絶望的な表情を見せる馬鹿。それに、止めを刺さんと言わんばかりに、ヌエは言った。
「嘘を吐いてどうするんだ。お前が見た黒は、スパッツの色だろ」
ほら、とヌエは何の躊躇いも無くスカートをたくし上げて、穿いているスパッツを見せる。倒れている男に、女子高生がスパッツを見せるという異様な光景が出来上がった。
「何たる事だ……。た、謀られた……無念っ」
妙に時代掛かった口調をしていた男は、がくり、とやっと意識を失った。
「何を言ってるんだ、お前」
ヌエは倒れた相手に軽く蔑む様に言う。その隣で手持ち無沙汰に立っていた健司は、少しだけ得した気分で居た。何にしろ、女子高生が目の前でスカートの中を見せるという行為が、扇情的に見えたからだ。フェティシズムという言葉は、彼にはまだ早い。
「あ、もう昼休み終わるな。話はまた放課後にしてくれ。屋上に来ればいいよな?」
そのまま健司の了承も得ずに、ヌエは屋上を去って行ってしまい、そうこうしている内に予鈴が鳴り響いた。
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