第1話
赤いシートに一人の老人が座っていた。僕はゆっくりとその老人に近づく。
「新しい乗客かね?」
僕が老人の前に立つより早く老人か問う。
「ここはどこでしょう?」
質問に答えることはせず、老人に問い返す。
「深海電車だよ」
老人はしゃがれた声で言う。
「深海電車?」
「そのままの意味だ。ほら、外を見てごらん」
言われるままに、外を見る。しかし、窓の外は暗黒に閉ざされ、時々後方へと流れていく小さな気泡が、この電車が前に進んでいることと、水の中ーーどうやら「深海」にいることを教える。
「ここは本当に深海なのですか?」
「そうだとも。その様子だと自分がどうして乗客になったのかもわかっていないようだな」
「はい……僕はどうしてここにいるのかわかりません」
正直に答えると、老人は深く刻まれた皺の奥に柔和な笑顔を見せた。
「なら、答えは自分で探さなければならない」
「答え……ですか?」
「ああ、この電車から降りるにはそれしかない」
「この電車はいったいどこに向かっているのでしょうか?」
「それは私にもわからない」
老人は軽く咳払いをして続けた。
「ただ、長くこの電車に乗っていると人間ではなくなってしまう」
「人間ではなくなる……?」
「そうだ。私もすでに人間ではない」
老人はそういうと静かに立ち上がった。確かに老人は人間ではないようだ。腕にはフジツボやカメノテがこびりつき、髪だと思っていたものは深緑の海藻の群れだった。そして足は人のそれではなく、赤いサンゴでできていた。
老人は人間ではなかった。
「この電車にはたくさんの乗客がいる」
老人は僕に背を向けて歩き出しながら、朗らかに高らかに言う。
「答えを見つけて、電車から降りるのだ。私のようになりたくなければな」
そう言うと老人は明るいとはいえない車内の薄暗闇に紛れて消えた。
「答えを見つける……」
僕はまだわからない。答えを見つけることがどういうことか。他の乗客が答えとどう関係しているのか。
ただ、一つ確かなことはいつかは老人のように人間ではない何かになってしまうことだ。
「行こう」
誰に言うわけでもなく、僕は歩き出した。老人が消えたのとは逆方向に。
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