踊る者たち 2

 起伏に富んだ地形の先に、ようやくサーグリム城の黒い姿が見えた。

 その四方を、レシス軍が囲んでいる。バーレンとの連合軍と言っても、その割合は全体の一割ほどで、ほとんどはレシス兵で編成されているという。

「敵の総大将はオル・エシン。レシスでも有数の名将だ。レシスの兵は昔から弱いと言われているが、さすがに奴ほどの将が率いると、一筋縄ではいかないらしい」

 ゴダーロの言葉に応じるように、傭兵たちが武具をがちゃつかせた。腕が鳴るとでも言いたげな彼らの表情に、恐怖の色はなかった。ユディスを含めた二十人の傭兵は、ファイラム軍から支給された揃いの鎧――呪式甲冑を身につけていた。

 全身を覆う板金鎧だが、重厚な見た目のわりに軽く、動きやすい造りになっており、それぞれのパーツの表面には、水がうねるような紋様が刻まれている。これは呪紋と呼ばれる聖文の一種で、繋音術に反応して着用者の戦闘能力を飛躍的に増大させる効果がある。ちなみに、外からは見えないが、鎧の裏面にも同じものが刻まれている。

 ベルン・クオルは、サーグリムの南七ロンクォースの場所に陣を敷いた。

敵陣に動きはない。ファイラム軍は、援軍が二千、城を守る兵が五百。対するレシス軍は総勢六千。城の包囲に使う兵は容易に動かせないとは言え、数の上では劣勢の感は否めない。なんとか包囲の一角を崩しさえすれば、城の守備兵が呼応し、内と外から敵を蹴散らすこともできようが、謎の将の奮戦によって、ファイラム軍は一度それに失敗している。

「前回は、近隣の城からの寄せ集めの兵、その上敵に対する侮りもあった。だが、今度は違う。諸君らは世に隠れなき勇者たちである。諸君らの力と、この戦での勝利を、私は微塵も疑っておらぬ」

 堂々たる体躯にいかつい鉄仮面――ベルン・クオルはそう言って全軍を鼓舞した。事実、傭兵部隊を除けば、ファイラム軍のほとんどは正規軍、それも名のある騎士の許でそれなりに実戦も経験してきた精鋭ぞろいであった。ベルン・クオル自身も、数年前に取り立てられて以来、大小さまざまな戦で武功を挙げてきたつわものである。

 それでも、やはり不気味に静まり返ったレシス軍の陣を見ていると、ざわざわという不安が胸中に湧き上がってくるのを抑えることができない。

「……迷うナ」

 振り返ると、レイガンがじっとユディスを見下ろしていた。

「戦士に、迷いハ禁物……さもなクば、待つノは……死だ」

「ありがとう。私なら、大丈夫」

 それよりも――ユディスは、隊の中心にいるカルを視線で示した。カルは馬にまたがった状態で、鞘から抜いたノーザパイドを鞍に横たえ、焦点の定まっていない両眼で空を見ていた。繋音術は、精神こころを半ば虚ろの状態にしておかなければ使えない。今回は戦うことの出来ない彼の身を、周囲の者が守ってやる必要がある。

トーア……トーア……シャルツェ…………ミーム……シャルツェ……エトス……」

 いつもよりゆっくりとした指舞とともに、カルのくちびるからよどみなく聖文が紡ぎ出された。一瞬の眩暈の後に、意識が溶けて空中に拡がるような感覚がユディスを襲った。目には見えない意識の糸によって仲間たちと繋がったのだ。感覚が研ぎ澄まされ、周囲の気配が手に取るようにわかる。後ろを振り向かなくても、二十人の仲間がどこにいるのか――彼ら一人ひとりの考えていることさえ、うっすらと――

 ドン。ドン……。

 軍鼓が打ち鳴らされ、鬨の声を発しながらファイラム軍が前進を始めた。本陣からの指令が、繋音師アンフィシーであるカルを通して伝わってきた。

(敵軍と一定の距離を保ちつつ、右翼に展開……)

 口に出さずとも、思うだけで部隊が動く。これが、ユーネリアの軍である。

 ほとんど同時に、敵も動き出した。長槍を構えた部隊が押し出されるように前進し、ファイラム軍の進路に壁を築いた。互いに小細工は通用しないと踏んだのだろう。真正面からの、激突。

 喊声にやがて、怒号と悲鳴が混じり出した。味方の逸る心が伝わってくる。早く敵と切り結びたい、この世でただひとつ、戦場にしか存在しない、あのひりつくような感覚を味わいたい――普段のユディスであれば、ユラルの野蛮と吐き捨てるであろう思考である。しかし今は、ユディス自身もまた逸っていたことと、傭兵たちと半ば意識を共有している状態であったことが、嫌悪感を消していた。

(弓!)

 二十騎全員が同時に背や腰にある弓を手に取り、矢をつがえた。ひときわ目を引くのが、折りたたみ式で、伸ばすと持主の背丈をも超える、レイガンの剛弓だった。その偉容は、さながら攻城用の砲台のようだ。

「放て!」

 これは、声に出して命じた。敵味方が入り乱れている部分より、やや後方をめがけて矢がふりそそぐ。幾人かの敵兵が倒れたが、たいした痛手にはならない。

(よし。敵の注意が上にそれた)

 ユディスはレイガンに合図を送った。おそらくは、この戦場で最強の矢が放たれた。

 それは、ほとんど槍と呼んでもさしつかえない長さと太さを持っていた。やじりは巻貝のようにねじれ、回転による速度と威力を生み出す。唸りを上げて、矢は文字通り敵陣の一角に突き刺さった。敵陣に広がる動揺と恐怖。

「斬り込め!」

 弓をしまい、ユディスは剣を抜いた。いつもの短剣ではない。馬上では短い武器は不利だからだ。向かってきた一騎を、すれちがいざまに斬り伏せた。頚動脈から鮮血をあげて、その兵士は落馬した。

「やるな!」

 ゴダーロも愛用の大剣を振り回して右に左に敵兵を薙ぎ倒していった。レイガンは畳んだ弓を背負い、武器をハンマーに持ち替えていた。常人では両手で持ち上げるのがやっとという重さのハンマーを、彼は片手で軽々と振り回していた。繋音術で硬度を高められているはずの鎧が、レイガンの前ではまるで紙細工のようだった。

「なんなんだ、こいつらの強さは!」

 レシスの部隊長が悲鳴に近い声をあげた。ユディスの脳裏に、あきれたようなカルの思念が伝わってきた。負けたふりをするのではなかったのかと言いたいのだ。ユディスも苦笑したい気分だった。なにしろ、傭兵たちの力は、彼女の予想をも超えていた。

(だがどうする? いったん退いてもいいが、せっかく勢いづいたものを)

 そう思った時、敵陣が左右に分かれた。奥から、かなり上級の将校らしい、立派な軍装をまとった一騎が駆けてくる。兜の面頬をおろしているのでどんな顔なのかはわからない。奇妙なことに、その将の後ろに従っている兵士は一人もいなかった。

 ユディス隊の隣で戦っていた部隊が、敵陣の亀裂に雪崩れ込んだ。たしかに、いかに武勇に自身があろうと、単騎なら恐るるに足らぬと考えるのはわかる。だが、ユディスはその将を一目見た瞬間に、言い知れぬ不気味さを感じていた。

(いきなり戦いを挑むのは、まずい)

 そう思った直後に、その将に襲いかかった部隊の先頭から悲鳴があがった。

 土煙――と見えたが違う。舞い上がっているのは、斬りとばされた腕や首、血飛沫、肉片、武具の破片といったものだった。

「なんだ? なにが起こっている!」

 答える者はない。そうする間にも、味方の兵は次々に斬りとばされ、しかもだんだんとそれは近づいてきていた。

「ひ、ひけい!」

 そう叫んだ部隊長の顔面が、次の瞬間には猛獣の爪にかけられたかのように、乗っている馬の首ごと削り取られた。どんなものまだよく判らないが、相当に危険な威力を持った攻撃をしかけてきているのは間違いない。

身構えたユディスをかばうように、ゴダーロが馬を進めた。

「いけません」

「あんたは隊長だ。ここは俺にやらせてくれ」

 完全に、前にいた味方の隊が崩れた。向こうから、あの将がやってくる。彼は、両手を手綱から離していなかった。武器も持たず、たった一騎でどうやって――?

「おおッ!」

 雄叫びをあげてゴダーロが突っ込む。何か黒いものが、空中から彼に襲いかかった。がん、と音がして、ゴダーロの身体がかしいだ。やられたのかと思ってユディスは息を呑んだが、彼は無事だった。どうやら、大剣を盾代わりにして攻撃を防いだようだ。

「あれは……」

 大剣に当たったことで一瞬速度が落ち、攻撃の正体が知れた。それは、物凄い勢いで回転しながら飛び回る、両刃の手斧であった。

(当たりだ)

 カルの思念が流れ込んできた。素霊がざわめいている。しかも、聖文を放つのでも、素霊に語りかけるのでもなくこのような技を使うとなれば、間違いなく〈吐息ブレス〉である。

「畜生、速すぎるぜ」

 斧の動きについてゆけず、ゴダーロは大剣で防ぐのが精一杯だった。

「まずい。このままでは……」

 ユディスの不安は的中した。何度も斧を受け止める衝撃に耐え切れず、ゴダーロの剣がついに真ん中辺りで折れた。とどめとばかりに、手斧がゴダーロに向かって飛んでゆく。

「なめるな!」

 半分になった大剣で、ゴダーロは斧を叩き落した。斧の動きは、速度はあるものの単調で、さらに剣が折れて重さも半分になったので、ついていくことが出来たのだ。地面にめり込んだ斧を見て、ゴダーロはにやりと笑った。

 その直後――

 斧が生物のように地面から飛び上がり、ゴダーロの右肘を打った。

「え?」

 すでに敵将に目を向けていたゴダーロは、何が起きたのか理解できていない表情で、肘から先がなくなった己の右腕を見つめた。

「逃げて、ゴダ――」

 ユディスが叫び終わらぬうちに、一周して戻ってきた斧が、ゴダーロの頭部を吹き飛ばした。噴水のように血を迸らせながら、首を失ったゴダーロの身体はしばらく鞍上でゆらゆらと揺れていたが、やがて馬の背からずり落ちた。

「おのれぇッ!」

 何人かの傭兵は怒りに燃えたが、ほとんどはゴダーロのあまりにあっけない死に呆然となっていた。ユディスでさえ、一瞬頭が真っ白になってしまい、動くことも、指示を出すことも忘れていた。

 遠まきに〈吐息〉の将の戦いぶりを見守っていたレシスの部隊がにわかに動き出した。同時に、〈吐息〉の将はユディスらに背を向けた。

「待テ! 駄目だ」

 とっさに後を追おうとしたユディスの肩を、大きな手がつかんだ。レイガンだった。今は、向かってくる敵軍に対応すべき時、ということだ。

「急げ。指示を。間に合わナクなる」

 レシス軍は素早かった。〈吐息〉の将によって出来た隙を逃さず、反応の遅れたユディス隊をすでにほとんど取り囲んでいた。そういう訓練を積んでいるのだろう。ユディスはレイガンにうなずきかけ、腕を振り上げた。

「血路を開く! 隊列を乱すな、一点突破だ!」

 レシス兵が嵩にかかって攻め寄せてくる。ユディスは必死に剣を振るった。繋音術のせいで、味方の気配が、ひとつ、またひとつと消えてゆくのがありありと判った。一兵卒であれば、戦いに我を忘れることも出来ただろうが、隊長という立場が彼女にそれを許さなかった。負けるのは当初の予定にあったこと。しかし、戦いで失われる部下の命は否応なくユディスの肩にのしかかってくる。

(泣くのは後だ!)

 ユディスは叫び出したくなるのをこらえながら、腕の感覚がなくなるまで剣を振るい続けた。前をふさぐ敵兵の姿がなくなる。森に踏み込み、さらに馬を駆った。やがて森が終わり、前方に丘の見えるひらけた場所に出た。空がまぶしいほどに青く、戦の喧騒は遥か遠くになっていた。追ってくる敵もない。

(ひとまず、安心か)

 ユディスは味方の数をかぞえた。ここまでついて来たのは四騎。カルとは途中ではなればなれになっていたが、意識は繋がっているので無事なのはわかる。彼のほうには、他に七人ほどいるようだ。待っていれば、いずれ追いついてくるだろう。

「二人、斥候に。あとはここで待機――」

 言いかけたユディスの口が、途中で止まった。蹄の音が近づいてくる。

「ひとりか?」

ああ、と〈吐息〉の将は答えた。

「わたしは《旋》。わたしは常に独りだ。単騎にて、気の向くままに敵陣に斬り込むのみ」

 風を切る音がして斧が現れ、男の周囲を回り始めた。

「狙いは、カル?」

「そうだ。レシス兵だけでカタがつくかとも思ったが、そこまで甘くはなかったな」

 そう言うと、《旋》と名乗った〈吐息〉は無造作に突っ込んできた。一番近くにいた一人が斧の回転に巻き込まれ、声をあげる間もなく切り刻まれた。

 まずい――慌ててユディスは馬首を返そうとしたが、次の瞬間、馬の首に大穴があいた。地面に投げ出されたユディスは、受身を取って転がり、すぐさま立ち上がって身構えた。

「聞こえるか? カルティオン・ライルよ」

《旋》はすぐに襲ってはこず、ユディスを見下ろしながら言った。

「繋音術で聞こえているのだろう? 今、大急ぎでここに向かっているところか? まさか逃げ出してはおるまいな。はやく来ぬと、こいつらは全滅だぞ」

 兜の下から、こもったような笑い声が響いた。馬が一歩、こちらに近づく。

「私をエサに、カルを釣るつもり?」

 手のひらにじっとりと汗をかいていた。ユディスはゆっくりと、剣の柄を握りなおした。

「でも、私が勝てば、あなたの仲間について聞かせてもらえるのかしら?」

 ふん、と《旋》が馬鹿にするように鼻をならした。

(無理はするな、ユディス!)

 切迫したカルの声が聞こえた。心配されている、と感じて最初に浮かんだ言葉が「侮るな」だった。あの男に、対等の戦士として見られたい――いつからか、生まれていたその想い。おかしなものだ。たかがユラルの男に、認められたいと願うなんて。

(いいか。見えない鎖が、斧についていると考えればいい。攻撃範囲は、奴を中心としておよそ十歩の距離。それ以上近づかなければ大丈夫だから、なんとかおれが着くまでしのいでくれ)

(つまり、十歩の距離より外から攻撃をしかければいいわけですね?)

(――え? お、おい、ちょっと!)

(正味の戦闘力なら、私のほうが上なんですよね?)

(たしかにそうは言ったけど、しかし……)

(ありがとう。でも任せて)

 ユディスはまず後方に跳んだ。間合いを詰めてこようとした《旋》に向かって、左右から矢が放たれた。

「むっ」

 斧が《旋》の身体のすぐそばで回転し、矢を弾いた。回転範囲をせばめれば、盾としても機能する。単純だが、やっかいな能力だ。

 二度、三度と、ユディスは部下に指示を送って矢を放たせたが、いずれも防がれた。

 四度目――《旋》の態度には、余裕のようなものが感じられた。

「(qquiiiise!)」

 ユディスが風の素霊に呼びかけると同時に、三本の矢は勢いを増し、うなりをあげて《旋》に殺到した。それは見事に回転する斧のガードをすり抜け、一本は《旋》の兜に当たり、残る二本は左右から彼の乗る馬の首を貫いた。

 血の泡を吹きながら哀しげにいななき、馬は倒れた。かわいそうだが、機動力を削いでおかないと、《旋》の能力は危険すぎる。

「なるほど。アルフィヤの操霊術か」

 ゆらりと《旋》が立ち上がった。

「そう言えばたしか、ディナンの虐殺から逃れた餓鬼が、一匹いたような気がするな」

「なんですって?」

《旋》のかぶる兜は、面頬が矢の一撃によってはずれかけていた。《旋》は片手で無造作にそれをひきちぎった。下から現れた顔は、若々しく色白な、整った貌だった。ただし、それは左の半面のみで、彼の右目はつぶれ、醜い傷痕がくちびるの上まで達していた。

 ユディスは《旋》をまじまじと見つめた。その顔は、どこかで見たような気がした。

「まだわからないか?」

 そう言って《旋》は兜を脱いだ。金色の長い髪があふれて肩の上に落ちる。彼の耳は、ユディスと同じように先がとがっていた。

「あ――」

 ユディスは驚きのあまり言葉を失った。

「まさか、そんな……」

「夢ではないぞ」

《旋》はにやりとした。

 嘘だ。彼が生きているはずがない。彼はあの時、ユディスを逃がすためにたったひとりで敵に戦いを挑み、そして――

「久しぶりだな、ユディス」

「オルラノ……兄さま?」

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