3

 ……お腹空いた。


 鏡花に弁当を奪われた後、馬鹿の弁当を頂こうと思ったが、馬鹿は既に早弁した後だった。役立たずめ、やっぱり関節を嵌め直さなくて正解だった。購買で何かを買おうにも時間が無く、それ以前に鏡花に財布を掏られていた。くそ、あとで返してもらわないと。


 そんなこんなで昼休みは終了してしまい、五時限目の現国。

 お腹が減って無気力に机に突っ伏す事しか出来ない。頑張って腹の虫が鳴くっていう恥ずかしい事態にならない様にしているが、お陰で授業に集中出来ない。何て燃費の悪い俺の身体。阿呆らしさと虚しさで少し泣けてきた。


「……あかつき、授業を受ける気があるのか?」


 そして案の定、先生に見咎められた。


「……ありません」


 頑張って少しだけ顔を上げて言うと、見る見る内に先生の顔は赤くなり、文字通り、頭に血が昇っているのがよく判った。っていうか見れば判るだろう、やる気が無いの。


「だ、だったらもういい、帰れ!」

「それじゃ、帰ります……」

「なっ。待ちなさい!」


 引き止められる前に、聞こえない振りをして教室を出た。本気で帰れと思っていないなら、言わなければいいだろうに。だが今の俺にとっては何より食事が優先だ。

 取り敢えず食べ物がある所に向かおう。ここからだと、事務所が一番近い。




 俺の通う山瀬高校は、自宅から徒歩数十分の所にあり、俺と同じ住宅街方面に住んでいる大抵の学生は山瀬高校に進学する。だが、全員が住宅街から登校する生徒という事は当然無く、住宅街とは半端に離れた方向の南川駅から電車通学する奴等も居る。

 俺の目的地はその駅方面の、ビルが乱立していく繁華街なのだが、駅と住宅街方面では高校への道が途中で合流する形になっている。その為、高校から駅に向かうには途中までは通学路と同じになる。これも高校が山を背にした位置にある為なのだが。

 通学路を歩いていると、また歪んだガードレールが見えてきた。先刻の猫はもう回収されたのだろうか、もうガードレールを避けて歩いている人は居ない。


「…………」


 そんなに、俺が気にする事じゃない。


 死んだから終わったとされるのが普通だ。仮令、死について無関心だろうと、それで何かが変わる訳でもない。逆も同じだ。

 俺がどれだけ死を忌避しても、訪れる。死が終わりとして最期に佇む限りは、変わらない――予定調和だ。素直にそこで終わればいい。自分にとっての無だし、他人にとっては虚無だ。どうにも出来ない。

 死は手出しの出来ないところに在るからこそ死だ。

 否でも嫌でも厭でも――それだからこそ死は死足りえる。皮肉過ぎる、滑稽過ぎる。そんな事、俺の様な奴が考えても無意味にしかならない。だが判っていても拒絶してしまう。終わったからこそ、終わりを厭うしか無いなんていうのは――れ過ぎている。

 だからこそ、俺は死を忌避して、往々にして死を齎す霊を、終わらせたいのだろう。それこそ、鏡花に連れられて霊を視た時に、放って置いてもいい霊を『解体』したのは、自己満足にしかならない様に。


 そんな事を考えていると、今度は動いている猫が歩いてきた。


「――――」


 言葉を失った。


 あの死体の猫とそっくり――いや、同じだ。全く同じの猫としか思えない。茶と黒と白の毛色や毛並みの感じも、顔の形すらも朝に見た猫と同じだ。気のせいと言うには、余りにも印象が一致し過ぎている。

 猫は立ち尽くしている俺の傍に歩いてくると、目が合ったからか、にゃあ、と鳴いて歩いていった。猫は歩道を歩いて行き、人とぶつかりそうになり避けるが、人の方が不自然な程に避けない。いや、避けないっていうよりも気付いていない様だ。


 やはり、


 間違い無い。あれは、。今朝、車に轢かれた猫。それが他の人には視えずに、俺にだけ視えている。

 それを見て思わず歯噛みした。


「碌な事無いって、言ったのに……」


 なる奴は結局なってしまうのか。理由が、未練があるから、まだ世界から居なくなりたくないと、死んでも存在するという矛盾を顕す。

 厭なものだ。改めてどういうものか思い知らされるのは厭な事だ。あんなものが視えると、自分の存在が揺らぐ気がする。なまじ十二年前に死んだ感覚があるだけに、余計に足元が崩れそうに錯覚する。死んでも存在すると解ってしまうと、酷く複雑な気分になる。


「あの……」


 猫が歩いていった方を茫然と眺めていたら、控え目な声に話し掛けられた。

 振り返ると、女の子が居た。肩に掛かる自然な亜麻色の髪は飾り気が無く、まだ垢抜けない印象がある。中学生だろうか、俺の高校とは違う、セーラー服の制服だ。近隣には他に高校も無いし、見覚えの無い制服だから、俺の母校とは違う中学の子だろう。


「あっ! あのっ、済みません。猫を探してるんですけど、見ませんでしたか?」


 俺が振り向くと、その子は何故か少し慌てながら、とても嬉しそうな笑顔で訊いてきた。

 ……あの猫の事だろうか。俺には視えるが、あの猫はもう死んでしまっている。この子に視る事は出来ない。


「……どんな猫?」

「アリサっていう名前の、この位の大きさの三毛猫で……」

「あぁ、三毛猫なら。先刻、あっちに歩いて行くのを見た」

「本当ですか!? 有り難うございます!」


 俺が猫が歩いていった方向を教えると、満面の笑みで女の子は駆けていった。

 あの子に視えなくても、猫の方からは見える筈だし、間接的にでも逢えるといいんだが。


「……余計な、お世話だったかな」

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