魔道師(エウ・マキス) 5
「なるほど。口実はそれか」
卓上に置かれた金貨の袋を見て、カルが言った。
「口実などと。これはあなたが受け取るべき正当な報酬です。そして、私の次の目的も、たまたまあなた――いえ、あなた方だったというだけ」
契約は重んじるべきです、報酬を受け取ることも含めて――そう言って、ユディスは袋をカルのほうへ押しやった。
「同感だ」
ファラがにやりとした。宿に着いたので、ぼろぼろになった服は捨て、今は別の衣服を見につけている。ごく普通の街着だが、彼女が着ると見栄えが違った。
傷心のパオロは、役人に霊のほこらでゴロツキどもが気を失っているとしらせに行っている。ファラの話では、連中は数日目を覚まさないはずとのことだった。
「それで、何から訊きたい?」
「そうですね。色々ありますが、まずは――彼女について」
ユディスはファラをちらりと見やった。
「んん?」
口許にはりつけた笑みからは、ファラの肚の底は見えない。こんな時は、小細工は弄せず正面からぶつかったほうがいい。ユディスはごくりと一度、つばを飲み込んだ。
「この方は――何なのですか?」
「何なのか、てか」
おかしそうに、ファラは声をあげた。
「言うてもお前は信じぬぞ」
「それは、聞いてみなければわかりません」
「ならば答えてやろう」
ファラは胸をそらした。どこまでも傲慢で、いけすかない女。眉をひそめたユディスの耳に、さらに不遜極まりない言葉が飛び込んできた――神だ。
「はあ?」
ユディスは思わず訊き返した。
「ほれ見ろ。信じなかった」
「いえ、待って……あまりに突拍子もなくて……で、でも……」
たしかに、あの圧倒的な威圧感は人間の域を超えている。だからと言って――
「神というても、ここのユラルが信仰しておるロマなんたらの神々とは違うぞ」
ロマール教、とカルが横から口を挟んだ。
「そういう、人が必要に迫られて作り出した神ではなく、いわば常にそこに在り、その強大さゆえに神とされた存在――素霊よりも、木っ端鬼神よりもさらに上位の――お前にもなじみのある言葉では、大精霊と言ったところかの」
「より正確には、ファラという女の子の肉体に、神が間借りしている状態なんだけど」
「では、ヤトナというのは、神としての名……?」
「そう。水を司る女神で、本来はこの世界と平行して存在する、別の世界に住んでいるらしい。おれたちの世界に現れる時には竜の姿を取ることが多いから、水竜とか蒼竜なんて呼ばれてるけど」
神でも竜でも精霊でも、呼び方はこの際どうでもよかった。たしかなのは、人智では到底はかりがたい、とてつもない力を持った存在が目の前にいるということだ。
「何のために、彼女に憑依を?」
「〈
カルは声を硬くした。垣間見えたのは、後悔――それとも自責の念か。
「だからおれは、ヤトナと契約した。ファラの
「それが、まさか――」
〈吐息〉と戦うこと?
「戦いによって純化され、高められた気は、我々の大好物なのだ。主として精気。それから闘気、魔力、なんとしてでも生き延びようという本能の力――そういった諸々の力を大量に貯め込むことはすなわち、神としての力の増大につながる」
そう言ってファラ――いや、この場合ヤトナと呼ぶべきか――はにやにやと笑った。さっきの口接け――あれは、ヤトナがカルの気を吸っていたのか。
「でも、それならわざわざファラさんの身体に入る意味はないのでは?」
「そんなことはないよ。ヤトナがファラに憑依していれば、〈吐息〉に乗っ取られる心配はなくなるし、ヤトナとしても、こちらの世界で活動する時は人間に憑いてたほうが無駄に力を使わずに済むからね」
「普段の彼女も――パオロさんが話したというのも、あなたなのですか?」
「いつもじゃないよ。ヤトナが休んでいる間は、ファラの記憶の断片を繋ぎ合わせた『擬人格』とでもいうべきものが、身体を動かしてる。一見ふつうに喋ったり行動したりしているようだけど、これには感情も思考能力もない」
「つまり――」
「外部からの刺激に反応するだけの、人形みたいなものってことさ」
二人は、同じ旅芸人の一座で育った幼馴染みだという。もしかしたらカルは、ファラがこんな目にあったのは、シン・ラの印を持つ自分のせいだと考えているのかも知れない。
「〈吐息〉ばかりと戦うのは、彼らがファラさんの仇だからですか?」
「いや、本当のところ、相手は何でもいいんだ。ただ、〈吐息〉なら放っておいても向こうからおれを狙ってやって来てくれるからね。必然的に、戦う機会が多くなるのさ。おれのほうからも追いかけることで、機会はさらに増える。増えれば増えた分だけ、ファラが元に戻る日も近くなる」
カルは手をのばして、ヤトナの手をとった。彼女の顔を見つめるカルの視線は、肉体を動かしている神ではなく、その向こうにいる少女を見ているのだろう。
「幸い、ファラはまだこうして生きてる」
生きていてくれてよかった――とカルは言った。仲間や家族をすべて殺されていたとしたら、彼もまた復讐に走ったかも知れない。そうならなくて良かったと言われているようで、少し胸が痛かった。
「では、もうひとつ」
カルたちの事情はだいたいわかった。ここからが本題。ユディスは緊張に身が引き締まる思いがした。自然と背筋がのび、視線をカルの正面から、ひたりと相手に据える。
「音を使う黒髪の少女をご存知ですか?」
カルは表情を引き締め、ユディスの視線を受け止めた。
「何か……大切なものが焼け落ちるイメージ――それが、きみと出会った時、最初に聴いた音だった。それから、暗闇の中で泣いている子供……『ごめんなさい、ごめんなさい』と繰り返しながら、渦を巻く負の感情に圧し潰されそうになっていた」
何があったか聞いてもいいかい、とカルは訊ねた。
「きみにとって、とても重い出来事だと思ったから、あまり深くは探らなかったんだ」
「……故郷を、滅ぼされました」
一言で吐き出すには力が要った。今でも、あの光景を思い出すと胸に昏い炎がともる。愛する者を――ディナンを焼いた奴らを、一人残らず焼き尽くしてやりたくなる。
〈吐息〉の存在を知った今、実際に故郷を焼いたバーレン兵たちは、操られていたにすぎないのだとわかる。だからと言って彼らがまったくの無実だとは言うつもりはない。操られたのは、心に弱さがあったからだ。だが、彼ら全員を裁くのは無益だし、あまりに労力が大きい。彼らを裁くのは諦める。その代わり、あの女だけは絶対に許さない。どんな手段をもってしても彼女を捉え、罪を償わせてやる……。
「結論から言えば、おれの知っている〈吐息〉にその条件に当てはまる奴はいない。でも、きみが〈吐息〉に関わっていることは、きみと共鳴してみてわかったからね。プラトーを見せるのはいいヒントになるんじゃないかと思った」
「ご親切に、どうも」
おせっかい。しかし、助かった。先の見えなかった道行きに、光をあててくれたのだから。我知らず口許が歪むのを、ユディスは抑えることができなかった。
「それで、私の心を読んだのなら、次に私がどうしたいと考えるのかもわかったのではありませんか?」
「心を読むのとは少し違うけど、たぶんわかるよ。どうすれば自分も〈吐息〉と巡り合えるか、だろう?」
「その通りです。さしあたって、あなたのそばにいることがもっとも確実な方法と見ましたが」
「おれたちについて来るつもりか」
ユディスがうなずくと、ヤトナは露骨に顔をしかめた。
「ほれ見ろ。こういうずうずうしい女は、他者を利用することしか考えんと言っただろう」
「ずうずうしいのは百も承知です。ですが、私にはこれしかすがるものがない。あなたはそれがわかっていながら、私にあれを見せた。その責任は、果たすべきではありませんか?」
いやな女と思われても構わない。実際、他に方法はないのだから。断られても、意地でもついて行ってやる。
「そんなことをして、わしらに何の得がある?」
意地悪く、ヤトナが訊いてくる。
「それは無論、私のアルフィヤとしての力が――」
「馬鹿か? 戦いは苦しいほうが良いと、先刻言うたではないか」
「ま、万が一カルが負けたら、元も子もないではありませんか!」
「こやつはそれほどやわではない。それに、もしこやつを倒すほどの相手が現れたら、なおのことお前など役に立たぬわ」
「そ、それはあまりに――」
本来ならば、他人にこのような物言いを許すユディスではない。しかし、相手は大精霊――ユラルにとってのロマールの神々のように、アルフィヤのユディスにとっては畏れ敬うべき存在である。頭ごなしの言動に腹は立ってもそれを口に出すわけにはいかなかった。
「お取り込みのところ、悪いんだけどさ」
背後で部屋のドアが開く気配がした。振り返ると、そこには一人の少年が立っていた。
「ぼくに提案がある。あんたたちどちらにとっても、そう悪い話じゃないぜ」
「……誰、ですか?」
生意気そうな顔をした少年は、ユディスたち三人の顔を順番に眺めていった。小奇麗な身なりからして貴族の子弟とも見えたが、それにしては供の者がいないのはおかしい。
「ぼくはアークフォンヌ・ベルフェウス。」
「そうか。きみが、ファラがさらわれたと報せてくれた
納得顔でカルが言った。
「エウ・マキスですって? その若さで?」
「信じられないかい? ぼくが魔道師の称号を得たのは二年前――十二の時だ。一応、歴代最年少の資格取得者ってことになるらしいよ」
少年は袖をまくって、エウ・マキスの証である組み紐を巻いた手首をのぞかせた。
この国では、帝都ファスターナにある慧導院という場所で行われる試験に通らなければ魔道師の資格を得ることができない。ユディスはあまり詳しくないが、試験は修行を積んだからといって誰もが通過できるというものではないはずだ。
「まあ、それはひとまず置いておこう。ぼくは、ある人の命令で、〈吐息〉と戦える人間を探している。行く先々で《青き花》の噂は聞いたよ。カルティオン・ライル、あんたには是非、ぼくの主に会ってもらいたい」
「なるほど。よいところに目をつけたの」
ヤトナがどこか馬鹿にしたような口調で言った。
「それから、ユディス・ディナン・ベスタルネフ、あんたもその気なら一緒に来るといい。ぼくが街道に仕掛けておいた炎の罠を破った手並みは見せてもらった。さすがはアルフィヤだけあって、それなりに使えるようだね」
「やっぱりあれは、あなたの仕業だったのですね」
ユディスは眉を逆立てた。
「まさか、ファラさんをさらったのもあなたの差し金ですか?」
「誤解しないでよ。あいつらはぼくとは無関係さ。まあ、カルの実力を見られる絶好のチャンスだったから、利用はさせてもらったけどね。あいつらの頭のガドって男は、傭兵くずれで、なかなか腕も立つって、ここら辺じゃ結構有名な奴だったんだ。でもまさか、カルの連れがこんなとんでもない化物だとは思わなかったよ」
あの罠は、余計な邪魔が入らないようにするためのものだったということか。
「なんて愚かな!」
ユディスは憤然となった。一歩間違えば――それこそ、ファラにヤトナが憑依していなかったら、どんな結果になっていたか。
「カル、こんな子供の言うことに取り合う必要などありません」
「ああそう。あんたは来ないつもりなんだ? まあ、ぼくはそれでもいいけどね。だけど、それなら彼がどうしようと、あんたには関係ないよな」
「なんですって!」
「まあまあ。ユディス、おさえて」
そう言うと、カルはアークフォンヌに深い色の瞳を向けた。
「朝廷内部に対〈吐息〉の動きがあるということは知っている。機会があれば、話を聞きたいと思っていた」
「本気ですか?」
「いちいちうるさい女だな」
アークフォンヌが、虫でも見るような目つきでユディスを睨んだ。
「これだからアルフィヤは野蛮でイヤなんだ。古のわざだかなんだかしらないが、カビの生えた操霊術なんかに固執して、今やいくさ場においてすら、時代から取り残されようとしてるくせに、態度だけは一丁前で」
「おのれ、よくもそこまで――」
ユディスは思わず短剣の柄に手をかけた。
「子供とはいえ、容赦はしません!」
その時、席を立ったカルが、素早くユディスとアークフォンヌの間に割って入った。手には抜き身のノーザパイドをさげて――
「カル! 邪魔をしないで下さい!」
「ヤトナ、どう思う?」
ユディスを無視して、カルは訊ねた。
「どうもなにも、〈吐息〉のことはお前に任せておる。そのためにノーザパイドも授けたのだ。好きにするがよかろう」
「わかった」
カルは満足そうにうなずくと、剣を鞘に収めた。それから、目を丸くしているアークフォンヌの手をつかんで、強引に握手をした。
「というわけだ。よろしく、アーク」
「あ――ああ、うん」
いきなり気安い呼び方をされ、少年は圧倒されたようすでうなずいた。
「小僧、化物と呼んだことは、今回だけは許してやる」
カルに数倍する迫力でヤトナが言った。ユディスは緊張を解き、柄から手を離した。この二人と少年とでは役者がちがう。そう思うと怒る気も失せた。
だが待て。カルたちがこの少年について行くとなると、自分も同行しなければならないではないか。エウ・マキスの、しかもこんな無礼極まりない子供と一緒などと、考えただけで怖気が走る。しかし――
「ユディスも来るよね?」
振り返ったカルが、当然といった口ぶりで訊いてきた。ここで彼と別れたら、仇の手がかりを失うことになる。好むと好まざるにかかわらず、ユディスに選択肢はないのだ。
「仲良くしろとは言わないけど、喧嘩はしないで欲しいな」
(しゃあしゃあと……)
ユディスは心底、カルの顔を殴りたいと思った。
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