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 翌日、昼になってようやく彼らは起きだし、晴れた屋上に出て紐を張り、洗濯物を広げた。雨水の溜まったバケツを階下に降ろして代わりに空のバケツを屋上に置く。服が乾くまでコンクリートの上の日向に寝転がり、夕刻頃になって半乾きのそれらに袖を通す。

 暗くなってから彼らはビルを出て、街路を歩き出す。

 少年は一度周囲を見渡す。監視の目があるようには見えなかったが、ともかくも今夜の飯の心配が優先される。彼らは大通りや住宅街をまたがないルートで駅前の繁華街まで出る。彼らのような汚らしい子供が出歩いていても違和感のない喧騒。一等に雑然とした酔客の多いスナック通りを渡り、歩く者達を見定める。

 唐突に後ろから袖を引かれて、彼の指す方を見た。三人組の背広姿の男たちが、談笑しながら千鳥足で目についた店を冷やかしているところだった。

「あんくらいなら一人でいけるよ」

 そう言って彼は、三人が別の店に入る前にと忍び寄り、左端の男のポケットから財布だけを追い越しざまに擦り抜いて、先の角を大きく回って少年の待つ場所まで戻ってきた。男たちはまったく気付く様子がなかった。

 早速中身を確かめたやつは少し不満気な声を出しながら、少年の後を付いて来ていた。

「微妙だな」

「まぁあんななりだからな」

 少年らは早々に場所を変える。万が一にもスッた相手に追いつかれないためだ。

「やっぱり駅にいるシャンとした、面構えの偉そうなのが持ってるよ」

「でも二人がかりじゃないと危ないし、効率悪いだろ」

 彼の方の服装はどこか良家の一人息子といった雰囲気なので、迷子のふりでもすれば大人は耳を傾けてくれる。その隙にもう一人が財布を抜き取るという段取りだ。

「円も飽きたな。僕は景気よく元が抜きたいよ」

「代わりにお前は心臓を抜かれるだろうな」

 二人で笑いながら昨夜の屋台通りまで戻る。まだ早い時間のためか娼婦や頑強な男たちの姿も少ない。

「いつもの、買ってくるね」

 今日の金は彼しか持っていないから、彼が二人分の夕飯を買いに行く。昨日と同様に、場違いな服装の彼はその場に立っていた。ただ昨日とは違って周囲をさり気なく見回す。相変わらずの人いきれにこちらへと向く視線はすぐにわざとらしく逸らされる。

「ねぇ」

 そのうちの一つの視線が声をかけてきた。

「いくら?」

 肩をむき出しにした下着同然のワンピースに安っぽいブローチとピアスを付けた娼婦が、上気しきった目で彼の顔を舐めるように見つめていた。

 少年は無言のまま指で値段を示す。

「高いのね」

「あんたと同じくらいだろ」

 仕事中じゃないのか、という言葉は飲み込んだ。そんなことを客に詮索しても良いことなんてないからだ。

「じゃあ帳消しでタダにしてよ」

 そういいながら、紙幣を握らせる。その手で彼をホテルへと引く。

 ふと背後を見遣ると、ちょうどふたつの椀を持った子供が駆けてくるのと目があった。その呆然としたような顔に苦笑いを浮かべながら、視線を外して隣の女と上っ面だけの甘い言葉を交わす。

 その時から彼の仕事は始まっていたのだから。

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