素霊使い(ワーナミンネ) 5
また日没がやってくる。
白一色だった世界が、次第しだいに黒く塗りつぶされてゆく。幾度目かの――夜。
はじめは恐ろしくてたまらず、しかしやがて何も感じなくなった時間――今は、隣にカルがいる。見知らぬ、まだ完全に信用しきったわけではない男とはいえ、誰かがそばにいるということがこれほど心強いものであったのかと、ユディスは思わずにはいられなかった。
もっとも、この男はユディスに甘えを許してくれるような相手ではなさそうだった。
「すぐに動く」
交代で眠れば休めるという彼女の提案を、カルは一蹴した。
「こうしている間にも、この街の人々の命が奪われ続けている。行かないと」
「行くって、どこへ?」
「ついてくればわかるよ」
「さっきから気になっていたのですが、どうしてあなたはそんなふうに確信的な物言いばかりするのですか?」
「どうしてって?」
そう言うとカルは、いきなり手を伸ばしてユディスの心臓の辺りを指でさわった。
「わかるんだ」
「な、何を――!」
ユディスが狼狽してその手を振り払おうとすると、カルは「しっ」と人差し指を口にあてた。
「あらゆるものには音がある」
彼の指先に、ユディスは自身の鼓動を感じた。
「火の爆ぜる音、水の流れ、風の震え、地の軋み――ワーナミンネは、“世界の音を聴く者”とも呼ばれるよね」
その通りだ。操霊術は、世界と同調し、その力を借りるわざである。ワーナミンネの修行は、心を鎮めて周囲の音に耳を傾けることから始まる。
「素霊は、舞や踊りも好きだけど、とりわけワーナミンネの声に強く反応する。それは、素霊たちが音そのものだからだ。おれたち人に聞こえる音は、素霊同士が響き合う音。でも、ワーナミンネはもっと深いところにある音を聴く。世界が響き合うことで存在しているということを、肌で感じて
だけど――と、カルは表情をくもらせた。
「ここでは、この霧が――彼らの発する声があまりに苦しげで……哀しいから、おれたちは無意識に耳をふさいでしまう」
なるほど、と思った。人を狂わせるこの霧の中で、自分が正気を保ち続けていられたのは、単純に精神力の問題だと考えていたユディスだったが、実はワーナミンネとしての素養が大きかったということか。そう言えば、最初にセーヴァ――この霧の中に入った瞬間、透明な膜に全身を包まれたような感覚があり、息苦しく思った覚えがある。
「でも、この剣を使えば、閉じられた五感を開いて、聞こえなくなった声を聴くことができる」
カルの剣を、ユディスはあらためて観察した。穴の数は全部で七つ。並びはいびつ、その大きさもまちまちで――
「こ、これって……」
「気がついた?」
七つの穴は、よく見るとどれも、まるで呼吸をするように大きくなったり小さくなったりを繰り返している。
「風を通して、こいつは世界の声を聴く。そして、穴の大きさを変化させることで自らを声に共鳴させ、使い手に伝える」
「生きて……いるの?」
自分でもまさかとは思いつつも、口にした。
「さあ?」
相変わらず、本気なのかとぼけているのか、今ひとつ判らない。
「ノーザパイドっていうんだ。この剣の名前」
ワーナミンネの力を強化する剣ということか。それならば、負けたことにも納得がいく。
「不思議な剣……」
「だろ?」
恋人の自慢をするように、カルは鼻をふくらませた。
彼の自信に満ちた言動の根拠はわかったが、今度はこの剣をどうやって手に入れたのかという疑問が頭をもたげてきた。
「ちょっと、見せてもらってもいいですか?」
そう言って、何の気なしに手を伸ばしかけた。そのとたん、カルは表情を一変させた。
「だめだ!」
思わぬ剣幕に、ユディスは驚いて手を引っ込めた。しかしすぐに、カルはばつの悪そうな顔をして謝罪した。
「こいつには触らないほうがいい。その……見た目よりずっと鋭いから」
明らかに言い訳と判る。怒ったのかとも思ったが、それよりも何かを恐れているといった口調だった。事情があるのだと察したユディスは、とりあえず詮索はしないことにした。
「そろそろ行こう」
暗くなってきたので灯りをつけてくれと頼んだところ、カルは火の素霊に呼びかけて火花を起こし、手持ちのカンテラに点火した。ぼんやりと丸く、赤い光が闇に浮かんだ。ユディスも松明に火をつけた。
霧のせいで、灯りがあったところで視界は悪いままだ。けれども、こうしておけば少なくともお互いの位置はわかる。
「こんな簡単な術でも、聖文法ではなく操霊術を使うのですね」
「恥ずかしい話だけど、本当に苦手なんだ。聖文法でやろうとしたら、たぶん派手に爆発させるか、くすぶった煙が出るかだろうな」
「まあ、聖文法なんて嫌いですから、私としてはいいんですけど」
「へえ。何故?」
「だって下品でしょう。世界に自分勝手な意志を押し付け、その形を歪めてしまう術なんて」
「ああ……まあ、そういう面もあるかな」
カルは困ったように頬をかいた。
ユラルが標準種と呼ばれるに至るまで繁栄した原動力として、順応性、探究心、貪欲さなどといったものと並んで挙げられるのが、言霊の法の一種である聖文法だ。
聖文法は、読み書きと、あとは簡単な技術さえ身につければ、誰でも初歩的な術は操ることができ、ユラルが発明した様々な道具と組み合わされて、今ではその生活に欠かせないものとなっている。例えば、いま灯をともしたカンテラにしても、火の術を使って点火するタイプのものだ。昔ながらの油を用いるタイプは、いまや贅沢品である。
いわば、ユラルのユラルたる所以のひとつを否定されたわけで、カルが複雑な表情をするのも当然だと思った。彼の場合、自分がそれをうまく使いこなせないということもあるのだろうが。
(これも、覚えておこう)
多少おかしなところはあるにせよ、見たところ、カルは読み書きもできない田舎者とも思えない。そもそも、ユーネリア大陸東部におけるユラルの識字率は九割以上で、他種族に比して圧倒的に高い。
それに、彼の髪と目の色――《シン・ラの印》を持つ者は、カリスマ性とともに、強大な魔力を有するのではなかったのか?
やはり、言い伝えなどその程度のものなのか、それとも――
「そうだ、ユディス」
歩を進めながら、カルが声をかけてきた。
「ひとつ言っておく。敵との戦いが始まっても、きみは手を出すな」
「何故です?」
「さっきも言ったけど、これはおれの領分だからね」
「私が邪魔なら、構わず先に行ったらどうですか?」
むっとしてユディスは言った。カルが自分に合わせて歩くペースを落としていることには気づいていた。そんな気遣いなど無用だ。
「いや。きみは、戦いには加わらないにしろ、おれのそばにいるべきだ」
「どういう意味ですか、それは」
「すぐにわかるよ」
ちらりと振り返ったカルの口許が、ふっと歪むのが見えたような気がした。ユディスは眉間にしわを寄せてカルの背中をにらんだ。もったいぶった言い方は好きではない。
ユディスの怒りを知ってか知らずか、カルは黙々と歩き続けた。
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