6
黒木が事件の解決には俺が必要だと言うので、俺はバイトとして協力する事にした。
南川駅の高架下が目的地らしく、先刻からすっかり暗くなった高架下沿いをずっと歩いている。高架下隣には道路が通っていて、ヘッドライトを点けた車が走っている。その歩道を歩いているのは俺と黒木だけだ。
危険かも知れないって事で、捺夜は黒木が事務所で留守番をさせているのだが、それは俺が危険な目に遭うのは構わないって事か。いや、バイト代に釣られたのは俺だが、もう少し配慮の様なものがあっても、いいんじゃないだろうか。
目的地に向かう最中に、黒木が事件の概要を説明し始めた。
「犯人は堂崎
「……誰?」
そんな名前は今までに一度でも出てきたか?
「俺が、心当たりすら持たない相手に、唐突に人名を挙げると思ったか? 記憶を探れば思い当たる事だ、少し考えれば解る事だろう。それに、この事件について思索すれば、該当する人物は一人しか居な」
取り敢えず蹴った。
「……お前が遇った、女子中学生だ。一昨日、聞き込みをして、話を聞きに行った時に判った」
黒木は、俺に蹴られた脛を痛そうに引き摺りながら答えた。
「それで? 何であの子が犯人になるんだ」
こいつはあの女子中学生――堂崎美和子に話を聞いただけで、事件の全貌を明らかに出来たというのか。それとも、話の中で犯人だと確信する事があったんだろうか。
「あの子が飼い猫――アリサ、だったか――の飼い主だったからだ」
黒木は素っ気無く言った。
「だった、って……自分の飼い猫を殺したって言うのか? 俺が見た感じでは、あの子、猫の事を凄い心配していたぞ。今はペットを家族同然に思っている奴だって居るんだ。そうじゃなくても、簡単にペットを殺すか?」
それに、こいつの説明だと、堂崎が他の猫を殺す理由が無い。仮に、堂崎がアリサを簡単に殺せる程の理由があったとしても、他の犯行の動機にはならない。
俺がそう反論すると、黒木は言った。
「堂崎美和子は、高架下で親には秘密でアリサを飼っていた。そして、アリサを簡単に殺せるから犯人になる」
「……どういう事だ? アリサを殺す理由が、他の猫を殺す理由に繋がるのか?」
「いや、アリサを殺す理由が他の猫の事に直接繋がるという訳ではない。結果的にそうなったというだけの話、だろうな」
黒木は断言せずに、片目を細めて予断した。これ以上は話す気が無いって事か。
「……他には? 一昨日聞き込みしてたんなら、昨日は何してたんだ?」
「事故現場を調べて回っていた」
「何か判ったのか?」
「事故は全て同じものだった、という事だ」
「いや……、それは捺夜から聞いた話で判っていた事だろ」
猫が大型車に轢かれたという交通事故が、この話の原点にあった訳だし。俺が見た交通事故跡と捺夜から聞いた事故の話は、どう考えてもケースとしては同じだ。他の例も調べていたとして、ケースとしては似たり寄ったりのものしかないんだから、事故は同じものとしてしか扱えないだろう。
「ここだな」
黒木は高架下のフェンスで囲まれた空き地の前で立ち止まった。俺の疑問に答える気は無いらしい。
「……で、俺にどうしろって言うんだ?」
わざと不満気な声で言ったのにも拘らず、黒木はそれを気にも留めなかった。
「お前の出番はまだだ。ここにはアリサが飼われていた跡がある。そこに、堂崎美和子は現れる」
「――あったぞ」
アリサの小屋は高架の支柱の近くに、ちんまりと建てられていた。その住処は、明らかに誰かが造ってやったもので、それが誰かは考えるまでもない事だった。
成る程、これがあるから、黒木は俺をここに連れてきたんだろう。ここに堂崎が来る理由だ。猫を飼っていた跡。堂崎が気に掛けている、アリサの事、か。
三毛猫のアリサを捜していたから、他の猫と接触し――何故か殺した。しかも交通事故になる様に車に轢かせて、か。
思わず、手を強く握りしめていた。
「あとは待機する。向こうが猫に会いに来るのを待つだけだ」
俺の心中など知らずに、黒木は何の気も無しに言う。こいつの性格上、察したとしても何も言わないだろうが。
隣の道路の車は、ちょうど向かいから来る様になっている為、ライトが眩しかった。放射状に広がるライトの明かりは、隣を通り過ぎる度に消えていく。
高架下は電車が通る音も響き、車が通るのと重なると豪い騒音になる。煩過ぎる。耳がきん、として頭が麻痺する様な錯覚を覚える。
騒音に苛立ちながら、これでもう何台目か憶えていないライトに眼を細めた時だった。
「あれ? あの時の」
光の跡に、堂崎美和子が、不思議そうに俺を見ながら立っていた。
「――黒木、来たぞ。どうするんだ?」
黒木は一言、そうか、と言って堂崎の前に立った。
二人は奇妙な距離を保っている。中途半端な、会話をするには適していない隔たり。
「初めまして、堂崎美和子」
唐突に話し掛けてくる黒木に、堂崎は戸惑いを見せた。当然か、知らない人に急に話し掛けられれば、誰だってあんな顔をする。
「お前は、猫を殺しただろう?」
率直に黒木が訊くと、堂崎の顔色が変わった。
「……なっ。何の、事……ですか」
「お前はアリサを捜していた。だが、いつもお前が見つけた猫は、アリサじゃなかった」
「何、言ってるのか判らない、です……」
堂崎は目を逸らして俯くが、黒木は無視して続ける。
「いくら頑張ってもアリサは見つからなかった。街の到る所を捜したとは思う。だが、全く見つからなかった。思い通りに行かなくて苛々しただろう」
「なに……何でそんな事知ってるの……? 何でそんな事言うんですか? 訳解んないよ。貴方は誰ですか? 何を何処まで知ってるんですか? アリサの事知ってるなら教えてよっ、あたし――もう嫌なの。猫を殺したくないっ」
黒木は声を震わせる堂崎の方を一瞥して、少し間を置いてから言った。
「そうしてお前は癇癪を起こして、怒りに任せて猫を殺してしまったんだと、俺は思う」
「――るさい」
微かに、堂崎が呟いた。
「そんなの、あたしのせいじゃない。殺したくなかったけど、仕方無かったのっ。自分でも抑えられないんだもんっ、勝手に、勝手になっちゃうだもんっ!」
「そして毎回、猫を見つける度に、それがアリサでなかったら、そのまま怒りに任せて殺してしまった」
淡々と、堂崎の動揺も気にも留めずに、追い詰める様に黒木は語る。
「だからぁっ! あたしが悪いんじゃないっ。勝手に、どう仕様も無いんだもん。抑えられないんだから、どうにも出来ないじゃない!! やだ、もうやだっ。何でそんな事ばっか言うの? 何なの、黙ってよ。言われなくても判ってるっ。だけど、どうにも出来ないの!!」
また、ライトを点けた車が向こうから来た。光を背にしている為か、俺には堂崎が影法師の様に見えた。
堂崎が声を荒げているのに対して、黒木は淡々としている。
「お前は、猫を殺す度に自分のした事に動揺しながらも、猫を見つけると――殺してしまったんだ」
「――煩いっ!!」
怒声と同時に、堂崎の後ろで轟音が響き、スリップ音と、巨大な質量が近付いてくる振動が地面から伝わってきた。光がこちらに向かってきて、それがあっという間に大きくなる。トラックだかダンプカーだか判らないが、大型車がガードレールとフェンスを吹っ飛ばしてこちらに来ている。それだけは判った。
あの車は俺達は轢き殺そうとしている。
「止めろ」
だが隣の黒木は平然として、俺にそんな要求をしてきた。何を? そう一瞬考えたが、すぐに目の前の車の事を言っているのだと理解した。
「――ッ!」
殆ど反射的だった。俺は横合いから突っ込んでくるトラックに向き直り、そのまま拳でその車体を正面からぶん殴った。
ごこん、と奇妙な音がして、トラックは方向を変えて高架の支柱に突っ込む。爆発の様な音がして、そのビリビリとした空気の振動が、こちらにまで伝わってきた。
耳がきん、とする。
頭が麻痺している。
頭が働かずに混乱している。何が起こった? 愚問だ。車が突っ込んで来て俺が
「なっ、おい、今のは」
「〝
すぐ近くの事故に目もくれずに、黒木は即答する。
「
「いや、ちょっと待てよっ。何で堂崎がそんな事を」
「俺には堂崎美和子が視えない」
「――は?」
黒木の言葉を理解するのに暫らく掛かってから、
「じゃあ、あいつは」
「そうだ。死んでいる」
その事実を、聞く事しか出来なかった。
「説明する時間は無い。俺が堂崎美和子を『解体』するまで、お前は
黒木はそう言うと、俺に堂崎の居場所を教える様に促す。
「何なの! 何お前ッ、煩い! 死ね! 車に轢かれてグチャグチャになっちゃえ!」
少女は頭を掻き毟りながら地団駄を踏んで、辺り構わず怒りの言葉を吐き散らしていた。
「こんなっ、こんなの、あたしだって好きで殺したんじゃないっ。勝手に〝
しゃくり上げて泣き出した堂崎の後ろから、新しい車がライトをこちらに向けてやってきていた。それを見て、俺の隣に居た黒木が語気を鋭くして言う。
「早く堂崎美和子の居場所を教えろ、要素が揃ったらまた来るぞ」
俺は混乱している中、慌てて堂崎を指差す。その指の先に示した場所に居た堂崎は、ライトの光を受けて表情が暗く、口元だけがやたらとはっきり見えて――
「死ね」
少女のものとは思えない昏い声でそう言った。
金属が軋み、タイヤが地面を踏み締めて、馬鹿みたいにクラクションの音が鳴る。また横合いから突っ込んでくる鉄塊。形を変えた少女の殺意が鈍く巨大に襲い掛かる。
「止めろ」
黒木はあっさりと、おもちゃのミニカーを止めろとでも言わんばかりの調子で言う。今目の前に来ているのは数トンの殺意だっていうのに――
「――ッ! やればいいんだろやれば!!」
殆ど自棄糞に俺はトラックの真ん前に飛び込んで、勢いそのままに軸足を回転させて蹴り飛ばす。車体のドアが歪んで、履いていた靴が吹き飛んだ。一瞬運転手と目が合ってしまったが、すぐにエアバッグが作動して、その衝撃で気を失っていた。トラックはそのまま転がって三回転程してから止まった。
「まだ死ね!!」
休む間も無く、堂崎が叫ぶと新しい殺意が現れた。今度は乗用車。大丈夫だ、先刻よりも全然軽い。それよりも、このリプレイが車がある限り続く方が問題だった。
どうする?
一つしかない。車じゃなくて堂崎自身を止める。
俺は突っ込んできた乗用車に、右手を突き出して正面から押さえた。
「潰れろ潰れろ潰れろ潰れろ潰れろぉ!!」
堂崎が叫ぶ声に応じる様にタイヤが回転数を上げていく。靴が無くなって靴下だけになった足が、地面を滑ってじりじりと後ろに押される。
「こんの……!!」
壊せば止まる。だったらエンジンを壊せばいいだけの話だ。俺は空いている左手をボンネットに振り下ろした。車体が梃子の原理で少し浮き、自重で戻るとサスペンションが悲鳴の様な音を出して、やがて沈黙した。
「死ねって――言ってるのにぃ!!」
堂崎がまた声を上げる。だがそれに応える殺意の代わりは無かった。だがすぐにまた弾は補充される。だから俺は、止めた車の運転席のを引き剥がして、気絶している運転手を引っ張り出して、車体を持ち上げた。
ひっ、と堂崎が怯えた声を出す。俺はそれを無視して、車を地面に叩き付けた。ガラスが割れて、金属が折れ、車体が軋み、いっそ紙を潰した様な音だった。
そしてその鉄屑の真横では、堂崎がへたり込み、失禁していた。流石にもう、能力を使う気力は無いだろう。
「止めたぞ」
俺がそう言うと、黒木は溜息を吐いた。
「……もう少し上手くやれ。俺も殺すつもりか」
「んなっ!? 何だその言い草は! 折角俺が」
「少し黙れ。堂崎美和子はそこに居るんだろう」
「……あぁ」
言われて、俺は怯えと怒りで顔を引き攣らせた女子中学生の居場所を指差した。
そして黒木が無言で再び堂崎の前に立つ。
二人は奇妙な距離を保っている。中途半端な、会話をするには適していない隔たり。
「……なんなの?」
堂崎はぽつりと言った。
「なんなの? 何なの貴方達? どうなってるの? ねぇ、教えてよ? あたし悪夢でも見てるの? やっぱり死んじゃったの? アリサは何処に居るの? 教えてよ……ねぇってばぁ!!」
堂崎は泣きながら半狂乱で喚く。
だが、視えていない黒木はそれを意にも介さず、着ているコートから丸い輪の様な物を取り出した。
「これが解るだろう」
それは、少し赤黒く汚れたペット用の首輪だった。
「それ……あたしがあげた、アリサの……」
ふらふらと、堂崎は首輪に触れる。黒木にはどう見えているのか判らないが、堂崎が首輪を手に取ると静かにそれを放した。
そして、黒木は首輪を持った堂崎に向けて、
「お前は、既にアリサも殺してしまっているんだ」
それだけを、はっきりと言った。
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