8

 残された二人が呆然としたように互いから顔を逸らしたまま、流れこむ街の喧騒に神経の苛立ちを任せる。暗がりに重い沈黙と虚しさが上乗せされて泥の底のような無気力に身体が拘束される。

 最初に口を開いたのは彼だった。

「今日さ、俺。娼婦と寝たろ?」

「……うん」

「あいつ見た目の割りにとんでもなくてな。俺にゴムのおもちゃ突っ込むんだ」

「……ん?」

「あいつらが普段咥え込んでるようなやつ。ほら、わかるだろ。あれの形したおもちゃを俺に突っ込んで、よがるのを見てるのが楽しいっつってさ。俺はてっきり逆だと思ってたからびっくりして、危うく最中に笑い出しちまうとこだった」

「……あぁ、それは大変だったね」

「まったく、本当に」

 それっきりまたしばらく言葉が途切れる。

「楽しいって思ったことないんだ」

「何が?」

「あれさ」

「あぁ、あれか」

「どうして大人はこんなことを繰り返してるんだろうって時々不思議になる。見た目から馬鹿馬鹿しいだろ、あれ。最後には可哀想になるよ。あの娼婦さ、きっと自分が普段されてることを俺みたいな子どもの男にやってみたかったんだぜ。妙に興奮しやがってよ、鼻息すげぇんだ。それも可笑しくて――」

 ふと声を途切れさせて、表情を失くした。

「……リウは俺と寝るのかな」

「さぁね、頑張って口説いてくれよ」

「真面目な話だよ馬鹿。……リウもあんな頭の悪いことするのかな」

「勃たないリウの方が、僕には想像できないけどな」

「そうだけど……でも、じゃあ本当に俺たちはそんな馬鹿に良いように使われているってことになるんだぜ」

「まぁ、そうだけど……」

 少年は寝具に身を投げた。

「くだらないな……死にたくなるくらい。本当にくだらない」

 彼には少年がどうしてそこまで絶望するのかがわからなかった。普段から斜に構えたような態度の少年には。貧民窟に似合わない、そんな幼い繊細さを残してしまった節があって、それが隣にいて、たまに煩わしく感じられることさえあった。しかしそうは言っても、彼はいつものように友人を慰めた。

「そのリウから僕たちはもうすぐ逃げられるんだぜ?大人になるまで生き延びられるかもしれない。だからあんまり難しいこと考えるなよ。失敗して元々、長生きしない命だ。気楽にやろう」

「……後ろ向きすぎんだろ」

 ふふと笑いながら、寝具に埋めた顔を上げた。

「それより僕はさ、売人が言ってた保護の仕方がどうも変な気がするんだ」

 次に不安を切り出したのは彼の方だった。

「保護の仕方?」

「うん、ほらあれだよ。別の国に住むっていう」

 偽造身分をもらって、肌の色から違和感のない国に。

「あの時は意味分かんないくらいびっくりして言わなかったけど、少しそれでいいのかなって思ったんだ」

「何がダメなんだ」

「だってほら、僕らは故郷がないだろ?それなのに産まれた時から故郷を持つ連中を騙して同胞として紛れ込むんだ。そんなの何か間違ってないかな?もし仮に僕らに子どもができたとしたらその子には偽の故郷を教えなくちゃいけない。それだけじゃない。その子は自分の子に嘘だと知らずに偽の故郷を教えるはずだ。ねぇ、そんなの許されるのか」

「……大昔の人間たちはそうやって新しい土地に住み着いたんじゃないのか」

「それはそうさ。でも僕らは彼らのように開拓して自分の力で新しい故郷を勝ち取るんじゃない。与えられて、他の人を騙して誰かの故郷に紛れ込むんだ。きっとどこかでとんでもない間違いが起こるよ。それは絶対に良くないことだからさ」

「……そんなに故郷って大事なのかよ」

「大事さ」

 知らないけど、大事に決まってる。

 それから会話は途絶えて、どちらからともなく横になり、二人とも寝てしまった。


   ※


 数日が経ち、リウに金を納める期限がまた近付いてきていた。彼らがリウの仕事を引き受けたため、その金額は以前と同じ額まで減らされていた。仕事をきちんとこなすことで生活費とは別に、まとまった金がすでに用意出来ていた。だから何の憂いもないはずだった。本来なら。

 しかし当然ながら、話は例の仕事のことに及ぶだろう。まだ何の成果も生み出せていないことに対して、俺たちは焦りを見せなくてはならない。彼らはそう結論づけて、そこから本来の目的を遂行するシナリオを練った。

 指輪の奪取。

 それはとても困難なことのように思えた。むしろ接触してきたイセフの人間を片端からリウに売り渡した方がマシなのではないかと考えてしまうほど。

「そもそも俺はあいつの話自体が気に入らない。あいつは絶対に俺たちの事を内心見下している」

 彼らは普段とは違って、住処まで夕飯を持ち帰りそこで食べながら二人で話をしていた。売人と顔を合わさないようにするためだった。

「そりゃ普通。助ける相手は見下すだろ」

 首を傾げた。

「普通は違うさ、助けるってのは相手の尊厳を大事にして初めて成立するものなんだよ。あいつがやろうとしてるのは乞食に札束を与える自分に満足したいってのと同じだ。もらったやつが誰かの金欲しさに殺されても知らん顔するんだぜきっと」

「でもお金がもらえたら嬉しいだろ。お金は裏切らないよ」

「金の話じゃねぇよ。あいつのやり方は絶対に間違っているってことだよ俺が言いたいのは。俺たちを助けるためとはいえ、リウと同じように俺たちを利用することしか考えていない」

「同じ話だよ。それでも助けてくれるんならあと数回のスリとかセックスとか安いもんだろ。なぁ僕たちは弱いんだよ?どうしようもなく弱いんだ。誰も気にかけないくらい。傷付けられても殺されても殺しても誰も気が付かないくらい弱いんだ。だから手の大きな連中に助けられるとき、奴らは自覚なく僕たちの大切なモノを握り潰してしまう。これはもう、たぶん仕方ないことなんだよ。そしてそんな助けがないと、僕たちは間違いなくこのまま死んじまうんだよ」

「それでもよ――」

「それに、僕たちはまだ自分が助かるために何の努力もしていない。せめて傷付いたり汚されたりするくらいは我慢するのが当然なんじゃないのか」

「お前の言ってることは正しいだろうよ。でも俺はあいつが気に入らない。次から絶対仲良くしてやらない」

「それは、僕もだよ」

 そう言って笑い合った。

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