第30話 「お逃げなさい!」*
「≪あふれ出る水よ、私の取り巻く愚か者を
「ぐぉっ!?」
「うぐぁっっ」
エミリア様が唱えると、男の手から剣が弾かれる。
同時に、周りの男の人達が強い水の力で跳ね飛ばされた。
手から消えた剣を見据えて、男は行儀悪く舌打ちをして唾を吐いた。
「ッチ! 一筋縄ではいかねぇとは読んでたが、嬢ちゃんは水の使い手だったのかよ」
「我がハーヴェイ公爵家を軽視したのを悔いなさい」
「え?」
『我がハーヴェイ公爵家』?
どうして、エミリア様がルイスさんと同じ家名なの?
偶然? それとも……。
「うわぁああああああああっっ!?」
「!?」
何!?
急に男の人の悲鳴が聞こえるなんて、どうしたの!?
一体どこから?
「何事だ!?」
仲間の叫び声に、目の前の残された男が声を荒げた。
エミリア様も怪訝そうに眉をしかめてる。
「……」
返事が、ない。
不気味な静寂が、私達を包み込んだ。
私もエミリア様も、私達を
……ううん、正確には『できなかった』が正しい。
異常な緊迫感が辺りには漂っていたから。
たしかにさっきから刃物を向けられて、命の危機だったけど。それとはまた別の感覚。
「――っ!」
草むらからガサッと物音が立つ。それだけで、表情が余計に硬くなったのが自分でもわかる。
心音がバクバクと鳴って、周りに聞えてしまいそうなくらい。
唾をのみ込んだのは、私達三人のうち誰だったのか。
草陰の茂みが揺れる音が、だんだん大きくなっていく。
一緒に聞こえるバキバキっていう鈍い音は、木がなぎ倒される音? それとも……。
ふと、
『魔物が活発化するから、万が一のことを考えて外出も避けるように――』
「まさか……」
そんなはず、ないよね?
私の不安を
――
「っひ!」
私達の目の前に立った男の表情が強ばった。
そして、サッと血の気が引いて、見る見るうちに青白くなっていく。
まるで、何かを見つけたみたいに。
「あ、ああ……ウソだよな? 酒を飲んでもいねぇっつうのに、幻でも見てんのか?」
「畜生! んなところで死んでたまるかよ!!」
吐き捨てるようにそう言うと、背を向けて駆け出した。だけど……彼は数歩走って、すぐに転んでしまった。
そんなドジをする人に見えなかったのに……それとも、転んでしまうほどに動揺してるってこと?
「え……?」
――違う。
男の両足の部分が、灰色に変色してる。まるで、石こうで固めた後みたいに。
転んだんじゃなくて、走れなくなったってこと?
「クソックソが! このまま石になって死んじまうなんて、
石になって死ぬ? どういうこと?
もしかして、男の人の足の色が急に変わったのって……。
「まさか……! あなた、走るわよ! 決して、後ろを振り返ることはなさらないで! よくって!?」
「! は、はい!」
エミリア様の呼びかけに、私達は同時に正面に向かって走り出した。
背後から、「シュー」と何かの鳴き声が聞こえる。
太ももまで灰色の部分が広がった男の横を通り過ぎて、その先へ逃げる。
「っひぃぃいい!? く、来るんじゃねぇっ!! オレを食ったって何の腹の足しにもなんねぇぞ!?」
「……」
間違いなく彼をこのままにしたら、何かに殺される。
でも、だからって立ち止まっても助けられるはずもないよね。
だって、あの灰色の部分はきっと……石に変化し始めてしまってるから。
「……意外ね」
「……え」
「妙な自信があるから、あなたはここに残って彼を救いたいという迷い事をおっしゃるような気がしていたわ」
「…………私は、生きなきゃいけないから」
「……そう」
そして、帰らなきゃいけない。それが、私がしなきゃいけないことだから。
迷っている場合じゃない。
私の冷酷な判断を聞き入れて、エミリア様は
「
「! ……ありがとう、ございます」
つっかえながらお礼を伝えると、エミリア様は
「聞いてもいいですか? ……私達は今、何に追われているんですか?」
「…………バジリスクよ」
バジリスク?
たぶん魔物なんだとは思うけど……。
「あの、どんな魔物なんですか?」
「!? あなた……そんなことも知らないのかしらっ?
「ええ!?」
そんなに危険なものなの!? 遭ったら絶対死ぬって……悪運ひどすぎるよ!
「目が合うと石化されるわ。何があってもバジリスクを視界に入れないようになさい!」
「は、はいっ!」
だからあの男の人、石になり始めてたの?
背後から、ズル……ズル……と何かが
男の悲鳴はもう聞こえない。恐怖で何も言えないのか、それとももう、のどが固まって声も出せなくなったのか。
バキッ!! バキ、パキパキパキゴキ……!
「っ!」
距離が離れたはずなのに、やけに響いて聞こえる。
耳につく、何かが折れる音。木みたいに乾燥した音じゃくて、細かく砕けるような。
それはきっと……。
あの食事が終わったら、たぶん今度に狙われるのは。
「街まで、何とか逃げるのよ! よくって!?」
「はい!」
恐怖で震えそうになる足を、必死に動かして走り続ける。
上がる息に、痛む心臓。森の中で足元も満足に見えないから、足が
でも、ここで走るのを断念したら、待っているのは死しかない。
「……っ」
エミリア様も苦しそうに呼吸を繰り返してる。何枚も布を重ねたドレスを着てるから、当然かもしれない。
だからって、上に着てるドレスを脱いで軽くしてるような時間すら
「っ!?」
「! エミリア、様!」
エミリア様が木の根元に足を取られて、転んでしまった。
体力が限界だったんだと思う。それは彼女だけでなく、私自身も。
肩で息をして、のどがひりついて痛いから。
汗でにじみかける視界を、
「っだ、大丈夫ですか!?」
「~~っ! え、ええ……」
返事をしてくれたけど、エミリア様は手で右足首を
整った顔が、苦痛で
……どう見ても、ただ単に転んだだけじゃない。
もしかして、足首を
「すぐに向かうわ。あなたは先に王都へお行きなさい」
「! な、何を言ってるんですかっ? だって今、エミリア様は、足が……」
「……何かしら? 高貴な私が嘘をつくとでもおっしゃるのかしら?」
平然と取り
顔色だって、青白くなり始めてるよ!?
「でも……っ!?」
「!」
聞こえたのは、「シュー」っという独特の鳴き声。
そして、胴体を引きずってこちらに
「……一刻の
わかるけど、わかりたくない。
ためらう私をキッと鋭い眼差しで
「お逃げなさい! あなたは、生きなければならないのでしょう!?」
「っ!」
そう、私は生きなきゃいけない。
だけど……そのために、エミリア様を
迷う私を
「早くなさい!!」
彼女の
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