踊る者たち 7

「………」

 剣は振り下ろされなかった。

 動けない。動けないのだ。

「なんで……」

 クローネにとどめを刺すのは自分でなければならない。それは、はっきりとわかっている。一度共鳴したことにより、彼女を殺せばどんな苦痛が待っているかは想像できたが、今はもう、それを受け止める覚悟は出来ていた。葛藤は理性で抑え込めるという、確信に似た思いである。

 それなのに、動けない。

 ユディスは自問した。慈悲を与えると決めたのは嘘だったのか? それとも、単に手を汚すのが嫌なのか? だとしたら、自分はなんと卑劣な人間か。

「どうして……? 共鳴状態からは解放されている……はず」

「ああ」

 カルがうなずく。

「だったら……どうして動けないの?」

「わからない。もしかしたら、もっと強い理由があるのかもしれない」

――すこし、我慢してくれ。

 カルがノーザパイドを持ち上げるの見て、ユディスは身構えた。ユディスの身体を撫でて吹きすぎた風が、剣に穿たれた穴に吸い込まれてゆく。

「あっ」

 心をさわられたのが、わかった。

「そうか……」

 カルは重々しく息を吐き出した。

「わかった――のですか?」

「きみはさっき、自分とクローネは同じだと言ったね?」

「それが、どうしたと……」

「クローネを突き動かしていたものは、言うまでもなく復讐心だった。でも、ユディス。きみはそうじゃない」

「なんですって」

 復讐ではない? そんなわけがあるか。ちがうと言うなら、では、なんだ。

「いい加減なことを……許しませんよ」

「そんなつもりはないよ」

 カルがかぶりを振った。

 心臓が暴れだしたような気がして、ユディスは胸をおさえた。なぜ、これほど動揺しているのかわからなかった。そして無性に、カルの言葉の続きを聞くのが怖かった。

「……暗闇の中で泣いている子供」

独り言のようにカルは言った。

「初めてきみに共鳴した時に聴いた音――ディナンが滅ぼされた日のきみ記憶……あれが、ずっとひっかかっていたんだ。きみは泣きながら、繰り返し繰り返し、何かに対して謝っていた」

 ごめんなさい……ごめんなさい……。

 耳に蘇る、幼き日の自分の声。

 行き倒れたユディスを助けてくれた老婆の話によれば、彼女は丸二日、熱に浮かされながらそればかりを繰り返していたという。

「きみは、ディナンでもっとも若い〈央の束ね手〉だった。まだ〈央〉としての自覚が薄かったきみは、修行がイヤで、よく森を抜け出していた。あの日もきみは、修行から逃げ出した。けれど、いつもは感じない胸騒ぎを感じて、村まで行かずに途中で引き返した。そうして、あの悲劇を目の当たりにした」

「やめて……」

「きみはこう思ったはずだ。『私が悪い子だから、こんなことになったんだ』と……」

 膝が落ちた。

 そうだ。思い出した。子供っぽい短絡的思考で、あの時ユディスはそう思い込んでしまった。これは、自分に与えられた罰なのだ――そして、罪を贖うために、仲間を殺した相手を探し出して仇を討てと、自らに課した。

「すこし考えれば、それは錯覚だとすぐに気づく。事実、きみは心身を磨り減らすほどの旅路の中で、自身への罰という意識を薄れさせ、徐々に目的を復讐へと置き換えていった。たしかに、そのほうが動機としては自然だし、誰かのせいにできる分、気持も楽だった。だが――」

 そこでカルは迷うように口をつぐんだが、それは一瞬のことだった。

「最初に抱いた思い込みは、きみの心に深く食い込んだまま存在し続けた。そして、今もきみを縛っている」

「どうして……復讐にせよ、罰にせよ、仇を討つという目的は同じのはず……」

「いや。いまや、クローネを殺すことは彼女への慈悲だ。それは、自らへの罰という本意からは外れる」

 望まぬ結末こそが、きみの望みだ――カルの声が、託宣のように響いた。

「なら……私は、どうしたら……」

 嗚咽を漏らすユディスの肩に手が置かれた。

「許すんだ」

――もう、許してやるといい。自分自身を。

「でも、どうやって……」

「もともと、きみは何ひとつ悪くはなかった。そうだろう?」

 ユディスがこれまで聞いた中で、もっとも優しい声音だった。見上げると、カルは微笑んでいた。例の、重さの感じられないふわりとした笑み――それは春の日差しのように温かく、かすかに憂いを含んでいた。

「あ――」

 ずっと、誰かにかけてもらいたいと思っていた言葉――声とともに、涙があふれた。とめどなく、あとからあとから。まるで、心に溜まっていた澱だとか、こびりついたしみだとか、そんないっさいがっさいを、洗い流してしまおうとするように。

 この時、自分がどんな声で泣いていたのか、ユディスはのちに思い出そうとしたが、かなわなかった。カルたちに訪ねるのも嫌だったので、きっと子供のようにみっともない泣き方だったのだろうと想像するほかなかった。

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