第10話    「こっちに来いよ」

「よう、クガ。今日も見に来たのか」

「おはようございます、ハーヴェイさん」


 今日も彼の朝の鍛錬をのぞきに来た。


 そばにいるって言ったけど、職場が同じだけど職種が違うからあんまり長い間一緒にいれない。もちろん、食堂とかではタイミングが合えば少しなら話せるけど。

 それはきっと、傍にいるってことじゃないって思うから。


 だから、毎日仕事前に彼のもとに行こうって、こっそり私の中で決めた。


 剣を振っている間、ハーヴェイさんは私が来たことに気づかない。集中すると、周りが見えなくなっちゃうタイプみたいで。


 鍛錬が終了してから話すのが、最近の私達の習慣。


 ハーヴェイさんの気晴らしになっていたらいいんだけど……。

 集中の邪魔になってたりしないよね?


「にしても、今日はあっちぃな……」

「身体を動かしたからじゃないですか?」


 シャツのえりぐりを引っ張って、パタパタと何とか空気を中に送り込もうとしてる。チラッと見える鎖骨に、そこに流れる汗が色っぽい。

 ……女子なはずの私にはない色気とか。複雑な気分になるよ。


「あー……もちろんそれもあるけどな。もうすぐ、冬も終わるからだろ」

「え…………」 


 冬が終わる? そのくらい、私が異世界に来た時から日にちが過ぎたの?


 ……でも、言われてみればたしかにそうかも。かれこれ、3~4週間くらい経ったよね。冬が明けてもおかしくはないのかも。


 時が思いのほか早く流れていってることに、焦る気持ちはないわけじゃないけど。でも、慌てたって事態は変わらないよね。


 私は、私のできることをして、足掻あがかなくちゃ。


 冬が過ぎて……もうすぐ訪れる春が過ぎたとして。一体私は、そのときに何をして、何を思ってるのかな。


 ……ううん、そんなの決まってる、よね。たぶんその時にも、元の世界に戻ろうとしてるはず。もしくは、もう元の世界に戻っていてほしい。


 そうじゃなかったら――


「クガ?」

「っ! は、はい」

「どうかしたか? なんか、急に黙ってたけど」

「……なんでもないです」


 そう、なんでもない。

 私が変わるなんて、そんなこと、あるはずがないよ。


 首を振って否定してみせると、「そうか?」なんて納得のいかない表情を見せながら、ハーヴェイさんはおとなしく引き下がった。


「しかし、もう春か。早いもんだな」


 この世界にもやっぱり春があるんだね。夏と秋もあるのかな。

 春には、花が咲くのかな。


「クガは、パンプ王国で春を迎えんのは初めてか?」

「はい」

「そっか。なら、楽しみにしとけよ。デッカイ一大イベントがあるから」

「イベントですか?」


 どんなのかな。『デッカイ』って、どれくらいの規模?

 暑さに眉を寄せながら、ハーヴェイさんは自分自身を手のひらであおぎながら答えてくれた。


「そ、イベント。国を挙げて春の訪れを祝うっつう行事で、通称花祭り。一日のみの開催だけどな、この日ばっかりは俺達騎士も休息をもらえんだよ。つっても、第一部隊と第二部隊は除外だけどな。王城警備と王家身辺警護は万が一ってときがあっちゃ困るから、外せないだろ」

「騎士が警備しなくてもいいんですか」


 それって……王都が大変なことになっちゃうんじゃないのかな。犯罪者とか荒くれの人が暴れたりしないの?


 私の危惧を察したみたいで、ハーヴェイさんは顔に風を送ってない方の手を、軽く振ってみせた。


「平気平気。精霊の加護があるからな」

「精霊の加護?」

「おう。花祭りの日は王都中にすげぇ数の精霊が集うんだよ。その影響で、この祭りをぶち壊そうとした不届きもんは精霊から痛い目にあうから、誰もんな無謀なことはしないわけ」


 なるほど。だから大丈夫なんだ。

 だったら、国を挙げてのお祭りっていうのもわかるかも。皆が安心して楽しめるから、それは盛り上がるよね。


「二週間後くらいだったか? ……ま、自然と日にちはわかるだろ。街角に店も立ち並ぶしな」


 元の世界で言う屋台みたいなものなのかな。そう考えると、花祭りって花見みたいなもの?


「あー本気で無理。もう、我慢できねぇわ」

「!!?」


 どうして、いきなりシャツを脱ぎだしたの!?

 ハーヴェイさんと目が合わせられなくて、そっと視線をそらした。


 正面から見てられないよ。私、そういうの慣れてないんだから!

 学校でも運動部とか入ってないから、そんな機会なんてあるはずない。


「? どうして離れ始めてんだよ。こっちに来いよ」

「!? む、無理、です!」

「は? 無理って……」


 だって仕方ないよね!? なんで上半身脱いでるの!?

 あ、でも、さっきから「暑い」って言ってたから、それで脱いじゃったとか?


 理論としてはわからなくないけど、まともに見れるはずないよ!


「何を焦ってんだ?」

「だ、だから……いえ、むしろどうして、そんな堂々としてるんですか!?」

「いや、べつに普通だろ。見られて恥ずかしい身体してねぇし」

「~~っ! 知りません!」


 必死に目をそむけても、ハーヴェイさんは不思議そうに問い続けてる。

 しっかり鍛えてるのは、さっきチラッと見えてわかってるけど。だからって平然としないでほしいよ。


 視界に入れないようにしてても、何故かハーヴェイさんの方から近づいてきた。

 い、今は来ないでください!


「……ははーん、なるほどな。照れてんのか」

「! そうです……だから、その。こっちに来ないでください……!」

「来るなって言われると、行きたくなるよな?」

「!?」


 もっと近寄ってきてる!?

 耳が熱いよ……! きっと、顔まで真っ赤だよね?


 こんな顔、見せられないよ。後ろを向いて誤魔化せないかな!?

 ハーヴェイさんに背を向けて、うつむく。……すっごく、心臓がバクバクしてる。


 だって、その。男の人の裸なんて、見たことないから。


「なぁ、こっち見ろよ?」

「む、無理です……!」


 どうして耳元でささやくの!? 息が耳にかかってくすぐったいし、色っぽい声をしないでほしいよ!

 首を全力で振ったけど、その様子をクスッと笑った声が聞こえた。


「な、こっち見てみろって」

「……からかわないでください!」


 ニヤニヤ笑っているんですよね?

 どうせ、ハーヴェイさんと違って慣れていませんよ。それが面白いのかもしれないですけど、私は楽しくないです。


「怒るなよ。……じゃあさ、空を見ろよ」

「空?」


 見上げると、ハーヴェイさんの瞳とおそろいの透き通った水色が広がってる。

 ……でも、これがどうかしたの?


「≪恵みの雨よ。俺達の元へ降り注いで、空へ幻の橋を築け≫」

「え…………」


 ハーヴェイさんの声に誘われて、小雨のような細かい水滴の粒が空に舞い始めた。太陽の光を反射して、一粒一粒がスパンコールみたいに輝く。

 魔法? なんで急に? それに、一体何の?


「! わぁっ……!」


 宙に現れたものを見つけて、思わず私は歓声を上げちゃった。だって、そこにはめったに見れない光景があったから。


「虹……!」

「気に入ったか?」


 色鮮やかに輝く七本線が弧を描いて、私達の上に浮かんでた。

 見入ってたら、傍で笑うハーヴェイさんの声が聞こえた。


「ハーヴェイさん、これって……っ!」


 振り返っちゃった私は、肩をこわばらせた。

 そこには予測通り、半裸のハーヴェイさんがいた。


 わ、忘れちゃってたけど、そうだったよ……!


 目が合った彼は、ホッとした様子で目を細めて優しく笑った。

 ……どうして、安心してるの? 意地悪そうな表情をしている方が、まだおかしくないのに。


「やっと、こっちを見たな」

「……」


 ただ、それだけのために魔法を使って虹を出したの?

 なんか……ハーヴェイさんの考えがよくわからないかも。


 どうして、そんなにいつくしむような瞳をしているの? 

 それに……こっちを見ているはずなのに、なんで私と視線が合わないの?


 近くにいるはずなのに、何故か、遠くにいるように感じて。


「あ、の……」


 その表情が、嫌で。とりあえず、何かを言おうとしたんだけど。とっさには言葉がでなくて。


 ……っ? まぶしい。

 なにか、チカッって光ったような。


 ふいに、ハーヴェイさんの鎖骨の間で光っているものの存在に気づいた。


 ……胸元にあるって、ネックレス?

 銀色に光っている金具に、その中央に紺色の大ぶりの宝石がある。細かい装飾で、すっごく手がかかってそう。


 単なるおしゃれにしては、高価すぎるような……。

 それに、よくわからないけど、騎士の仕事にはあんまりアクセサリーとかって向かないんじゃないのかな。


 ……でも、ジロジロ見過ぎちゃうのも失礼だよね。それに、私が気にしたって仕方ないことだよ。

 聞くのもちょっと微妙な内容。気まずくなったら嫌だし、逆に興味あるのって思われちゃうのも困る展開になりそう。


 うん、気にしないようにしよう。


「うん? どうした、クガ」

「いえ。なんでもないです」


 ゆるく首を振ってみせた。



 ――深入りなんてしない。したって、仕方のないことだから。



 だって、私はいずれ、この場所から消えなきゃいけないんだから。



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