魔道師(エウ・マキス) 7

 カルのターバンがふたつに裂け、はらりと落ちた。

 街道を数刻ほど進み、最初の休憩を取っている時であった。

「なんの真似です!」

 ユディスが怒鳴ると、アークは腕をゆっくりと降ろした。中指に指輪が嵌っている。エウ・マキスの使う法具――聖文法の威力を高める装備の一種だ。

「言ったろ? 昨日はカルの実力を見るチャンスを逃しちゃったからね。わざわざこうして、誰も巻き込まない場所を選んで、試してやろうっていうんじゃないか」

 感謝しろとでも言いたげに、アークはまた腕を持ち上げた。人差し指と中指をそろえて立てる。聖文を宙に綴る、指舞の構え――

レド……スィア!」

 聖文に使われるのはロームと呼ばれる特殊な文字である。一つひとつが意味を持ち、連ねて並べるとまるで生き物のようだ。聖文法を用いることを「聖文を放つ」と言う。

 耳をつんざく破裂音が鳴った。カルが転がって避けると、一瞬前まで彼が立っていた地面が、衝撃波によってえぐられた。ノーザパイドが抜かれ、七つの穴が息づく。カルも大きく息を吸い込んだ。周囲の素霊たちが色めきたつのがわかった。操霊術を使う気だ

「カル!」

 ファラが叫んだ。否、目の色がちがう。ヤトナが目覚めている。

「操霊術は使うな。武器もだ。お前も聖文法だけで戦ってみろ」

「なんだって! おれは、聖文法は苦手なんだぞ!」

「だから良いのだ」

 カルが青ざめるのが遠目にもわかった。無茶な、と言いかけたユディスはその言葉を途中で飲み込んだ。ヤトナが横目で彼女を見ていた。手も口も出すな、ということだ。

「やれぬのか? やらぬなら、わしが背後から攻めるぞ」

「くそッ。わかったよ!」

 カルはやけくそ気味に叫んでから、剣を収めた。

「舐めてんのか!」

「そういうわけじゃないんだが……」

バオ……リィバ……ガーク!」

 アークの手の中に、山吹色の炎でできた鞭が現れた。

 アークの指舞は正確で速い。研究室や儀式ではなく、戦闘に用いるための聖文法を修行してきたのだろう。鞭による攻撃をかわしながら、カルはアークの周囲をぐるぐると回った。懐に飛び込む隙を狙っているようだったが、一定の間合い以上には近づけずにいる。アークの消耗を待つにしても、法具の力を使い切るまでは、術者の体力は底なしと考えたほうが良い。指輪以外にも法具を隠し持っていたら、それこそそんな戦法は無意味である。

「危ない!」

 地面に穿たれた穴に、カルが足を取られた。容赦なく振るわれる炎の鞭。

ナグ!」

 カルの身体に届く寸前で、炎の鞭が手品のように消えた。

「なっ」

 アークだけではなく、ユディスも驚愕の声を漏らした。

 聖文法とはイメージの力。聖文いう文字の持つ意味と、己の中のあり得べきもうひとつの現実を重ね合わせることで、眼前の現実の姿を変化させる技術である。それゆえ、アルフィヤをはじめとする操霊術に重きを置く種族や人々からは、「聖文法同士の戦いでは、声の大きい者と思い込みの激しい者が強い」と揶揄される。実際、聖文法を破るには、より強い術で上書きするか、相手の術と同等もしくはそれ以上の、否定の意思をぶつけるのが基本と言われている。カルがたった今とったのが、まさしく後者の方法だった。

(ちょっと待ってよ。ということは、聖文法もちゃんと使えるんじゃないの?)

 カルは一気に間合いを詰めた。その指が、聖文を綴るために伸ばされる。決まると思われた瞬間、アークの着衣の袖から何かが飛び出した。

 それは、自立行動を行う金属製の蛇だった。偽の騎竜を造るのと同じ技術による、人造生物ゴーレム魔道師エウ・マキスのほとんどが抱える、身体能力の低さという弱点を補うための武装である。金属の蛇は、袖から顔を出すや否や形状を変化させ、アークの上体をすっぽり覆うほど大きな傘になった。

エクト!」

 傘の表面に手をつけて、カルが叫んだ。果たしてどんな術を使うのかと、ユディスは目をみはった。ところが、結果はカルの指の間から、ぷしゅう、と音をたてて煙がほんの少し出ただけで、他には何も起こらなかった。

「ああっ、くそ! やっぱり不発じゃないかあ!」

「き、期待通りなやつめ!」

 泣き笑いのような顔をするカルを指さして、ヤトナが大笑いした。

「笑い事じゃないでしょうに」

 ユディスはヤトナの肩をつかまえたが、畏れ多くてゆさぶるまではできなかった。

「やっぱり彼は、聖文法が苦手なんですね?」

「ああそうだ。だがそれは、意志や魔力が弱いということではない。むしろ、潜在的な魔力は人としては異常なほど強大だ。それゆえに、あの阿呆めは術の暴発を恐れ、無意識のうちに力をおさえこんでしまっておる」

 要するに修行が足りぬのだ、とヤトナは鼻を鳴らした。

「わしは優しいだろう?」

「は、はあ……」

「ほれ、カル! もっと集中せんか! 同じ芸を見ても、わしは喜ばんぞ!」

「芸とか言うな!」

 好き勝手なことを言うヤトナへの憤懣を隠そうともせず、カルは再開したアークの攻撃をかわし続ける。当たらない。アークは、いくら攻めても相手をとらえられないことに、徐々に焦りを覚え始めてきているようだった。最初にノーザパイドを抜いたことで、カルはアークの攻撃のクセが読めるのだろう。となると、問題はカルの側から仕掛ける場合だ。

フラス……シュナム……」

 カルのひとさし指が、虚空に流麗な文字を浮かび上がらせる。

ボラ!」

 アークの放った風の牙が、カルの背後にあった木の幹をえぐりとった。

「……ジール!」

 カルの指舞が終わり、聖文が放たれる。

 すさまじい光が彼を中心に爆発した。ユディスはとっさに目をとじた。

 しばらく待ったが、何も聞こえてこない。かたくつむっていたまぶたを、おそるおそる持ち上げる。見えたのは、前方に手のひらを突き出しているカルと、さっきと同じように蛇の盾を作って身を守っているアークの姿だった。

「また……不発?」

 ユディスの呟きが聞こえたのか、アークが蛇の防御を解き、勢い込んで聖文を綴った。カルは動かない。否、動けないのか?

「……!」

 勝利を確信した表情で、アークは口をひらいた。だが、その喉から出たのは、力ある聖文などではなく、指の先ほどの大きさの氷の粒だった。

「……?」

 驚愕に歪んだアークの口から、ぽろぽろとまた氷の粒が零れ落ちる。丸く、小さな突起のたくさん生えた半透明の塊は、コロナンという砂糖菓子の一種を思わせた。

「よかった……うまくいった」

「……、…………!」

 アークがぱくぱくと口を動かして何かを叫んだ。また、氷の粒が落ちる。彼は慌てて口をおさえ、涙目でカルを見つめた。

「声を封じたんだよ。これで、しばらく聖文法は使えない」

 疲れた声でカルは言った。どうやら、魔力のコントロールでかなり消耗したらしい。

「どうする? まだやるかい?」

 カルの問いに、アークは口をおさえたまま一瞬考え込み、それから大きく首を横に振った。たしかに、魔道師としては負けを認めざるを得ない状況である。

「よかった」

 カルもほっとしたように息をついた。そのようすを見て、ヤトナが舌打ちした。

「ダメだな。やはり互いに殺す気のない戦いでは、気もよう研ぎ澄まされん」

「頼むから、これ以上戦えなんて言わないでくれよ」

「言うか。時間のムダだ」

 口をとがらせて、ヤトナはその場に座り込んだ。代わりに人間の食べ物をよこせというのだ。傲慢そのものだが、逆らおうという気持は起こらない。見た目は愛らしい少女でも、中身はあのカルをも下僕扱いする女神なのだ。

 だが、その認識すらまだまだ甘いと、ユディスはほどなく思い知ることになる。

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