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五月十五日


 ――はい、堂崎どうさきです。


 え? 探偵さん、ですか。黒木私立探偵事務所……。何です?

 あの子について? ……えっと、じゃあ中で……。

 え? ここでいい? はぁ、判りました。役に立てるか判りませんけど、じゃあ何でも訊いて下さい。


 ……はい、そうです。車に轢かれた、みたいです。……何度言っても、夜中に出歩く癖が無くならなかったんです。多分、もう習慣みたいなものだったとしか思えないですね。


 ――あ、すみません。泣いたりして。


 どんな子だったかって? えっと……癇癪持ち、みたいなところがありましたね。

 思い通りにいかないと、暴れ始める様な感じです。あ、はい。そうです、だから秘密であの子――アリサを飼ってましたね。


 事故の様子を知っているか、ですか……?


 はい、一応。他の人に聞かせてもらったから。事故の様子、というより、あの子の様子ですけど。頭の後を強く打ったみたい、と聞きました。即死だって聞いたけど、せめて、苦しんでないといいです。

 え? あ、はい。そうです、事故の後に人から聞きました。余り、思い出したくないです……。


 犯人? はい、捕まりはしましたけど、思ったよりも罪は軽くなるみたいです……。

 もっと重い罪で償ってほしいと頼んだんです……だけど、検事さんはちゃんと取り合ってくれませんでした、無理だ、って。娘の友達の長谷はせ君も手伝ってくれたのに……、私達だけでは、駄目でした。


 首輪、ですか……? あれは、形見の一つの様に思っています……。あ、いえ。返してもらえれば構いませんが、ちょっと待ってもらってもいいですか。今持ってくるので。

 あ、いえ。えっと、そんな、有り難うございます。あの子も浮かばれると思います。




五月十六日


「――で、色々と見たり聞いたりで、何が判ったんです?」


 昨日、一昨日と徹夜で調べものをしていて、今は事務所のソファに横になっている晨夜に、彼方はコーヒーを淹れてテーブルに置いた。晨夜の対面に彼方が座ると、隈が出来ている眼を擦りながら、彼は起き上がった。


「ここ最近の猫が死んだ交通事故は、全て一つの事件だという事だ。それと三ヶ月前から猫の死体回収率が上がっていた」

「はぁ、そんな事まで調べられるんですか」


 彼方は晨夜の手腕に感心する。しかし、それは真面目に探偵業に従事すれば、かなり優秀なのだという事でもあるので、同時に不満も抱いた。


「……晨夜さん。趣味でそういう調べ事するのはいいですけど、ちゃんと働いて下さいね」


 晨夜は眠そうに顔を押さえながらコーヒーを一口飲むと、バツが悪そうに彼方を見る。


「今は大丈夫だろう。まだ前回の報酬もある」

「あたしは晨夜さんの生活を安定させたいんですっ。全く、どうしてヌエが視る度に、それこそ他の仕事をすっぽかしてまで調べるんですか? それに、今回は猫だし」


 晨夜はいつも霊――彼はそれをきよと呼んでいるが――の話を聞き付けると、それを最優先にして仕事をしなくなる。普通の探偵業をしない晨夜が、一体どうやって自分の給料や生活費等の金を捻出しているのか、彼方には未だ謎だ。


 たまに霊絡みの事が大事件に繋がり、それを解決する事で関係者に報酬を貰っている事から、一部では怪奇事件専門の探偵、と有名らしい。確かに、その時の報酬の桁が凄い事もしばしばあるが、彼方には霊に関してのワーカホリックにしか見えない。

 しかも、今回の霊は人ですらない、猫だ。何に興味をそそられ、事件性を見出せるのか、さっぱり判らない。


「――それは、俺も聞きたいな」


 考え耽っていると、彼方の耳に聞き慣れた声が届いた。


「あ、ヌエ。結局続きが気になって来たんだ」


 一昨日晨夜に言われた通りに、ヌエが来ていた。高校の制服を着ているので、放課後に直接事務所に来たのだろう。


「だけど、もう高校終わる時間になってたんだ?」


 時計を見ると、まだ高校の授業は終わっていない。サボったらしい。あぁもう……素行不良生だなぁ、と諦めにも似た気持ちを抱きながら、彼方は肩を竦めた。


「うん、まぁ。で、何でお前は俺が視たものを毎回調べるんだ? いつもやる『解体』だって、お前には何の意味も無いだろ?」


 その彼方の様子に気付いているのか、いないのか、ヌエは堂々と嘘を吐き、彼女の隣に座った。


「単なる知的探究心だ。『解体』はその結果だ」


 晨夜の返事は答えになっていない。

 ヌエは隣で呆れた様に、答える気は無いんだな、と溜息を吐く。


「まぁ確かに霊を相手にしたら、『解体』しないと殺されるかも知れないからな。関わった以上は回避出来ない事、か」


 『解体』かぁ――彼方は心中で呟いた。


 『解体』というのは、存在に必要な矛盾理由パラドツクス――霊に於いては未練――を、何らかの形で消す事だ、と彼方は聞いている。実際に『解体』に立ち会った事が無いので、それがどういう事かはよく解らないが、晨夜が言うには『矛盾理由パラドツクスに対する詭弁パラドツクス』らしい。

 晨夜曰く、霊は存在理由レーゾンデートル――即ち矛盾理由パラドツクス――が一つしか無いと言う。それが未練で、心残りを為そうとするので心霊現象というものが起きる。それは視えないからこその奇々怪々な現象で、ヌエの様に視える人や、理屈が解る人からすれば、心霊現象というのは、人為的なものに成り下がる。


(それでも、あたしからすれば、とか怪訝しい事がいっぱいあるんだけど)


 そう、人為的と言うには不可能な事が引き起こされている。


「そう言えば晨夜さん、何であたし達が霊を視れないだけで、人為的な行為が心霊現象になるんですか?」


 幾らそれに『媒介者ベクター』という名前が与えられ、視えたとしても、理屈が解ったとしても、彼方には心霊現象全般が、人為的な事には思えない。


「質問の意図がよく掴めないな……どういう事だ?」


 逆に訊き返された。


「……えっとですね、上手く言えないんですけど。あたし達が心霊現象を心霊現象と呼ぶのは、理外だからですよね? でも、ヌエの様に視える人からすれば、それは人為的なものになると晨夜さんは言いました。だとすると、……うーん、やっぱり上手く言えません」

「いや、そういう事なら簡単だ」


 彼方自身も、頭の中が整理の付かない状況になっていると、予想外に晨夜は今の説明で理解した。


「それは言い方の問題だ。無がボールペンを動かしても、俺達にはそれは認識出来ない。。つまり、視えないというよりも、認知出来ないと言う方が近い。それが結果的に視える視えないという話になるだけだ」

「認知、ですか?」


 耳慣れない言葉だ――確か、対象を認識してそれが何であるかを判断する事、だった気がする。それがどうしたのだろう、と彼方が考えていると、ヌエが会話に入ってきた。


「認知ってどういう事だ? あの、ドラマとかで親が子供を戸籍で認めるとかいう奴だろ」

「阿呆」

「あ、アホって何だ! アホって!」

「俺が今言っているのは後頭葉の機能の事だ」


 ヌエが「そんなの知るか!」と、喚いているのを横目に、彼方は話を戻す。


「……えっとじゃあ、あたしと晨夜さんはヌエと違って、失認状態なんですか? ヌエは脳の使われてない機能を使えてる、とか」


 晨夜の言う、認知出来ないという話だと、別に視えない訳ではない。それこそ失認――見えていても判らないという事になってしまうのだから、誰にでも霊が見えてはいる事になる。


「別に俺や彼方の後頭葉に障害があるという訳ではない。知覚出来てから初めて認知に繋がるんだが、虚有――霊という呼称の方がお前等には話し易いか――はだ。だから霊という対象を知覚して、それが何であるかを理解する認知が問題になる。それに認知と言っても脳の機能は関係無い。霊を知覚して認知出来る存在と、出来ない存在が居るだけで、認知が出来ない事が普通だ」

「つまり、霊の認知が出来るヌエの方が怪訝しいんですか?」


 ヌエは、怪訝しい、と言われ少し顔を顰めた。


「怪訝しいというよりも……仮説はある」


 そうだな、何処から説明するか――晨夜は懐中時計の鎖をさすった。


「世界に不適応するとベクターを持つ――という事から説明するか」

「不適応って、何だ?」


 ヌエが怪訝そうに言う。その隣で、彼方は考えを巡らせていた。

 不適応――ベクターを持っているという事がそうなのだろう。ならば適応しているというのは、ベクターを持っていないという事だ。


 だとしたら、ヌエはどちらになるのだろうか。


 霊が視えて、それでいてベクターを持っているから、普通、という訳ではない。かといって、霊の様に死んでいて、不適応とされているモノとは何処か違う気がする……。

 訳が解らなくなってきた彼方は観念する事にした。


「えーと、結局、どういう事です?」

「例えば、ホラー映画によく出るだろう。ラップ音、ポルターガイストに呪いという類が。生前はただの人間だったのに、死んだらあんな能力を手に入れる事が出来るというのは、怪訝しいとは思わないか」


 あぁ、確かに――とヌエが言った。


「でもアレは飽くまで虚構フイクシヨンだろ?」

「虚構だとしても元々のモデルがあるからこそ、ああいう話が出来る。創作自体はフィクションでも、昔から人々の間で語られてきたものはノンフィクションの中にモデルがある。想像の基盤は常に現実で、エピクロス曰く『たとい神意によるとも無からは何ものも生ぜず』だ」

「実在するからこそのモデル、ですか」


 現に、彼方はそういった事件に遭遇しているのだから、それを否定は出来ない。という事は、映画に登場するもの――ラップ音、ポルターガイストに呪い等々――にはモデルがあって、それこそ、長い時間を経て個々の想像力で色んな派生がされていて、原形を留めていないとしても、大元にはモデルとなるものがあるのだ。


「そうだ。そしてベクターは世界に不適応しないと持ち得ない。俺達存在は、世界が進む方向に進化や退化の適応をして生きているからだ。だが不適応した奴等は現状で顕れない筈の、ある可能性の媒介であり、その方向ベクトルを持つ者――つまり、媒介者ベクターという事になる」

「退化、ですか? 現代いまのあたし達からすれば、ベクターは超能力になりますよ。何でそれが退化になるんですか、寧ろ進化としか受け止められませんよ」


 例えばポルターガイストにしても、騒霊と書くが要は念動力だ。それをどうして退化と言えるのだろう。


「それが間違っている。当然として受け止めている現代の認識が前提にあるから、そう思い込んでいるだけで、環境が変われば認識も変わる。進化や退化というのは便宜的な方便だ。俺達からすればテレパシーが超能力だと思われる様に、会話という声帯の振動を使う物理的な意思疎通能力が、超能力としか思えない環境も可能性としては存在する。殆ど宇宙開闢の次元で語る並行世界染みた考え方だが、存在は世界で変化するという事が、世界の適応という事だ」


 進化論みたいだな――とヌエが呟いた。


「あ、でもあれは積み重ねる様な考え方だから違うか。お前の言う世界の適応の話だと、基本形から自在に変化するから――存在は全てベクターを持つ可能性を備えてるって事になるんだな」

「ん? だったらヌエの場合はどうなるの? 視える事――霊を認知出来る能力はどう分類されるんだろ」


 ヌエにはエラン・ヴィタールというベクターがあり、それがアルビノの体質を無害化していると言う。だが、それと霊を認知出来る能力とは別物だとも言っている。

 ベクターと分類するにしても、どんな世界の適応だろうと、霊が居ないという状況は無くならないと考えていいのだから、逆説的に霊の認知は当て嵌まらない。

 彼方がそう訊くと、晨夜は言った。


「霊は死んだから、存在が一度終わったからこそ不適応しているが、霊を認知出来る奴等も、ベクターを持ち、適応から外れている事は確かだ」


 例えば――と晨夜はヌエを見た。


「俺は林檎を片手で潰す事は出来ないが、お前は楽に出来るだろう?」

「え、まぁ、やった事は無いが多分」


 多分どころか、彼方はヌエが鉄の棒を握り潰したところを見た事がある。


「大の男でも一定以上の筋肉が無いと出来ない事を、見た目からしてそんな筋肉が無いお前は出来る」

「まぁ、それが〝生命の躍動エラン・ヴイタール〟だしな」

「そこだ。お前には、お前の持つベクターが性質としてある。彼方、性質とは何だと思う?」

「え? 性質、ですか? えっと……原子の組み合わせですか?」


 彼方の答えに晨夜は軽く頷く。


「大雑把に言えばそうだ。では、その原子とは何だ?」

「原子核と電子の集まり、ですね」

「では、原子核と電子とは何だ?」

「えぇ? えっと、その……これってソクラテスとの問答か何かですか? そんなの解りませんよ、もうっ」


 彼方は困った様に口を尖らせて言う。


「別に反駁的対話エレンコスをする気は無い。正解は素粒子だ。こうして分割していくと、終わりには最も根本的な世界という次元での最小構成要素が在るだろう。それが『ヒト』を構成した時に異能が現れるのが、媒介者ベクターだ」

「……は? いや、意味が解らない」


 間の抜けた調子のヌエの言葉に、晨夜は嘆息した。


「つまりだ、俺達はただ、この世界では〝文明の安楽椅子ホモ・サピエンス〟に座しているヒトであり、媒介者ベクターは完全に別世界の法則のヒトだという事だ」

「ヌエには、エラン・ヴィタールというベクターが性質としてある、って事ですよね? それが、霊にどう関わってるんですか?」

「この世界から外れた存在として、霊と同類という事になる。媒介者ベクターと霊の違いは、存在の不安定さの有無だけだが、それはまた違う枠での話になる。それがベクターへの性質の転化フエーズ・シフトの原因ではあるとだけ言っておこう」


 晨夜が話に区切りを付けようとすると、そろりとヌエが手を挙げた。


「済まん、全然解らない」

「……何処から解らないんだ」

「…………原子の辺りから」


 晨夜は思い切り溜息を吐いた。


「霊と媒介者ベクターは、世界からずれた存在同士だから視る事が出来る。もうそれだけでいい」


 ヌエは「世界からずれた、ね」と、頷きながら何処か自嘲気味に言った。


色素欠乏アルビノでベクターを持つ世界からずれた存在……中々にれている存在だな、俺も」


 ベクター一つで充分なのに――と独り言の様にヌエは嘆息する。


 ちらりと彼方は横目でヌエの姿を見る。真っ白なストレートヘアに、呉藍くれないの眼。髪と同様に雪の様に白い肌という容姿は何処か、浮世離れしている。あたしからすれば、この容姿が既に超能力みたいなものなんだけどなぁ、と益体の無い感想を抱いた。


「ところで、猫に関わる事全て判ったらしいが、それでお前は何をするんだ? 霊になった猫から何か判ったのか?」


 ヌエが捨て鉢気味に訊くと、


「いいや、猫の霊について目新しい事は何も無かった。ただ、猫は被害者だ。犯人の所には行く」


 晨夜は片目を細め、言った。


「相手は、歴とした人間だ」

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