第11話 甘い砂糖菓子

「ただいまー…………」

 そうこうしているうちに、今日も近くの高校に通う依頼主の子供たちの護衛を兼ねて。幼い容姿を生かして、潜入調査と言う物を『上司』に言いつけられているノワが帰ってきた。

 なんか、声色が暗いのは、

「お久しぶりです、伯母様」

「あー、万寿まんじゅ。ひさしっ!?」

 数年ぶりに顔を合わせる姪っ子に、顔を合わせたとたんに頭突きをされてしまった。ただ、された僕より、した万寿まんじゅの方が、痛そうな顔をしている。それとは別に、壁に押し付けられるようにして、肺と胃を圧迫されてるから、かなり苦しいんだけど。

 やっぱり、風でも吹けばすぐに消えてしまいそうな小さな声は変わらない。

「あ゛ー。万寿まんじゅ、いやノワ。なんでこの子にここ教えたのさ」

 誰にも教えていない、自由の利く場所を誰かに知られたこと。それに、この娘も慣れてはいるとはいえ、いつ何が起きるかわからないこの場所に、この子をノワが連れてきたことが気に食わない。

「だって!ついてきちゃったんだもん!!あ、ノワもう、お仕事の方行くから!」

 それだけ答えて、一陣の風に吹かれた勢いだけで、身にまとう服が変わったノワは、すぐに別の荷物を持ってまた出て行ってしまう。

 魔女って、やっぱ便利だなあとか思いながら。持っていたスケッチブックで万寿まんじゅを傷つけたり、鉛筆でうっかり柔らかい肌を刺し貫いたりしないためにも、手にある二つを床に落とす。

「なぜ、本邸の方へ帰ってこないんですか」

 ほぼ脅迫、としか思えないような半泣きの表情で、見上げる万寿まんじゅは、年相応に華奢で細くてうかつに押しのけようとしたらぽっきり折ってしまいそうで怖い。ついでに、そうしたときに、激怒した義妹いもうとの顔が容易に浮かんでそっちもかなり怖い。たぶん、義母かあさんは気にしない。

 この隠れ家、実は、広大すぎる実家の敷地内にある、離れの一つだ。つまり、僕は実家に帰っているのに家族に顔を合わせていない。

「………めんどい、はっきり言うと、あの頭の固いやつら」

 声を出すのも結構苦しいけど、返事をしないことには話が進まなさそうなので、それなりに、可能な限り正直に返す。

 くだらない後継者争いは面倒なので。さっさと僕は、義妹いもうと万寿まんじゅに譲ってしまいたいんだけど。そうすると都合の悪い人たちと、そうでない、万寿まんじゅ義妹いもうとが後継者にならないと都合の悪いやつらが勝手に揉めてる。というのが僕の認識。万寿まんじゅ義妹いもうととしては、僕が後継者になることになんの文句もないし、むしろ推してくれているので、余計に面倒な火種を生んでいる。

 それに。別に、僕が好き勝手言われるのは慣れてるしどうでもいいんだけど。

 僕が何か言われることで、優しくて甘い彼女らが傷つくのは我慢できない。

「じゃあ………あ」

 何かを言おうとした万寿まんじゅは、ようやく肺と胃の圧迫を解いて、床に落ちた僕のスケッチブックと鉛筆を拾い上げた。

「これ。あのヒト、ですよね」

「…………うん、そう。あのこ」

 彼女のことは、万寿まんじゅも知っている。

 小さいころ、万寿まんじゅはたまに、彼女に遊んでもらっていたから。とはいえ、実は万寿まんじゅのほうが、少しだけ年上だったりもするんだけど。

 めくったスケッチブックのページを見つめて。万寿まんじゅは、何を考えているんだろう。

「そういえば。伯母様、多趣味でいらっしゃいましたね」

「多趣味、というか。どうせ、時間は無限に余ってるんだし、やりたいことやりたいように突き詰めた結果。だけど」

 無限に近い時間は、確かに持っている。けど、今回ばかりは、時間は有限だ。もう僅かしかないのに、まだ、何も始まってすらいない。

 全然、本当に、何も出来上がっていない。お菓子の山くらいだ、出来上がったのは。

 死に装束、とは言っても、にーにも彼女も仏教徒ではないから、一般的な着物に限らなくてもいいと言われている。だから、本当に。多種多彩に及ぶ衣装デザインが、スケッチブックのページと言うページに描かれている。

「…なんだか、婚礼衣装を作っていたときのことを、思い出します」

「ああ…………たしかに、ね」

 柔らかく笑う万寿まんじゅは、僕とは違い、明るく喜ばしい記憶しかないのだろう。まあ、当たり前、か。

 苦笑する僕の気は知らずに、万寿まんじゅは言う。

「本来は、かた伯母様と婚約中の身、だったのですよね?」

「ああ、にーにと僕をくっつけることで、より力を得ようって、ヤな大人の策略。だから、それもあって親睦を示してウチの家紋エンブレムの輝石が赤に変えられたり………」

 結局、彼女とにーにの話が持ち上がる前に、主に僕とにーににその気がなかったことによって、破談になった話だけど。 

「ああ、そうか。そうだ」

 なにか。万寿まんじゅと話しているうちに頭に差した光が、散らばっていた思考を明るく照らし出している。

万寿まんじゅは知ってたっけ。僕とにーにの婚約が決まる前、まだ異国にあったころと、こちらに渡ってきてすぐのウチの家紋エンブレム。唐草の頂に咲く薔薇の雫は、何色だったか知ってる?」

 最後の抵抗、悪あがきにもにた感情。そんなもの、なのかもしれない。これは。

 けど、僕は。忘れていたふりをして、納得したフリをして、理屈やこじつけで固めてどこかへ追いやっていた感情を、また思い出す。それを、否定しない。

(ああ、僕は)

 かつて、夏祭りの屋台で自覚して、今なおせていないことに、自分でも驚きはする。彼女の隣に立って、彼女を独占していたいどうしようもない恋心。

「たしか、青、だったのですよね」

 新しい、まっさらなページに書き込むのは、黒や白では終わらせない。

「深い深い、水底の色ロイヤルブルー。だよ。義母かあさんの異名のせいで、地の色の赤の方が似合うなんていわれるけど。元々は、流れる血に嘆き悲しむ深い深い苦しみの中にある涙の色」

 ほら、とポケットから出したペンダントの家紋エンブレムは、この国にやってきたばかりの義母かあさんがくれたもので。親睦を示してという建前で色を変えられてしまう前のものだ。

 奇しくもそれは、彼女の名前の花と、同じ色。

「これをくれたとき、義母かあさんがそう言っていたよ」

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