侯爵 6
「急ぎましょうか」
傭兵たちの集まっている営舎に向かう途中、ユディスは言った。無用な衝突を避けるため、正規軍用の営舎とは多少離れている。馬と騎竜は、城に預けた。
マレードの空は、厚い雲に覆われつつあった。鼻の奥に、冷たい湿気がまといつく。ほどなく一雨くるだろう。
「悪いね」
呟くような、カルの声だった。
「なにがですか?」
「つきあってもらってさ。本意ではないんだろう?」
ノーザパイドを使っていなくても、この男は鋭い。いったいどこまで見透かされているのかと考えると、悔しさに似た思いにかられる。
「あの方に雇われるのはよいのです。ただ、貴族同士の権力争いは、ご多分に漏れず、この国でも盛んと聞きます。できることなら、そんなものに巻き込まれたくはありませんね」
「正直だね」
カルが笑う。ユディスはすこしむっとした。
「正直にもなります。あなたといれば」
「たしかに。ミルザ様はああいった人だ。敵も多い」
アークがむっつりと言った。
「もしもの時は、抜けてくれて構わない。ミルザ様もそれでいいと仰っていた」
「あなたはどうするのですか、アーク」
「……ぼくの父は、ぼくが六つの時にバーレンとの戦で死んだ。母はそのあとすぐに心労で倒れて、そのまま――みなしごになったぼくを、ミルザ様が引き取ってここまで育てて下さったんだ。ラーナシアの邸には、ぼくと同じような境遇の子供が何人もいる。あの方は、ぼくらにとって、主であると同時に母であり姉でもある」
家族――なんだよ。アークは言った。
「だから、たとえ何があろうと、ぼくは最後まであの方と共にいるつもりだ」
まだ幼い瞳にゆるぎない意思を宿らせて、アークは遠い空をにらんだ。ユディスの口から長くため息が漏れた。
「あなたは卑怯です。そんな話を聞いたら、抜けにくくなるじゃありませんか」
「あれ? 同情しちゃった? 単純なやつ!」
なんて可愛げのないやつ――ユディスは口をへの字に結んだ。
「おいおい。抜けるの抜けないのと、まだ正式に取り立てられたわけでもないのに気が早すぎるだろ」
呆れ声でカルが言った。
ミルゼイユから与えられた任務――それは、傭兵としてサーグリムの戦に加わり、敵軍にいる〈
〈吐息〉と思われる男は、バーレンからの客将という扱いでありながら、常に単騎であるという。ところが、いったいどういう手を使っているのか、彼の現れるところ、ファイラムの部隊はことごとく壊乱し、また混乱した味方が同士討ちをたびたび起こした。
以上が、ミルゼイユから聞かされた、標的の情報だった。名前すらわからぬ、謎の敵将。ここから先は、ユディスたちが動いて探るしかない。
金で雇われた流れ者の集まりという性格上、傭兵部隊は、戦場における重要な局面に投入されることは少ない。その代わり、たいていは人数が必要な、激しい戦闘の行われる場所に十把一絡げで配置される。国家にとっては、金で補充のきく使い捨ての戦力ということだ。そこを、利用する。
戦闘が始まったら、最初のぶつかり合いで壊滅したふりをしていったん散り散りになり、あとは戦場を動き回ってそれらしい部隊を探す。ユディスたちの計画を大雑把に言うと、そんなところだ。傭兵たちの一部隊がどうなろうと、気に留めるものはほとんどいまい。
「でも……気が進みませんね。他の傭兵たちが、なんだか気の毒ですし」
「復讐のために、もうおれたちを利用してるんだ。そいつらも利用してやればいいだろう? せっかくのチャンスなんだ」
「意地の悪いことを」
ユディスは口をとがらせた。
「そこはおれたちがうまくフォローしてやればいいさ。それに、たしかに傭兵は死にやすいけど、その分、長く生き残ってきた連中は強い。侯爵の話じゃ、おれたちと一緒に戦うのはそういうやつらだって話だったろ?」
「それは、そうですが……それよりも……」
「なんだよ。はっきりしねえな」
アークがいらいらした口調で言った。
「あなたが……心配なんです、カル」
「おれが?」
「戦ともなれば、多くの人を斬らねばならないでしょう?」
「ああ、あの話か」
カルは言った。ノーザパイドを使って相手を倒すということは、愛する者を自らの手で殺すにも等しい、と。
「大丈夫。人間相手に、ノーザパイドは極力使わないことにしている」
そんなことを言って、自分にもアークにも使ったではないか。命のやりとりをする場合は、という意味なのかもしれないが、それでは、今度はカル自身にふりかかる危険が大きくなる。
ノーザパイドが無くとも、カルは強い。それは判っていても、やはり有ると無いのとでは大きく違う。しかし、これでは結局どちらを選んでも同じということになりはしないか。
「そう言えば、カル。あなたはこれまで、何人の〈吐息〉を倒してきたのですか?」
最初に出会った時、彼の瞳の中に見えたもの――あれは、彼が倒した〈吐息〉たちの記憶だったのではないか。
「なんだなんだ?」
アークがにやにやしながら会話に割り込んできた。
「えらく気にするじゃねえか。ひょっとして、岡惚れってやつか?」
「な、何を言うんですか!」
「やめとけよ。あんたにゃ無理だぜ」
「そういうことではありません。卑しい想像を働かせないでください」
アークが邪推したような感情など、カルに対して抱いたことはない。ユディスは純粋に、カルのことを案じただけだ。それはごくあたり前なことではないのか。
それに、ユディスだってわかっている。カルが自らの危険を顧みず、また心に深い傷を負うこともいとわず戦うのは、ひとえにファラのためなのだ。第三者の入り込む隙間など、あるはずがない。
営舎に着いた。アークとファラは入口に残した。実際に戦場に出るのは、ユディスとカルの二人だけだ。ラーナシア侯から説明を受けた後、アークは自分も行かせろと言い張った。侯爵への忠誠心の表れだろうが、その侯爵に仕えるエウ・マキスが、傭兵に混じるのはいかにも不自然だ。それに、彼は若すぎる。なにも急いで汚れることもないだろう。
ラーナシア侯のそばでできることもたくさんあるとカルに言われ、ようやくアークが折れた時、ユディスは自分でも驚くほどほっとしていた。
営舎は、四つの建物が長方形に連なったような構造をしており、真ん中にあいた空間が練兵場になっている。ユディスがカルと肩を並べて入って行くと、いかにもな連中が身体を動かしていた。
複数の視線が、新しく現れた二人に突き刺さった。ほう、と目を見開く者、口許をいやらしく歪める者、無関心を装いつつも、注意深くこちらを観察している者――
「あんたらで最後かな」
身の丈ほどもある大剣を振るっていたひげ面の男が口をひらいた。
「じゃあ、さっそく始めるとしようか」
「始めるとは?」
「おや? 聞いてないのかな、アルフィヤのお嬢さん。この隊は、まだ誰が隊長をやるのか決まってないんだよ」
「ああ、なるほど」
烏合の衆、と言うと聞こえは悪いが、傭兵部隊の多くは、個人もしくは少人数で放浪している腕自慢の連中を戦の直前にかき集めて編成されることが多い。部隊の指揮官は、傭兵の中から選ばれるか、正規軍の将が勤める。前者の選出方法の場合、その隊でもっとも強い者が指揮官となるのが慣例である。
(計画を成功させたければ、まずは実力で指揮権を奪えということね。まったく、ラーナシア侯もあれでなかなか……)
もっとも、ミルゼイユが最初から権力を行使してユディスかカルを隊長に据えようとしても、この連中は納得しなかっただろう。
「さあ、どっちから来る?」
髭面の男の目がぎょろぎょろと動いて、ユディスとカルを見比べた。
「ユディス、下がってて」
踏み出しかけたユディスを、カルが制した。
「またあなたが戦うんですか?」
「そう言うなよ。ほら、これ持ってて」
鞘に入ったノーザパイドを渡されて、ユディスは顔を曇らせた。先刻の会話を気にしているのか?
「木剣勝負だ。どの道、こいつは使えないよ」
先回りしてカルが言った。ユディスは我知らず、ノーザパイドの鞘をにぎりしめていた。
「俺はゴダーロ。俊腕のゴダーロなんて呼ばれてる」
髭面の男は、自分の大検を壁にたてかけ、代わりに床に木剣を二本手に取ると、一本をカルに投げてよこした。軍というものは、戦闘の専門家の集団である。傭兵に限らず、軍人はたとえ一兵卒であっても、その強さは一般人から見れば化物のようなものである。しかも、ただ腕っぷしが強いだけではなく、法術にもそれなりに精通していることが求められる。そうでない者は、せいぜいが街の警備や、軽犯罪を取り締まりにあたる役人程度にしかなれない。ゴダーロとかいう男も、見た目は粗野であっても、決してそれだけではあるまい。もっとも、カルも妖魔退治では名の知れた剣士である。本来ならユディスが心配する筋合いなどないのだが、なぜか妙な胸騒ぎがした。
立会いが始まると、ユディスはすぐに、ゴダーロの実力が傭兵としてもかなりのものであると気づいた。大剣を軽々とふるう膂力もさることながら、高度な剣技をも併せ持ち、しかも冷静に相手の動きを見極め、的確な攻撃を繰り出してくる。カルの剣は、これも力に頼らず受けに徹し、後の先を取ることに主眼を置いたタイプだ。
似たもの同士の対決は容易に決着を見ない。十合、二十合と打ち合ううちに、何度かひやりとさせられる場面があった。木の剣でありながら、ゴダーロの鋭い攻撃がカルの身体をかすめ、裂けた服の下に赤い筋を作った。
「あの若造、やるじゃねえか」
「ああ。あのゴダーロの攻撃をここまでしのぐとはな」
他の傭兵たちの会話から、ゴダーロが指揮官の有力候補なのだろうとユディスは察した。しかも、誰もがカルの力を認めながらも、最終的にはゴダーロが勝ちを疑っていない――
(いや)
練兵場の反対側からこの勝負を見つめる、他とは異質な視線――その持主は、どうやらそうは考えていないらしかった。
腕組みをし、壁に背を預けている大柄な男。一見眠っているようだが、意識はたしかにカルに向けられている。男は、
人間に竜の血が混じって生まれたとされるラハドは、トカゲが立ち上がったような外見を持つ好戦的な種族である。岩山、砂漠などに穴居し、ほとんどが原始的な生活様式だが、一部巨大な地下都市を建設して暮らしている一団もいるという。彼らは狩猟採集の他、宝石や鉱物資源を採掘して他種族と取引して暮らす者と、傭兵や用心棒などの荒事を生業としている者とがいる。
男の肌はかたそうな濃緑色の鱗に覆われ、頭にはゆるく湾曲した二本の角が生えていた。ジュナに乗り慣れているユディスにとっては親しみを覚えてもよさそうな姿かたちだったが、じっとカルだけに注がれる視線には暖かみのかけらもなく、戦士の冷徹な心のみが感じられた。
ラハドの男に気を取られていたユディスの耳に、おおっという歓声が聞こえた。
戦局が動いた。何かに気づいたカルが「
その隙に、カルの左手が木剣の柄をはなれ、空中に文字を描こうとする。指舞を阻止しようと、ゴダーロが木剣を突き出す。だが、それはフェイク。指舞を中断したカルは、一気に相手の懐にとびこみ、ゴダーロの顎の下に木剣を突きつけた。
「ま、まいった」
相手がそう言うのを聞いて、カルはふうっと息をついて木剣をおろした。
「なんでわかった?」
「立ち会う前に、あらかじめ聖文法を使ってたこと?」
敗れた男は、悔しさを滲ませた表情でうなずいた。
彼の動きが急に鈍ったのは、カルの解除の呪文で術が解けたせいだったのだ。おそらくは身体能力を高める術か、疲労を忘れさせる術だろう。
「なんとなく、戦っていて違和感があった。可能性を考えて、聖文法が一番高いと思ったんだ」
「ちっ。完敗だぜ」
「あんたも、術の底上げなしでもかなりのものだったよ」
カルが微笑むと、ゴダーロも声をあげて笑った。
「実を言うと、隊長はほとんど俺に決まりかけてたんだ。だが、これであんたが隊長だ。みんな、文句はねえな?」
ゴダーロが大声で訊ねると、周囲から、おお、と声があがった。だが、カルは傭兵たちの声など気にもとめず、壁際にいるラハドの男に目を向けた。
「お、おい?」
訝しげなゴダーロをよそに、カルはその男に近づいていった。
「おれはカルティオン・ライル。あんたは?」
「……レイガン」
「よろしく、レイガン。あんたも文句はない?」
「なゼ……俺に、訊ク?」
「だって一番強そうじゃない」
「………」
たしかに見た目では。そして、カルが言うなら実際そうなのだろう。
「指揮は、好カぬ。面倒デ……な」
「そっか。じゃあ決まりだね」
カルはくるりと振り返り、練兵場にいる傭兵たちを見回した。
「みんなもよろしく! みんなの命は、彼女が預かるからね!」
ふいに指をさされて、ユディスは面食らった。
「え? ちょ、ちょっと、カル」
「彼女はユディス・ディナン・ベスタルネフ。彼女が、この隊の隊長だ」
ざわざわと、傭兵たちが騒ぎはじめた。
「待ってください! いきなりっ……なんで私が」
「だって、きみはおれより強いだろ?」
狼狽するユディスに、カルは方目をつぶってみせた。
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