第2幕

第6話 精霊の里

 その時の再開の話をする前に、まずは僕とにーにの関係性について、説明しなければならないだろう。

 まず。にーに、というのは名前じゃない。兄貴、とか、そういった意味合いの幼児言葉だ。

 なんでそんな呼び方を、僕は彼に使っているかというと。話は千年単位(はっきりした年月なんて覚えてない)でさかのぼる。ちょうど、僕が人間から吸血鬼になって100年くらいの話だ。


 当時としては、よくある話で。新参者。特に、強大な力を持った者の首枷として、何らかの手段を講じなければならない場合。人質という手段があった。表向きは客人として扱われながらも、いざとなれば、切り捨てられる。

 義母かあさんの一族は、確かに吸血鬼ぼくらの中では貴族には違いなかった。では、そういった種族のいない土地に、新しく支配層を伸ばそうと渡来した時にはどうなのか?

 武力をもってすれば容易いが、それでは意味がない、と。当時、僕を拾ったばかりの義母かあさんは考えていた。暴力による恐怖は、確かに効果的に人を支配する。しかし、その支配は、より大きな暴力を持つものが現れた時に、たやすく打ち砕かれる。そんなもろいものにたよらずとも、人々が自然と支配されたいと思うような。いや、ついていきたいと思うような支配法が、義母かあさんの目指し行ってきた支配法であり、事実それは成功して現在にいたる。 

 しかし、もちろん。現在でも、義母かあさんに匹敵する力を持つにーにの家をはじめ、新たな種族がやってきたことで自分たちの地位が貶められるのでは、とおびえたその地の権力者たちは、何か策を練ろうと躍起になっていた。

 そこで、忠誠を誓わせるため、人質に家族を差し出させてはどうか、と提案し。そこで安心したのが運の尽き。一つのことがうまくいったからといって、万事がうまくいくとは限らない。ましてや、相手の実力が自分たちの想定の範囲内だとは限らないといういい好例。 

 たかだかどこかの傘下に下ったくらいで、芽を摘み取れたと思ったら、大間違いだったと彼らがきづいたのは、にーにの家以外がほとんど実質的な権力を失ってからの話。

 当時まだ義妹いもうとは生まれておらず、義母かあさんの近親で最も力が弱いと思われていたのは、僕くらい。

 今生の別れかと、思わずツッコミたくなるほどの大号泣&肋骨や背骨がミシミシいうほどのハグ(死なないからいいけど痛い)を僕にした義母かあさんに、若干周囲は引いてたっけ。たかが血のつながりもない養子を、これだけ大切にするような奴が、海の向こうでも風のうわさくらいには話を聞く、『血濡れの聖女』なんて恥ずかし恐ろしい異名を持つ人物なのか、って。

 ようは、人質を取った側と、人質。当時にーにはそのことを知らなかった、なんて言ってるけど、どこまで本当かは知らない。

 子供同士、仲良くやってろと言わんばかりに放置され。て、いるように見えて、実は通り過ぎる人から果ては隣の部屋でしゃべっている客までもが監視人。それも、不老不死の化け物を、一撃で殺傷可能な手段を持った。

 まあ、どうでもよかったから、適当に僕は過ごしてたけど。

「お前、自分と立場が分かってるのか?」

 ある日、その時はまだ西洋風のスカートと着物が組み合わさったような女の子らしい恰好をしていた幼い僕は、屋敷を取り囲む漆喰の白い塀の上で、振り向いた。

 水の精霊の目から逃れる術なんてもの、あるはずもないことは、知っているため、わざわざこっそり人目に付きにくい場所を選ぶ必要もなかったけど。これは癖のようなもので、礼儀作法武術一般常識その他諸々を僕に教えてもらった先生の家で、よくノワと奇妙な鬼ごっこをしていたのが主原因。

「お前の行動がこちらにとって不都合なものなら、お前は俺たちに殺されるんだからな!!」

 にーに、とそのときはまだ呼んでいなかった。彼は、腰に手を当てて、ふんぞり返って僕に向かって偉そうにそう言った。大体、これで彼がどんな子供で、三つ子の魂百までな性格がどんなものかは、お分かりいただけただろうか。まあ、百の年はとっくに過ぎてはいるんだけど。

 そこで、僕は首を傾げる。

「俺たち?」

「ああ、我が一族の………」

「俺たち、は違う」

 あまりにも、彼がおかしな表情を。ハトが豆鉄砲食らったというよりも、猫が冷や水をかけられたような顔をしていたので、

「だって、君は手を下さないから」

 面倒なことに、人の集まってきそうな気配がしてきたために。ひとまず僕は塀から飛び降りて、彼のすぐ目の前に立った。ちょうど、袖口に隠し持っている刃渡り20センチほどのナイフおまもりが、腕を振らなくても指の動きだけで彼に突き刺せる距離。ただ掠るのではなく、致命傷にはいたらなくても、しっかりと肉に突き立つ。

 もっとロマンチックな表現をするならば、互いの吐息がしゃべるたびにかかる位置。

 他意はない。単純に、目測を誤っただけだ。それに、そんな距離だったとして、幼い子供に何かを思うような思考回路は存在しない。

「殺される?だから何?」

 純粋に、疑問だった。誰かの所有物であることが、当たり前。生かすも殺すも、つまりは自分の生死なんてものもすべてが他人次第。

 殺されるな、と義母かあさんに命令されてたから、とりあえずその命令が効力を失うまでは生きているつもりだったし、それに、

「自分の立場。わかってるから、自由にしてる。殺されない、このくらいじゃ」

 自分は、義母かあさんに対する、彼らにとっては数少ない切り札だから、簡単に殺されるわけがない。人質というのは、時に。人質を取った側さえをも、振り回すことのできる駒。

 その立ち位置を十分に生かせ、というのもまた命令、という部分は伏せて置き、

「殺してもいいよ?別に。義母かあさんへの切り札を、君のお父様たちがなくすだけだから」

 浮かべた微笑みに、お守りよりも刃の短い、とてもじゃないけど心臓には到達できないようなナイフを片手に押し付けた。

 当たり前だけど、ただのナイフに刺されたぐらいで人間と同じように死ぬ生き物だっていうなら、化け物ぼくらはそこまで人間に恐れられることはない。

 だから、彼に渡したナイフを持っていた僕の手は、焼け焦げるなんて生ぬるいような、皮膚も肉も解け合わさって血の滲むぐちゃぐちゃの肉塊へと変貌していた。吸血鬼ぼくらをきちんと殺すことのできる聖武具を、強い力で剥き身のまま握っていたら、当たり前だ、こうなっても。

「!!おい、お前その手は!」

 さっきまで、殺すとかなんとか言っていたわりに。

 しっかり手当をしてくれた彼は、年上と恩人は敬え、なんて言ったもんだから。

 僕は、なんの考えもなしに、絵本で見かけたその呼び名を選んだ。

 つまりは、兄を表すその言葉を。

「にーに」

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