侯爵 4

 路銀が少なくなってくると、カルはファラに歌をうたわせて稼いだ。その歌声は、掛け値なしに素晴らしいものだと、ユディスは思った。時には、カルも一緒に笛を吹いた。これもまたなかなかの腕前だった。

 ファラの歌は、どこの街でも喝采を浴びた。自分を含め、心を持たないファラの歌声に、なぜ人々が感動するのか、ユディスには不思議でならなかった。

「こういうのも楽しいもんだな」

 はじめは芸事で糊口をしのぐのを嫌がっていたアークも、今ではすっかり二人に感化され、自ら進んで、呼び込みや聴衆の投げる小銭を集める役を買って出たりしていた。

「なんだか申し訳ないです」

 ユディスはと言えば、人前で何かを披露するなど論外であったので、せいぜい、おかしな奴が近づいてこないかとか、聴衆が興奮しすぎて混乱が起きたりしないように目を光らせているといったことくらいしか出来なかった。他人の稼いだ金で食事にありつくというのは、かなり気が引ける。

「気にすることはないよ。きみに向いた仕事のあるときに、頑張ってもらえばいい」

 金に困っているわりに、カルは金銭に無頓着なところがあった。報酬の半分を受け取らずにゴルトを立ち去ったことからも、それは窺えた。ユディスとしてはありがたいのだが、やはり悪いと思う。それに、歌の評判はよかったものの、稼ぎ自体はそれほどでもなかった。ファイラムの西へ行けば行くほど、戦の匂いが強くなっていったからだ。

「そろそろ教えてくれてもいいのではないですか、アーク」

 ユディスらに会わせたいという人物の名を、アークはまだ告げていなかった。カルが訊ねないのでユディスもそれにならっていたが、いい加減黙っているのにも飽きてきていた。

「わーったよ。次の城市(まち)に着いたら教えてやるから」

「次の城市?」

 ユディスは頭の中で地図を広げた。この先にあるのは、ファイラムの八大城塞都市のひとつ、マレードだ。八大城塞都市とは、ファイラムの帝都ファスターナを防衛するために放射状に設けられた軍事拠点であり、交通の要衝でもある。これらの地を治めるのは、ファイラムでも有数の実力と家柄を兼ね備えた大貴族たちである。

「まさか、マレード侯が……」

 マレード侯ローダスと言えば、かつては左将軍の地位にあり、名将の名をほしいままにしたほどの人物である。老齢を理由に後進に道を譲ったとはいえ、現在でもたびたびいくさ場に立ち、その采配ぶりは衰えを知らぬと聞く。そのような大物と繋がりがあるとすれば驚きだが、それならうかうかと名前を出せないのもうなずける。

「ばっか。単純だねえ」

 馬鹿にしきったアークの物言いにかちんときたものの、ユディスは声を荒げるのをおさえた。子供相手にいちいちムキになっていても仕方がない。

「では、現在マレードにいる貴族なり将軍なりのいずれかですか?」

 ユディスが言うと、アークはにいっとくちびるの端を上げた。

 ファイラム帝国は、東と南を海、西を山に囲まれ、北側はレシス、ユラノの二国に接している。両国とも長らくファイラムとの友好を保ち、特にレシスは、ユーネリア大陸に現存するもうひとつの帝国――バーレンに対する盾として、極めて重要な位置を占めていた。

 ところが二年前、ファイラム軍の大規模なバーレン遠征のさなか、突如としてレシスはファイラムとの同盟を破棄。補給を絶たれた遠征軍は壊滅した。以来、ファイラムのバーレン攻略は完全に途絶し、逆にファイラムがバーレン・レシスの連合軍にたびたび国境を脅かされることとなった。

 そして、今からおよそひと月前、国境近くのサーグリム城が、レシスの大軍に包囲された。マレードには、サーグリムへの援軍を送るための兵が続々集結しているという。

「当初は、最初に救援に向かった軍勢だけで包囲は解けると思われていたけれど、予想外にレシス軍が手ごわく、戦況はかんばしくないとか」

「レシス軍というより、バーレンからの客将におかしな奴がいるせいらしいぜ」

 横で聞いていたカルの眉が、ぴくりと動いた。

「きっとあんたは会いたがると思うよ、カル」

 アークは白い歯を見せ、実に生意気そうな表情になった。

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