魔道師(エウ・マキス) 3

 西の丘からさらにしばらく行ったところにあるほこらに、ファラは運び込まれた。

元は土地神を祀るものであったのだろうが、今は見る影もなく荒れ果て、周囲の木々になかば埋もれるように建っている。ファイラムが国教であるロマール教を篤く庇護したために、廃れた信仰は多い。参拝客の途絶えた神殿やほこらがならず者の拠りどころとならぬよう、その多くは取り壊されたが、中にはこのように残ってしまうものもあった。

 男たちは全部で六人。一人は外で見張りをしている。手足を縛られ、さるぐつわをかまされた状態で床に転がるファラを、五人の男たちはいやらしく口許を歪めて見下ろした。

「なるほど。お前たちが言ってた通り、かなりの上玉だな」

 リーダー格の男が言った。筋骨たくましく、顔に刃物による傷がある。

「へへ。でしょう? 歌もそりゃあ、なかなかでしたけど、こっちのほうでも稼がないなんて、もったいねえ話で」

「にしても、ちっとも怯えたふうにゃ見えねえな。おい」

 命じられて、男の一人がファラのさるぐつわをはずした。ファラは黙ったまま、人形のような無表情で、男たちの顔を順番に見つめた。乱暴に扱われたので、髪はほどけ、服装は乱れて、裾からは細い脚が見えていた。

「おお……でっけえ目」

「やっぱたまんねえな。この肌、この髪、この匂い……」

「俺、二ヶ月ぶりだぜ」

 喉を鳴らす音が複数、響く。

「おい」

 リーダー格の男が、ファラの目の前にしゃがみこんだ。

「震えもしねえか。お前、この状況がわかってんのか?」

「ガドさん、たぶんコイツ、ちょっと脳ミソが足りねえんです」

「まさか、変な病気を患ってたりしねえだろうな?」

「いや、見たところ健康そうですし、犯る分にゃ問題ねえと思いますが」

 他の連中も一斉にうなずいた。どれも、はやくファラをどうにかしたくて辛抱たまらないといった表情だった。

「くく、女が手篭めにされたと知ったら、あのガキ、どんなツラすっかな?」

「それがなくても、こいつなら随分楽しめそうだがな」

 下卑た笑いが空気を震わせる。

「おら」

 ぱしりと軽く、頬がはたかれた。

「何とか言えよ。ちったあ抵抗してくれたほうが、こっちも燃えるってもんだぜ?」

 ドスをきかせたガドの声。反応に困ったように、ファラの眉が寄る。

「なんかイラつくなあ! その態度!」

 横から伸びた大きな手がファラの胸倉をつかみ、力任せに服を引き裂いた。

「おいおい。あんま乱暴に扱うなよ」

 ガドはその男の手を払ったが、自分はもう一方の手で、ファラの服を脱がしにかかっている。そこでようやく、ファラはガドの手から逃れようと身体をくねらせた。

「おい、お前らしっかり押さえとけよ」

 ファラの頭がうしろから床に押しつけられた。男たちは興奮の度合いを高めてゆく。荒い息が、ファラの顔にかかった。


 ぜえぜえと、横を歩くパオロが肩を上下させている。ユディスは小さく溜息をついた。

 多少冷静になったパオロは、ファラをなんとしても助けようと大層な意気込みようだったが、今度は気が急くあまり目的地に着く前に力尽きて倒れてしまいそうになっている。

「そのほこらはもうすぐなんでしょう? もう、ここからは私ひとりでも」

「い、いや……俺……も……いっ……一緒に……」

「気持はわかりますが」

 元から彼に、戦力として期待はしていないし、この空回りっぷりは見ていて痛々しい。だいたい、事態は一刻を争うというのに、意地になっている場合か、とも思う。

「私に任せてくれれば――」

言いかけて、ユディスは口をつぐむ。ああ、なんでこんなことになっているのだか。

(本当は、ジュナに乗っていけば早いんだけど、私以外を乗せるのは嫌がるからなあ)

 ユディス個人としては、別にカルの連れには用はない。しかもさらったのは街のゴロツキで、アルフィヤとしての役目とも関係がない。これはまったく人道的な問題であって、しいてユディスに利があるとすれば、カルに恩を売れるということくらいだろう。

 割に合わない。また、ユディスは溜息をついた。

 幅の狭い道は、両側から覆いかぶさるように立ち並んでいる木々のせいで、昼間でも薄暗い。街から適度に距離があることといい、人通りの少なさといい、ファラが連れ込まれたと思しきほこらは柄の悪い連中の溜まり場としてうってつけだった。パオロの話では、ゴロツキは全部で六人。遅れを取るとは思わないが、気楽に相手をできる人数でもない。

「止まりなさい」

 ユディスは足を止めた。前方の地面。何かがおかしい。

「どうか……したん……ですか?」

 息を切らしながらパオロが問う。ユディスは答えず、小石をひとつ拾ってそこに放った。そのとたん、地面から幾本もの火柱が噴き上がり、二人の行く手を阻んだ。

「なッ……なんですか、これは……!」

 熱波がおしよせ、ちりちりと肌がひきつる感触がした。ふっ、とユディスは息を吸い込む。脚を交差し、両手で花が開くような動きをさせた後、右手を頭上に掲げた。

「(faanteu)」

 そして、手のひらに生まれた空気の弾丸を、思い切り真ん中の火柱の根元に叩きつける。強烈な破裂音とともに土と小石が飛び散った。パオロが「ひいっ」と叫んで目をとじた。

「見てください。これ」

「え――え?」

 一瞬前まで凄まじい勢いで燃えさかっていた炎が、跡形もなく消えていた。ユディスの術によって、道の真ん中が大きくえぐれ、その両脇に、かすれた文字のようなものが書かれていた。

バオ……オドル?」

「これは聖文しょうもんですね」

 聖文法を使う際に、術者が唱える呪文および書かれる文字を、併せて聖文と呼ぶ。どちらも術の発動に必要なもので、通常は口で呪文を唱えながら空中に文字を書く。その指の動きを指舞と言う。

「文字だけを残し、一定条件下において発動させるなんて、一般人にできる芸当ではありませんね」

 ユディスは威嚇するようにパオロを見た。

「彼らの中に、魔道師エウ・マキスがいるのですか?」

「し、知らない」

 パオロはおろおろと首を左右に振った。嘘をついているわけではなさそうだ。

 エウ・マキス――ワーナミンネであるユディスにとっては、もっとも嫌悪すべき人種である。

 聖文法は誰にでも使える技術だが、その原理まで理解している者は少ない。エウ・マキスとは、聖文法を世に広め、またその術理を極めんとする求道の徒であるが、彼らの行為は、極言すればこの世界を人の手の内に収めようとする傲慢な試みでもある。古からの法術――操霊術を現在いまに伝えるアルフィヤの多くはそれゆえに彼らを敵視し、ユディスもまたそうした考えを受け継いでいた。

(できれば一生関わり合いになんてなりたくなかったのに)

 セーヴァからここ、ついてないことが多すぎる。ユディスはだんだん腹が立ってきた。

 しかし、こんなところで足止めを食っている場合ではない。気を取り直して、二人はまた歩き出した。敵の見張りがいるとしたらそろそろだ。ユディスは油断なく辺りを窺った。

 すると、左手の繁みががさがさと動き、そこから男が出てきた。とっさに武器を抜き、構える。が、相手の顔を見て、ユディスは「あっ」と声をあげた。

「カル!」

「やあ、ユディスじゃないか」

《青き花》の異名を持つ剣士は嬉しそうに片手を上げた。相変わらず暢気さ。だが、ユディスはすぐに気づいた。興奮と、血の匂い――この男、ついさっきまで何かと戦っていた。

「また〈吐息ブレス〉ですか?」

「鋭いな」

「あなたがそうしている間に、連れの女性がさらわれたのですよ」

「知ってる。だからここにいる」

カルに驚いたようすはなかった。

「親切にもしらせてくれた人がいたんだ」

「どこの誰がそんなことを?」

「さあ?」

 カルは肩をすくめた。

「その剣は使わなかったのですか?」

「聖文法による念話で、一方的に言葉が送られてきたんだ」

 また聖文法? もしかして、さっきの罠を仕掛けたエウ・マキスだろうか。だとしたら、このまま行くのは――

「まずいな。間に合わないかも」

 この男でも、焦りを口にすることがあるのか。奇妙な感動を覚えて立ち尽くしていると、小走りになったカルはどんどん遠ざかって行った。

「待ちなさい! 真正面から行くのは危険です!」

「大丈夫!」

 えらくきっぱりと言い切った。

「ちょ、ちょっと、それはどういうことですか?」

 自信があるのかないのかどっちなのだ。わけがわからないまま、ユディスも後を追って駆け出した。

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