第10話 仕事と趣味
それは、あの日とほとんど同じ言葉で始まる。
「にーに、確認してもいいかな。今のにーにの、表向きの仕事はなんだっけ?」
呆れたように、溜息を吐きだして。デザートに頼んだ卵臭いチョコレートケーキをフォークの背でつぶしながら、僕は言った。
「ああ。いまだに、服飾部門はもっていたな」
にやりと、意地悪く笑って。
にーには、ただし今度はもう一度言う。
「こいつの、死に装束を作ってほしい。お前だけだ、こんな大切な仕事を任せられるのは」
にーにが、どれほど冷たい言動をとっていようと、目の前で痛みを訴える人を放っておくことが出来ないように。
僕だって、彼女とにーにの頼みをことわるなんて、しないしできない。
悪性のガンが見つかって、余命宣告を受けているとかではない。
人間の体の、約半分が水。そして、にーには水を司る精霊。寿命や死期を悟ることは、そう難しくない。
僕にしても、同じこと。吸血鬼は、不老不死。しかし、その性質はどこまでも死に近いものだから。
『いつ』を知るのは簡単だった。
それを、彼女に話すのは、もっと簡単なことだろう。
だけど、僕らはそれをしない。
代わりに、死ぬまでに何ができるかを。何をしてもらいたいかを。何をしたいかを、実行に移す。
「引き受けるよ」
デザインは、彼女に最も似合う物をと言われ。真剣に、僕はいう。
ただし、と。付け加えることで、二人が怪訝に眉を顰めるのは、織り込み済みで。
「今回は、あの時と違ってお代はいらない」
顔は、覆わない。下だって、向かない。
まっすぐに、情けないくらいぐちゃぐちゃに、歪んでいっているであろう顔を、二人にむけた。
肯定も、否定もしないでほしいなんて、わがままだ。なにか、声をかけてほしくて、それもいやで。
こぼれる前に、拭った涙を。しわだらけで、強張って、優しい彼女の手が包んだ。
震えのなぜだか止まらない頭に、大きくて温かなにーにの手が置かれた。
だから。
それで十分だと、僕は思ってしまうことにした。
それだけで、涙とはひとまず分かれられる。くしゃくしゃの笑顔で、にーにと彼女と店で分かれて。
すぐに、走りながら携帯片手に画材店に走った。
一万じゃ、足りないだろう。
十万だって、描けるかもしれない。
それだけ描いたって、絶対に。百万でも一億でも、十億でも、何兆、数えきれないほどに描き連ねたって、納得のできる死に装束なんて、出来上がらない。
きと、どこか違う、違和感を残したままで作ることになってしまう。そんな、嫌な確信は、ざらざらと焦げ付いたカラメルのように、苦くてどこか甘い心地で、僕の心の中にこびりつく。
しばらく、仕事に出られないと。そう告げた、僕に雇い主は。子供たちが寂しがるなと微かに笑って許してくれた。
F6のスケッチブックを、店にあるだけ買い占めて。その日から。
お菓子を作りながら、僕はずっと、彼女の死に装束を描き続ける。
僕に作れる、彼女に最高に似合う一着を、絶対に完成させる。
趣味。ただの、長い時間を生きる中から始めた、暇つぶしの一つ。それだけだったことが、こうして。彼女の大切な時間に深くかかわることが出来る。
十分だ。そう、思うことにする。
そうして、踏ん切りでもつけなければ、決壊してしまうだろう。そしてそのまま、ずぶずぶと底なしの沼のように足をとられて、心が何も感じなくなるまで沈んでしまう。
なんどだって、何度でも。
何か、零れ落ちそうになる前に、言葉を言葉で封殺して、言い訳していく。それで、十分。そう思うことにして、鉛筆をスケッチブックに走らせる。
もう、流す涙はない。
渇いて、冷たい目で。ただ、思いつく限りの装束を彼女に合うように描き替え、さらに描き足して。そして、床に捨てる。
「これじゃない」
時々、お菓子もつくりながら。
そうして、三日過ぎてしまった。
もう、本当に時間がない。
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