第5話 奏の告白とサーチ部

 次の日、登校した煌太は自席に座るなり大きくため息をついた。昨日の出来事が頭から離れず、登校の間もずっと頭を悩ませていた。いったい玲愛は何を見せたかったのだろう。

「赤星。ちょっといいかな」

「上坂か。何か俺に用か?」

 訝しい表情を晒しつつ、煌太の目の前に立っているのは女子サッカー部の上坂弘美。ショートカットの似合う爽やかな印象が強い上坂は、煌太の双眸を覗き込むようにして身を乗り出す。

「昨日、駅前の喫茶店で黒瀬さんと一緒にいたのって赤星だよね?」

「そ、そうだけど……それがどうかしたのか?」

「やっぱり! 黒瀬さんに聞いても何も答えてくれなかったの」

 上坂は玲愛を一瞥すると煌太に視線を戻す。

「もしかして、黒瀬さんと付き合ってるの?」

「ち、違うから。俺は玲愛と付き合ってなんか――」

 煌太は思わず両手で自らの口を塞ぐ。突然のことにひどく動揺が出てしまう。

「あ、名前呼びだ。別に隠さなくてもいいのに」

「隠すも何も、俺は付き合ってなんかないから」

 煌太は必死に否定する。

「ふーん。まあ、付き合ってないっていうならそれでも良いんだけど」

 少し残念そうに上坂は肩を落としていた。

「みんな、おはよう」

 後ろから聞き覚えのある声が脳に響き渡る。教室後方の入口へと視線を向けると、奏が立っていた。一組の奏は、毎朝二組に来るのがもはや日課となっていた。

「あ、奏。こっちこっち」

 手招きで奏を呼ぶ上坂の顔はニヤついていた。まるで何か言いたげな雰囲気を醸し出す上坂は煌太を一瞥する。

「どうしたの弘美? 朝から盛り上がって。あ、おはよーこうちゃん」

「お、おう」

 いつもと変わらない笑顔を振りまく奏に煌太は思わず見とれた。クラスの男子も全員、見とれていたに違いない。

「あのさ、実は昨日黒瀬さんと赤星が駅前の喫茶店に二人でいたんだよ。奏、知らなかったでしょ」

「ちょ、いきなり何を――」

「へえーそうなんだ……あ、私そろそろ戻らないと」

 奏は笑顔で上坂の質問に答えるとそのまま一組へと帰って行った。

「奏行っちゃったよ。フォローとかしなくていいの?」

 上坂の発言と奏の反応に、煌太は浮ついた気持ちが一気に凍り付く。奏に何か言おうと思っていたけど、上坂の発言に嘘偽りは一切なかった。結局、何も言えずに席に戻るしかなかった。

 授業が始まってからも、昨日の玲愛の事と今朝の奏の事で頭の中がいっぱいだった。集中することができず、ただひたすら考え事を膨らませていた。

「それじゃ、ここの問題を……赤星。答えてもらおう」

「…………」

「おい、赤星。赤星!」

「はっ、はい」

 授業など当然のように聞いていなかった煌太は、平下先生から呼ばれていたことに気づかなかった。反射で勢いよく立ち上がり黒板の前に立ったのは良いけど、授業を聞いていなかったためか日頃の予習不足のせいか解答がわからない。

「すみません。わかりません」

「おい、さっき説明したとこだぞ。授業、ちゃんと聞いてたのか?」

「すみません……」

「もういい、席に戻れ。それじゃ……黒瀬。代わりに前に出て答えろ」

 煌太は平下先生の口から放たれた名前に驚いた。玲愛はいつもノートに執着しているから話なんて聞いていないはず。そんな玲愛に答えられるはずがない。

 煌太は戦々恐々、玲愛の反応を窺うことにした。玲愛は呼ばれたことに気づいていたかのように席からすんなりと立ち上がると黒板の前へと向かった。

 玲愛の行動に思わず『嘘だろ』と叫びたくなる気持ちを抑え、戦況を見守る。玲愛は考える素振りも見せず、解法を黒板に書き記している。そして、見事最後まで解いてしまった。

「よし、正解だ。よくできたな黒瀬……っておい、何をしてる!」

 平下先生の言葉に、煌太は再度黒板を凝視する。解き終わったはずなのに、玲愛はひたすら黒板に数式を書き続けていた。

「早く席に戻れ!」

 平下先生は止めようとして玲愛の右手を掴む。しかし、玲愛は平下先生の手を振りほどくと黒板に再び文字を書き始める。

「いい加減にしろ黒瀬。早く席に……」

 再度止めようとした平下先生は黒板を見ると言葉を失っていた。最初は憤慨しているように見えた表情が、徐々に驚愕の表情へと変わっているように煌太には見えた。

 書き終えた玲愛はチョークを置くと、何事もなかったかのように自席へと戻っていった。

 教室は玲愛の行動に疑問を抱く生徒達の喧騒で既に満たされている。煌太は黒板を凝視しても玲愛が何を書いたのか全く理解できない。平下先生はもはや注意を忘れてしまったのか黒板に書かれた内容に開いた口が塞がらない状態だった。

「先生。黒瀬さんは黒板に何を書いたんですか?」

 上坂が平下先生に質問をする。平下先生は黒板を凝視したままだったが、直ぐに我に返ったかと思うと振り絞るように言葉を放った。

「教科書の次のページの例題の別解と、次の問題の解法だ」

 煌太は教科書を急いで捲る。教科書には平下先生の言う通り例題が書かれており、下の方に問題が数問書かれていた。つまり、玲愛は教わっていない問題を勝手に解いてしまったのだ。

「黒瀨、お前にこんな才能があったとはな。別解は教科書に載っていないから先生が説明しようと思っていたのに」

 感激のあまり、平下先生は目頭に手を当てている。クラスの皆も、玲愛の隠れた才能に興奮していた。

 授業後、玲愛の周りには人集りができていた。同じクラスに頭の良い生徒がいるとこんなにも人が群がるのを煌太は初めて知った。今まで不気味がられていた玲愛だったが、今日の授業を通して一躍クラスの人気者になっている。

 しかし玲愛は人集りを嫌ってか、席を離れ廊下へと消えていってしまう。相変わらず他人の質問に答える気がない玲愛の事が、煌太は気になって仕方がなかった。

 帰りのHRも終わり、煌太は玲愛に話しかけようと席を立った。瞬間、廊下にいた奏に呼び止められた。

「どうした?」

「話があるんだけど……今、大丈夫?」

「うん。大丈夫」

「それじゃ、これから『空き教室』に来てほしいんだけど」

「わかった。今から向かうよ」

 頬を赤らめながら『先に行ってるね』と話した奏はそそくさと教室前を離れていった。一緒に行けば良いのにと思いつつ、ゆっくりと奏の後姿を見ながら空き教室へと向かう。

 しかし、どうして空き教室と場所を決めたのだろう。ここじゃ話せないことを話すつもりなのか。歩きながら考えていると、とある噂を神林から聞いたのを思い出す。

 たしか空き教室は、星屑高校では絶好の告白スポットと言われている場所だ。煌太は歩を止め、さらに深く熟考する。奏の赤面、空き教室……煌太は限りあるヒントから導き出された一つの結論に辿り着く。

「これって、告白じゃ……」

 高揚する気持ちを抑えきれずに思わず声にしてもらしてしまう。周りを見るが、部活に向かう生徒達の喧騒でかき消された声には、誰も反応を示していない。

 一瞬、安堵の気持ちに包まれるも次第に胸の鼓動が早くなり、若干の苦しさを覚えた。

 奏にはいつもお世話になってきた。残っている記憶の中で最も多く接してくれた同級生。今感じている苦しさは、奏に対して少なからず好意があることを意味しているのかもしれない。

 とりあえず、今は奏の話を聞いてからにしよう。決意を固めた煌太は、空き教室へと再度歩を進める。

 突然、携帯電話が震えた。固めた決意が崩れそうになるが、気を取り直して携帯を開くとメールが一通届いていた。

 宛先は煌太の知らない人からだった。それでもメールの内容を見た瞬間、誰から来たのか直ぐに理解できた。

「後日って言ってたのに。行動が早いな」

 煌太は『わかりました。少ししたら向かいます』と返信をし、携帯をしまう。

 とりあえず最初に奏の件を済まさないといけない。煌太は先に行ってしまった奏の待つ空き教室へと向かった。

 空き教室は特別棟の最上階、校舎の端に位置しているため人の気配がほとんどない。周囲が常に静寂に包まれているせいか、心臓の鼓動がいつもより大きく聞こえてくる気がする。

 空き教室の前に着いた煌太は緊張しているせいか、いつも以上に息があがっていた。立ち止まっていても仕方がないと思い、呼吸を整えると同時にドアを開ける。

 教室には使われなくなった机が後方にまとめておかれていた。ほとんど使われていなかったためか、ドアを開けただけで埃が舞い上がるのが確認できた。奏は教室の真ん中で煌太に背を向ける形で立っていた。

「奏。話って……何かな?」

 高まる気持ちにいつもとは違う違和感を覚える。奏は自分をどう思っているのだろうか。

「こうちゃんはさ……あの時の事、覚えてる?」

「……あの時って?」

「星屑高校の受験に合格した日の夜の出来事」

 話始めた奏に視線を向ける。煌太は奏から紡がれる言葉を黙って聞き続けるしかなかった。

「あの時、こうちゃんが言ってくれたことに……答えようと思うの」

 踵を返して煌太の方を向いた奏は、視線を煌太に向けてきた。

「あのね、私……」

「ちょっ、ちょっと待って」

 気づいたときには奏の言葉を遮ろうとしていた。

「あのさ、奏が何を話しているかさっぱりわからないんだよね。大体あの時って何時のこと言ってるのさ」

「えっ」

 奏の顔から赤みが一気に抜けた。瞬時に煌太の身に戦慄が走った。

「こうちゃんが……星屑高校に受かった日のことだけど……本当に覚えてないの?」

「……ごめん」

「……酷い……」

「奏!」

 奏を止めるため、煌太は手を伸ばす。しかし、嫌がるように奏に振り払われてしまう。煌太の横を風のように通り過ぎた奏の足音が静寂に包まれる空き教室に虚しく響き渡る。

 煌太は自らの発言を呪いたくなった。記憶を失くす前の自分は奏に何かを言ったらしい。それに対して奏は、この場で返事をくれると言っていたのに……何もなかったように振る舞ってしまった。最低だ。ここに来てまた奏が傷つくことをしてしまった。自らの情けなさに落胆する煌太の足は、思うように動かなかった。

 奏が教室から出ていった気持ちはわからなくもなかった。そもそも記憶を失っている事実があったとしても、奏はその理由を知らない。大切なことなら覚えていると思っているはずだ。それなのに、軽く物事を扱ってしまったことにより奏を傷つけてしまった。本当に最低だ。

 煌太は自責の念に駆られながら空き教室を後にする。足がいつもの何十倍も重い。空き教室を後にした今でも、足の重みは消えることはなかった。

 特別棟最上階の六階にある空き教室から、管理棟一階にある保健室へと煌太は向かった。携帯のメールで呼び出されたからでもあったが、元は自分が頼んだことだったので帰るわけにはいかなかった。

 保健室のドアを開けると、仄かにコーヒーの匂いが漂っている。山本先生がコーヒーを入れて飲んでいるのが直ぐにわかった。

「遅い。女性を待たせるなんて、男の子がやってはいけない行為だと先生は思うな」

 頬っぺたを膨らませる山本先生の表情は、沈んでいた煌太の気持ちをほんの少し和ませてくれた。

「すみません……友人と話してたので」

「ふーん……そう」

 煌太を訝しむように言葉を紡いだ山本先生は、入れ立てのコーヒーを口に含むと煌太に視線を合わせてくる。妙な空気に耐え切れず、煌太はすかさず本題へと入った。

「それで、俺の入れそうな部活ってわかったんですか?」

「当然でしょ。大人をなめないでちょうだい」

 腕を組み、どうだと言わんばかりに仁王立ちする山本先生が煌太には少し子供っぽく見えた。

「すみません。昨日の今日だったので、正直驚きました」

 ふしだらな山本先生のイメージが強かったせいか、妙な新鮮さがあった。

「それで、あなたの入れそうな部活だけど」

 山本先生は保健室に設えてあるホワイトボードへと歩み寄ると、左手でど真ん中に書かれた大きな文字を指し示した。ホワイトボードのど真ん中には『サーチ部』と書かれている。

「サーチ部……ですか?」

「そうよ。サーチ部。これがあなたの部活よ」

 ホワイトボードを軽く叩き、白衣を翻す山本先生に今回は格好よさを感じた。

 提示された名前からして、煌太には普通の部活とは思えなかった。サッカー部などは部活内容がある程度想像できるけど、サーチ部は流石に想像の埒外だった。

「何をする部活か全くわからないんですけど……」

「簡単に言えば困っている生徒を守ったり、手助けをしたりすることかな」

「生徒を……守る?」

「そうよ」

 コーヒーを飲みながら山本先生は不敵な笑みを見せている。だいたい生徒を守るなんて、高校生がすることではない。山本先生の発言に煌太は一抹の不安を感じざるおえなかった。

「活動内容だけど、まずは生徒を守るには守る相手の事を知らなくちゃ駄目でしょ。だから、生徒を守る前に事前準備として『人間観察』を行うのよ」

「人間観察……」

 山本先生の言葉が煌太の脳内に響きわたる。以前、どこかで聞いたことがあるよな……。

「人間観察といっても、もちろん相手のプライバシーは守るわ。基本は学校内で悩んでいる生徒や危ない目に遭っている生徒を観察するだけ。人間観察と言っても四六時中観察しているわけじゃないのよ」

「でも、ターゲットになった生徒を観察し続けるわけですよね。たとえ学校でも観察された側はその事実を知ったらよく思わないと思いますが……」

「そこは、相手にばれなきゃ問題ないでしょ」

「ばれなきゃって……先生がそんな考えで良いのですか!?」

「あのね、煌太君。ばれる、ばれない以前に生徒の危険を守ることの方が大切なのよ。確かに見知らぬ相手に観察されるのは気分良くないわ。だけど、観察をすることによって最終的に観察対象の人に感謝されるような事ができれば、良い印象と悪い印象が打ち消しあってゼロになる……むしろプラス要因の方が大きいのよ。観察がばれなきゃ相手にとっては良い印象しか残らないし」

 山本先生は淡々と述べると自席に腰を下ろす。山本先生の話す言葉の節々が煌太の胸中に流れ込む。

「先生の言っていることはわかるんですが、生徒が危険になる場面なんてあるんですか?」

「たくさんあるわ。特に人の目につかないところでね。よくあるのはいじめかな。いじめはどうしても消えないわね。いくら教師がいじめを失くそうと言っても、聞く耳を立てる生徒はほとんどいないし。ましては気の弱い先生が逆にいじめられることもあるわ」

 下を向き、大きくため息をつく山本先生は実際の現場での経験を語るように話している。当然、教師なのだから目の当たりにしてきたのは当たり前の事かもしれないが。

「でも、私達教師が束になって解決できないことを、あっさりと解決できちゃう人が必ずいるのよ」

「それって……」

「あなたたち、高校生よ」

「お、俺達ですか!」

 煌太は驚愕する。まさか自らが解決の鍵になる可能性があるとは思ってもみなかった。山本先生は驚く煌太に気づいたようで、ニヤリと不敵な笑みを浮かべ話を進めた。

「高校生の目線なら、少しはいじめる側の気持ちがわかるんじゃないかなと思って。実際に直面しているのはあなた達高校生なのだから。大人にはわからない気持ちよ」

 大人にはわからない気持ち。記憶を失くし、他人より劣っているはずの自分でも大人より一歩抜きんでていることがある。その事実に大きく心を揺さぶられた。

「だいたいの活動内容はわかりました。ちなみに、部員っているんですか? 人数多いと流石に……」

「人数は少ないわよ。煌太君を入れたら三人だし」

「三人って……部活として成り立たないんじゃ?」

 予想していたよりも人数が少なく、ほっとする気持ちと不安な気持ちが交差する。

「よく考えて欲しいんだけど、サーチ部の部員が何十人もいたら観察していることを隠している意味がないじゃない。人が多いと必ず誰か秘密を漏らす人がいるわ。それをコントロールするのが難しいから人数が少ないの。まあ、私みたいに手腕のある人が顧問の先生なら話は変わるかもしれないけどね」

 さらっと自慢をする山本先生に思わず苦笑してしまう。それと同時に山本先生の言ったフレーズに煌太は疑問を抱いた。

「今、顧問……って言いましたよね? もしや先生が……」

「あら、言ってなかったかしら。サーチ部の顧問は私よ」

 どうりで部活内容に詳しいわけだ。腑に落ちなかった違和感が煌太から取り除かれる。

「どう? サーチ部に入る気になった?」

 山本先生の問いかけに、煌太は戸惑った。全く知らない部活動に、不安がないわけではない。もしかしたら不安障害によって起こる頭痛やめまいといった症状が頻繁に起こるかもしれない。

 それでも、今の自分の気持ちは。

「俺、サーチ部に入部します」

 不安よりも、部活に入りたい気持ちが勝っていた。

「よし、決まりね。今日からシークの一員ね」

「シーク?」

 聞きなれない言葉に煌太は思わず首をかしげる。

「サーチ部の部員の別称よ。英語の『SEEK』から取ったの」

「シーク……」

 聞きなれない横文字に煌太は渋面を作る。それに気づいた山本先生は煌太に説明してくれた。

「シークは『探し求める』って意味を持っているの。サーチ部は困っている生徒を守ったり助けたりする影の部活。表面だけではわからない、裏面に隠れている真実の心を探し求めるって意味を込めてシークって言ってるの。どう、格好良いでしょ」

 笑顔を見せる山本先生の言葉が、煌太の胸に強烈に突き刺さる。シークのような探求心を煌太は欲している。本当の自分を探すためにシークは欠かせないのかもしれない。

「何か……すごく格好いいですね。先生が考えたんですか?」

「違うわ」

 あっさりと否定する。あたかも山本先生が命名したかのように振舞うため、煌太は虚を突かれる形になった。

「シークは三年生の子が考えたのよ。あ、そうそう。部員のもう一人は煌太君と同じ一年生よ」

「一年生ですか!」

 同級生がいることに思いを馳せていたためか、無意識に声が大きくなった。

「少し扱いにくい子だけどね……三年生はあと一ヶ月で引退するけど、煌太君の力になってくれると思うわ」

「力って、まさか記憶喪失の事……」

「それは言ってないわ。部活の力って意味。記憶喪失については先生と煌太君の二人だけの秘密だしね」

 秘密と言う言葉を強調する山本先生の発言にあざとさを覚えた。

「部長は三年生の人ですよね? 昨日話すと言ってた」

「そうね。でももうすぐ引退だから一年生に引導を渡すって言ってるわ」

 星屑高校は文武両道を目指しているためか、最後の大会が終わったら基本部活動に参加できなくなる。これを機に、三年生が受験戦争といういばらの道に足を踏み入れ始めるのがちょうど六月上旬らしい。

「部長の、名前教えてください。少しでもお世話になる人なので」

「そうね。部長は沢渡陽子。おしとやかでしっかり者の女の子よ」

 沢渡陽子。初めて聞く名前に煌太は想像もできなかった。しっかり者でシークの生みの親でもある人。サーチ部にどうして入ったのだろうか。

「もう一人は、黒瀬玲愛ね。あまりしゃべらない子だから知らないかもしれないけど」

「えっ」

 山本先生の口から放たれた名前に煌太は衝撃を受けた。

 玲愛がサーチ部の一員だったのだ。当然、昨日の出来事もサーチ部の活動なのかもしれない。よくよく考えると玲愛が『人間観察』と言っていたのも思い出す。玲愛はシークの一員だった。

「黒瀨さんがどうかしたの?」

「いや、まさか……そんなこと――」

「煌太君?」

 明らかに動揺をみせる煌太の様子に気づいた山本先生は近づくと額に手を当ててきた。

「熱はないようね……今の話に記憶喪失の要因でもあったのかしら?」

 保健の先生の血が騒ぐのか山本先生は煌太の症状について考え始めた。

「ち、違います。昨日玲……黒瀬さんと一緒にいたので、もしかしたらと思っただけです」

「言ってることがよくわからないんだけど?」

 訝しむ山本先生に煌太は昨日の出来事を告げることにした。

「実は昨日、玲愛が入っている部活を実際に見せてくれたんです。その時に、偶然クラスメイトの吉野が駅裏の人気のないところに連れていかれて、光明高校の生徒に……その、殴られてました」

「そんなことが……それで?」

 先が気になるのか山本先生は煌太の方に近づいてくる。意識していないはずなのに豊満な胸が気になって仕方ない。

「そ、それで最後は玲愛が助けに入って。光明の生徒を追い払いました。凄いですよね。昨日はよくわからなかったけど、サーチ部の活動だったんですね。困っている人を助けてる。確かに体現していました」

「違う!」

 煌太から離れると山本先生は甲高い声を保健室中に響かせる。普段聞きなれない声音に煌太は尻込む。

「黒瀬さんは手を上げたの?」

「そうですね……殴ったり、蹴ったりしてました」

「あれだけ手を出すなって言ったのにあの子は……あとで罰しなきゃ」

 山本先生がどうして怒っているのか煌太にはわからなかった。

「でも、凄かったですよ。玲愛は決して間違ったこと言ってなかったと思うし、何より吉野の気持ちを代弁してやったというか」

「そういう問題じゃないのよ。だいたい――」

「失礼します」

 山本先生の話を遮るように保健室のドアが音を立てる。ふんわりした茶髪を揺らしながら中に入ってきたのは眼鏡が特徴的な女子だった。

「やっときた。沢渡さん! 黒瀬さんがまたやらかしたらしいわ」

「え、本当ですか……すみません、後で私から注意しときます」

 礼儀正しく山本先生に頭を下げる沢渡先輩は保健室で初めて山本先生に会った自分を想像させた。

「だいたい、黒瀬さんはまだ来ないし……今度こそ説教しなきゃ」

 空中で素振りをする山本先生の目が輝いている。

「ところで、こちらの方は昨日話していた新入部員の人ですか?」

「あ、はい。赤星煌太です。よろしくお願いします」

 とりあえず、挨拶をする。沢渡先輩は何故かクスクスと笑っていた。

「よろしくね。そんなに改まらなくていいのに」

「……なんかすみません」

 以前山本先生にも似たようなことを言われた煌太は恥じらいを覚える。

「せっかくの部員勢揃いのはずだったのに、黒瀬さんは来ないのね」

 山本先生は少しずつ怒りをためているのか、握った拳が微かに震えていた。

「黒瀨さんならいますよ」

「「え」」

 沢渡先輩の発言に煌太と山本先生の声が重なる。今までドアが開いたのは沢渡先輩が入ってきたときだけ。ドアが開けばどちらかが気づくはずだし、見過ごすこともありえない。

「沢渡先輩。玲愛がいるのは嘘ですよね? ここにきてまだ一度も姿を見ていないんですけど」

「そうそう、ドアも一回しか開いてないし」

 山本先生もドアが一回しか開いていないのを確認済みだったみたいだ。

「先生も、赤星君も耳を澄ましてみてください」

 諭すように沢渡先輩は口元で人差し指を立てた。煌太も山本先生も合図を見て黙りこむ。最初はよくわからなかったが、微かに寝息が聞こえてくるのがわかった。

「もしかして、ずっとベッドで寝てたの!」

 山本先生も寝息に気づいた様子で、急いでベッドに向かうとカーテンを取り払った。そこには、綺麗な寝顔を晒す玲愛の姿があった。

「二人とも気づいているのかと思いました」

 クスクス笑う沢渡先輩は本当に楽しんでいるかのように笑う。その笑みはどこか包容力を感じさせる笑みだった。

「黒瀨さんが寝てたなんて知らなかったわ」

「俺も気づかなかったです」

 二人で同じ意見を述べる中、沢渡先輩は玲愛の元へと歩み寄ると両手を使い肩を揺さぶる。

「黒瀨さん、起きなさい。部活動始まるよ」

 沢渡先輩の声は通る声で、脳にとても響く。その響く声のおかげもあってか、玲愛の目が開いた。玲愛はベッドから上体を起こすと、重たそうな目をこすりながらキョロキョロと辺りを見渡したかと思うと、突然枕を抱えて、そのまま顔を埋めた。

「…………」

 何かしゃべっているみたいだが煌太には何も聞えない。むしろ、無口だった玲愛が恥ずかしがる姿に心が動かされる。

「寝起きの黒瀬さんはいつもこうなの」

 出会って一ヶ月しか経っていないはずなのに、玲愛のことを熟知している沢渡先輩は人を良く見ているなと思った。

「沢渡先輩は、玲愛の事よく知っていますね。知り合いなんですか?」

「違うかな。まだ出会ったばかりなの。たしか、黒瀬さんは先生が連れてきたんですよね?」

「そう。私が連れてきたのよ」

 胸を張る山本先生はどこか誇らしげだ。

「部活方針を考えると、入学式に部活勧誘なんてできないから私の目でスカウトするのよ。今年は沢渡さんも引退だし、このままじゃ廃部になっちゃうと思って。それで見つけてきたのが黒瀨さんなの」

 玲愛に視線を向ける山本先生につられ、煌太も玲愛に視線を移す。相変わらず枕に顔を埋めて何か唱えている。こもって声は聞こえないけど。

「玲愛に目をつけたってことは、何か良いところがあったんですか?」

「わからないわ」

 即答だった。

「でも、この子はサーチ部に入れないとって思ったのは事実かしらね。煌太君と同じように」

 山本先生は言い終えると、玲愛の元へ歩み寄る。っと突然、玲愛から枕を取ったかと思うと玲愛の頭を軽く叩いた。

「ほら、いつまで恥ずかしがってるの。起きなさい」

 公言通り暴力という形で山本先生は玲愛を罰した。玲愛は叩かれたところを気にしている。

「それにしても、沢渡さんはよく知ってたわね。黒瀬さんの寝起きが悪いってこと」

「いえ、保健室で寝ているのたまたま見かけたことがあったので。一年生の入りたての時期に堂々と保健室で寝る人ですよ。初めて見たときは笑っちゃいました」

 ようやく目が覚めたのか玲愛と目が合った。瞬間、今まで見えていた額を隠すかのように前髪を作る仕草を見せた。

「そんな黒瀬さんもサーチ部の一員なんで、仲良くしてあげてね。赤星君は同級生だし」

 沢渡先輩は微笑むと玲愛の頭をさする。沢渡先輩は優しい人なんだと煌太の記憶に構築される。出会って間もない玲愛の性格を見抜いているみたいだし、少なくとも山本先生よりしっかりしている人みたいだ。

 サーチ部は変わった人が多いイメージだったが、沢渡先輩のおかげで濃い色が程よく中和された状態になっている気がした。

「何でここに煌太がいるの?」

 今まで保健室で起こったことが理解できていないのか玲愛が尋ねてくる。

「山本先生に呼ばれたんだ。それで、俺もサーチ部に入ることにした。これからよろしくな」

「そう」

 玲愛は興味なさそうに煌太から視線を逸らす。いつも通りの玲愛に戻っていて安心感を覚えた。

「黒瀨さん。あれだけ暴力をふるってはいけないって言ったのに、どうして手を出しちゃったの?」

 玲愛はすぐに煌太に視線を向けたかと思うと、睨み付けるかのように視線を送ってくる。

「な、何だよ」

「別に」

 玲愛は視線を山本先生に戻すと『すみません』と小声で言うと、そそくさと保健室を出ていってしまう。

「あ、ちょっと……沢渡さん、後はお願いね」

「わかりました」

 山本先生に促されると、沢渡先輩は玲愛の後を追って保健室を後にした。保健室には煌太と山本先生二人だけになった。

「やっと二人きりだね」

「何を言い出すんですか」

 対応の仕方を覚えてきた煌太は山本先生をあしらう。山本先生は何故か寂しそうな表情をこちらに向ける。

「まあそれは置いといて、黒瀬さんについてなんだけど」

「玲愛についてですか?」

「ええ。これは沢渡さんにも話してないんだけど……実は黒瀬さん、よくお父様の病院に来てたのよ。小学校六年生くらいからおよそ三年間カウンセリング的なものを受けてたわ」

 空になったマグカップを手に取り、再度コーヒーを入れると山本先生は話を続けた。

「黒瀨さん、もしかしたら昔いじめを受けていたのかもしれないわ。詳しい理由は私にはわからないけど、黒瀬さんの心はいじめによって痛めつけられていたのかもしれない」

 山本先生の口から放たれた事実は、煌太にとって衝撃が大きかった。何から考えれば良いかわからなかったが、玲愛がいじめにあっていたかもしれないと、とりあえず理解する。昨日、吉野を助けた玲愛からは想像できないことだった。

「玲愛は……その、いじめが原因であまり人と話さないんですか?」

 ふと、昔の玲愛は饒舌だったのではないかと思った。無口で、人と接することがほとんどない玲愛を見てきた煌太には、原因の根幹がいじめにあるのではと思った。

「そうかもしれないわね。でも、本当の理由は黒瀬さんしか知らないわ。黒瀬さんがどんな気持ちを抱えて学校生活を送っていたのかも」

 山本先生も昔の玲愛を知っていたからこそサーチ部に誘いたかったのかもしれない。煌太の中で玲愛のイメージが更に構築されていく。

「玲愛は、何かを求めてサーチ部に入った気がします。根拠はありませんが、どこか俺と似ている気がするので」

 初めて玲愛に会ったときから感じていた気持ちが素直に言葉となって放たれる。

 記憶を失くしてから、どことなく感じていた孤独が今まで自分を包んでいた。誰にも知られたくない、気づかれたくない秘密を隠すことで頭がいっぱいだった。玲愛も同じ気持ちを持っているのかもしれない。玲愛がいじめを受けていたことは山本先生以外知らなかったことだ。玲愛がいつも無口なのは知られたくない事実を隠しているからかもしれない。知られたくない事実を持っている煌太にも何となく理解できる気がした。

「私もそう思うわ。二人とも、これからサーチ部で自分にしかできないものを見つけてほしいと思ってる。私は煌太君なら必ず見つけることができると思う」

 記憶喪失で何も持っていないはずの煌太に対して、優しい言葉をかけてくれる先生から少し勇気をもらえた気がした。

「黒瀬さんもいることだし、二人で力を合わせて助け合ってほしいな。黒瀬さん、煌太君に対しては心を開きかけていると思うし」

「そうですかね?」

「そうよ。だって黒瀬さん、煌太君とは普通に会話しているでしょ?」

 考えてみれば、初めは無口だった玲愛と今では普通に会話をすることができている。

「とりあえず、玲愛と一緒に頑張ってみます」

「頑張って。黒瀬さんは空手と合気道が得意なんだけど、今回のように手を挙げることがあるかもしれないから、気を付けて。あなたに黒瀬さんを任せるわ」

「空手に合気道ですか……どうりで、男子に対しても力負けしない訳だ」

 玲愛の超人的能力の正体がわかり煌太は少しほっとしたが、玲愛を怒らせないようにと気を引き締めた。

「ところで、煌太君はいつから黒瀬さんを『玲愛』って呼ぶようになったのかしら?」

 ニヤリと笑みを零す山本先生は煌太の痛いところを的確についてくる。

「えっと……玲愛に呼んでって言われたからです……俺が苗字で呼ぶと怒るんで」

「青春だねー」

「そんなんじゃないですから」

「ふふふ、まあ頑張ってちょうだい」

 煌太の頭にポンっと軽く手を置くと、山本先生はそのまま保健室を出ていった。

 これから始まる部活動にはいったいどんな青春が待っているのだろう。仄かに期待している煌太は玲愛と助け合いながら部活動をする自信をまだ持てなかった。

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