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 校内に響く鐘の音。

 昼休みになって周りは勉強道具を片付け、昼飯を摂る為に机を離れていく。その騒々しさの中で、俺は机に突っ伏していた。


 身体――っていうよりも気分が怠い。朝あんなものを見てしまったからか、兎に角気が起きない。


「ヌーエー、顔に生気が無いぞー。真っ白……なのは、いつも通り羨ましいけど、元気が無い顔してるわよ。どしたー? 鬱かー?」


 能天気な声と共に、不意に抱き付かれた。怠い体に伸し掛かる体重が、調子の悪さに上乗せして不快感を更に増幅する。誰だと考えるまでも無く、あかさまに怠そうな人間にこんな事する奴の心当たりは一人しか無い。剰え周りの男子が俺達を見ているのだから。


「……鬱陶しい」

「んん? 私は抱き心地がいいわよ? あ、いい匂いがする」

「あぁもうっ」


 面倒臭くなって振り払おうとしたら、背後から抱き付いてきた相手は、それを見計らっていたかの様に楽しそうに笑い、長い髪を棚引かせながら離れた。


「……何の用」


 しっかりと相手の姿を確認すると、予想通りの奴がそこに居た。

 悪友の簓木ささらき鏡花きようか。長い黒髪は、鴉の濡れ羽色という形容がぴったりで、顔には薄く化粧をしてある。それが鏡花の顔に品良く馴染んでいて、妖しい感じで薄笑いを浮かべる顔は何処と無く歳に似合わない雰囲気を醸し出している。


 正直、本気で怠いので用件は早く済ませてほしい。


「えっとね、お昼一緒に食べ」

「断る」


 答えるのにコンマ秒も不要な用件だった。


「えー、速いよー、何だよー、折角私が誘ってやってるんだぞー。この山瀬高校一の美女と公式に認定されたこの簓木鏡花サンがっ!」


 鏡花は仁王立ちしながら、掌を自分の胸の上に置き、傍迷惑な大声を出す。鏡花はどれだけ怪訝しな振る舞いをしても、何故か校内で、その地位と信用を失墜させない。裏工作でもしているのだろうか。


「別に俺と一緒に食べなくてもいいだろ。他の奴誘えよ、生徒会の役員とか」

「解ってないわねぇ、ヌエ。女の子は気紛れな生き物なのよ? 今の私は、貴方と一緒にお昼したくて、しょうがないの。というか、こんな美人の誘いを足蹴にするなんて、普通は有り得ないわよ」


 鏡花は生徒会副会長なのだが、まだ前任の会長との交代が行われていないだけで、本来は得票数から言って会長でも怪訝しくなかった事実上の会長だ。

 容姿端麗で文武両道、詳しくは知らないが『校内No.1美女』とか、誰が考えたのか豪い恥ずかしい称号(校内投票による選抜らしい)を持っていたりと、月並みな美辞麗句が連なるベタな奴だ。

 ベタだが、その能力に則した結果を出すので、超が付く人気者らしい。生徒会としての活動も、生徒の意見を汲み取ってしっかりと反映させるし、教師側とも戦う時は徹底して戦う。高校二年生とは思えない行動力と物言いは、それこそ、教師もたじろぐ程で、生徒会を形骸的にせずに機能させているのは、偏に鏡花の力……らしい。


 全部又聞きの話だから、何処まで本当かは怪しいものだ。


 普通なら、鏡花の事は、俺の容姿に何の臆面も無しに付き合ってくれる、仲の良い友人として快く受け容れるべきなんだが、


「お前は確かに美人だけど、性格が悪過ぎるだろ」


 という事情と、こいつが俺を色々な事に利用しまくるから性質が悪い。何もかも、俺が事を、こいつが知っているからの気がしてならない。


 今までも、視えるなら学校の七不思議を発見出来るとか、廃屋に行けば何か視えるとか、墓場に行けば何か視えるとか、色々と付き合わされた。いや、確かに場所によっては視えたのだが、その殆どが――語弊があるかも知れないが、害にしかならなかったから間違ってはいないだろう――の様な奴等だった。

 そんなのに引き合わされる機会ばかり提供する鏡花に対して、今では解ってやっているんじゃないかと邪推する。流石に鏡花がサディストとは言え、それは有り得ないが。


「褒めるか貶すか、どちらかにしてくれないかしら?」

「あーあー、もう煩いなー。今は放っておいてくれ。身体怠いし、お昼を一緒に食べようとか言いながら、人の弁当を狙っている奴とは一緒に食べる気もしない。俺が人一倍食べるの知ってる癖に」

「……あら、ばれてる? 何で?」


 鏡花はきょとんした顔で首を傾げる。予想通りだった反応に、俺は頬杖を突きながら答えた。


「鎌掛けた」

「わっ、汚い。どっちが性格悪いのよ、貴方の方が余程汚いじゃない」


 失礼な事に鏡花は俺を指差して糾弾してくる。


「そもそもお前と他人を比べるのが間違ってるだろ」

「あら、それは褒めてる意味で受け取ってもいいのかしら?」

「褒めてない。どうしてそんなポジティブなんだよ……」

「そう言うヌエは、ネガティブに前向きよね。その器用さ、私は評価しているわよ?」

「お前に評価されても全く嬉しくない……お前の評価って、自分に役立つかどうかが採点基準だろ……」


 座右の銘が『他人の不幸は蜜の味』を地で行っている様な奴だ、これ以上関わっても碌な事が無い。

 時計を確認すると、昼休みになってからもう五分以上経っている。そろそろ馬鹿が襲来するかも知れない。時間的には既に危険だ、これ以上鏡花に構っている暇は無い。怠いとか言っている訳にもいかない。もし有馬バカが来たら余計に疲れるだけなのだから。


「もういいか? 馬鹿が来そうだから、俺はさっさと移動したいんだが」


 俺の言葉を聞いた鏡花は、不思議そうに言う。


「馬鹿って有馬君の事でしょう? 何が不都合なのよ。それに貴方、彼の事馬鹿馬鹿言ってるけど、私達と同じ位でしょ、彼の成績?」

「勉強出来るからって人格者な訳じゃないだろ。お前みたいに」

「最後の一言は兎も角、まぁ、そうね」


 鏡花は俺の言葉に納得する様に頷く。それで納得されてしまうのだから、やっぱり有馬は馬鹿だ。


「解ったなら俺は行く」

「あ、有馬君から逃げたいんだったら生徒会室開けてあげましょうか? あそこなら一般生徒は入れないわよ」

 鏡花は思い付いた様な素振りで提案した。

「…………」


 ――考えろ、熟考するべきだ。裏が無いかどうかを見定めないと。


 何かの罠かも知れない。

 鏡花が俺の中での『馬鹿=有馬』という図式を知っていたのが気になる。知り合いなんだろうか、そんな話は聞いた事が無い。だが、普段から馬鹿みたいに俺のところに襲撃に来る奴の事は有名なんだろう、馬鹿だから。一回、有馬ごと教室のドアを吹っ飛ばしてしまった事もあるし。

 だから二人の間に友人レベルの関係は無いから変な企みをしてはいないんだろうが……敢えてそんな状況を作らなかった可能性も……。


 …………。


 考えた分だけ泥沼に……。

 鏡花の顔を疑り深く見る事数秒。


「……じゃ、お言葉に甘える事にする」

「正直で可愛いぞー。可愛さ余って憎さ減退かしら?」


 意味が解らない事を言いながら、笑顔で俺の頭を撫でてくる鏡花。何だか腹立たしい。


「……煩いな」




 そして、生徒会室の扉を開けるとそこには、


「よお、ヌエ!」


 馬鹿の顔があった。

 取り敢えず殴った。


「おっふぁ?!」


 開口一番――いや開いてないから零番――に拳で語った俺に、変な呻き声を上げて有馬は転がり、鏡花が笑った。


「ふふっ、私を信じた貴方が悪い。忘れたの? 私の性格が悪いって言ったのは誰?」

「全部仕込みかよ!!」


 全て計算済みだったっていうのか。俺を陥れる為にわざわざここまで無駄な労力を掛けるなんて、馬鹿さ加減を過小評価していた。いや、この場合は権謀術策が趣味の鏡花を侮っていたと考えるべきだろうか。


「因みに、私が教室に来た時から全部罠よ。勿論、有馬君が教室に来なかったのも」

「ハハハハハ、オレと簓木さんは三日前から同盟を組んでいたのだ! 驚いたか!!」

「お前は黙れっ!」


 いつの間にか復活して後で高らかに笑っている野郎に、上段後回し蹴りを極める。


「あべしっ!?」


 首を跳ね上がらせ奇声を上げながら床に倒れこむ馬鹿。何だ今の言葉。透かさずそのままマウントポジションを取り、動けない様に腕を捻り上げた。


「何よ、先刻からつれないわね……」


 そんな俺を見て、鏡花が顔を伏せて急にしおらしげになる。


「私はただ、ヌエと一緒にお昼を食べたいだけなのに……」


 いじいじと拗ねた様に鏡花は言う。可愛らしい仕草で、まるで自分が悪い事をした気になるのが普通なんだろうが、


「鏡花、気持ち悪い」

「ふふっ、やっぱり? 私も自分で演技して鳥肌立ったわ」


 苦笑いする鏡花。慣れない事はするべきではないって事だろう。俺に対して科を作る鏡花なんて気持ち悪過ぎる。


「ちょっと、ちょっと! ヌエさん、余所見しながら関節技サブミツシヨン極めないで! 力加減が適当になってますよー! オレの腕がボッキリ行っちゃいますよー!」

「あー、大丈夫。骨は綺麗に折れた後は、より一層丈夫になるらしいから、一発ドッキリ行ってみようかー」

「折れる事前提デスか!? しかも希望的観測! やーめーてーくーだーさーい! あっ、凄い! 凄い目の淀み方! オレをヒトだと思っていない眼だ!!」

「本当に折ってやろうか……?」

「いでででででっ!? 痛いっ、痛いですよヌエさん?!」


 馬鹿を無視しながら腕を更に捻り上げて、少しの間苛めた。これで反省の色が搾り出せれば苦労しないのだが、無理だろう。こいつ馬鹿だから。


「えいっ」


 不意に、後で傍観していた筈の鏡花に背中を押された。その勢いで、ギリギリの所に止めていた馬鹿の腕は、限界を越えた方向に曲がる。


「うわらばっ!?」


 ゴキッ、と。

 何だか生徒会室に豪く響く、よくない鈍い音と呻き声。腕の中身がどうにか動いた感覚が馬鹿の腕から伝わってきた。だから何だお前のその叫び声は。


「…………」


 暫し、沈黙する。馬鹿は俺の下で、ぴくぴくと痛みで悶絶している。


 ……俺は悪くない。悪意はあったが俺は悪くない。寧ろ自分でやってやりたかったくらいだが、現時点で俺に罪は無い。ただのれ事だ。そう、戯れていただけなのだから、この場合は鏡花が悪い。

 少し変な汗を掻きながら鏡花に視線で釈明を求めると、


「ドッキリした?」


 と、いい笑顔でそう宣った。


「違うだろう! そうじゃないだろう?! 何やっているんだお前は、関節極まってるのに更に変な方向に力を加えるな! 骨が折れてたらどうするつもりだ!」


 足元でくたばっている男を指差すと、辛うじて痛みに耐えているのか、


「あ、折れた、のか? オレの腕……。へっ、痛過ぎて何も判ら、ねえ……や」


 言って、ぱたんと馬鹿の腕と意識が落ちた。


「本当に折れたの?」


 隣で鏡花が何の気も無しに訊いてくる。


「いや、不幸中の幸いと言うか何と言うか、関節が外れただけ。放置しておけばいいだろう」


 肘関節が面白いくらいに動く。何だ、この壊れた人形みたいなの。それに、関節が外れただけで気絶出来る有馬も凄い。これもプラシーボ効果と言うのだろうか。


「そう。じゃ、私はこれで。鍵は職員室にお願いね」

「あれ、昼飯食べないのか?」

「いえ、ご馳走様でした。ヌエのお弁当って量があるから食べ応えあったし、美味しかったわよ? それじゃ、鍵、お願いね」


 ぽいっと、にやにやと笑っている鏡花が鍵を放った机を見ると、開かれ蹂躙された俺の弁当箱。

 綺麗にパンの欠片も残さず、サンドイッチが無くなっていた。

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