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 天使――――そうは言っても、それは何も美少女を形容して出た言葉ではない。それ以前にまず、目の前に現れたのは女性ではない。少し年上、二十前後の男性だ。

 だから、この場における天使とは読んで字のごとく、なんの他意もない言葉通りの意味。

 天の使い。

 今、目に写っているのはまさしくそれだ。


 神が造った事を納得する端正な顔立ち、純白のタキシードから伸びる手足はスラリと長く、その肌は病的なまでに白い。

 極め付けは腰の辺りから伸びる一対の翼と、頭上でゆったりと回る幾何学模様の発光する輪。


 どう見ても天使だ。

 残念な僕の語彙では、他にコスプレイヤーという単語しか思い浮かばない……本当に残念だ。

 いや、コスプレではないだろうが。


「まずは突然のご無礼を深く謝罪いたします」


 僕が天使(?)にたいしてやや失礼な考えを浮かべていると、彼は恭しく頭を下げた。

 輪っかも頭と一緒に落ちてくる。

 糸で吊るしているわけではなさそうだ。

 いや、時間が止まるなどという不可思議この上ない現象の中なのだから、彼が一般人のコスプレイヤーだとするより、本当に天使だという方が納得がいく。


「いえ、顔をあげてください。えーっと。それより一つ確認していいですか?」


「なんなりと」


 天使、ファザエルさんは頭を上げ、優しい微笑みをたたえた唇から歌うように言葉を紡ぐ。

 危うく男にときめくところだった。天使に性別があれば、だが。


「この状況はあなたがやったってことで間違いないですか?」


「ええ。間違いありません。工藤様にお会いするため、少々こちらで細工させていただきました」


 いきなりの遭遇でスルーしてしまったが、当然のように名前もばれている。まぁ、名前が知られている程度でいまさら驚かないけれども。

 やはりと言うべきか、時間を止めたのは彼なのか。

 そして彼にとっては時間を止めることは「少々の細工」程度のことか。


「僕に会うためだけに、ここまでしたと」


 僕はあまり自己評価の高い方ではない。だから正直、全く彼の意図が読めない。天使の考えなど、ぱんぴーの僕に分かるわけもない。


「工藤様に会うためだけ、というのは些か言い過ぎかもしれませんが、少なくとも今回の目的の一つは貴方様です。お話だけでも聞いていただけますか?」


 聞かないという選択肢は果たしてあるのか。可能ならばあまり変なことに巻き込まれず、普通の人生を全うしたい。そうする事が僕の生きている意味を達成するのに最も都合がいい条件だ。

 最悪でもさっきまで僕が読んでいた異世界転生系の物語みたいになることだけは避けたい。

 いや、そちらで何もしなければいいのか。ふむ。そう考えると転生も悪くないか?

 しかしどうだろう。現代ほど本が容易く入手できるか?夜でも問題なく灯りが使えるか?食べたい時に3分でできるラーメンがあるか?

 やはり、環境的に適していない。

 いやいや、異世界転生などそこまでは考えすぎだろうが。それにテンプレなら天使ではなく神様が迎えにくるだろう。


 顎に手を当て考えている僕をファザエルさんは待つ。


「そこまで難しく考えていただかなくても結構ですよ。話を聞いて断るのならば私と出会った記憶が消えて元の生活に戻る。それだけです。文字通り、お時間も取りませんから」


「ふふっ。そうですね」


 おもわず笑ってしまった。確かに、時間は取られない。既に取られる時間は止まってしまって用をなしていないのだ。

 ならば話くらい聞いても損はないだろう。


「ではまず、事の経緯からお話ししましょう。何故、私がこうして工藤様の元を訪ねなければならなかったかを」


 そうしてファザエルは語り出した。

 崩壊に向け全世界を傾けた一つの事件の顛末を。




▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△




 一つの世界にはその世界に見合っただけの魂の容量というものがある。

 それにしたがって人々は生まれ、生活し、死んでいく。その循環は止まらない。止めてはならない。

 悠久の時の中で、自らの管理する世界で誕生しては滅ぶだけの人々を見続ける。

 それが世界を管理するモノ『世界監督』の仕事だそうだ。簡単に言うと神様のようなもので間違いはないらしい。



 そしてある時、ある『世界監督』が他の監督者達に提案した。


《どの世界が一番強い魂を持っているか決める賭けをしよう》


 始め、どの世界の監督者もそんな言葉に微塵も耳を貸そうとはしなかった。

 故に、ファザエルさん達『世界監督管理官』はこの事について放置していたのだが、それがまずかった。

 自らの箱庭を維持管理するだけには飽いた監督者達にとって、やがてそれは一種の希望とも言えるものになったのだ。

 監督者の存在意義は管理すべき世界にある。世界の魂が尽きてしまえば、監督者も消える。

 故に、どちらでも良かったのだ。

 飽いた世界に未練はない。別の世界から来た魂を楽しみ、それに負けて自らの世界の魂が消え去るなら共に消滅する。

 勝てば楽しめる。負ければ永久の牢獄から解放される。

 世界を賭けた『遊び』は爆発的に広まった。


 『世界監督管理官』が動く頃には元あった世界の実に半数以上が姿を消していた。

 それだけではない。

 この賭けに参加していた監督者はその危険性を『世界監督管理官』に危険視され全て粛清されてしまった。

 よって、今、幾つかの世界は監督者が不在の状態らしい。

 暫くはそれらの世界もつだろうが、その未来も長くはない。

 世界は生者が多すぎても、死者が多すぎても魂のバランスが崩れ、腐るのだという。

 ある程度のバランスは自然と取れる筈だが、意図的にそのバランスが崩された時には管理者が直接世界に干渉してバランスを保つ必要性がある。

 『世界監督』が長期間不在となるのはそれだけ世界の魂を殺す可能性が高まるのだそうだ。




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「そこで工藤様にお願いさせて頂きたいのです。空いた世界の監督者となって頂けませんか、と」


 ファザエルさんの口から出た言葉は、ここまでの説明を聞いていれば労なく理解することができた。


 正直、悪くはない。いや、『世界監督』という名の神になることに魅力を感じているわけではない。

 しかし、その使命には強い魅力を感じる。

 『世界監督』の主な仕事は監視。つまり見ていることである。一つの世界で起こるあらゆる物語を、ひたすら見続けることだ。

 これは僕にとって素晴らしい魅力である。

 しかし、そんな僕にも細かい不安はいくつかある。


 例えば家族のことであるとか、管理する世界以外の世界を見ることができるかどうか。本当にそんな役が務まるのかとか。

 特に二つ目は大きい。

 いくら物語りが好きとはいえ、同じものばかり読んでいては飽きてしまう。

 世界を裏切った過去の監督者達と同じ末路を辿らないとは限らない。

 

 悩ましい。プラスとマイナスが絶妙なバランスだ。


 顔をしかめどちらを取るか悩む僕に、ファザエルさんが囁く。


「工藤様は気になったことがありませんか?読み終わった本のその後を。終わった物語の未来の話を……もし貴方様が世界の監督者となったならば、その世界で起こるあらゆる物語を、本当の意味で、全て終わるまで見続けることができるのですよ」


 その言葉が微妙なバランスを保っていた天秤を一気に傾けた。


 なるほど。ファザエルさんは僕のことをよく調べてきているようだ。


「そう言われたら僕が断れるわけがないじゃないですか。卑怯ですよ、それは」


 そういう僕の口は、ニヤリと歪んでいるのだろう。

 だって仕方ないじゃないか。寿命という枷が外れ、最期まで物語りを見続けられるなんて、これが楽しみじゃないわけがない。


「では、契約成立ですね?」


 ファザエルさんが手を差し出す。


「よろしくお願いします」


 僕がその手を取った時、目も眩む閃光が辺りを包んだ。

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