踊る者たち 3

 一瞬わきあがった喜びは、しかしすぐにもっと大きな絶望によって押し流された。

 オルラノが〈吐息ブレス〉となってこの場にいる――そのことが示すのは、つまり――

「どうした、喜んでくれないのか? お前の大好きだった兄さまだぞ」

 ユディスは答えなかった。〈吐息〉は人間に憑依する際に、その精神を破壊する。まれに器となった者の精神力が強い場合などに意識が残ることがあっても、いずれ例外なく〈吐息〉の意識に呑み込まれてしまう。つまり、目の前の男は、オルラノであってオルラノではないということだ。

「どうして……お前がその身体を使っている?」

「どうしても何も、あのディナン襲撃がそもそもそのためのものだったんだよ。アルフィヤはおしなべて高い魔力を持っているからな。我々の器にはもってこいだった。ついでに敵対しそうな勢力をひとつ潰せて一石二鳥――いや、〈吐息〉の力を手に入れたばかりの《響》にとっては、己の能力を試すという目的もあったから、三鳥だな」

 うまいことを言ったつもりなのか、《旋》はおかしそうに笑った。

「では、他の者も?」

「ああ。だが、器は年を経るごと、力を使うごとに劣化し、人のかたちを保てなくなる。ディナンで手に入れた器もだいぶ数が減ってきた。お前は運が良かったな、ユディス。この身体がお払い箱になる前に、こうして会うことができたのだから」

 たしかに、再びまみえたいと願ってはいた。死んだところを見たわけでもなく、もしかしたらどこかで生きているのではないかと、儚い望みを抱きもした。

(でも、こんなかたちでの再会になるとわかっていたら……)

 かつて慕った相手の中に得体の知れないモノが入り込んでいる――それは考えるだにおぞましく、そして許しがたかった。

 ユディスはゆっくりと立ち上がった。剣を握りなおし、《旋》に向かって足を踏み出す。制止するカルの声が聞こえたが無視した。怒りと嫌悪と哀しみが胸中で渦巻く中に一点、冷えている部分があった。それは、ユディスの戦士としての一分であり、オルラノをせめて自分の手で解放してやりたいと願う心であった。

「同じ手は……通じぬぞ」

 おもむろに《旋》は腰の左右に下げていた手斧をはずし、空中に放った。ふた振りの斧は、最初のひとつと同じように《旋》の周囲を回りだした。

 攻撃の激しさは三倍。だが、攻撃範囲が広がったわけではない。間合いぎりぎりにあえて踏み込んだ。左右から斧が迫る。ユディスはすぐさま身を引いて、射程外に逃れた。

 二度目。今度は前に。二つ同時にかわしたところへ三つ目が来た。まともに力を受け止めぬよう、角度をつけて剣で弾いた。

《旋》の顔色が変わった。斧の回転を調節し、先刻とはちがうタイミングで攻撃してくる。しかし、ユディスには敵がそうしてくることがわかっていた。よりかわすのが難しい攻撃であったにもかかわらず、余裕をもってしのいだ。

 ノーザパイドである。ユディスの許に向かいつつあるカルが、ユディスを通して《旋》の音を聴き、それをまたユディスに伝えるという作業を行っているのだった。それによって、ユディスにも《旋》の行動が読めるようになっていた。

 とはいえ、《旋》も甘くはなく、なかなか間合いを詰めさせてはくれなかった。間合いを詰めれば斧の回転半径もせばまり、その分攻撃が激しくなる。斧の動きは読めても、人間の反応速度には限界がある。何度か思い切って懐に飛び込もうとしたものの果たせず、腕や肩に傷を負った。

(ユディス!)

(大丈夫です。だんだんわかってきました)

 繋音術を使っての会話というのは、他人に聞かれずに済むのがありがたい。

 ユディスはわざと、足許の小石を踏んでよろめいたふりをした。案の定、そこを狙って斧が飛んできた。

「(graumm!)」

 斧に向かってかざしたユディスの手のひらから、すさまじい勢いで水流が迸った。水は使い方しだいで、どんな金属よりもするどい刃物となる。水の刃とまともにぶつかった斧は、ものの見事にまっぷたつになった。

(これでひとつ!)

 ユディスは剣を腰だめに構えて《旋》に突っ込んだ。地面すれすれ、すねの辺りを狙って斧が迫る。跳ぶ。右斜め前方から急角度で斧が降ってくる。剣で防いだ。だが、跳躍していたために踏ん張りがきかず、バランスを崩した。

 二つ目の斧が戻ってくる。防御は――かろうじて間に合ったが、剣が根元から折れた。ユディスは迷いなく剣を捨て、腰から二本の短剣を抜いた。右に構えたほうは、柄に装飾のある、故郷から持ってきた愛用の品だ。三つ目の斧を、短剣に風を纏わせて、遠くに弾き飛ばした。

(ふたつ!)

 さらに踏み込む。さすがにここまで《旋》に近づくと、攻撃の間隔が短すぎて素霊に呼びかける暇もない。ユディスは短剣を胸の前で交差させ、飛んできた斧を受け止めた。そのまま、押してくる力にあえて逆らわず、身体を入れ替えた。倒れこむようにして後方から自身の力を加え、地面に刃をつきたてた。

(みっつ……!)

 二本の短剣にがっちりと咥え込まれたまま地面に縫い付けられた斧は、なおも回転を続けようとしてがちがちと震えていた。

 ユディスは徒手空拳で《旋》と向かい合った。しかし、彼女には素手でも敵を倒せる術がある。相手もすでにそれを見ている。

 風を切る音。二つ目の斧が戻ってくる。ユディスは吼えた。手の中に水の刃が現れる。

「ユディス、わたしを殺すのか?」

 恐怖にひきつった顔で《旋》が叫んだ。自分の知るオルラノではない――そう理解していたはずだった。それでも、躊躇いが生じた。過去が、ユディスの足を鈍らせた。

 背後で硬いものが砕ける音がした。斧の力に耐え切れず、ついに短剣が折れたのだった。

「ユディス!」

 彼女を呼ぶ肉声が耳に届いた。ようやく来てくれた。ユディスの口許に笑みが浮かんだ。

(ごめんなさい、カル……少し遅かった……)

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