同僚Aの死後の見解

同僚Aの死後の見解

                *


 先日、俺の職場の同僚だったAという男が死んだ。


 首吊り自殺だった。

 会社側は自殺だという事を隠していたが、噂は瞬く間に広がり、知らぬものなどいないという有様だった。

 当然だが、俺も知っている。何故なら俺が第一発見者だったからだ。

 止められなかった、といえば嘘になる。だが、俺にあいつを止める権利があったのだろうか。止めなかったことを悔いている訳じゃない。しかし、他の道もあったのではないかと――そう考えずにはいられないのだ。


                *


 その日、あいつの家で宅飲みをする約束だった。

 

 あいつは定時に上がれたが、俺は仕事が残っていたので、先に戻ってをして欲しいと言った。あいつは快く引き受け、自分の家へと帰った。

 仕事を終わらせ、ちらと左手首を見る。その手には、傷を隠すように大きな腕時計が巻かれている。時計の針は六時四十分を指していた。

 気持ち急いで職場を後にする。しばらく歩くと、頬に冷たい感触が走った。

 畜生、降水確率は三十パーセントだったろうが、と毒づきながら傘を持ってこなかった自分を恨む。

 こうなってしまっては万事休すだ。近くのコンビニに駆け込み、安いビニール傘を買う。広げる時のバリバリと言う音が、少し耳障りだった。

 雨は少しずつ勢いを増し、あいつの家が見える頃には大雨と言って差し支えない程の雨になった。湿気が蒸し暑く、シャツの裡に汗がにじむ。雨が当たってもいないのに、シャツはしっとりと潤っていた。

 蒸れて気持ち悪い、早くあいつの家で脱いでしまいたい。

 そんなことを思いながら家に着き、鍵がかかっていない事を確信してドアを開ける。家にいない時にはきっちりと鍵を掛けるくせに、いる時には掛けない。あいつは昔から不用心なのだ。

 入るぞ、と一声かける。おーう、とすぐに返事が帰って来た。玄関に入り、靴を脱ぎ揃えて上がる。ついでにあいつが無造作に脱ぎ捨てていた靴も揃えておく。……玄関には、俺とあいつの靴しかない。

 そのままあいつが待つリビングへ直行する。既に準備は万端らしい。こじんまりとしたテーブルの上にはたくさんの酒が並んでいた。

 俺はチューハイを手に取り、一息に飲みほした。あいつが、やっぱ酒強いなお前、と呟く。

 よく言う。お前の方がすぐ酔うくせに、潰れるのは俺より遅いだろ、と軽口を叩いておく。

 そのまま俺はシャツを脱ぎ、上半身は裸になった。鍛えてはいないが、余計な肉はあまりない。

 おや、もうおっぱじめる気か、とあいつが問う。

 馬鹿いえ、上が濡れて気持ち悪いだけだ、と返す。


 そして、酒宴は始まった。



 酒宴が進み、お互いの脳を痺れさせるアルコールが十分に大気に充満した頃。突然、あいつが変なことを言い出した。

 「なぁ、死んだ後の世界ってどう思う?」

 「死後の世界って奴か? そんなもんあるわけねーだろ。人は死んだら終わりだろ」と返す。酒の勢いで出た与太話だろう、と聞き流す。しかし、あいつの声色には少し真剣さが満ちていた。

 「俺さ、思ったんだ。人は死んだ後、夢を見るんじゃないかって」あいつはそう続ける。

 「死んだ後、大体は極楽があるって言うじゃないか。でも、死後の世界にはご先祖様がいるって話、よく聞くだろ? つまり、人がいる訳だ」

 「まぁ、そうなるだろうな。でもそれがどうした?」

 「人がいる限り、あの世に行っても結局人間関係には煩わされるわけじゃないか。ほら、Bなんているだろ?」あいつは俺達の上司であるBを指して言う。

 Bは、まさに人をいびることに幸せを感じているような下衆野郎の見本と言ってもいい奴だ。俺達も何かと難癖をつけられてはさんざいびられた。後輩のCに至っては、心身を病んで自己退職に追い込まれたこともあるくらいだ。しかし上層部に分厚いコネがあるらしく、どうにもならない奴らしい。

 「ああいう奴が毎日押しかけてもみろ。あいつは幸せだが、俺は不快だ。そんな所、天国と言えるのか?」

 そう言われると、そんな気がする。

 「なのに死後の世界は快適だという話を多く聞く。そんな話が多く残っている。だから思ったんだ、死後の世界ってのはなんじゃないかって」そんなことを言い、あいつはふらつきながら立ち上がって本棚から何冊かの本を取り出した。

 どれも死後の世界について書かれた本だ。オカルト雑誌もある。

 「この本には『死後の世界は快適で、現世には行きたくなんてないが死後の世界で暮らし続けるために行かなくてはならない』と書かれている」オカルト雑誌のページをめくり、該当する項目を指で指し示してきた。

 その記事に目を通す。流し読みする限りでは、逆行催眠とやらを行った結果だそうだ。

 「こっちには輪廻転生について書かれている。最新の研究では輪廻転生に六道はなくただ人間に生まれ変わるだけ、と言う話だな」と怪しい占い師タレントの本を持ち出す。前々からオカルトに興味のあったあいつではあるが、これは少し度が行き過ぎている。

 「だから思ったんだ。死んだ後の世界は自分の夢の世界だ。だが、夢というものには限度がある。脳に刻まれた記憶の底だ」と語るその眼は据わっている。酒によるものなのか、それとも悪魔の誘惑に憑りつかれているのか判断がつかない。

 「夢は脳が記憶を整理するために見る物だ。だから脳の中に入っている物しか見ることができない。幸せな夢を見続けるとしたら、さらに記憶の量は限られる。だからある時、死後の世界の住人は夢に飽きてしまうんだ。だから別の記憶、言うなれば刺激を補充しなくてはいけなくなる。それを賄うのが現世の役割だ。それが輪廻転生と呼ばれている物であり、死後の世界が快適であろうと人の世界に来なければならない理由だ」

 俺は唖然とした。もし今まで読んだオカルト本が正しいのなら、大体の説明がつく。だが――

 「その情報源が嘘だとしたらどうするんだ? もともと単なる与太話、信じる方がおかしいと思うんだが」と反駁はんばくする。

 その問いに、あいつはぽつりと答える。

 「もう、疲れたんだ」

 その言葉に、俺は何も言い返すことが出来なかった。……語るに辛い出来事がたくさんあった。それでも、あいつはからからと笑い飛ばして進んでいける、と思っていた。いや、そう思い込んでいただけなのかもしれない。

 「……俺では、駄目か」とやや失望したように呟きが漏れる。口にした時、卑怯すぎるかと自嘲し、後悔した。

 「お前が悪い訳じゃない」と慌てて否定される。

 「夢と言うものは、最後に見たものが反映されることが多い。だから、最後に」あいつはそう言いながら、シャツの前を開け始める。

 「わかった。お前がそれでいいのなら」俺はズボンのホックを外し、「シャワー借りるぜ」と断り、脱衣所へと向かった。



 ……あれから、何時間が経っただろう。一糸纏わぬ姿で目覚めると、あいつが宙に浮かんで揺れていた。

 分かってはいた。受け入れてもいた。だが、涙が止まらない。嗚咽は時間を押し流し、気付いた時には時計が九時を回っていた。

 そのまま震える手で一一〇番を押し、震える声で事情を説明した。

 すぐに警察が駆け付け、俺は参考人として拘留された。遺書が見つからなかったことと、その行為によって当たりは厳しかったが、自殺であることが分かってもらえると解放された。


                *


 ……今、俺は会社の入っているビルの屋上にいる。

 遺書は用意した。靴も脱いだ。あいつの写真を懐から取り出し、眺める。

 よし。あいつの言葉を信じるなら、きっと俺も幸せな夢が見られることだろう。


 そう信じて、俺は眠りに

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同僚Aの死後の見解 @violetn

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