素霊使い(ワーナミンネ) 7
長らくセーヴァを支配していた暴虐の主が死んだとあって、人々はもうつく機会などないものと諦めていた安堵のため息をついた。
力なくへたり込み、すすり泣く者。笑いあう者――間に合わなかった者もいる。それを思うと素直に喜ぶことは躊躇われたが、少なくとも彼らは死なせずにすんだ。それで良しとすべきだと、ユディスは思った。
(まあ、私は結局何もできなかったわけだけど……)
アルフィヤとしては情けない限りである。
カルは疲れたような顔をしていた。首には痛々しい手形がついている。
「大丈夫ですか?」
「ああ。このくらいなら、なんでもない」
「ともあれ、これで事件は解決ですね。――そうだ」
ユディスは住民たちのところへ戻り、依頼人の代表であるダロス・クレイグの娘はいないかと訊ねた。すると、住民の輪の中から、おずおずと手があがった。
「わ、わたしがサーラ・クレイグです」
「ご無事でしたか。良かった」
ユディスは、事の発端からの経緯を彼女に訊ねた。やつれてはいるが、サーラの受け答えはしっかりしていた。
「そうだ、あの怪物を退治してくださった方は?」
お礼をしないと、と言って、サーラは首をのばしてユディスの後ろをのぞいた。
そう言えば、助かったというのに、サーラ以外の街の住民は誰一人カルに近づこうとしていない。
(彼が印持ちだから?)
これだからユラルは、とユディスは内心で舌打ちした。狭量で流されやすく、ろくに考える頭を持たない。カルは街と自分たちを救ってくれた英雄だろうに。
「どうしました? 彼ならそこに――」
振り返ったユディスは、そこにいるはずの青年の姿がないことに気づいた。
邸中を探し、霧の晴れた街をあちこち走り回ったが、結局カルは見つからなかった。ダンドロもいなくなっていたが、これはまあ、判る。
報告のため、先に戻ったのだろうということになり、ユディスもサーラを連れてセーヴァを後にした。
ゴルトに到着し、まずはクレイグ邸に向かった。ダロス・クレイグの喜びようは、ひとかたならぬものだった。彼はしきりに礼を言い、アルフィヤであるユディスの手を握って涙まで浮かべた。ゴルトの名主といっても、こうした姿はどこにでもいる善良な父親のそれに過ぎなかった。
「カルティオン・ライルは来ていないのですか?」
いくぶん辟易しながら訊ねると、ダロスは首を横に振った。
そこで、彼の連れが泊まっているという宿の場所を教えてもらい、そこに行ってみることにした。報酬の半金を渡さねばというので、サーラも彼女についてきた。
「その人ならもういないよ」
というのが、宿の主人の返答だった。
「しまった」
ユディスは呻いた。依頼人にも会わず、これではまるで逃げ出したようではないか。
「どうして……」
サーラが当惑顔で言った。
「あのプラトーとかいう妖魔が、彼を追ってセーヴァに流れ着いたと言っていたのは覚えていますか? 彼は《シン・ラの印持ち》……そのことと結び付けられては面倒と考えたのかも知れません」
「そんな……たとえ印持ちでも、あの方がわたしたちを救ってくれたことに変わりはないのに」
「あの場にいた全員がそう考えるかは、わかりません」
カルに向けられた視線の中には、まるであの化物の同類を見るかのような嫌悪のこもったものもあった。彼に肩入れするわけではないが、そうしたユラルの態度を思うと、自然と言葉にとげが混じる。
「どうしましょう……これ」
サーラが金貨の詰まった袋を見つめた。
「あんたが受け取ったらいいんじゃないですかい?」
宿の主人が横から言うと、サーラもそれがいいですとうなずいた。
「いえ。私はほとんど何もしていません。これを受け取るのは、やはりあの青年であるべきです」
ユディスが断ると、サーラは困った顔をした。報酬を渡せずに持ち帰ったら、父親に叱られるとでも考えているのだろう。ユディスは少し考えてから言った。
「では、私がこれを彼に届けるというのはどうでしょう?」
カルには〈吐息〉のことなど、個人的に訊きたいことが山ほどある。あるいはユディスの故郷を――ディナンの森を滅ぼした少女についても、何か手がかりが得られるかも知れない。
早朝の街道に、蹄の音が響いていた。
西に向かってひた走るその背には、二人の旅人がまたがっていた。どちらもマントのフードを深くおろしており、人相は知れない。
「まったく。せわしないことよの」
後ろに乗る人物が呟いた。鈴を震わせるような、若い女の声であった。
「金ぐらい、もろうておけばよかったのではないか?」
「………」
前の人物は、無言で馬に鞭を入れた。無視したというより、答えにつまったといった感じだった。
「まあ、面倒ごとをさけたいという気持はわからぬでもないがの。……だが、己がさだめに抗うのどうのと息巻いておったわりには、弱腰というか、なんというか」
「うるさいな、ヤトナ」
ようやく彼は口をきいた。
「そうか。そう言えば、お前はいつも、一戦交えた後はそんな調子であったな。これはわしが悪かった。無理もない、無理もない」
からかうような調子で言って、女は忍び笑いをもらした。
「おや? 怒ったか」
「いや……」
「ならこっちを向け」
女は男のフードを乱暴にひっぱった。あらわになった顔は、つい昨晩、セーヴァの街で化物退治をしたカルティオン・ライルのものだった。
「よい気が満ちておる……」
女がカルの頬をなでた。彼は不承不承といったていで首を後ろに向けた。口の端を満足そうに持ち上げた女は、自分のフードもはねのけた。
豊かな銀灰色の髪がフードの中からあふれるように現れ、きらきらと輝きながら風になびいた。
美しい娘であった。
なめらかな額から鼻にかけての造型、細い首からおとがいに至る曲線、弓なりの眉、ぽってりとした紅いくちびる――それらすべてが、あたかも繊細なガラス細工のように調和し、見る者に寒気すら覚えさせるほどの美を体現していた。しかし、ただひとつ、その両の瞳だけが異様なほどに強い光を放っており、その神の奇跡とすら思える美しさの印象を、結果的に薄れさせていた。
「もっと顔を寄せい。届かぬではないか」
女は命じた。カルが身をかがめる。そして女も、相手のくちびるに息がかからんばかりに顔を近づけた。
「さあ、早く味わわせておくれ。わしの可愛いカル……」
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