7

 仕事を終えて自分の住処へと帰ってきた少年はしばし呆然とした。

 まず第一に自分のぶんの夕飯がなかったこと。屋台もぜんぶ閉まっているだろうから今日は食いっぱぐれたことになる。それはいい。まずいのは、第二にヤクの売人が床にあぐらをかいて座っていること。おかげで部屋がやたら狭く見える。さらにまずいのは、第三に相方が申し訳なさそうに手を合わせて自分を拝んでいること。

「……ドラッグパーティならよそでやれよ」

「仕事のオハナシしに」

「お前ホモだったのか」

 少年がビクッと震えたように戸口に立ったままの彼に向けて口を開く。

「ごめんよ」

「何がだ」

「昨日の話、話した」

「……」

「取引の仕事の話ネ」

「……」

 高速で頭の回転する音がして、うっかりと相方への口止めを忘れた自分の迂闊さに耳鳴りがした。

「あー……馬鹿野郎」

「馬鹿はお前ネ」

「まったくだ」

 よくよく考えてみれば、用もなく自分たちと接触を図る人間なんてこの男くらいしかいない。数年来の付き合いとはいえあんまりに間の抜けた話だった。

「ずっと監視してたのか」

「ま、ネ」

「日本語も不自由なくせによくやる」

「これはわざとネ。馬鹿にしてお前ら、油断スル」

「……」

 その割りに身分を明かしたあとも普通にしゃべらないことを、誰も指摘しなかった。

「お前らは子供だから、仕方ない。そんなモン。本当に馬鹿なのはリウ。お前らにスパイさせようなんて、ムリ。でもそれがお前らの命取り。リウにとっても」

「……取引って言ったか?」

 立ってようやく座る彼と同じ高さであったが、いい加減疲れてきたので寝床の淵に、相方と肩を並べて座る。

「ホントウ言えば、脅しネ。お前らに選択ない。でも悪くシナイ。俺はマフィアじゃない。お前らホゴするのが仕事」

 保護。その音の響きに、変な笑いが出そうになる。二人で互いの妙な顔を見合わせた。

「何がオカシイ?」

「仕方ないだろう。どうやってそんな言葉を信じられるっていうんだ」

 産まれて来てから今まで、一度も他人に優しくされたことなんてなかった。移民同士の両親に捨てられた混血だからというそれだけの理由で。だから想像さえできない。誰かが何の見返りもなく、自分たちを救うなどと。リウの支配から救い出してくれるなどと。

「お前がそのイセフとかいうとこの人間なのは信じてるさ。でも俺たちをどうやって救うっていうんだ。この人種主義に染まりきったクソみたいな世界でよ」

「……お前らは世界が狭すぎる」

 その表情は久しく彼らが目にしたことのないものだった。

 哀れみ。

 途端に激しい羞恥に襲われて仕方のない怒りが彼らの小さい胸を満たし、言葉を失う。

「この世界には、まだマトモな頭を持った人。山ほどいる。お前らはその優しさ、受け取る権利がある」

「お前の話はまどろっこしいんだよ、つまり僕たちをどうするんだ?」

 呆れたように目を丸くしたあと、咳払いを一度した。

「大まかにいえば、南米の森林奥地に国連の元占有地域がある。そこに移送される。しばらく過ごしたあと、お前らの見た目に合わせた偽造身分を作る。それぞれの国に飛んで、そこで正規国民として暮らしてもらう。密航の手順はまず横浜から――」

 だいぶ演技の抜けてきた口調で、彼はその細かなプロセスを説明していった。それは二人の信用を勝ち得るに十分な情報量だった。

「本当に……僕らは救われるのか?」

「そうネ」

「なら、今すぐっ!助けろよ、なぁ頼むよ。こんな街からさ、逃がしてくれよ」

「……」

 二人の少年のうち、一人は興奮を隠そうともせず、もう一人は口を引き結んで固く閉ざしていた。彼はそんな旨い話が簡単に自分たちに降り掛かってくるなどとは信じられなかったのだ。そしてその考えはどうしようもなく正しい。

「待て。これ取引って言ったネ。条件ある」

「……条件?」

 同じ表情が並んだ。

「まず、俺たちが助けたいのお前らだけじゃない。わかるネ?」

 彼の興奮が消え去るのを待って続けた。

「リウは悪いやつネ。たくさん子ども使って悪いことさせてる。でもどこに隠しているのかわからない。お前たち見つけるのも苦労した」

「それで?」

 ようやく口を開いたのはずっと黙り込み、疑わしげな目を変えなかった彼だった。

「リウの隠しているリストを手に入れてこい。それが条件」

「な、何でさ?」

 耐え切れず、一人の少年が口を挟んだ。

「救ってくれよ無条件に。それがお前らの仕事なんだろ?」

「そうだけど、言ったネ。俺たちが助けたいのお前らだけじゃない」

「だからってそれじゃあ、お前らがやってることはリウと同じじゃないか」

「全然違う、一緒にするナ」

「……」

「そもそもお前らは自分の立場わかってない。選択肢ない。お前らは俺の言うこと聞くか。俺にバレましたとリウに報告して俺と一緒に死ぬか。俺のキャッチなくて逃げるなんてムリ。リウの腕は長い。とても長い。アジアやヨーロッパ平気で追ってくる」

「……」

 閉口して失望を隠そうともしない少年の横で彼だけは冷めきった声を出した。

「リストってどこにあるんだ?」

「やつは財産を絶対に肌から離さない。すべてデータ化してチップに入れて装飾具に埋めている。子どものリストはやつの指輪に入ってる。やつはそれを風呂でも外さない」

「……なるほどな」

「待ってよ。そんなのどうやって盗ってくるっていうんだ。不可能じゃないか」

「お前は自分たちの仕事も忘れるか?」

「……あ」

 ようやく彼も気付く。目の前の男が何をさせようとしているのか。

「お前らリウと寝ろ。裸にひん剥いて、あいつの指輪を外させて、指をお前らの片方のケツの穴に突っ込ませてセックスに溺れている間に、もう一人が指輪をすり替えるネ」

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