第11話 玲愛の過去
次の日、サーチ部と玲愛に対する処遇が決まった。
サーチ部は部員が増えたことにより、部として存続することが正式に決まった。そして、サーチ部の名が初めて星屑高校に知られる日にもなった。
一方、他校の生徒に手を挙げた事もあり、玲愛には三日間の自宅謹慎の処罰が下された。本来は一週間だったそうだが、生徒会長の温情ともいうべきかもしれない処置が施された。
光明高校の加藤が何かしてくるのではないかと不安に思ったこともあったが、特に何もしてくることはなかった。勢いで口から出てしまっただけで、直ぐに行動に起こす意志がなかったみたいで、とりあえず事なきを得た。
様々なことが明かされる中、煌太が三日間で一番不安だったのはサーチ部の事だった。
山本先生はサーチ部の存在を知られたくないと言っていたが、今回の件で知れ渡ることになってしまう。このままだと、サーチ部には人が多く入ってくるのではと思っていたが、蓋を開けてみるとサーチ部について話す人など皆無だった。
既に六月中旬ということもあり、部活掲示板に張り出された部活の発足情報に目を向ける生徒は少なかったこと、この時期に他の部活に入ることを考える人間が星屑高校にはいなかったことなどが、サーチ部の存在を隠すことになったのかもしれない。この結果に、山本先生はとりあえずほっと安堵の胸をなでおろしていた。
そしてあっという間に三日間が過ぎ、謹慎処分の解除された玲愛はいつも通り教室にきた。謹慎などなかったかのようにまっすぐ自席へと足を運ぶと、静かに腰を下ろした。
玲愛と話がしたい。気持ちを抑えられずにいた煌太は真っ先に玲愛の元へと向かおうと席を立つ。しかし、周囲のクラスメイトの放つ声に動きだそうとしていた足が止まった。
「他校の生徒に、暴力ふるったのにのんきに登校してきたのかよ」
「暴力ってマジで。黒瀬さんってやっぱ怖いわ」
玲愛のことを何も知らない男子がひそひそと話を交わす。
「三日間の謹慎って生徒会長が決めたらしいよ」
「優しいね、生徒会長。私だったら一ヶ月は謹慎にさせるけど」
女子達も便乗する形で玲愛の悪口を放つ。ひそひそ声を装っていたが、玲愛に聞こえる距離で話している。クラスメイトのほとんどは玲愛に対して悪い印象を抱いていた。
煌太は玲愛の様子を窺う。散々言われているにも関わらず、玲愛はただ下を向きひたすら机に向かっていた。毎日必ず決まっている動作のように下を向き続けている。その姿がより一層、煌太を悲哀の気持ちにさせる。どうして、クラスでは本当の姿を隠すのだろう。
教室内の空気が重くなる。クラスメイトの罵声に足が震えたのか、煌太は玲愛に話しかけることができなかった。
「おはよー……あれ、みんな何かあったの?」
遅れて教室に入ってきたのは奏だった。張りつめていた重い空気が、奏の声によって弛緩する。隣のクラスがホームのはずなのに、奏の身から出る雰囲気は煌太のクラス中を和ませる力があると錯覚させるくらい強烈だった。
「何もないよ。今日遅かったね」
「うん、ちょっと家に忘れ物しちゃって。だから少し遅くなっちゃった」
「一組の方に行ったほうがいいんじゃないの?」
「もう二組に来るのが日課になってるからさ」
皆に笑顔を振りまきつつ、奏はとある場所に視線を移すと、視線の先へと歩みだす。その先にいるのは、玲愛だった。煌太は二人の会話に耳をそばたてる。
「久しぶりだね、黒瀬さん」
「…………」
玲愛は返事もせずに机に向かったまま動かなかった。その光景を見たクラスメイトがまた騒ぎ出す。
「話しかけられてるのに無視ってひどくねえ」
「黒瀬って、付き合い絶対悪いよな」
あらゆる場所で飛び交う暴言にも玲愛は表情を変えなかった。一方の奏は、無視されたことを気に留めることもなく話を進めた。
「あのね、実は私……」
そこまで言うと奏は玲愛の耳元で何か囁いた。それを聞いた玲愛は今まで下を向いていたのにも関わらず突然顔を上げると、奏の手を引っ張って教室を飛び出してしまった。
クラスの皆が野次馬のように廊下付近に向かう中、煌太は立ったまま動けなかった。
玲愛は奏から何を聞いたのだろう。今まで冷静だった玲愛が突然取り乱したように見えた。
皆から遅れて、煌太は教室を出ようと一歩踏み出したが、二人は廊下から教室内に戻ってきた。見た感じ、特に何があった訳でもなかったみたいで煌太はほっとした。クラスメイトも何があったのかわからない様子だった。
「お前ら席につけー」
玲愛達の後ろにいたのか、平下先生がすぐに教室に来て朝のHRがはじまった。まだ少しだけ教室内が喧騒に包まれている。いったい玲愛と奏は何を話したのだろうか。
煌太は、玲愛と二人だけで話せるはずの放課後に色々と聞こうと決めた。
放課後となり、煌太は玲愛の席へと向かった。授業が終わったのにも関わらず、未だに下を向き続ける玲愛が目に映った。初めて会った時と同じで全く変わっていない。その姿勢、振る舞いに煌太は妙に落ち着きを感じた。
「あのさ、話があるんだけど……玲愛?」
久しぶりの会話。気持ちが高揚しているのか、心臓の音がいつも以上に耳に響いている。そんな胸の高鳴りと相反して、玲愛は煌太が話しかけても応える素振りを見せてくれない。
正直玲愛は、自分が話しかければ応えてくれると思っていた。それでも、玲愛の対応は以前と変わらなかった。いつも通り、無視から始まることが煌太はとても嬉しかった。
暫くすると、玲愛は机に置いてあった紙片に急いで文字を書いたかと思うと、煌太のお腹に押し当ててきた。
「えっこれって……」
突然渡された紙片に煌太は戸惑いを隠せなかった。紙片について問いただそうとしたが、玲愛は既に机に向かっていた。仕方なく煌太は押し当てられた紙片を見る。
『今日の十六時半に教室で。私も話がある』
時計の針を見ると十五時四十分を指していた。まだ少し時間がある。玲愛も話したいことがあることはわかった。とりあえず、話ができるみたいだ。
玲愛がいなかった三日間、煌太なりに気持ちの整理をつけた。玲愛に伝えたいこと、聞きたいことが沢山ある。自分の気持ちに浸っていると後ろから声が聞こえた。
「おい、煌太!」
聞いたことのある声だ。振り向くとそこには神林がいた。
「神林か。どうした? 部活じゃないのか?」
「お前と話がしたい。ちょっとこっちに来いよ」
「ちょ、ちょっと待てって……おい!」
いつもと雰囲気の違う神林に無理やり廊下へと引っ張り出される。神林はそのまま無言で歩き出す。理由が判らなかった煌太は、引っ張られながら神林の後についていった。
「それで……話ってなんだ? っていうか部活はどうしたんだって」
神林に連れてこられたのは空き教室だった。人気がほとんどないこの教室を神林が選んだのには何か意味があるのか。煌太は考えてみても、わからなかった。
「今日は休みをもらった。特別に」
「一年のお前に特別なんてあるのか?」
「俺はエースだからな。それより、お前に聞きたいことがある」
「何?」
聞き返すと神林は一呼吸置き、口をゆっくりと開いた。
――お前って、記憶喪失なのか――
神林の声が教室に響き渡る。神林が放った一言が煌太の心に深く刻まれる。一瞬、神林の発言を疑った。聞き間違いだと自分の聴覚を疑った。どうして、神林は記憶喪失のことを知っているのか。
煌太はどう応えるべきかわからなかったが、神林の言っていることに嘘偽りはない。煌太は深呼吸すると意を決して真実を告げた。
「……ああ。俺は中学以前の記憶がないんだ」
以前は決して話そうと思わなかったことを、今なら簡単に言えてしまう自分に驚きを隠せなかった。
「……そうだったんだな。なるほどね……」
神林は何かに納得したのか、頷いている。煌太には神林がどうして頷いているのか理解できなかった。
「でも、どうして神林が知ってるんだ? 誰かに聞いたのか?」
「いや、誰にも聞いていない。ただ……何となくそう思っただけ」
「何となくじゃ記憶喪失なんてフレーズは出てこないと思うんだが」
煌太は神林がどこからか情報を仕入れたとしか思えなかった。そもそも、こんな奇々怪々なことを言われて、まともに信じるはずがない。それなのに神林は煌太の身に降りかかる症状を言い当てた。
「まあ、いいじゃないか」
はぐらかす神林に煌太は訝しまずにはいられなかった。
「でも、どうしてこんなところまで連れてきたんだ?」
「そりゃ記憶喪失の事、煌太は他人に知られたくないと思ったからこの場所を選んだに決まってるだろ。決して俺がお前に告白とかするわけないからな」
いつもふざけているようにしか見えない神林だが、意外と気の利くやつだ。それにしても、最後の一言は要らない気もするが。
「それより……このことはもちろん奏ちゃんも知ってるんだよな?」
「うん……この間、話したよ。ちゃんと伝えたから問題ない。わかってくれたよ」
最近話した奏との会話が煌太の脳裏に浮かび上がる。
「なら、問題ないな。ったく、お前が記憶喪失だったなんて本当に気づかなかったぜ」
「まあ、それなりのカモフラージュはしていたから」
数ヶ月前の入学式の日を煌太は思い出す。しっかりと今でも思い出すことができる。こうして過去を振り返ることができる事実が妙に嬉しく思えた。
「今度、お前の中学の時の話をたくさん聞かせてやるよ。奏ちゃんと三人で」
「なんか……ありがとな。神林にはいろいろと世話を焼いてもらってる気がする」
「いいって別に。お前は俺の親友なんだから」
神林は満面の笑みを浮かべている。心から信頼できる友人がいることに感謝したいと煌太は思った。今を普通に過ごせているのは本当に周りの人の協力があってこそなのだから。
「まあ、奏ちゃんを泣かすようなことだけはするなよ。その時は、俺が煌太を許さない」
「そんなことするわけないだろ」
だよな、と神林は笑った。つられて煌太も笑う。静かな空き教室が笑いで彩られる。
「それじゃ、俺は練習に向かうよ」
「休みって言ってなかったっけ?」
「嘘に決まってるだろ。怒られてくるぜ」
笑みを見せながら神林が教室を出ていった。
奏の時と同じで記憶喪失の自分を正面から受け入れてくれる人がいる。今まで言わずに逃げてきたけど、逃げなければ受け入れてくれる人も必ずいる。良き親友がいることに煌太はひたすら感謝した。
十六時半となり、煌太は空き教室から一年二組へと向かった。玲愛に対してどうしても聞きたいこと、伝えたいことがある。思えば玲愛と初めて会ったのは入学式の放課後、一年二組の教室だった。そんな事を思いながらドアを開けて教室に入る。
窓側に玲愛が立っていた。いつも教室では机に座っている玲愛しか見たことなかった煌太は違和感を覚えた。一歩ずつ玲愛の元へと歩み寄り、煌太は声をかけた。
「玲愛」
一声かけてみたけど、玲愛はいつも通り反応を示さない。少しでも反応してくれたら、もっと他人に玲愛の良さを分かってもらえるかもしれないのに。窓の外を眺め続ける玲愛の隣へと煌太は一歩踏み出した。
「とりあえず、サーチ部存続が決まったよ」
「そう。聞いたわ。沢渡先輩から」
まるで、隣に来るのを待っていたかのように玲愛が話し出す。窓から見える先には運動部が部活動に勤しむ光景が広がっていた。暫くの沈黙の後、玲愛が先陣を切って話し始めた。
「なぜ、私なんかを助けようとしたの?」
「なぜって、そりゃ同じ部活の仲間だし、クラスメイトだから」
当り前の事を言ったつもりだったが、玲愛は煌太の発言に表情が曇る。
「仲間って……私と関わっていると煌太もいじめられる」
「いじめられるって、どうしてだよ?」
「……煌太にはわからない」
玲愛の言葉に煌太は萎縮した。風になびく髪を押える玲愛の横顔に哀愁を感じる。
「だったら、俺に教えてくれよ。玲愛の気持ちを。言葉にしてくれなきゃ伝わらないだろ」
「伝えて何が変わるの?」
「俺は……玲愛の力になりたい。玲愛の部活仲間として――いや、友達として」
「いいかげんにして!」
いつも冷静で、感情をほとんど晒すことのない玲愛が突然大声を張り上げた。
「伝えても解決できない問題ってたくさんある。私は、煌太を巻き込みたくない」
「巻き込むも何も、玲愛を助けるといじめに繋がる事が俺には理解できない。そもそも、玲愛はいじめなんて受けていないじゃないか」
言い終えてから煌太は気づいた。教室で玲愛の噂をしている人たちは、玲愛を好んではいなかった。言葉の暴力で玲愛の心に傷を負わせていた。玲愛はおそらく読み取ったんだ。他人の心の奥に潜む感情を。
「煌太も、結局は他の人達と同じ」
玲愛の表情は変わらない。むしろ、いつも以上に誰も寄せつけない態度で窓の外を眺めている。窓から吹き込む風が玲愛の黒髪を揺らす。煌太は言葉にできない思いで胸中が引き裂かれそうになった。
「玲愛だって……俺の事を何もわかってない」
「わかる。さっきも言ったけど、煌太は他の人達と――」
「同じじゃない!」
語気が思わず強まる。玲愛は声の大きさに驚きを隠せずにいた。
「同じじゃないって、他の人と何か違うことでもあるの? 口だけならいくらでも言える」
玲愛の言うことはもっともだった。口だけならどんな大言壮語も吐くことができる。
煌太は本当の事を言うべきか悩んだ。これは神林と奏だけに言えばいい話で、むやみに自らの境遇を吹聴する必要はないのかもしれない。
でも、今言わなければ玲愛と対等にはなれない。玲愛が見せない本当の姿と向き合うにはさらけ出さなければいけない事もある。
「俺は……中学以前の記憶がないんだ」
「…………」
知らないものはないといった態度を示し続けていた玲愛にも意外なことだったのか、言葉を失っている。何を話せばよいのかわからず暫くの間、沈黙が続く。
「……やっぱり、あなたは他の人とは違ったのね」
表情を変えないまま玲愛は淡々と話し始めた。教室に強風が吹き込む。強風を皮切りに自らの思いを玲愛にぶつけた。
「俺は……記憶喪失の事は誰にも言わないと決めていた。だけど、いつまでも黙ったままだとだめだと思った。周りには頼れる仲間がいる、信頼できる友人がいる。そう思えたからこそ隠さずに今の自分について言うことができた」
こんな自分を受け入れてくれるなんて初めは思っていなかった。何も持ち合わせていない人間なんて、誰からも見向きもされずに現実から消されると思った。
でも、目の前にある現実は違った。煌太の周りはやさしさで満ち溢れていた。温かい人たちに支えられ、今の煌太は存在している。
「そして今の自分を信じられる一番のきっかけをくれたのは、玲愛なんだ」
「私が……きっかけを……」
「入学当初の俺は、一人だけ過ごしてきた時間の感覚が違くて、不安しか感じなかった。でも、そんな不安は吉野を助けた玲愛を見た時に消えたんだ。玲愛の常に自分を曲げない、まっすぐな姿勢に惹かれてる自分がいた。そして、気づいたんだ。俺は、玲愛みたいにありのままの自分を出せるようになりたかったんだって」
玲愛がいなかったら、記憶喪失について言おうと思わなかった。
「私は自分なんか出せていない……」
「そんなことない!」
玲愛の発言を煌太は真っ向から否定する。
「初めて会った時から、俺達なんか似てるんじゃないかと思った。だけど、決定的に違うところが一つあった。俺は記憶喪失を建前に逃げてばかりで、大切な時に決断ができない人間だった。でも玲愛は、サーチ部という場所で輝きを放っていた。俺なんかよりも早く場所を見つけて自分をさらけ出していた。俺はそんな玲愛に憧れた」
そう、憧れた。だからこそ今の煌太は存在できている。きっかけは玲愛がくれた。
「私なんか、ただの失敗例でしかないのに……」
玲愛の口から否定的な言葉が出てくるのがとても珍しかった。
「玲愛はサーチ部で、シークとしていろんな人を救ってきたじゃないか。現に俺はシークとしてではないけど、数学の授業中に救われた」
煌太に代わって玲愛が問題を解いた。まぎれもない事実が脳裏に焼き付いている。
「別に助けてなんかない」
「玲愛がそう思っていても俺は助けられたんだ。サーチ部としての玲愛は人を助ける力が本当にあると思う」
「私は、自分勝手なだけ……」
長髪に顔を隠すように玲愛は俯いた。自らの心に蓋をするかのように、煌太にすべてを見せようとしてくれない。
「ただ……」
一瞬言葉に詰まるも、煌太は聞きたかった本題を玲愛に告げた。
「サーチ部の玲愛とサーチ部以外の玲愛は何処か別人だなって思った。本当に正反対の性格といってもいいくらい。正直、違和感を覚えずにはいられなかった」
本当の玲愛は何処にいるのだろう。心の底に眠っている玲愛の本性を知りたい。琴線に触れるだろう一言を煌太は言い放った。
「実は俺……記憶喪失の治療を山本病院で受けていたんだ」
発言を聞いた玲愛の表情が変わった。煌太は玲愛の表情を見るなり、確信できた気持ちを胸に話を続ける。
「山本先生って実は、山本病院の医院長先生の娘なんだ。先生から聞いたんだけど、玲愛も山本病院に通っていた時期があったって」
煌太の発言をどのように受け取ったのか。徐々に視線を上げる玲愛と目が合う。顔色は悪く、少し青ざめていた。
「それで、先生の話を聞いて思ったことがあるんだけど……玲愛がサーチ部以外の場所でいつも一人でいるのって、昔いじめにあっていたからじゃ――」
「やめて!」
玲愛の叫びが煌太の言葉を遮る。放課後の人気のない教室に無情な声が響き渡る。
「そんな話、聞きたくない」
玲愛は耳をふさいで煌太から視線を逸らす。体と膝を密着させて、話すのを拒むように縮こまっている。
「今回の騒動で聞きそびれたことがあったけど、こないだの中間テスト……学年百位以内に入っていなかったよな。玲愛の頭の良さを知ってる俺は、それが不思議で仕方なかった。どうして成績上位に入らなかったのか」
視線を玲愛に向ける。未だに縮こまっている玲愛は小動物のように小刻みに震えていた。そんな玲愛をよそに煌太は決定的な一言を言い放った。
「もしかして、いじめの根本って……頭が良かったことにあるんじゃないかなって」
頭が良い人は賞賛や憧れを抱かれることが度々ある。しかしそれと同じだけの批判も浴びるのかもしれない。頭が良い玲愛を妬み、恨み、嫉妬する人間は学級の中に一人は必ずいてもおかしくない。
テストという順位が付けられるものには必ず勝者と敗者が生まれる。その中で玲愛のことをよく思わない人が玲愛を仲間外れにしたのではないか。
今回のテストでも実際に玲愛は自らの力量に見合わない順位に落ち込んでいる。明らかに意図的に行ったとしか煌太には思えなかった。自らの推測が当たってほしくないと思ってしまう。
耳を塞ぎ、外からの音を遮断するよういに縮こまっていた玲愛は暫くすると、すくっと立ち上がり、煌太を睥睨すると一言呟いた。
「そう……すべて煌太の言う通り」
虚ろな表情を晒しながら玲愛はゆっくりと煌太の方に体を向ける。その立ち姿に煌太は萎縮してしまう。視線を逸らしたくなったが、煌太は玲愛と向き合わないといけないと思った。今までの玲愛をすべて受け止める。そして本当の玲愛を見つけるために。
視線を合わせてから数秒後、玲愛が重い口を開いた。
「小学校六年生の頃、突然クラスの皆が私の事を避けるようになった。理由もわからないままクラスの輪から私はどんどん離れた。だけど、私には当時親友だった恵がいた。恵はいつも私と一緒に帰ってくれて、私の相談にものってくれる心から信頼できる親友だった。だけど、クラスでいじめにあってから一週間くらい経ったある日、恵から『玲愛とは友達でいられない。本当にごめんね』って言われた」
低く憂いを帯びた声が教室に響き渡る。まるで玲愛の悲しみを表現するかのように強風が再度教室に吹き込み煌太は手で風を遮ろうとする。玲愛はそんな強風にも負けずに話を続ける。
「言われた時、最初はよくわからなかった。暫くして湧き上がってきたのは恵に対しての恨みや憎悪といった感情。その時に私は思った。友達なんて一人も信じられない。所詮は他人でしかない。大事なのは誰もが自分なんだって」
玲愛から語られる言葉の一つ一つが煌太の心を締め付ける。まるで底が見えない穴に落とされた気分になる。
「テストの件については、頭が良いと周りの人に何かしらの影響を与えてしまうことがわかっていたから。頭が悪ければ誰も私には見向きもしないし、関わることもない。だから私はあの時以来、目立たないようにしている。テストなんて所詮は順位づけして競争心をあおろうとする学校側の企み。私の人生には無関係」
玲愛から伝わってくる感情はもはや漆黒の色で塗りたくられている。決して塗りなおすこともできずに、底に沈みきってしまった感情に煌太は飲み込まれそうになる。
それでも、その中で微かに漂っている希望の光を煌太はつかみ取れる気がした。今まで玲愛はこんなに饒舌ではなかった。でも、そんな玲愛も今だけは素直に内面を打ち明けてくれている。それに、まだ取り戻せる可能性を含んだ言葉が玲愛の口から放たれたから。
「その、恵さんって人は本心でそんなこといったのかな?」
「……どういうこと?」
「恵さんは、今でも玲愛と友達でいたかったんじゃないかなって俺は思うんだけど」
「どうしてそんなこと言えるの? 親友を失ったことのないあなたには……」
何かを思い出したかのように自らの言葉を発するのをやめた玲愛は、下を向き黙り込む。そんな玲愛の気持ちを汲み取った煌太は、自らの意見を述べた。
「……確かに恵さんは玲愛を裏切ったかもしれない。でも、最後の会話の際に『ごめんね』って言ったんだろ?」
「そうよ。一言一句間違いない。あの時の事は……一生忘れられない」
声が掠れている。明らかに震える声を振り絞って玲愛は話している。こんなになってしまった玲愛を取り戻すには何が必要なのだろう。
出会って間もない煌太の記憶に流れ込む、毎日の日常。楽しく、憧れる記憶をこの数ヶ月の間に残してくれたのは周囲の人達や、目の前にいる玲愛のおかげ。今までは玲愛に救われてきたけど、今度は自分が玲愛を救う番。
「その人って今どこに住んでいるの?」
「えっ」
予期せぬ質問に玲愛は虚を突かれたのか目を大きく見開いている。一瞬、逡巡を繰り返す素振りを見せながらも玲愛は答えた。
「たぶん、今も昔と同じ場所に住んでいる」
「よし」
返答を聞くと煌太は玲愛の手を取って歩き出す。
「ちょ、ちょっと何……」
「今からその親友の子に会いに行こう」
煌太は玲愛の手をしっかり握りしめ、教室から連れ出そうとする。
「や、やめて。煌太も、私を傷つけるようなひどいことしかできないの?」
「もしかしたら、まだ取り戻せるかもしれないんだ」
進めていた足を止め、踵を返し玲愛と向かい合う。窓から差し込む夕日が玲愛を輝かせる。それと同時に開けっ放しの窓から風が吹き込み、玲愛の長髪をなびかせた。
「取り戻せるって――」
言葉の続きが出てこなかったのか、口を開けたまま玲愛は固まっている。玲愛と恵さんが仲直りできる根拠を煌太が持っているわけではなかった。
ただ、もしお互いの考えに致命的なズレが生じていたとしたら?
恵さんの言った『ごめんね』の意味が、今起こっている事態を覆すかもしれないとしたら?
もしかすると、恵さんの発言を一言一句覚えていた玲愛も『ごめんね』という言葉に可能性を感じていたのかもしれない。このまま何もせずにすれ違ったまま終わったり、今後の人生で存在を忘れ去られてしまったりすることは、もっと悲しいことではないか。取り戻せる可能性があるのだから、玲愛には取り戻してほしい。
「――怖い……」
放たれた言葉に煌太は一瞬驚愕した。目の前にいる玲愛が、あの傲岸不遜な態度を取り続けていた玲愛が、初めて弱みを見せた。
「会いに行って同じ結果になるのがすごく怖い……また拒絶されるのは……嫌だ……」
掠れるような声で嘆く玲愛は小動物のようだった。今、玲愛の目の前から居場所をとってしまったらどうなっていたのか。考えるだけで煌太は体が震えた。
でも、いつもの玲愛ならこんなに迷わなかったはず。即決して自らの考えを貫いていたはず。迷っているということは、まだ可能性はある。自分が玲愛の道を照らしてあげるんだ。
「もし、恵さんに会って過去と同じ結果になっても、俺がいるだろ」
「えっ」
前に進むんだ。踏み込まないと玲愛だって打ち明けてくれない。
「俺は玲愛と友達になりたい」
心から思っていることを玲愛に伝えたい。
「恵さんが玲愛の事を避けても俺は避けないから。玲愛のそばを絶対にはなれることはない。だってさ……同じサーチ部の仲間なんだから」
サーチ部の皆は玲愛を拒絶したり絶対にしない。玲愛のことを思い、玲愛の居場所、自分達の居場所であるサーチ部を必死になって守ったのだから。
「な……何を……本当に……お節介なんだから……」
玲愛は下を向いたまま、煌太に聞こえないくらい小さな声で呟いた。
玲愛の震えが、いつの間にか治まっていることしか煌太は気づけなかった。
「今から行こう。恵さんに会いに」
コクリと頷いた玲愛が煌太の隣に立った。玲愛の視線が前へと向いたのを確認した煌太は、恵さんの人柄が想像と一致している事を祈りながら足を一歩前へと踏み出した。
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