侯爵 8

 女のほうは、ファラより若く、アークよりも年上に見えた。

 黒髪に、白磁でできた人形のように整った貌。ぽっかりとあいた虚ろのような眼で、こちらを見ている。

 男は異様に背が高く、黒っぽいローブをまとっており、顔の上半分はフードに隠されて見えなかった。

「あら」

 死人の色をした花が咲くように、少女が笑った。

「見つかってしまったわ」

 他愛のない遊戯の結果を悔しがるかのような物言いだった。

(なんだ、こいつら……?)

 アークはその二人に、いいようのない不気味さを感じていた。

 雨が本降りになっていた。あれほどたくさんいた人の群れが、蜘蛛の子を散らすように消えていった。けれど、その二人だけはそこから動かず、アークたちもまた動けずにいた。

「久しぶりね、ファラ」

 少女が、こちらに向かって一歩近づいた。

「ここでの用は済んだから、もう帰ろうと思っていたのに、困ったわね。しょうがないな……。ねえ、ファラ。今、もし、あなたがいなくなったら、カルはどんな顔をするかしら?」

 可愛らしく小首をかしげて少女が訊ねた。その瞬間、アークはファラの手首をつかみ、脱兎のごとく駆け出していた。

(やばいやばいやばい! あいつら、ガドたちみたいなゴロツキとはわけが違うぞ!)

 特に女のほうからは、剥き出しの敵意を感じた。どうやらファラやカルとは知り合いらしいが、あの場にいたら、何をされるかわからないと思った。

「ファラ! あいつら何者なんだ?」

「わからない。どこかで会ったような気もするけど」

「おいおい、ダメじゃねえかよ、それじゃあ!」

 振り返ると、女の足とは思えない速度で少女が追いかけてきていた。アークは必死で足を動かした。もともと身体を動かすのは苦手なほうで、しかもいきなり全力で走ったために、たちまち心臓が悲鳴をあげた。

(くそッ。こんなことなら、真正面から戦ったほうがマシかぁ?)

 だが、相手は二人。その上、どんな力を持っているのか判らない。もし一方が――あるいは二人とも〈吐息ブレス〉だったりしたら、アークといえども無事には済むまい。

「あ、あれ?」

やがて見えてきた、屋根が丸い形をした建物に気づいて、アークは狼狽した声をあげた。

「なあ、ファラ。僕ら、今どっちに向かって走ってる?」

「うん。西だよ」

「な、なんでだよ!」

 アークが見たのは愛の女神ルフィリアの神殿だった。ロマール教の神々を祀る神殿は、それぞれに建設する場所が細かく決められている。ルフィリア神殿は、必ず街の西側に置かれる。カルたちのいる営舎のある南を目指しているつもりだったのに、いつの間にかまるで別のほうに向かっていた。これはいったい、どういうことだ?

「止まりなさい!」

 少女の声が矢のように耳に突き刺さった。アークは、前のめりに倒れそうになるのをなんとかこらえた。両足が、地面に縫いつけられたかのように動かない。足首や膝などは普通に動かせるのに、靴の裏が地面に吸い付いたようになってしまって、そこから一歩も動けないのだ。

「なんだこりゃあ!」

「わたしの奇し名……《響》っていうの」

少女の声は、死者を弔う祈りのようにも聞こえた。

「《響》……《響》のクローネ。……あら?」

 クローネと名乗った少女は、空を見上げた。

「もう気づかれたの? ダメよ、まだ……今あいつと会ったら、抑えられそうもない」

 口許をひきつらせた少女の瞳は、憎悪とも歓喜ともつかぬ色に燃えていた。

「デナリス……あとは、任せるわ」

「はっ」

 いつの間にか少女の傍らに来ていたローブの男が答えた。クローネは、もうアークたちになど興味はないと言いたげにくるりと背を向け、すたすたと歩き出した。

「待て! どこへ行くつもりだ!」

「帰るのよ。さようなら、坊や。二度と会うこともないでしょう」

 遠ざかってゆく少女の黒髪が揺れる。もう一度、彼女を呼び止めようとしたアークは、なにかようすがおかしいことに気づき、足許を見た。

「これは……!」

 アークの身体が沈んでゆく。敷石がきちんと並べられた道が、柔らかく頼りなく変質し、動けない彼を、ゆっくりと呑み込んでゆく。

「我は《泥》のデナリス」

 金属をこすり合わせるような耳障りな声で、男が名乗った。

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