侯爵 3

 結果的に、という但し書き付きではあるものの、例の悶着があって以来、カルとの距離は近くなったようにユディスは感じていた。

 眉ひとつ動かさず〈吐息ブレス〉を倒す男が、幼馴染みの少女のこととなるとまるで初心うぶなのだ。冷静になってみると、意外の念にとらわれるとともに、少しかわいくも思えた。

「まさか、弱みを握って優位に立ったとか思ってないよね?」

「い、いえ。そんなことは……」

 まあいい、とカルは居住まいを正した。距離が縮まったと一方では思っていても、一対一で向き合うとやはり緊張する。

「そうかしこまるなって。なんか照れる」

 苦笑するカルにつられそうになったが、口許がわずかにひきつっただけだった。心を読む。そういう相手と対峙することが、どういうことか――いや、たぶん、カルはそれもわかった上でユディスに接している。

「それで、何の話?」

 ああ、この目だ、とユディスは思う。まっすぐにこちらを射抜く、曇りのないまなこ。ユディスはこの目が怖い。深い水底を覗き込んだ時の吸い込まれるような感覚――そこに映る己の顔が、ふいに醜く歪む一瞬を、見つけてしまうのではないかという不安。

 むろんカルに悪意などない。だが、その事がいっそう、ユディスのそうした気持をかきたてるのだ。

「私は、あなたたちに、自分の復讐を手伝ってもらおうとは考えていません」

 こちらはカルたちを利用しようとしていて、向こうもそれはわかった上でユディスの同行を許している。ただ、引くべき一線はもうけておかねばならない。

「もし、仇と巡りあえたなら、私ひとりで戦おうと思います」

「それは虫がよすぎるな。おれだって〈吐息〉がいれば戦いたい」

「戦いの後、私の精気をヤトナ様に捧げます。それで問題はないはずでしょう? 私が敗れた時は、あなたが戦えばいい」

「……約束はできない」

 今はそれでいい、と思うことにした。少なくとも、カルに自分の意思は伝えた。

「あと、これも無理は承知ですが、一応――状況が許せばという条件付で構いません。その時になったら、あなたの剣を、お借りすることはできませんか?」

「ダメだ」

 今度は即答だった。多少は柔らかだったカルの表情が、厳しいものになっていた。

「ノーザパイドを、きみは何だと思ってる? これは、ワーナミンネの力を引き上げる装置なんて、そんなチャチな代物じゃない。他者の鳴らす音を、己の音に同調させ、共鳴させる――それがどういうことかわかるか?」

 カルの声が、かすかな熱を帯びた。

「いったんは共鳴した相手を倒す――それは、愛する者を自らの手で殺すことに等しい」

「私が、あの女を愛するとでも?」

 悪い冗談だ、と思った。

「この剣を使うってのは、そういうことだ」

「それでも、より確実に相手を仕留められる」

「未熟な者が道具に頼れば、たいてい良くない結果に終わる」

「未熟、ですって?」

「ちがうのかい?」

 すとんと胸に落ちてくるような訊ね方だった。ユディスは返答に詰まった。

「復讐をやめろとは言わない。そうすることでしか前に進めないのなら、そうするしかないだろう。でも、わざわざより大きな苦しみを背負う方法を選ぶことはない」

 覚悟を試しているのか? 否、そうではないだろう。カルの言葉からは、偽りの匂いはしない。むしろ、覚悟を固めさせるために語っているのだとさえ思えた。彼が提示したのは、より困難な道だ。

「わかりました。ノーザパイドの件については、ひとまず諦めましょう。代わりに、ひとつ教えてください」

「なんだい?」

「あなたは……ファラさんをあんなふうにした相手を、どうしたのですか?」

 挑むような気持で相手を見た。カルは、そんなユディスの視線を平然と受け止めた。

「片付けたよ」

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